*****
ずっと寝ていたいと考えて眠りについた次第だが、やはり来る日も来る日も暗闇から生まれ出づるようにして訪れるのが、朝。宿に言って、朝からステーキだ。切れ端をオミの奴にくれてやった。「おいしんだ、とてもおいしいんだっ」などと嬉しげに感想をのたまいつつ、カラスにすぎない彼はきっと一生懸命に肉をつついている。デモンは食後のコーヒーをすする。オミが「今日のスケジュールは?」と訊いてきた。
「午後から訓練に顔を出す。裏を返せば、午前中は手が空いているということだ」
テーブル上のオミは、小さくぴょんと真上に跳ねた。
「だったら面会してみるんだ。レジスタンス『野薔薇』と接触してほしいんだ。そうすれば、今の状況はきっと転がってみせるんだ」
「転がったところで、どうする?」
「楽しい事象を探しているんじゃないのかい?」
「その指摘は間違いではない。わかっている。そのうち会うつもりだと言ったろう? くだらないことはうっちゃる主義だしそれはそれで簡単だが、それではあまりに虚しかったりもする」
「デモンは信用に欠けるところがあるんだ」
「おまえごときに信用うんぬんを説かれると死にたくなるな。――で、スザンナだったか」
オミはくりっと首をかしげ――。
一つ不思議そうに「カァ」と鳴いて――。
「彼女がどうかした?」
「野薔薇と仲良しなんだろう? どう話している?」
「誠実なニンゲンの集まりだよ、って」
胡散臭いな――と思う。
口に出して言うと、「そうかな?」とオミはまた一つ、「カァ」。
「とはいえ、独裁が敷かれていると言って差し支えがない国にあって、それをなんとかしてやろうという気概は大いに買える」
「でも、ディパンは大きな国だよ? 厳しいんじゃないかな」
「一石を投じるくらいはできるだろうさ。くり返しになる。会いに行こう」
「ありがとう、なんだ」
「ほぅ。わざわざ頭を下げるとは」
「ぼくも退屈と言えば退屈だからね」
退屈凌ぎが尊いことを知っての発言だろうか。
だとしたら、まったくもって、生意気なカラスである。
*****
「野薔薇」の本部は街外れにあった。かつて近所のニンゲンが寄合の際に使っていた市民会館を買い上げ、使っているらしい。
ろくすっぽ日差しの恩恵を受けない狭くて陰気な一室にあって、デモンは粗末な丸椅子に腰を下ろした。目の前にある四角いテーブルも安っぽい。向かいにはがっちりとした体格の茶色い目をした青年がいる。まるで警察署の尋問室だな――と思う。以前、そのシチュエーションに遭ったことがあるので、わかりやすく表現するとそうなる。
「いやぁ、ほんとうにイーブルさんなんですか? 噂どおり、メチャクチャお美しいですけれど」
まるで軽口でも叩くようにして、向かいの青年が言った。アリスター・レンドンというらしい。野薔薇のリーダーなのだという。
「俺たちに用がおありだということは承知して然るべきですね。でも、どうしてここがわかったんですか?」
「内緒だ。ソースは秘匿する」
「言えないんですか?」
「脅迫するのか?」
「いえ、まさか、そんなつもりは――」
「だったら問うな」
某カラスから寄せられた情報だと告白するのは、とりあえずやめておいた。オミを連れてきてしゃべらせればそれで説明はつくのだが、その説明自体が不要だと考えた。
「アリスター、前もって断っておくぞ。おまえにとって、わたしはとてつもなく怪しい人物であるはずだ。しかし、だからといって、こちらの質問に速やかに答えない場合、わたしの機嫌は著しく損なわれることだろう」
「怪しいどうこうは、そうでもありませんよ。あなたは堂々といらしたんですから、むしろ信頼できる――違いますか?」
「賢くて助かるとでも言っておこうかね。かといって、軍を裏切ったわけでもないんだがな」
「自由に振る舞える芯の強さ、見習いたいところです。ところで、イーブルさん」
「デモンでいい」
「では、デモンさん、あなたの行動の理念は、やはり?」
「ああ、そうだ。自分の欲求を満たせるように、面白おかしく生きることができればそれでいい」
「となると、俺は魅力的なネタを提供できるかもしれない」
レジスタンスのくせに、軽々しい物言いだ。そも、軽薄な感があるのだ、このアリスターなる男は――装っているだけだと思われるが。彼は歯を見せてにこっと笑うと、「今、俺は楽しくない」と言った。
「なぜ、楽しくないのか――わかりきっています。だけど、何もすべてをひっくり返そうだとか、大それた事件を引き起こそうだとか、そんなふうには考えていないんです。ただ、正しいことを実行するニンゲンが正しいかたちで世に現れないと、水は濁るし、空気もうまいものではなくなるとは思っています。よく本音と建前と言いますけれど、それすらないかな? ささやかな野望だけがあって、妥協はしない。最後の瞬間まで、きちんと生きたいだけなんですよ」
愚かなニンゲンの思想的な発言ではない。好ましいことに、アリスターはリアリストだというだけだ。ヒューマニストですらないかもしれない。
「貧乏くじを引こうとしているわけではないんだな?」
「それ、すごく的を射た表現です。先述のとおり、退屈な行動だとは思っていません。事に臨んだり挑んだりするのであれば、心の底から攻めてやらないと。どうです? 俺の言い分、持ち帰って、フェドラ首相にでも知らせますか?」
デモンは「それはしないと言った」と念を押した。
「打って出たいです」
「戦力は?」
「最大限、整えました」
「局地戦であれば、あるいは?」
「はい。戦った歴史くらいは残したいんですよ。だから、引きずり出してやろうかなって」
合点のいく主張ではある。
アリスターだって「男の子」だということだ。
「誰を引きずりだしたい? 誰が寄越されれば満足なんだ?」
「決まっています。『聖剣騎士団』ですよ」
一レジスタンスのリーダーごときが、国の守護者たる連中と因縁があるとは思えない。「奴らは弱くないぞ」と謳った上で――。
「いい加減、茶くらい出してもらえないかね」
「あっ、ほんとうだ、失礼しました。でも、見極めるつもりがまったくなかったかと問われれば、そうでもないと答えるしかなかったわけで」
よく回る舌である。どう観察してもアリスターのほうが年長者だが、「ほざくなよ、小僧」と釘を刺しておいた。いつ何時も、事のイニシアチブはデモン・イーブルにあるのだ。
コーヒーがやってきた。トレイにのせて運んできた若い女はアリスターの妹なのだという。名はシェル。兄と同じ明るい茶髪で、茶色の瞳はクリアだ。
「じつはですね、妹はウチの用心棒に首ったけなんですよ」
アリスターがそう言うと、シェルは顔を真っ赤にした。兄の頭をばしばし叩いた。どうでもいいやり取りは無視して、デモンは「用心棒?」と訊ねた。
「今回の件についても乗り気ですし、期待しています」
「できる奴だと?」
「ええ。強いですよ」
「だが、やるとなったら――」
「そのへんは俺も妹も覚悟しています」
デモンは「巧みな口説き文句の生成が可能なら、わたしの心の現状にも揺らぎが生じるかもしれないぞ?」と伝えた。協力しようと進み出たわけではなく――まあ、言ってみただけだ。
「俗物的なセリフですね」
「どうしたい?」デモンは訊く。「つまるところ、どうありたい?」
「ですから、今の目的は簡単です。ディパン最強の部隊――聖剣騎士団に、喧嘩を売りたいだけなんですよ。後世に語り継がれれば本望だとも言いましたよね?」
「どうやっておびき寄せるんだ?」
「出張らなければならない状況を作ります。それは難しいことではないんですよ。やる価値がある。俺はそう思います」
長い黒髪に削げた頬――ふいにそんな男が現れた。部屋に入ってくるなり幽霊のような不気味さですぅと進み、アリスターの隣に立ったのだ。腰に帯刀している。帯刀。剣ではなく、刀――。アリスターが「ダリオです、ダリオ・スターク。以前、ケン・ウインザー卿の部下でありながら、彼との立合を望みました。しかし、そこにあったのは敗北です。僅差だったみたいです」
デモンは皮肉に顔を歪めた。我慢しきれずクックと喉を鳴らすと「自ら? 僅差だったと?」と訊ね、いっそう、邪に笑んでしまった。――が、ダリオとやらは静謐だ。気色ばむようなところすら見せなかった。なるほどと唸りたくなった。ただのしょうもない「サムライ」というわけではないらしい。
「大方、見当はついた」デモンはコーヒーを口にした。「やればいい。やってみろと言いたい」
アリスターはにこりと微笑し――「あなたは邪魔をしないんですね?」。
「そう言った。だが、わたしは気まぐれだ」
「まだ予定はない、と?」
「どうすれば一番気持ちがいいのか、都度、判断させてもらう。おまえがブレないことは理解したが、ゆえに、わたしに
「殺されたら文句も言えませんしね」
「そういうカチッとした切り返しには腹立たしさを覚える」
デモンはまだ熱いコーヒーを飲み干し、椅子から腰を上げた。前屈みになり、アリスターと目を合わせて口元を緩めてやった。希望ばかりを希望的に唱えるいかにも馬鹿っぽい脳みそ――それが気に入っての微笑みだった。