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バレット・ショーターから「付き合ってくれよ」と懇願されたデモン・イーブルである。肌の色や身体のサイズや顔の造りを基準に物を言うと差別主義者と定義されるのかもしれないが、どうあれ当該男性には興味すらないので、彼女は「断る」と答えた次第だ。――が、じつのところ先方は愛の告白をしたわけではなく、「立ち合ってくれ」とのことだった。「紛らわしい言い方をするな」と注意してやると、頭を掻いて照れ臭そうにした――意味不明だ、なぜ笑う?
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訓練場でやっつけている。事あるごとに片手で捌いてやるものだから、たびたび「ホント、なんて怪力だよ」と驚かれた。自らはどこからどう観察しても「華奢な女」にすぎないため、デモン自身もその腕力がどこから湧き出てくるのかよくわからないのだが、「才能」の一言で済ませることにしている。元から「最強」なのだろう――それが最終的かつ絶対的な結論だ。
そのうち、バレットがバテた。大剣を放り出し、巨躯を仰向けに横たえた。ぜはぁぜはぁと醜く大げさな呼吸をして、「負けは負けだ。ビールでもなんでも奢ってやるぜ」などとのたまう。デモンはバレットの脇で膝を折った。呆れるような思いで彼を見下ろす。
「大男のくせに、情けないことだな。救いようがない」
「アンタが強すぎるんだよ。ったく、自信なくしちまうぜ」
「自信を持っていいほどおまえは強くない。まあ、弱くもないのだろうが」
「ほんとうか?」バレットが、がばっと上半身を起こした。「アンタから見て、俺は弱くないのか?」
「一般的かつ比較的というだけだ。調子に乗っていいレベルではないと重ねて伝えておく」
一転、今度はがくっと肩を落とした、バレット。「そうだよなぁ」と俯くと、大仰に溜息をついたりもした。
「伯爵っていっても、俺は馬鹿だからよ。剣でなんとかするしかないんだよ」
「地位にはさほど、価値がない」
「そうなんだけど、ホント、俺は馬鹿だからよ……」
健気さを醸し出すような雰囲気、姿勢が俄然うっとうしくなってきたので、デモンはバレットにデコピンをかました。
「い、いってぇな、なんだよ?!」
「それはこっちのセリフだ。湿っぽくなってどうする? このわたしに慰めろとでも言うのか?」
「そうじゃねーけどよ、なんてか、こう……俺はやっぱり馬鹿だからよ……」
「馬鹿なのはわかっていると言ったつもりだが?」
「力で負けちまったらオシマイなんだよ、俺の場合」
バレットが浮かべたのは苦笑だろう。しかしすぐに立ち直ったようでニカッと人懐こい笑みを見せた。デモンは立ち上がる。「立て」と命令する。言うことを聞いてもらったところで、「次は体術だ」と左の拳を差し出した。バレットは「ボクシングでいこうぜ」と言いつつ、彼女の拳に右の拳をぶつけた。距離を取って左右にステップを踏む。デカブツのわりには案外動けるのだ。
「勝ったら俺のこと、男として認めてくれよ」
「それどころかヤらせてやろう。大盤振る舞いだ」
「やっりぃ」
「言ってろ」
デモンはさっと間合いに入り――右のローキックを決めてやった。
「いってーっ! 反則じゃねーか!!」
「信じるほうが悪い」
今度は左のミドルキックから右のボディブロー。大きな身体が前屈みになったところで顎に右の膝を食らわせた。またどたんっと仰向けに倒れたバレットである。デモンは「弱い」と残して身を翻した。
――目線の先に、ジュリアが映った。「少し、付き合ってもらえるかしら?」などと笑んだ。
やれやれ、コイツもか。
デモンは肩をすくめたのである。
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訓練うんぬんの話ではなく、「赤を奢るわ」とのことで、伴われた先は明らかにグレードが高いワインバーだった。
カウンター席に並んで着いて――。
「昼からアルコールとは、豪気だな」
「今日の私はオフですもの」
確かに、ラフなパンツルックだ。
「ウイスキーのほうが、好きなんだがな」
「私もよ。でも、たまにはワインもいいじゃない」
グラスを傾け、ジュリアが白く細い首をこくりと鳴らした。その様子を隣で見ていて、単純に「美しい女だな」と感じさせられた。
「あなたもどうぞ」にこりと笑んだ、ジュリア」
デモンもグラスに口を付けた。香りからわかっていたことだが、渋みがちょうどいい。値が張るに違いない。良い物だ。少なくとも毒物は仕込まれていない。
「で、何の用だ? 何か話があるんだろう?」
「夜まで付き合ってくれる?」
「サービスの内容による」
「しゃぶってあげる」
「何をだ?」
「秘密。ねぇ、デモン」
「なんだ?」
「私は団長を――ケンを愛しているの。愛してしまった、と言ったほうが、適切かもしれない」
純愛ほどくだらない言葉、概念はないので、デモンは呆れ返り右手で前髪を掻き上げた。
「他人の色恋沙汰ほど面白くないものはない。聞かされるのはまっぴら御免だ。話す奴の気も知れない。高いワインを奢ってもらって――まあ、足し引きゼロにしてやろうじゃないか」
ジュリアは「ふふふ」と妖しく笑い――。
「ケンにはフィアンセがいたの。そう。私が彼を略奪した。強奪とも言うかしら」
「悪女というわけだ」
「私のほうがふさわしいと感じたからよ」また妖しく、「ふふふ」――。「ケンは正直で、とても物分かりがいいヒトなの」
「だろうな。でなければ、わざわざ訓練場でおまえを抱く理由もない――ひょっとして」
「何かしら?」
「いや、まさか、わたしが団長に興味を持っているなどと、勘繰っているわけではあるまいな?」
白い喉がこくりと、また鳴った。
「まるきり嫉妬を覚えないということはないわ。だって、あなたは美しいから」
「美しいことについて否定はせんさ。――が、それだけだな」
「ケンもまた綺麗だから、ピュアだから」
デモンは「やめろ」とぴしゃり。「誰かが誰かを好きで嫌い。あってもいいが、口にされると気持ちが悪い」と率直に言った。
ジュリアはなおも穏やか――目を細めてみせた。
「近々、結婚するつもり。ケンも了承してくれているの」
「騎士団は? 抜けるのか?」
「ううん、続ける。いつも彼のそばにいたいから」
「結構なことだ。やはり興味は沸かんがな」
白い皿――肉がやってきた。赤身のステーキ。焼き加減はレア。生肉が食えるあたり、やはりディパンは先進国と言える。
ねぇ。
ジュリアに呼びかけられても答えず、デモンはナイフで切った肉を口へと運ぶ。
「ねぇ、“掃除人”って、楽しい?」
「楽しいねぇ」口元を引き延ばし、笑んだデモン。「好きなことをするために獲得し、また、与えられた免罪符。わたしもヒトだから、その縛りに晒されることはあるが、まあ、気楽にやっているよ」
「ケンはキツいと思うのよ」
「なんだ、いきなり」
「彼は責任感が強すぎるから、何かの折には騎士団と命運を共にする」
「そうあればいい。殉ずることは悪くない」
「私は死にたくないのよ」
「だったら、おまえたちは誰より強くあるべきだ」
デモンはデモンで、真理を説いてやったつもりだ。
ジュリアはデモンのほうを向き――そのうち、綺麗な橙色の瞳をにわかに潤ませた。今にも涙が零れ出しそうだ。
「現在進行形の幸せが、ずっと続けばいいな、って」
「永遠に続くものなどない」
「正論。ねぇ、明日、稽古をつけてくれる?」
「考えておく」
デモンはグラスを空け、席を立った。
愚痴じみた悩み事を朝まで聞かされるのは御免だと思った。
ジュリアが悪い奴ではないことくらい、わかっている。
わかっていても、それだけだ――。