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4-8.

*****


 地下の五階に到達。なんだか区切りのいい数字だと思う。――思うだけだ。そこには何の意味もない。このダンジョンに入ったときは三人だったわけだが、気がつけば一人になっている。悲しいことだとは考えない。ただ、ヒトの生の虚しさ、呆気なさ、くらいはかくもそうなのかと感じている。いい奴だったのかもしれない、ルークもヒューも。そうだというだけのことだが。何かを悔い悔やむようなことでもない。死ぬ奴は死ぬべくして死ぬ。真理でしかない。


 やはり暗くない。左右の壁に松明が掲げられているからだ。もはやおかしいとも思わない。確実に、ここには何かの存在の陰が見え隠れする。誰も知らない輩が、絶対にいる。松明の間隔がやがて縮まり、ニンゲンが見えた。ヒトのかたちをしているからニンゲンだ。きっとニンゲンだ。両手を広げて「ようこそ、デモン様」と言った。どこかで見た覚えがあるなと思った。宿屋の主人だとわかった。確か、リッチといったか。老人で、白い髪を七三にきちっと分けている。黒縁の眼鏡をかけている。ただならぬ雰囲気とはこのことだ。それにしても、朝は宿で挨拶を交わしたのに、いったいどういうからくりだろうか。どうしてしれっと化物面ばけものづらをかまして地下五階――ここにいる? ――じつは大方、予測はついている。ただの老人がここまで至れるとは到底思えない。ということは、だとすると――。


 デモンは「五十年前だったか、おまえがこのダンジョンを寄越したんだろう? しかも一夜で作り上げたと言っていたな。だから民草はびっくりした。それは当然、そのとおりだ」と考えを述べた。十メートルほど先の老人は、少々驚いたようにレンズの向こうの目を丸くした。「おやおや、そこまでお気づきでしたか」などと言った。「確かに私がこしらえました。自分でも不思議なくらい、考えたことがかたちになったのですよ」と続けた。不遜な態度だ。不確実性を帯びた不思議な能力――魔法である。まったく、世の中は広いものだなと感じるより他にない。


「松明を設置したのも、各階にランダムで化物を配置したのも、おまえなんだな?」

「そう言っているつもりです。正しく表現すれば、このダンジョン自体が私なんですよ。だからどこだっていじることができる。とにかく自由が利くんです」

「ヒトを招き入れないと、退屈だった? そのために工夫をした?」

「そうは言いません、言いませんが、ただ、私の手の内で踊ってくれる連中の意気込みは、それなりに面白いものでしたよ」

「面白い、か。ヒトがより楽しめるようにしたわけだ。だからお宝なんかを置くことで、探索者が絶えないようにした。探索者らを、飽きさせないように手を打った、打ちつづけた」

「その点も否定はいたしません」」


 デモンは右手で後頭部を掻いた。

 なんともしょうもない話だと思う。

 たった一人の男のわがまま――そうだというだけではないか。


「残念なことがある」

「なんでしょう?」

「このダンジョンにおける旅は、おまえが終点なんだろう?」

「そうですが、それが何か?」

「たったの五階だ。もう少し深くあってくれれば、もう少し楽しめたのだろうと思ってな」

「しかし、そうです。私で行き止まりです。私の先に、道はない」


 デモンの頭には、とある記憶が蘇った。


「ああ、そうだ。確かおまえは、私に対してダンジョンには入るなと言っていたように思うんだが?」

「ええ。美しい女性には死んでほしくない。そのように申し上げましたね」

「なのに、わたしに殺そうというのか?」

「ここまでいらしてくださったんです。であれば、謹んで仕留めさせていただかないと」

「つまらん思いやりもあったものだ。かまわんぞ、ジジイ。とっととかかってこい。この世との繋がり、すぐに断ってやろう」

「私をれる、と?」

「ああ。当然だ」

「だったらやってみろという話です!!」


 圧倒的な脚力だ。力強く地を蹴り、リッチが飛びかかってきた。右腕を刃に変化させ――その時点でもはや人ならざる異常者なのだが――力任せに振り下ろす。どうやらその肢体は万能であるらしい。デモンは額の前に刀をかざし、防ぐ。鍔迫り合い。力で押し返す。パワー勝負では分が悪いと感じたのか、後ろへと退いた。今度は攻撃に回る。一旦納刀し、柄に右手を添えながら駆け、腰を使い光の速さで抜刀した。刹那、眉を寄せた。一閃を受けられたからだ。コイツの右の刃のほうが硬い? 舌打ち。こんな敵は初めてだ。力任せにねじ伏せようとしても、そうさせてくれない。手強い。リッチは至って冷静な顔。ヒトを殺すことなんてなんとも思っていないのだろう。刀が真っ二つに折られた。やむなく右方へと飛び退こうとしたところで、袈裟懸けにされた。さらに顔面を左手で殴られた。殴るあたり理に適っていないと考えるが、殴られること自体、非常に珍しいことで――。


 左肩から右の脇腹まできちんと斬られた。血を感じる。熱い魂の赤い液体だ。殴られたせいで鼻血も出た。リッチは後退、距離を取った。出血多量で死ぬのを待つわけではないだろう。そもそも、そこまでの深手ではない。ただ、嬲るつもりなのかもしれない。なんにせよ、余裕をぶっこいてやがるわけだ。


「あなたの刀の強度が九とするなら、私の身体は十です。数字は一つしか違いませんが、その一つは埋められませんよ」ゆぅっくりとした口調で、余裕綽々に物を言ってくれる。「私の命を断ち切ることは、あなたにはできません」


 デモンは折れた剣をぽとんと捨て、右手の甲で鼻血を拭った。ほんとうに出血なんていつぶりのことだろう。怒りは込み上げてこない。ただ、罰として、あっさり殺してやろうと決意する。


 右腕を横に広げる。すると、右手を中心として黒い穴――闇の空間が発生した。大きなものではない。穴の中にぬっと右手をやる。呟くように「グラン」と言うと、彼女の手には新しい刀が握られた――穴を閉じる。早速鞘から抜き払い、「あははははっ!!」と大笑いをかました。


「どういう理屈ですか……?」リッチは明らかに驚き動揺している。

「わたしは魔法を根っことした『便利な倉庫』を常に持ち歩いているんだよ。わたしが望めばその空間は闇の穴のようにして現れる。誰にも真似できんだろうな」とデモンは答えた。「さて、仕置きの時間だ。おまえには次の瞬きすら許されない」

「まさか、そんな――」


 もはや油断はない。手加減もしない。一瞬で懐に飛び込み、袈裟懸けに伏してやった。「まさか、そんな……」などともう一度呟きながら、リッチは仰向けに倒れた。デモンはその様子を見下ろし見下し、「わたしに血を流させたんだ。誇っていいぞ」と傲岸不遜に述べた。


 リッチは力なく笑って――。


「そうか……。私の人生こそ、ここで行き止まりだったのか……」

「そのようだ。しかし、長生きしたところでいいことがあるとは限らない」

「綺麗な女性に斬られて、良かった……」

「おまえの理想など知らんが、まあせいぜい死んでくれ。さよならだ」


 デモンは身を翻して、歩き出す。

 ダンジョン内の冷たい空気は、えらく心地良かった。


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