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海を渡った先はウキタ島という。その名のとおり、ウキタなる家が治めているらしい。たまたま知った報せだ。島の八割方を牛耳っているウキタ家、唯一と言っていいくらい頑なな抵抗を続ける、シバタなる、恐らく屈強な一団。その社会的構図が面白いと考え、訪問を決めたというわけである。付くとしたら弱いほうがいい。あからさまな勝ち戦に乗っかって何の意味がある? 悪戯に悦が得られる戦闘に身を委ねたくはない。
フツウに手続きを済ませても良かったのだが、あるいは自らのファッションは怪しく映るかもしれないと思い、誰に話を通したら早いかと考えた結果、それはやはり袴の太っちょの女だろうと確信し、彼女に接触することにした。案の定、太っちょはデモンを前にして眉をひそめた。「なんだい、あんたは」という口調にも敵対心とまでは言わないが多少の棘くらいは感じられた。「肩にカラスなんて乗せて、何者だい?」とも問われた。カラス――小柄なオミは大人しくしている。「カァ」と一声、鳴きもしなかった。黙るところは黙る。頭は悪くないと言える――ままあることだ。
「わたしはデモン・イーブル。“掃除人”をやっている」
そう言ってやると、太っちょは驚いたのだろう、目を大きくした。“掃除人”をご存じのようだ。しかし、「この島にいるだなんて話は、聞いたことはないけどね」ということらしい。まあ“掃除人”自体、多くはないはずだし、であれば、先方にとっては初見であってもなんらおかしな話ではない。
「で、“掃除人”さんが何の用事だい?」
「まずは村に入れてもらえないかね。目的は然るべき人物に話そう」
「あたしはあんたがウキタの工作員なんじゃないかって疑ってる」
「わたしの顔がスパイの類に見えるかね?」
「真っ黒ななりじゃないか」
「なりはともかく、だからなんだという話なんだが?」
するとややあってから、太っちょは「いいさ」と応えて吐息をついた。にこっと笑ってみせたくらいである。「これでもヒトを見る目には自信があるんだ。ああ。あんたは悪い奴じゃないんだろうさ」ということらしい。そこのところは少し心外である。悪い奴じゃない? 違う。デモン・イーブルは著しく邪なニンゲンだ。
まあいい。
「宿はあるかね?」
「あるよ。案内が必要かい?」
「いや、いい。それくらい、自分で探す」
「あたしはノゾミだ。ノゾミ・マツバラだ」
「ノゾミよ、なぜ、突然、名乗った?」
「あんたは教えてくれたからね」太っちょ――ノゾミの笑顔はほんとうに人懐っこい。「一応、バッグをあらためさせてもらってもいいかい?」
かまわんよと答え、左手に提げていたバッグを手渡した。中をごそごそ漁ると、ノゾミは「イヤラシイ下着が好きなんだね」と言い、にやと目を細めた。イヤラシイ下着、確かに、一般的にはそう評価されるのかもしれない――。
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部屋は畳敷きで、座卓とそれを挟む格好で紫色の座布団が敷かれていた。食事は運んでもらえるらしく、布団も敷きに来てくれるらしい。良いサービスである。イイ感じである。宿の主人をはじめとする従業員の愛想が揃っていいのもポイントが高い。ビジネスライクに徹してくれているのだろうが、だからこそ、それはそれで気分がいい。障子――窓を開けた。腰を下ろし、向こうを眺める。ヒトの往来は結構なものだ。はっきり言って、ひらけている。絶対的な王者がいる島において虐げられてばかりいる集落だと聞いたように記憶しているのだが、活気がある、賑やかだ。景気が悪いようには見えないのだった。
部屋の出入り口のほうから、「失礼します」との声が聞こえた。そちらを振り向き、「いいぞ」とオーケーの旨を告げる。年配と思しき着物姿の女が入ってきた、短い白髪だ。年季の入った声。静かな身のこなしでにこりと笑み、「お茶を淹れましょう」と言ってくれた。「ああ、頼む」と応えつつ、障子を閉め、座布団に着く。あぐらをかき、ごつごつした立派な湯飲みを手にし、緑色の液体を口にした、緑茶だ。苦みがちょうどいい。こうでなくちゃと思う。必然だろう。
「女将か?」
「さようでございます」
そういうことらしい。
「名と年齢は?」
「ミスズでございます。年は秘密でございます」
そういうことらしい。
どれだけの時間を重ねていようが、悪戯っぽいところは買える。
茶のおかわりをもらった。
ミスズは畳の上でお行儀良く正座し、デモンを見てニコニコしている。
「ひっくり返したくて、訪れたのですね?」
眉をひそめ、デモンは「何の話だ?」と訊ねた。
「この島の力関係はわかりやすい。私どもシバタ村からすれば、敵はたったの一つでございます。そういった構図はじつは世にあってあまり珍しいものではなく、だから自らがなんとかしてやろうというニンゲンがしばしば現れる。違いますか? 私にはなんら違わないように見えます」
「わたしが俗物に見えるかね?」デモンはほんの少しだけ笑った。「だとすると、半分は正解だ」
「もう半分は不正解だと?」
「いや、俗物かどうかうんぬんの話で言うと、私は百二十パーセント、俗物だよ」
「潔いのですね」
「自らに絶望していないのは当然だが、自らにそこまで期待もしていない」
見つめていると、そのうち女将は微笑んでみせた。
「ウキタの話をしましょう」
「ああ、頼もうか」
ミスズは一つ「コホン」と咳払いをして。
「昔、大元にあったのは別の勢力だったんです。当時、島を取りしきっていたそんな粗暴な連中――それに立ち向かったのが、シバタを根拠にするウキタだったんです」
「権力を持てば変わる。それがヒトというものだと思うがな。業ともいう」
「ウキタを悪く見ないヒトもいるんです」
「しかし、襲ってくるんだろう?」
「その意味がよくわからないんです」ミスズは残念そうに吐息をついた。「どうしてでしょう。仲良くすれば良いように思います」
「前述した。誰にでもエゴやらイデオロギーやらはある。一度火がついてしまうと、わかり合うのは困難だ。だからこそ、これからも戦争は続くのだろう。違うかね?」
ミスズはてへっとばかりに舌を出した。
年甲斐もなく、しかもいきなりお気楽なことである。
「村の
「ああ、そうだ。一度、話をしてみたい」
「仲間になる、ならないの話でございますね?」
「だから、そうだろうと言っている」
「明朝、私がご案内いたします」
「だったら頼もう」
デモンは茶菓子に手を伸ばした。
齧ってみると、栗饅頭だ。
立派な栗で、甘かった。
外から「カァ、カァ」と鳴き声がした。すぐにオミのそれだとわかった。放っておこうかとも考えたのだが、続けて声を上げるのでやむなく障子を開けた。途端、ヒューっと入ってきた。入ってきて、鮮やかに座卓に着地した。たぶん、他にヒトがいることは予想外だったのだろう。だから第一声として言葉を発することはしなかったのだ。ただ間を持たせるセリフとして、「カァ、カァ」と鳴いたのだ。ミスズは「ひゃあっ」と驚いてみせたのだが、すぐに「わぁ、かわいいカラスですねぇ」とまあるく言った。ころころと笑いもした。年寄りのくせに、いちいちどこか子どもっぽい――。
「ミスズ、すまないが、豚か牛の油をもらえないか?」
「わかりました。カラスさんの御飯ですね?」
「そうなんだよ。じつにわがままな奴でな」
「じつはおしゃべりしたりしませんか?」
いかにも奔放なところがあるミスズのことを「そうだったりしてな」とやり過ごし、デモンは肩をすくめてみせた。勘がいいなと思ったのは、オミもそうかもしれない。
「牛脂をすぐにご用意します」と頭を下げ、ミスズは部屋を出ていった。
「ねぇ、デモン、このあたりのカラスは内気みたいなんだ。まるで鎖国状態なんだ」
「おまえの愛想良しが過ぎるのではと考えたいのだが?」
「愛想良しは悪いこと?」
「話を逸らすな」デモンは素早く物申した次第だ。「明日から動くぞ。邪魔だけはしてくれるなよ」
「しないよ」心外そうに「カァ」とのオミ。「面白くなるといいね」
「ごたごたの戦争になれば、望むところだ」
「たとえばそんなことになると、多くのヒトが死ぬよ?」
「どの世界においても、どの時代においても、弱いニンゲンはさっさと死ぬしかないんだよ」
きみは今日も冷たいんだ。
そんなふうに、言われてしまった。カラスごときにしょうもない評価なんてされたくない。まったく、つまらんことを言う野郎である、死ねばいいのに――。