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デモン・イーブルは今日も前進をくり返していた。あるいは徒歩で、あるいは馬で、馬車で。原則、西に進んでいるのだが、その中にあっても、しばしば北や南へと蛇行する。元よりあてのない旅だ。どう逸れたっていいし、寄り道をすることについて抵抗はない。そのへん、わたしの感性と感覚は目覚ましいまでに優れているなとつくづく思うわけだ。異議は受け付けない。誰もが自らに平伏せと考える。どの王様にあってもデモンの前では頭が高い。まずは土下座しろという話だ。目的地が確かでない旅などどこかで飽きてしまいそうなものであるが、にもかかわらず、踏み出すことを良しとしている。ああ、自らはほんとうになんと尊いニンゲンだろうか――と、やっぱり自画自賛したくもなるというものだ、ふははと笑い声まで漏れてしまう、ふははははと、デモン――。
一応の目的地だ。そのうち白いアーチ状の大きなゲートを抜け、デカい集落に入った。ほんとうに巨大で見るからに立派な街――だ。行く先で粗末な身なりの――一つ入った暗い路地で集合住宅だろうか――少々年季の入った灰色の建物に背を預けている胡麻塩頭の中年と思しき男性をなんとなく選んで、「ここはなんという国だ?」と訊ねたところ、彼いわく、なんでも「タイタン」というらしい。タイタン――どこぞのなんらか荒ぶる偉ぶる神の御名だったか。まあ、名はどうだっていい。タイタンだというなら、タイタンでいい、それでなんら、かまわない。
胡麻塩頭の男に、「おたくはいったいなんなんだ?」と問われた。こんなしょうもない野郎に身分を明かすつもりなどない。ゆえに「誰だっていいだろうが」とつっけんどんに突き放した。「冷たいねぇ」と返された。「そうだよ。わたしは冷たいんだ」と、しっかり釘を刺しておいた。
胡麻塩頭が「てっきり、助けにおいでなすったのかと思ったよ」と言った。デモンは腕を組み、眉を寄せる。「助けるとは、誰のことをだ?」と疑問を口にした。
「そりゃ決まってる。ペネロペ・ソリンさ」
「は?」
「絶世の美女なんだが、知らないのかい?」
「知っているようなら、もう少しマシな反応をする」
「ほんとうに知らないのかい? 彼女は有名人なんだが」
「だから、知らんと言っている」
ふぅん、そんな奴もいるんだな。
胡麻塩頭はなかば呆れたような顔をした。
「まあいい。そのペネロペとやらは何者なんだ?」
「教祖様さ。宗教は『ブレイブ』っていう――」
そこには切なる思いが込められているのだろうが「ブレイブ」などとあけっぴろげに勇気を謳うのは馬鹿みたいだと思い、デモンは歪んだ笑みを浮かべた。それから真意がなすところとして「その名に意味はあるのかね? 意義はあるのかね?」と続けた。何か理由があるのであれば問い質したいというわけだ。
「意味とか意義うんぬんはわからんが、この国においては馬鹿にはできない組織だよ」と、胡麻塩頭は言い――。「そもそも、俺がペネロペについて真っ先に言及したのはどうしてだと思う?」
「支持を集める宗教家というのは異分子とされ、国からすればえらく気持ちの悪いものとされがちだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「大正解だろう。すごいよ、あんた。すごく賢いんだな」
「世辞は結構。その捕らわれの姫君を救いたい勢力があるというわけであり、それは信者だということだな?」
「そういうことさ。文句のつけようがない見解だな」
デモンは「わたしならできんことはないだろうな」と発言した。すると胡麻塩頭は「えっ」と、きっと驚いた。「ほんとうなのか?」とさらに驚いてみせた。「まあ、ただ者じゃない雰囲気が、つくづく、あんたにはあるが」というのがつまるところの感想らしい。
「嘘は言わん。だからといって、わたしは聖人でもなんでもないんだがな。問わずとも、それはわかるだろう?」
「しかし、あんたほどの勢いをもって物を言うニンゲンは見たことがない」
「知るか、そんなこと。ただわたしは、ペネロペとやらと話をしてみたい。成すにあたっては、力尽くも厭わない」
「まさか」
「強い敵と当たらないとつまらない。その行動について得られる成果を、わたしは良しとし、欲している」
ふざけるなよ。
死にたいのか?
若干の喧嘩腰で、胡麻塩頭は問いかけてきた。
「行動を起こせば、じきになんらかの事実に出くわすだろう?」
「それはまあ、そうに違いないだろうが……」
「まずは誰に会えばいい? それくらいは教えてもらえないかね?」
「そうだな……エドワードだろう。エドワード・フレッチャー」
「何者だ?」
「ソリン家の執事だ。正直者だって噂もある」
「正直者か。いい響きだ。ゆえに、会ってみようと考える」
デモンがそんなふうに言うと、「百パーセント、信用できるかはわからないけどな」との返答があった。
「そのあたりは自分で見極める。住所は? ご存じなんだろう?」
「ソリンは名家なんだよ。貴族なんだ」
胡麻塩頭の口から、ペネロペの住処に関する情報を仕入れることができた。
まずは関係者から洗ってみようと思う。やれやれだ。どの国を、どの町を街を訪れ、気ままにぶらぶらほっつき歩こうが、どうあれ何かしらの出来事に行き当たるらしい。面白い現象と言える。退屈とは無縁であるほうがいい。
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三階建て。ペネロペ・ソリンの実家であり生家である家屋の白壁は手入れがよく行き届いているのだろう、立派だった。左肩の上で、ハシボソガラスのオミが「わぁ、大きな家なんだ」と感心したように言った。デモンは彼に「しゃべるな」と注意する。人通りが少なくない。カラスが口を利いたことに気づかれると変な目で見られることウケアイだ。だからデモンは顎をしゃくった。オミはいちゃもんをつけたいのかもしれないが、きちんと屋根の上まで飛び立った。空気を読めるところは評価したい。まるきり馬鹿な鳥類ではないということだ。
――と、短い階段を上ろうとしたところでソリン家から黒い背広姿の人物が姿を現した。三十には達していないだろう。襟足が幾分長い黒髪、えんじ色のネクタイをきちんと締めている。清潔感があって好感が持てる装いだ。きっと頭もいい、生真面目そうな表情、かっちりとした動きから、その旨が窺える。当該の若者は箒とちりとりを持っていて――まさに掃除をするべく表に顔を覗かせたのだろう。
気づいていないはずはないのだがデモンのことを無視して箒を使い始めた若者に対して、持ち前の低い声で「おい」と声をかけた。我ながら横柄なことだと思うが、他に接触のしようがないと考えたわけだ。
「おまえがエドワードか?」
「確かに私はエドワードですが?」
にこやかに返事をした。
どうやらできた人物であるらしい。
「エドワード・フレッチャー。少し話をしてもいいかね?」
「かまいませんが……あっ、ひょっとして」
「ひょっとして、なんだ?」
「最近、たびたび現れます。お嬢様を救いたいというニンゲンが」
「お嬢様――ペネロペ・ソリンのことか?」
エドワードはにこりとし、しかしどこか悲しそうな顔を見せたのち、それから「そのとおりでございます」と答えたのだった。
「立ち話もなんです。中に入っていかれませんか?」
「いいのか?」
「良いも悪いも、今、それを判断する主人はおりませんから」
「一存で済むと?」
「そうです。私の一存です」
なるほど。
ペネロペ・ソリンはやはり不在であるようだ。
「おまえはわたしを見て、ああ、この女はなんと物好きなのだろうと感じているわけだな?」
「そこまでは言いませんが」
「いいさ。話をしよう。温かいレモンティーを淹れてもらえると嬉しい」
「承知いたしました」
かくして、デモンはソリン邸へと足を踏み入れた。頭上でオミが「カァ」と鳴いた。「ぼくも入れてくれー」ということだったのかもしれないが、だったとしても、ほうっておく。カラスなのだからせいぜいわきまえろという話だ。