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宿屋の部屋。オミは丸いテーブルの上だ。分けてやった白身魚のムニエルを食らい、「魚もいいんだっ。とてもおいしいんだっ」などとがっつき加減の感想を語尾跳ねで述べる。どうでもいい。ほんとうにどうでもいい、際限なく純粋に、取るに足らないカラスなのである。
明日の予定とそれにまつわる情報を展開してやった。一通り食べ終えたところで、オミは「宝箱なんて物があるのなら、探索者で芋洗いなんじゃないのかなあ。土曜日なんだし」と、かなり正しいことを言った。
――が。
「このわたしに週明けまで待てと?」
「せっかちだから、それは無理だと思うんだ」
「せっかちとの評価は心外だが、しかし、まあ、だろう?」
「ぼくもついていっていいかな?」
「よくない。おまえはわたしの帰還を待っていろ」
「意地悪だと思うんだ」
「馬鹿を言え。途方もない思いやりの成果だよ」
オミが「確認なんだ」と切り出した。「地下三階まで潜ったヒトって、ほんとうに戻ってないの?」と訊いてきた。
「らしいぞ。ゆえに、三階の情報は皆無、となる。そもそも入った先のことなんてどうでもいいんだがな。そのほうがより一層楽しめる」
「彼らが深くを目指そうという理由――デモンはどう考えるんだい?」
「階を重ねればより良い宝を得られるのでは? そういうことなんだろう」
「やっぱりそうなのかなぁ」
「得体の知れない三階まで下りるのはリスキーとも言えるんだがな」
「それ、一般的なニンゲンの感覚を指してのことだよね?」
「もちろん、そうだ。そのとおりだ」
オミが言った。「それにしてもわからないなぁ、どうしてなんだろう」。
「宝石を得られるっていうのは、得られるかもしれないという希望的観測に基づいた考えであって、危険を冒すほどのことなのかなぁ」
「ヒトがさまざまあることの証左だ」
ウイスキーを一口飲んだ、デモン。
「うまいな。樽がいいんだろうな」
「ぼくも飲んでみたいんだ」
「酔っ払ったカラスなど、誰も見たくない」
「アルコールに耐性があるカラスなのかもしれないよ?」
「そんな奴はいない」
「根拠は?」
「ない。だから死ね」
オミがやいのやいのと騒がんとなった段で、ドアの戸がコンコンコンとノックされた。「開いているぞ」と答えたデモンである。戸を開き、入ってきたのは宿屋の主人、リッチだった。
「夜分に申し訳ありません」
「まずは座るといい」
「恐れ入ります」
リッチは鏡台のそばに置かれていた丸椅子を持ってきて、それに腰を下ろした。
「で、何の用なんだ?」と訊いた。
「紹介しておいてなんですが、ダンジョンに入るのはやめておいたほうがよろしいかと」との答えが返ってきた。
「ほぅ。どういう理由があって、そんな結論に至ったんだ?」
「いくらなんでも、あなたに踏破は不可能、かと」
「わたしに限って、それはないと思うがね」
「得体の知れない場所に足を踏み入れる――やはり正気の沙汰とは思えないのです」
「そこまで言うかね」デモンは小さく笑った。「どうでもいいことを訊こう」
「なんでしょう?」
「ダンジョンは大昔からあるのかね? それとも、できたのは比較的最近のことなのかね?」
「五十年ほど前に出現したようです。一夜にして、いきなりです」
ますます意味がわからんなと思う。
「いかがですか? 私の進言にお応えくださいますか?」
デモンは特に思考することもなく、だから間を置かず「答えはノーだ」とすぐさま言った。
「なぜですか? ここで巡り会えたわけです。何かの縁ではありませんか。私はあなたのような若く美しく、また才能に満ちた女性には死んでもらいたくないのです」
「才能云々についておまえがわたしの何を推し量るのか――という話だ。ある種の女性蔑視的発言でもある」デモンは鼻で笑ってやり、肩をすくめもたりもした。「一度、興味を持ってしまったんだ。もはや誰の言葉にも耳を傾けてやる気はない」
暗い顔をして、リッチはいかにも「そうですか……」と残念そうだ。深く吐息をつくと立ち上がり、「忠告はしましたよ」と大げさなことを言い、部屋から出ていった。
テーブルの上で、オミの奴が「どことなく変わったヒトだと感じたんだ」と述べた。「そうか?」、「まとう雰囲気が、僕にそう感じさせたんだ」、「根拠は?」、「それはわからないんだ」などというやり取りがあり――。
このカラス、ヒトを見る目はそこそこある。だが「変わったヒト」の定義が曖昧であり、その枠を出ない以上、リッチはただの老人だ。当然のことである。
「にしても、きみはどこでも美人だと言われるね」
「完全無欠で完璧すぎる事実だろうが」
「ニンゲン、謙虚さが必要なんだ」
「カラスごときにも、それはあてはまる」
「ごときとは失礼千万なんだっ」
「いちいちやかましい奴だ」
いかにも子供っぽい、変声期を迎える前の少年のような高い声なのだが、ずっと聞いていると飽きてしまうし、ならしゃべる必要はないなとすら思う。
オミが足を折り、むくむくの状態になった。
「食べたし、飲んだんだ。はしごをしたいくらいなんだ」
「中年のおっさんみたいなことをほざくな」
「ねぇ、デモン、ぼくの身体はフツウのカラスのそれよりずっと小さいよね。どうしてだと思う?」
「生まれつき、そういう性質なんだろう」
「違うね。きみの細い左肩に乗るために、ぼくは小さく、生まれてきたんだ」
「大層な物言いだ」
「ぼくにも何か楽しいことが降ってこないかなぁ……」
「わたしといると退屈か? だったらどこにでも飛んでゆけ」
オミは不本意そうな顔をした。
無論、カラスの表情なんて判別がつかないので、見た感じの印象だが。
「二つ、考えられると思うんだ」
「二つ?」
「そうなんだ。一つ目は単純なケース。地下三階にまで至った探索者はそこで何かに殺された」
「二つ目は?」
「なんらかのかたちで捕らわれて動けない」
「二つとも、あり得んとは断言できんな」
オミは「うんうん」と得意げだ。
「どっちにしろ、やっぱり危険だよね」
「しかし、わたしは潜るだけだ」
「後は野となれ山となれ?」
「それは存分に楽しんだ事後の話だよ」
オミが少し身体を左右に揺らした。それからデモンに「眠いんだ、寝るんだ、おやすみなんだ」と矢継ぎ早に言った。クソ生意気な奴さんには明日を迎えることなく、ぽっくりと死んでもらえると嬉しいのだが。その旨、伝えると、オミは「酷いんだ……」とつぶやきしゅんとなった。カラスであるものだから、しゅんとなったというのも、やはり見た感じの印象でしかないのだが。