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3-2.

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 生活苦に喘ぐ騎士など聞いたことがなく、実際、多くの給与を得られることだろう。となると、宿暮らしを選ぶのは当然のこと――必然と言えた。炊事に洗濯――冗談ではない。物欲に乏しいぶん、日常生活においては存分に楽をさせてもらう。ご機嫌に暮らそうというのだ。話は変わって、オミにも友人ができたのだという。彼は気分良さそうに「たまには長居も悪くないみたいなんだ」と歌うように言った。友人というのが女――否、雌だとしたら大した手の早さだ。侮れないなと思う。そこに愛が生まれ育まれるようであれば、彼の場合、この国に永住するのもアリなのではないか。そんなふうに考えると若干ながらも口元が弛緩する。オミに子が出来たら、そいつらはやっぱりおしゃべりするのだろうか――と、今日もどうでもいいことに思考を巡らすデモン。そんな自分が彼女にとっては少々うざったい。



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 しょっぱなはアレだったが、以降はそうでもなく、副団長の二人、バレット・ショーターなる熊みたいな大男と、ジュリア・カリンという女神のように麗しい乙女は、案外スムーズに受け容れてくれた。バレットはすぐに軽口を叩くようになったし、ジュリアは訓練で立ち合うたびに尊敬の眼差しを強くした。とはいえ、デモンからすれば彼らにはまるで執着などないし、好かれれば好かれただけ斜に構えてからかってやろうとすら考える。デモン・イーブルはなんやかんやで性格が悪いのだ。


 これといった派手な任務は一つもなく、肉体的にも精神的にも楽な日々が続いた。一月ひとつきも経つと爵位の話を持ち出された。ケン曰く、「バロンくらいなら簡単だ」。地位に興味はないと答えると、「きみならそう言うだろうと思った」と笑ってみせた。「しかし、給料は上がる」と教えてくれたが、あいにくそっちも足りている。穏やかな日常に充実した日々。そんな言葉を思い浮かべる自分のことが少し不快に感じられた。わたしはどこまで捻くれているのだろうと幾度も思わされた次第だ――つまらない話である。



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 ディパンが国家を成す上で中心にあるのは愛国主義とのことなので、聞いた瞬間、「胡散臭いな」、「阿保らしいな」、「馬鹿馬鹿しいな」と思わされた。愛国心自体は否定しないが、利己主義や個人主義のほうがまだ信用できる。なぜならそうであるほうがニンゲン、ニンゲンらしいからだ――と、ああ、またくだらんことに脳を費やしていると嘆きたくなる。そんな思考回路に失点を与えずにはいられない。――なんだかんだあってもかろうじて好きと言えるのは筋金入りのナショナリストとディープなエコロジストくらいのものだ。素直なぶん、彼らは評価に値する。


 今日も訓練を終えた。誰彼問わず、デモンは団員の相手をしてやる立場だ。気がついた点をわざわざ言語化することはないが、堂々と受けて立つことで雄弁に語ってやっているつもりではある。自信が丸みを帯びたことに彼女自身が驚いている。が、根っこにあるのは絶対に「くだらないことに興じているな」という思いでだ。近々ボーナスが支給されるとのことなので、それをもらってとんずらかな? などとも考えている。たぶん、「このまま」を続けているとくたびれてしまうのだろうから、そうならないうちにいなくなりたい。いつ何時も、疲労とは無縁でありたいのだ。



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 白亜の巨塔とでも呼ぶべき王宮――高いところにあるテラスに、あるじが立つのだという。デモンはケンに伴われ、一般人に交じり、その人物を見上げた。王だ。ユージンというらしい。若く溌溂とした若者であることが遠目にも窺える。二十歳はたちを迎えたばかりとのこと。「若すぎる。気苦労が絶えないだろうな。もっと他にいなかったのか?」と訊ねたところ、ケンは「訳アリなのさ」との回答を寄越した。意味深だ。訳アリ? どういうことだろう? ユージン国王はあちらこちらへと満遍なく手を振り、愛想を振りまく。天に轟かんばかりに巻き起こる「ユージン国王、万歳!!」の大合唱。規律について義理堅く、なにより団結した国であるような印象を受ける。ケンも、「ディパンは素晴らしい国さ」などと誇らしげに言い――。しかし、何か違和感のようなものが胸につかえてならない。王は虚像であり、民はなんらか騙されているか、そうでなければ得体の知らない何かに酔わされているのではないのか。そんなデモンの胸中を見透かしたように、ケンは「四の五のうかつに考えないほうが幸せに暮らせる場合もある」と知ったふうな口を利いたのだった。



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 ケンが「首相と引き合わせよう」と言った。ほんとうはもっと早くに会わせるつもりだったらしいのだが、「諸々あって延び延びになった」――。首相――ナナセ・フェドラ。政治家としてはまだ若い五十歳でありながら、「ドラ党」なる政党をまとめ上げ、国民の高い支持を獲得し、瞬く間にのし上がったやり手である。政権を握り、その座に就いてから久しく、国政選挙でも目下負け知らずなのだという。「聖剣騎士団」についても、現状、命令についてはナナセ首相の意のままであり、ゆえにケンが団長としてホウレンソウをする相手も彼女であるらしい。


 ナナセ・フェドラは美しい女性だった。正直にそう打ち明けると、「あなたこそ想像以上よ、ミス・イーブル。幾分、不吉な名ではあるけれど」と言い、包容力たっぷりの笑みを浮かべた。勧められ、ケンと並んでソファに着いた。向かいの一人掛けには、ナナセ・フェドラ。ケンは神妙な面持ちであるが、デモンは優雅に脚を組んだ。誰からも注意は受けなかった。


 聞かせてもらいたいことがあった。だから、「戦争は? しないのか?」とすぐに訊ねた。フランクを通り越して無礼でしかない口調を用いたのだが、やはりケンは口を挟むこともなく――。


「手始めにお隣りから――そう考えています。この国も限界が遠くない」

「限界、というと?」

「褒賞と言えば? 勲章や金銭以外に何があると思いますか?」

「土地だろう?」

「そのとおりです。そうである以上、奪い取るしかない」

「なんとも合理性に欠ける物言いだ」

「でも、それがディパンの現実です。歪なかたちのまま、大きくなりすぎてしまったのです」


 愛国を謳うリーダーの物言いとは思えんな。そんなふうに罵ってやると、ナナセはデモンににこりと微笑みかけ、それから真剣な顔をケンに向け――。


「ウインザー卿、知ってのとおりです。まもなく攻撃を指示します。国民の総意です。いいですね?」


 デモンがシニカルな笑みを浮かべて「くどいようだが、それで良いのかね?」と疑問を投げかけると、ナナセは再び彼女のほうを見た。


「ミス・イーブル」

「デモンでいい」

「では、デモンさん、先見の明という概念をご存じありませんか?」

「自らにはそれがある、と?」

「実績から言って、ある程度は」


 デモンはピッと立てた右手の人差し指をくるくる回した。意味のない仕草だが、そういうのが彼女は殊の外好きだ。


「いいだろう、許容した。ヒトを斬るのは好きだからな。特段、異を唱えるほどのことでもないのさ」

「ご理解いただけて幸いです。ウインザー卿」ナナセがそう呼びかけた。「おたがいに実りのある時間を過ごしたいものですね」

「心得ています、フェドラ首相」深く頷いた、ケン。「進軍の指揮はお任せください」

「期待していますよ」


 ナナセは満足げに「ええ」と言うと、穏やかに目を細めてみせた。



*****


 帰り道、軽装に白いマント姿のケンに対し、デモンは「戦争は起きるものではない。誰かが起こすものだ。その思いを新たにしたよ」と嫌味にも聞こえるセリフを吐いた。


「フェドラ首相がおっしゃった通りだ。華やかに見えるこの国にだって、いずれは――」

「限界が来ると?」

「他をぶんどる以外の方法があるとするなら、それは国民を間引くことに他ならない」

「わたしの考えは少し違う。今のグレードから一つ下げた生活レベルを豊かとする。それだけで済む話だと思うが?」

「一度、甘い蜜を吸ったニンゲンは、低きに流れることを許容できない」

「過去に栄枯を見た国の末路を辿ろうと? ご丁寧なことだ。吐き気を催す」

「悪い暮らしより、良い暮らしを。あたりまえのことだろう?」

「くだらん」デモンは「ふん」と鼻を鳴らした。「よもやよもや、ウインザー卿がその程度の軽い信念しか持ち合わせていないとは――」


 ケンがデモンの黒いコートの襟を掴み上げた。彼は端正な顔を歪め、まさに苦々しげな表情。街中だ。人目を引いてしまうというものだが――。


「豊かであるためには、幸せであるためには、戦争だって必要なんだ!」

「だから、団長、安易な考えを即興的にほざくな。底の浅さを露呈するだけだと言っている」


 くそっ!

 ケンはそう吐き捨てるとデモンから手を離し、身を翻した。


「団長、わたしはどうすればいい?」

「戦争の折には私とともに先陣を切ってもらう。いいな?」


 デモンは「かまわんさ」と答えた。

 彼女の顔にはすでに邪悪な笑みが貼りついている。



*****


 夜、オミが宿に帰ってきた。「カァカァ」鳴くあたり、じつにやかましい。「カァカァカァ」とほんとうにうるさい。――が、カラスを揚げ物に仕上げたところで絶対にうまくないわけで――。ロッキングチェアに座っているデモンはウイスキーをすすり、それからゆっくりと立ち上がり、両開きの窓を押し開けた。オミが部屋に入ってくる。ばっさばっさとテーブルに舞い下りた。まだ「カァカァ」言いやがるので、「黙れ」とぴしゃりである。


「ねぇ、デモン、この国は危ないと聞いたんだ。ぼくも危ないと思うんだ」

「深呼吸でもしたらどうだ?」デモンはあらためてロッキングチェアに腰を下ろした。「結論から切り出すのは悪いことではないがな」

「わかったんだ。落ち着くんだ」


 オミはゆっくり息を吸って吐いた。

 素直なカラスが愛おしい――無論、ジョークだ。


「ディパンは戦争に向かおうとしているとか、そんな話だろう?」

「そうなんだ。止めないといけないんだ」

「なぜだ? やりたいならやればいいだろう? セックスと同じだ」

「またそうやって煙に巻こうとするんだ。だいいち、戦うとなったらきみだって――」

「もはや団長に言われているよ。わたしは先頭に立たねばならないようだ」ウイスキーを口にしたデモン。「しかし、それのどこがいけないのかね?」

「いけないことはないんだ」オミがこくこくと頷いた。「だけど、それだとぼくは楽しくないんだ」

「意見が右往左往している。いったい、何が言いたいんだ?」


 オミがばさっと右翼を開いた。

 何か説明をする際に見せる癖みたいなものだ。


「ぼくの友だちの友だちが、戦争はいけないことだと物申そうというんだ」

「ほぅ、友だちの友だち。誰のことだ?」

「反政府を唱えるヒト、あるいはそのヒトたちのことなんだ」

「レジスタンスか。どこにでもいるんだな」

「デモン、彼らに会ってほしいんだ。この国の暴走を止めることに、きみも尽力すべきなんだ」

「つまらん行為はつまらん帰結を見るものだが――で、そこまで執着する理由は?」

「それはスザンナが――あっ、えっと、その……」


 景気良くしゃべっていたくせに、急に口籠った。

 失態を悔いているのか、それとも照れ臭いのか、俯いた理由はわからない。


 デモンはぐいとグラスを空けた。


「わたしは戦争に参加する。話はそれからだと言っている」

「それは悪魔の所業なんだ。隣国のニンゲンは何も悪くないんだ」

「そうなのかね。外交的にはずいぶんと前からこじれていると耳にしたが?」

「だとしても――」

「戦争が起きて、善悪はどちらに傾くのか、それを決めるのは歴史だ。ゆえにわたしは楽しむだけだ。ヒトを斬るのが好きでたまらないのさ」

「きみならそう言うだろうと思っていた部分もあるんだ。でも――」

「いいさ。レジスタンスのリーダーとは会ってやろう」


 オミが顔を上げた。

 カラスのくせに顔をぱぁっと明るくした――ように見えた。


「嬉しいんだ。明日にでも会いに行こう、なんだ」

「馬鹿を抜かせ。まずは戦いだ。人斬りをしたいと言ったろう?」


 デモンはコップの水を飲み干し、立ち上がった。ベッドに横たわり、早速、目を閉じると「おやすみ、クソガラス」と意味もなく言葉でいたぶってやった。オミは自らを納得させるように「やむを得ないんだ」と言い、また一つ「カァ」と鳴いたのだった。


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