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3-1.

*****


 これといったトラブルなど一つもなくごくごくスムーズに「ディパン神聖王国」に入り、亀ののろさでのんびり歩んでいた挙句の夜の森――静か。夜行性の生物だって必ずいるはずで、しかし「わかりやすい敵」とでも呼ぶべきか、攻撃性において最たると言える存在は周囲にいない。気楽なものだ。気軽なものだとも言う。木々の中にあってぽっかりと開けただだっ広い空間に至った。町、あるいは街まではそう遠くないはずだが、月明かりがこぞって降りそそぐ様が風流だし、だから野宿することに決め――。暖を取るためデモンは今、焚火の前にいる。空腹は空腹。それ以上に眠気が強い。早々に就寝してしまおうと考え、掛物にすべくコートを脱いだ。


 ――と、バッグを枕に横になろうとしたところで、「ん?」――向こうから迫ってくる巨大な影に気がついた。とりあえずヒトのかたちをしている。三メートル近くはあるのではないか。奴さんは己と同じ――自らのミニチュアのような緑色の肌をした小さな子分を連れている。そいつらはわらわらわらわらと気持ち悪く湧き出るようにして続々と現れる。数にして二十はいるであろう連中は一様に一メートルくらいしかない――ひっくるめて、ゴブリンの眷属かゴブリンそのものであると見て取れる。巨躯もチビも頭髪はない。同様に下半身に――ぼろきれながらも布をまとっていることから考えて、性器を露出することには恥じらい、抵抗があるのだろう。じつに微笑ましい話だ。にしても、連中ときたら、揃いも揃ってなんと筋肉質なことか。三角錐の太い首、盛り上がった肩、分厚い胸板、頑丈そうな脚。身体は著しく発達している。ボディビルの大会に出場したら、結構いいところまでいくのではないか。


 デモンは左手に刀を持ち、「よっこらせ」と立ち上がった。先頭を切って走ってきた巨躯の緑肌はハァハァと荒い息をしながら見下ろしてくる。下腹部の装備品――アレを、押っ立てている。身体の大きさのわりには粗末なサイズだなと辛口の感想を抱いた。


 巨躯はまだハァハァ言っている。ハァハァ息を継ぎながら、デモンにぐいと顔を近づけてきた。「おで、ジョージ。おい、女、おでの赤ん坊を孕め、生め。おで、かわいい子どもが欲しい、かわいい女の子がほしい」とかほざく。自分を鏡で確かめたことはないのだろうか。どう足掻いたところで「かわいい」は無理だろう。だからこそ「かわいい」が欲しいのだろう。仮に授かることができたとしてそれをどう扱うのか、下品な興味が湧くところだが、どうでもいいなと思考を闇に葬る――平常運転だ。


「残念ながら、おまえの嫁になるつもりはない」

「おで、生んでほしいだけ。子どもを生んでほしいだけ」

「断ると言っている」

「じゃあ死ね。おで、おまえ、まるかじり」


 ジョージが大きくぱっくり口を開けようとしたところで、デモンは腰を軸に回転、一気に抜刀し、閃光のような居合で立派な首をずぱっと斬り落とした。首から下は魔法で一気に燃やす――ケシズミの粒子が夜風にふぅと舞って消えた。首から上のジョージは「あ、あで?」と至極不思議そう。デモンが自慢の脚力で蹴飛ばしてやると、首はどこまでも転がっていった。醜い者には簡単な引導こそがふさわしい。


 けたたましく「ケキャッ! ケキャッ!」と珍妙な奇声を発するだけなので何を申し奉りたいのかはまったくもって不明だが、漏れなく怒ったらしいことはなんとなく知れた。「ジョージの子」とでも呼ぶべき細かな生き物が襲いかかってくる。まだまだ眠気は晴れないながらも、刀に力強さをまとわせて存分に斬り、斬り、斬り、斬り伏せる。取るに足らないとはこのことで、まもなくすべてを惨殺するに至った。掃除は完了、“掃除人”の面目躍如だなと思った――ような気もする。刀を振って紫色の血を飛ばす。キンと張りつめた空気の中にあって、ゆっくりと納刀した。


 ――テンポの良い蹄の音を聞いたような気がして。


 向こうの木々の合間から、そのうちこの「開けた空間」に姿を現した。今度は騎兵だ。月明かりの甲斐あって姿形は相応に判明する。先頭の一人は芦毛を駆り、続く二人は鹿毛を走らせる。三人とも月夜に映える白い鎧――身軽そうなデザイン――を、身に着けており、馬を自在に操る技量も備えていることから、三名ともありきたりな兵ではなさそうだと結論づける。


 三者がそばまでやってきた。いずれも気高く映るものだから、いよいよ名のある騎士様なのだろうと確信させられた。最近、あまりお目にかかるケースがなかった品格のある若者らではないか。きっと名家にあるのだろう。


 芦毛の馬上の、短い金髪の男――美しい男が、「きみがこの状況を?」と訊ねてきた。「ああ」とだけ答えてやった。いきなりきみ呼ばわりされたわけだが、それくらいでイラっとしたりはしない――つもりだ。相手をしてやっていることについて、まずは感謝してもらわんとなと思う。デモン・イーブルの時間はタダではない。


「きみが地に転がした連中は夜行性で、そろそろ潰す頃合いだと考えてやってきたんだが」

「寝込みを襲うほうが効率がいいだろう?」

「私は騎士だ」

「見ればわかる。損な役回りだとのたまっているようにも聞こえるな」

「違いない」と騎士は笑んだ。「少しでいい。話を聞かせてもらいたい。きみがどういう人物なのか、きちんと見定めたいんだ」

「敵ではないよ」と謳ってから――。「まずは名乗ったらどうかね? そういうものだろう?」

「失礼した。ケン・ウインザーだ。ディパン神聖王国で騎士団のリーダーをやっている」

「団長さんというわけだ。いいぞ、付き合ってやろう。ただ、馬を貸せ」


 鹿毛の一頭――浅黒い肌をした大男が駆っていた馬を拝借することにした。その旨、口にすると、ケンとやらが下りるよう、顎を使って指し示した。大男は不服そうな顔をしたものの「仕方ねーな」と頭を掻き、下馬した。ケンは大男に向かって軽く笑ってみせる、「走ってこい。ビールをたらふく奢ってやる」と言った。笑顔でやり取りをするあたり、ほんとうに仲が良いのだろう。デモンはコートを拾い上げ、それを羽織った。拾い上げたバッグは大男にぐいと押しつける。入っているのは主に着替えであることから、「開けるんじゃないぞ」と念を押した。



*****


 他の侵入は許さない、外敵は断固拒絶し拒否もする――とでも言わんばかりの白く高い壁に囲まれた計画都市だった。洗練された王都である。のっぽな建物が少なくなく、着いた先の大通りはもちろんのこと、路地にまで街灯のろうそくが行き届いている。月などなくとも十二分に明るい。コストがかかる運用でしかないが、それを成せるだけの財力があるのだ。素晴らしいことではないか。民も裕福だと聞く。さまざまうまく回っているということなのだろう。これほどまでに整った国家は、世界中を探しても絶対に多くない。


 狭く暗い部屋で詰問を浴びせられ、こってり絞られるのだろうと考えていたのだが、ケンなる若者はえらく気さくで、連れていかれた先は大衆的な酒場だった。ケンはたいそうな有名人らしく、かつ人々から好かれているらしく、彼が少し笑ってみせただけで特に女は沸いた。黄色い声がデモンの耳を不快に刺激し、彼女の顔を歪めたことは言うまでもない。


 ケンが「酒は待ってもらいたい」と言い、「くだんの大男、浅黒い肌をした熊みたいな人物だ、彼がいないまま、乾杯はできない」と続けた。原則としてデモンはとても短気なニンゲンなのでとっととビールを頼んでさっさと口にし、ぐびぐび喉を鳴らした。「しょうがないなぁ」とでも言わんばかりにケンは笑んでいたが、彼の右隣の席にいる橙色の長髪の女は橙色の瞳で突き刺すように睨みつけてきた。睨み返すなんて真似はしない。リアルにコスパの問題だ。


 デモンが三杯目のジョッキに口を付けたところで、くだんの大男は現れた。息を切らせているが、派手にバテているわけでもない。侮れない。相当なスピードと持久力がある。いかにも重たそうな体躯のデカブツなのに大したものだ――と感心させられた。大男は少々乱暴――否、豪快な動きでデモンの左隣にどかと座った。「バッグはどうした?」と訊ねると、「置いてきた」――手荷物として店に預けたということだろう。「中は? 見たのか?」、「見てねーよ」、「ほんとうか?」、見てねーってば」――。不器用そうな男だ。そうである以上、安易な嘘を述べたりはしないに違いない。


 四人で乾杯した。久しぶりの開放感。そのつもりはなくとも、ジョッキをぶつけ合っただけで妙に打ち解け、わけのわからぬ仲間意識が生まれる。チョロいことだなと自分に苦笑しながらビールをもう一口。巨大と言っていいサイズの皿一杯のローストビーフが運ばれてきた。名物ではなく、ケンら限定の特注らしい。なにせローストビーフの山盛りだ。オミの奴が見たら気絶するくらい喜ぶのではないか――などとはどうでもよく、うんざりするほどどうでもよく、デモンはフォークを使って自分の皿にごっそり取り分けた。負けじといわんばかりに大量に頬張る大男。品がないのは嫌いなのか、橙色の女は険しい顔。ケンはおかしそうに笑っている。


「あらためてになるが、私はケンだ。隣はジュリア・カリン、きみの隣の男はバレット・ショーター。二人とも副団長だ」


 デモンはジョッキを置き、その雰囲気があるので、「おまえたちは爵位を有しているな?」と訊ねた。ケンが「私たちは伯爵だ」と答えた。受けて、「仲がいいことだな」と、デモンは投げやりに答えた。


 ケンが「きみの素性を知りたい」と言った。デモンが素直に「わたしは“掃除人”だよ。超級だと付け加えたほうが親切かね?」と答えると、彼は明らかに目を丸くした。


「“掃除人”、か。この世界においてその称号が軽んじられることは決してない――。きみはどこの出身なのだろうか?」


 いっさい隠すようなことでもないので、「ニケーだよ」と応じた。ケンは「だったらとびきりだ」と褒め、さらには「話がしたい」と言った。ゆえに「話ならしているだろう?」とツッコミを入れた、あたりまえのことだ。


「聞いてほしい。ウチに入らないか?」


 ケンのその言葉に、バレットが「おいおい、いきなりすぎだぜ。マジかよ?」と驚いたふうに発した。ジュリアに至っては叱るような口調で「団長、気まぐれはやめてください」と訴えた。二人とも、そりゃあ眉の一つも寄せたくなるだろう。両者を宥めるように「まあまあ」と両手を動かすケンは笑顔だ。アルコールのせいか、多少、頬が赤い。幼顔に拍車がかかる。


「ケン、おまえたちの組織とはなんだ?」と、デモンは訊いた。


 聖剣騎士団だ。


 そんなふうに、ケンは答えて――。


「大仰な固有名詞だ」デモンは歪んだ笑みをうかべた。「名付け親は恥ずかしくないのかね」

「我々にあるのは大義だけであって、それ以外の感情はない」特に気色ばむ様子もなくケンは言い――「つまるところは流浪のニンゲンだろう? 特に当てもないようだ」

「正解だ。が、じつのところ、わたしは愚直な求道者だよ」デモンはいつも素直に物を言う。

「自らの完成のために生きている?」ケンは首をかしげた。

「完成は目的ではない、重要でもない。――まだ不毛な問答を続けるかね?」

「待遇には気を配る。そして、掛け値なしの敬意を払おう」

「敬うに足るだけの人物ではなかったら、いったいどうするんだ?」

「その心配はないと踏んでいる。どうだ? 一緒に仕事をしてくれないか? 私が言えば、ほんとうになんとでもなる。それくらいの権限は認められているんだ」


 大国の騎士様だ。実際に提示される条件だって悪いものであろうはずがない。暇を埋めるために始終四苦八苦している――ということでもないが、一度、一所ひとところに腰を据えて翼を休めるのも一興かもしれない。


 聖剣騎士団――「ご一緒してやってもいい」とデモンは返答し、するとケンは少年のような笑みを浮かべて「歓迎する」と握手を求めてきた――応じてやった。バレットとジュリアはなおも難しい顔をしているが、この世が弱肉強食である以上、物を言うのはいつだって知力と腕力に優位性を持つ、身体が資本のニンゲンだ。「きみは明日から大手を振って出勤してくれ」とケンは言い、デモンは「それは結構」と甘く微笑んだ。


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