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地下三階へと下り、たった一つ、奥へと続く道を進む。デモンはまるでそんなことはないが、ルーク、ヒュー親子が緊張しているのは肌を通じて伝わってくる。ヤバいかもしれない。二人とも、そんなふうに本気で感じているのだろう。まだ何も現れていないのに、大げさなことだ。もう少し大らかで余裕のあるところを見せてもらいたいものだが。とはいえ、一般人からすれば、それもこれもやむを得ないことなのかもしれない。何度だって「男なんだからシャキッとしろ」と言いたいところだが、それは今流行りの性差別と言えるのだろう。
「ここ、三階になんて、踏み入れた奴のほうが少ないはずだ」ルークが息を飲んだのがわかった。「なのにどうして、松明が焚かれているんだ?」
ヒューも同じことを考えていたようで、デモンのほうを向くとこくりと頷いてみせた。やはり危険を感じているらしい。
「幾度だって告げよう。怖ろしいようなら引き返すことをオススメするが?」
デモンが真理を告げても、二人とも何も返してこなかった。前をゆくルークの背には緊張感が漂っている。デモンの左隣に並んでいるヒューもそうだ。だ・か・ら、危ない目に遭いそうな気がするのであれば引き返せばいい。つくづく、そう思うのだが。意地を張るあたり、男のコだからだろうか――。
ヒトが一人、やっと通れるくらいの長方形の穴が見えた。間違いない。下へと続く階段があるはずだ。ルークの背からもヒューの横顔からも安堵したような空気が窺えた。だが、何もないまま通してもらえるだろうか? 何も現れぬまま、通過できるのだろうか。
そんなふうに思っていると、天井の高い空間の真ん中に、ふぅっと人影が落ちて湧いた。宙に滲み出るようにして現れたのだ。丈の長い黒の着衣、コートのようなそれは法衣とも言える。濡れたような金髪に青白い肌。ヴァンパイアを想起させる。右手を胸に当て、身体はぷかぷか宙に浮いている。ただ者ではない。物静かではあれど、何かを殺す術に長けていることは強く強く窺い知れる。
デモンは一歩、進み出た。
するとルークが、「待ってくれ」と彼女の行く道を遮って――。
「俺がやる。俺たちがやる。なあ、ヒュー、そうだろう?」
するとヒューはこくりと深く頷いて――。
「待て、ルーク。奴はできるぞ。三階を攻略したニンゲンがいないことも頷けるというものだ」
「だったらなおのこと、やってやらねぇと」
「待てと言っている」
「見ていてくれよ。俺たちが死んだら、退いてくれ」
現実が見えていないなと感じさせられた。先方がどれだけ剣呑な雰囲気をまとっていようと奴さんよりヤバいのはわたしのほうだと確信しているデモンである。負けない必然がそこにある以上、任せてくれてもいいだろうに。
だが、ここは男を立ててやろうと考えた。
好きなようにやってみろ、そんなふうに思ったのである。
馬鹿の一つ覚え、ルークが手斧を右手に突っかかる。当然のごとく空振りにしたって、青肌の小僧の動きは異常だ。姿を消し、背後に回ったのだ。確かに消えた。瞬間移動だ。目で追うことができなかったのだ。青肌はルークの背を蹴飛ばし、ヒューの手から放たれた矢を右手で掴んで止めた。連続で放たれても止めてみせた。動体視力も優れているのだろう。少々厄介な、やはり怪物的だ。奴に比べると親子二人はへっぽこで、とてもではないが敵う余地など見当たらない。
もう気が済んだだろう。そう考え、「戻れ!」とデモンは叫んだ。しかし、ルークは引かない。加えて、こともあろうに矢が尽きるとヒューまでナイフを手に突っかかってしまった。デモンは舌を打つ。どうでもいいといえばどうでもいいのだが、ただなんとなく、見殺しにするのは少しばかり気が引けた。左手を前に向ける。何らかの魔法で援護してやるつもりだったのだが、それより速くルークの身体が発火した。炎はあっという間に頭まで駆け上った。舌打ち。魔法で大量の水を発生させて火消しに励むことも考えたが、なかなかの業火であり、どうやら助けることは不可能らしいと察した。無駄だろうと割り切り、真っ先の敵対を良しとする。著しく速く駆け、抜刀、刃を水平に走らせる。軌道が糸を引く。やるものだ。青肌は滑るようにして後方へと退き、かわしてみせた。――すぐそこでは前のめりに倒れたルークが燃えている。いよいよだ、もう助からない。
ヒューが「ちくしょう!」と雄叫びを上げながら、尚も青肌に突っかかろうとする。敵いっこない。デモンはヒューの後を掴んで無理やり下がらせた。青肌の程度は、もはや知れた。簡単に崩せる、仕留められる。青肌はいろいろやってきた。優れた魔法使いであることは認める。炎、氷、雷――といった物理をまんべんなく発生させ、それを攻撃とした。そのどれをも魔法の盾で遮ってやった。完全に防いでやった。となると、賢い奴なら、あるいは賢くない奴でも――。
やはり青肌は打って出た。見える範囲から姿を消した。また瞬間移動だ。使える魔法使いは多くないはずだ。であっても、このシチュエーション。どう動くかなんて、火を見るより明らかだ。デモンは素早く振り返り、青肌が振るった強靭そうな一撃、切り裂くような右手の爪の一撃を刀で受け止めた。青肌が驚き、忌々しげに歪めたのがわかった。ダサいなと思う。ぱっと見では大物感を覚えたのだが、もはや無様に映った。圧が消えたのだ。
「ワンパターンなんだよ、おまえは」
爪をさっと弾き、景気良く一気に袈裟懸け。二つに分かれた青肌の身体が地に転がる。振って血を飛ばした刀を、ゆっくりと鞘に納めた。黒々とした灰に変異しつつある父――ルークのことを、ヒューは見下ろしている。いかにも無念そうだ。唇を噛んでもいる。しかし、涙は流さない。期せずして肉親を亡くしたというのに、大したものだと思う――一般的な話だが。
「父は、幸せだったんでしょうか……」
「そう考えるがね。ただ、本気で死ぬとは思っていなかっただろうが」
「見込みが甘かったと?」
「違うかね? おまえたちは気軽なピクニック気分だったとは言えんかね?」
ヒューは押し黙った。
もはや、ルークの死体は完全にくたばった。
彼の行く末は天国だと祈ればいい? ふざけるな馬鹿馬鹿しい。
「骨を拾って引き返す。アリだと思うが?」
「あなたは前進するんでしょう?」
「当然だ。幸い、まだ腹も減っていないしな」
「でしたら、お供します」
「ほぅ。どうしてだ?」
「父ならそうするだろうと思うからです」
デモンは特に意味もなく肩をすくめてみせた。
「安全性を担保することはできんのだが?」
「かまいません。自分の命くらい、自分で決めます」
「父の死を目の当たりにして、呆れたものだな」
「それでもやります。やれます」
言ってくれる。
「それにしても、やはり松明だ。どうしてこのフロアにもあると考える?」
「誰かが焚いたからとしか言いようがありません」
そうだろうなと、デモンも思う。
しかし、奇妙に思える節を覚えるのはなぜだろう。
まあ、進めば自ずと解は得られるに違いない。
――と、楽観的に考えることにした。