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2-6.

*****


 三角屋根の、ほんとうに大きな屋敷だ。木造で三階建て。地下にはワインセラーがあるのではないかと想像する。金属製――格子状の黒い門はのっぽで立派。庭は広く、アプローチも長い。どこからどう観察しても金持ちの邸宅でしかないとの結論に至る。


 小さな円柱型の詰所があり、中では白髪頭の老人がうとうとしている。番だろうに、朝から舟を漕ぐとはだらしないしいただけない。やむなくデモンは「おい!」と声を張った。老人は弾かれたように立ち上がって背を正し、「は、はいっ!」と敬礼してみせたのだった。


 デモンは率直に「この家に出入りしているニンゲンに用がある。若い男だ」と告げた。すると老人は「若い男性は三人おりますが……」と伺いを立てるような上目遣い。


「家のニンゲンではない者がいるだろう? 要するに部外者だ。主人の寵愛を一身に集めるかわいらしい男だよ」

「リカードさんのことでしたか」老人は忙しなくこくこくと頷いた。「承知いたしました。お呼びいたします」


 老人は門の脇――勝手口の戸を開けて、ぱたぱたとアプローチを駆けて――。


 三分ほどで戻ってきた。男――リカードの姿はない。老人は表に出てくると恐縮するようにぺこぺこ頭を下げながら、「お入りくださいとのことです。お茶をご馳走したいとのことです」と言った。「いただこう」と応え、デモンは老人に伴われ、敷地へと足を踏み入れた。



*****


 客間のシャンデリアは華やかなデザインだ。じつにクリアなガラスの支柱にシルバーアーム。新しくも古くも見える。価値があるように映るのは確かだ。ただ、機能美という言葉があるとおり、役割に寄与しない無駄に凝った装飾はどうかと考えたりもするのだが。


 木目の鮮やかな長方形のテーブルの向こうには、美しい青年の姿がある――リカードだ。艶やかで滑らかそうな茶色の髪には思わず指を通してみたくなる。女を落とすのは簡単だろう。男だって、あるいは――。


 品のあるカップに口を付ける、デモン。これは良い葉の紅茶だと瞬時に感じた。「いい暮らしをしているようだな。仕事もせずに、優雅なものだ」と皮肉交じりに言って、カップをソーサーに置く。「優れた外見のニンゲンは無条件で得をする――その証左でもある」と続けた。


「俺は性格もいいと自負しています」

「そうかね。わたしは違うと思うが」

「何を根拠に、そう?」

「人殺しにいい奴などいるのかね」


 きょとんとなって目をぱちくりさせたリカードは、しかしすぐに微笑んだ。取り乱す様子はまるでない。先天的に備わっていたのか、後天的に獲得したのか、そのへんはわかるはずもないが、得も言われぬ大物感がありありと窺え、そこには嘘もはったりも見受けられない。ヒトとしての構造を語る上でネガティブな要素は皆無――生き物として他のニンゲンより遥かに優越的だと認める。


 リカードは目を細めたまま、「そうか。昨夜のカラスはきみだったのか」と納得したような口調。オミがデモンの肩からテーブルへと飛び移った。ぴょんぴょんと前へ二つ跳ね、リカードを見上げた。「きみはしゃべることができるんだろう?」と訊かれたオミは、「リカードは正しく思考することができるんだね」と答えた。感心しているふうな口振りだった。


「動物の心の声を聞くことができる。デモンさんがそうであるかもしれないとも考えたんだけど、俺にとってはカラスがおしゃべりするほうが素敵な解と言えた。名前は? なんていうのかな?」

「オミなんだ」

「よく通るいい声だけど、男のコかな?」

「失礼なんだ。紳士なんだ」

「ハハッ、ごめんごめん」

「まさに闇夜にカラスだったのに、よく気づいたね」

「気配に関してはかなり敏感だよ、俺は」


 リカードはくつくつと笑ったのだった。


「それでは、本題に移っても?」


 デモンがそう訊ねると、「いいですよ」とリカードは答えた。


「昨夜の一件については、すでに自供したようなものだな」

「警察の指示には従うつもりです」

「自首はしないのか?」

「それはちょっと。カッコ悪いから」


 この若者はどこかズレていて、頭のネジが二から三本飛んでいて、だからヒトとして超越しているような印象を受ける。スペシャルなのは間違いなく、それはもはや絶対的な評価と言っていい。


「トレズ町における一連の殺人事件は、リカード、おまえの仕業なのか?」


 緊張して息やら固唾やらを呑む――などということはデモンの場合、あり得ない。ただ待った。返答を、じっと待った。


「フラウ・プラット」

「ガキがどうした?」

「いまだかつて子どもを手にかけたことはないんですが、その場にいたら、殺しましたよ。俺はみな殺しがすごく好きなので」

「目眩を覚えるくらい、いい趣味だ。反吐すら出ない。わたしはおまえの性癖を賞賛するにあたってはわりと前向きだよ――とでも、伝えておこうかね」


 デモンは目を閉じ、キスでもするように唇を少しだけ尖らせ、それから両の手を肩の隣でそれぞれ広げ、首を横に振り、目を開け、にぃと邪悪に笑んだ。この一連の動作はリカードには無意味に見えたに違いない。実際、無意味だ。意味を持たない行動は時に尊い。相手に「なんだろう?」と思わせることで注意を引ける。会話の主導権を握るにあたって一定の効果があるというわけだ。


「わたしはね、リカード、理由はともかくとして、プラット家の件については、あるいは娘と執事の自作自演ではないのかと疑ったんだよ。殺し屋を雇って、仕事をさせたのではないか、とね」


「へぇ」と唸ったリカードは顎に左手をやり、口元に不敵な笑みを浮かべて「面白い推理ですね」と言った。


 デモンは「だろう?」と甘く微笑んだ。


「でも、それじゃあどうしてギルドでヒトを雇おうと考えたんですか? 見つかるはずのない犯人捜しの依頼なんて、どうして――」

「事にリアリティを持たせるためだ」

「それだけですか?」

「わたしはたとえばの話をしている」デモンは右手の人差し指で自身のこめかみをつついた。「わたしの思考は時折自縄自縛の状態に陥ってしまう。それでも遊びの部分がからきしになってしまうことはなくてね、ゆえに脳も身体も基本的には自由を謳歌している。どうだ? 羨ましいだろう?」


 俺が告白しなかったら、あなたは俺を疑わなかった?

 リカードのそんな問いかけに、「どこかのタイミングで自然と露見したと思うんだ。ぼくたちも馬鹿ではないんだ」と答えたのはオミである。


「一つ、確認だ」と、デモン。「そのプラット家の一件だが、被害者――すなわちおまえが殺害した主人だが、先日も言ったとおり、奴さんは『ゴーレムに気をつけろ』と言って事切れたわけだ。その点は、どう説明するね?」


 リカードは左手の甲を晒した。

 やはりそこには、五芒星の入れ墨はない。


「くどいようですが、『導光教』における成人年齢は十五です」

「おまえは十五歳未満には見えない。なのにどうして入れ墨がない?」


 簡単ですよと答え、リカードは目を細めた。「俺はやっぱり、ゴーレムではありませんから」と、いうことらしい。「入れ墨なんて、それっぽく描けばいいだけです」――と、いうことらしい。


 デモンは腕を組み、顎を持ち上げた。


「動機は?」


 リカードは微笑したまま――。


「もう一年は経ったのかな? 恋人が強姦殺人に遭いました。犯人がゴーレムだったんです」

「凡庸な出発点でしかない――と断じてしまうわたしは冷酷でしかないのかな? だったらわたしは叱られてしまうのかな?」


 茶化すようなデモンの発言を無視して、リカードは「異種族による挿入――屈辱でしかなかっただろうと思います。やりきれません」と語った。しかし、どういうわけか、その表情に無念の色は窺えない。心の整理がついた、ということだろうか。


「ゴーレムに扮することでヒトの怒りをゴーレムに向けた。なぜだ?」

「罪深い彼らをこの町、ひいてはこの国から追い出したいからです」


 予想どおりの回答――合点がいく答えだった。


「狙いは実りつつあると考えています。実際に今、ゴーレムに対する風当たりはとても強い」

「やり方は他にもあったはずだが? むしろ、『泥人形特別規制法』みたいな決まり事をを作るべく政治家になるのがスジではないのか?」

「政治で何かを決めるには、多くの仲間が必要ですから」

「なんにせよ、殺しすぎたな」

「言いましたよ? 殺人を犯すそのこと自体は嫌いではない、って」


 デモンは心の底から「この変態め」と褒め称え、それからいい加減な口ぶりで「さて、わたしはもう情報など要らんわけだ」と続けた。


「いったい、何をどうしたいんですか?」

「犯人をやっつけてほしいと、フラウ嬢はご所望だ」

「報酬は得たいと?」

「そうは言っとらん。ただ、個人的に仕置きはしたい」

「何様のつもりですか?」

「わたしはデモン・イーブル様だよ」


 リカードは大きな声で笑った。


「わかりました。でも、ただでは沈みませんよ」

「魅力的な表現だ。殺人鬼の矜持、見せてもらおう」



*****


 屋敷の裏手にある広い庭に連れられた。まだ四つや五つであろう小柄な男子が、緑の芝生に設置されたブランコに乗っている。リカードに呼ばれると男子は漕ぐのをやめ、彼のもとまで駆けた。「部屋に戻ってもらえると嬉しい。絶対に外を見てはいけないよ?」と告げられ、すると男子は不思議そうな顔をして、だがきちんと頷いてみせ、縁側から家に上がった。リカードと男子は良好な関係にあるらしいと知る。


 早速の対峙――。


 リカードは腰の後ろの鞘から大ぶりのナイフをすらと抜いた。宙に――真上に投げる。ナイフはくるくるくると回転し、その柄はきちんと彼の右手に収まった。使い慣れている。さすがは変態殺人鬼。――が、おいしくたいらげるにあたり、気後れなど生じない。「わたしは卓越しているぞ」と注意しておいた。


「腰のそれ、刀、ですよね。剣ではなく」

「ああ。良く斬れる。ヒトの身体など簡単に通り抜けてしまう」

「抜刀、したほうがいいですよ? 俺、遅くないですから」

「早漏は嫌われるものだ」

「ハハッ、行きます」


 リカードが地を蹴った。たしかに速い。まっすぐに突っ込んでくる。胸を目がけて突き出されたナイフを半身になってかわす。続けざまに首を狙って薙ごうとしたところを背を大きくのけぞらせてよけ、後ろに二回三回とバク転をくり返すことで距離を取った。また突いてくる。殺意のみを刃に乗せて振り回しているだけに見えなくもないのだが、実際、その動きは理に適っている。殺しの手段を自分の物にしている。だが、少しお行儀が良すぎるなとも思う。最短も最速も最適ではない。だから、ほら見ろ、腹に蹴りなどもらうのだ。リカードは後方に吹っ飛び、背から落ちた。すぐに立ち上がりはしたものの、痛そうに顔を歪める――が、切迫の表情は見せない。まあまあやるなとあらためて思う。


 ゆっくりと前に――デモンに左手の人差し指を向けた、リカード。きな臭さを覚えた瞬間、青みを帯びた光が蛇のようにうねりながら飛んできた。咄嗟に首を左に傾ける。青い光は頬をかすめ、若干の出血をもたらしてくれた。リカードは「青い稲妻なんですが、不規則に曲がるんですが、しかも不意打ちなんですが、よけちゃうんですか」と困ったように笑んだ。


 リカードがゆっくりと左手を開いた。

 大きいの、いきますね。

 そう言って、太く青い光――彼曰く、「青い稲妻」を放った。


 今度はデモン、よけなかった。よけられなかったのではない。よけなかったのだ。素早く腰を回転させつつ抜刀し、真下から振り抜き、青い稲妻を斬り裂いた。リカードは口元に笑みをたたえているものの、その顔には「ヤバっ」とでも言いたげな焦りが貼りつく。デモンを中心に駆け、周回しながら、どんどん撃ってくる。全部、斬って捨てる。青い稲妻は美しい。今が夜であればもっともっと映えて見えたことだろう。総じて言うと達者。魔法についてもなかなかの使い手だ。


 ただ、とにもかくにも相手が悪かった。


 刀の錆にするまでもない。


 意を決したのか、真正面から潔く突進してくる若者に、デモンは左手を向けた。


 手のひらのすぐ先に生まれ、発射された巨大な黄金の球体は、彼の膝から上のいっさいを削いだ。



*****


 デモンはプラット邸にいる。

 テーブルの上には香り高い琥珀色の紅茶、それにオミの姿――。


 ちょうどデモンが一連の経緯を話し終えたところである。


「まさか、そんなことが起きていたなんて考えもしなかったの」

「それはわたしもだよ、フラウ嬢。思いのほか、入り組んだ事案だった」

「悪い因子は除去できたわけだけど――」

「そうだな。リカードが連続殺人の犯人だったのか、それは時間が経ってみないとわからん」

「デモンの感覚的には?」

「優秀な技量で幾人ものヒトを殺害できる。そんな輩、そうはいないと判断する。かたきを取れたのは間違いないだろう」

「だったら、よかったの。犯人がゴーレムじゃなかったことも、よかったの……」


 紅茶を口にし、それからデモンは言う。


「想定外のことが、あったと言えばあった」

「魔法――青い稲妻のこと?」

「ああ。危険な手合いだったことは否定できないと、今一度のたまっておこう」

「手当は奮発するの」

「ありがたい話だが、あたりまえの礼儀とも言えるな」


 やにわにオミが、「ぼくもしゃべっていいかい?」と口を挟んだ。驚いたのだろう。フラウは目をまんまるにして、すぐに笑みを浮かべ、「おしゃべりカラスさんなの」と、まあるい声で言った。「お名前は?」と訊いた。「オミなんだ」と答えたのだった。


「フラウはお人形みたいでかわいいね。ずっとそれが言いたかったんだ」

「ありがとうなの」右手を出して、オミの頭を撫でた、フラウ。「オミもかわいいの、なの」


 オミは一つ、「カァ」と鳴いた。

 当然だとでも言いたいのだろうか。


「本件については、ぼくもデモンくらいは知っているんだ。フラウのお父さんとお母さんは結構、お年を召してらしたよね。晩婚だったのかな?」


 表情に変化はないものの、「えっと……」と、フラウは少し言いにくそうにした――ようにも見えた。ただ、躊躇するとまではいかないらしく、「私は養子なの」と答えた。「子どもは出来なかったそうなの」とのことだった。


「それは失礼。ごめんなさいなんだ」

「いいの。それよりオミ、訊きたいの」

「なんだい?」

「ゴーレムも、“ダスト”なの……?」


 これまた唐突の問いかけである。

 おずおずと、お伺いを立てるようにして訊いた。


 オミがデモンを見上げる。


「どう思う?」

「訊かれたのはおまえだろうが」


 フラウはじっとオミを見ている。


「どんな種族の生物も、そのすべてが“ダスト”だとは言えないんだ。定義自体が『ヒトに仇をなす存在』といった具合にファジーなものだからね。ゴーレムにだって“ダスト”はいる――そんな表現が適切かな。また、そういった観点で言うと、ヒトの中にも“ダスト”と呼ぶべき輩がいる、となるんだ」

「ゴーレムはどこでもうまくやっていけるということ?」

「個体によるね、ということなんだ」

「そう……」

「どうして暗い顔をするんだい?」


 わからない。

 わからないけど、悲しいの。

 そんなふうに言って、フラウは大きな目から涙をこぼす――が、笑顔、笑顔。

 もう用はないなと判断し、デモンは右手の人差し指でテーブルを三度つついた。「金の話だが、荷物にならん程度でいい」と言うと、「えっ、いいの?」と返してきた。


「勘違いするな。かさばるからというだけだ。未来永劫受け取らないとは言ってない」

「また、会えるということ?」

「そうなるな」



*****


 プラット邸をあとにして、石畳の町を行く中――。


 左肩の上のオミが、「フラウはかわいいんだ」などと言うのである。「ああ、また会いたいなぁ、会いたいなぁ」などと言ったのである。


「ニンゲンみたいなことをほざくな、気色悪い」

「デモン、きみはやっぱり差別主義者なんだ」オミは怒ったらしい。「カラスにだって人権はあるんだ」

「権利はあるかもしれんが、人権はない」

「あるんだ」

「ない」

「あるんだっ」

「デカい声を出すな。変に見られる」

「きみはすでに変人なんだっ」


 駄々をこねる子どものようなそのセリフには呆れたくなった。

 ゆえに吐息なんかが漏れもした。


 なおも町をゆく。


「なあ、オミ、わたしは思ったんだよ」

「いったい何を思ったんだい?」

「フラウはゴーレムではないのかね」

「えっ」オミはびっくりしたようだ。「どうしてそうなるんだい?」

「だったら、彼女をゴーレムとしない理由を教えてもらいたい」

「質問に質問で返すのは良くないんだ」

「フラウは、ゴーレムが犯人じゃなくてよかった、みたいなことを言っただろう?」


 オミは「たしかに言ったね」と肯定し、「でも、あれはニンゲンとゴーレムの仲違いを望まないっていう素直な気持ちを表しただけの感想じゃないの?」と考えを述べてみせた。


「わたしはゴーレムだと思うね」

「だから、それはどうしてだい?」

「姿形、その造形に隙がなさすぎる」

「まさに人形だって言いたいのかい?」

「そういうことだ」人知れず、にぃと笑むデモン。「殺してみればよかったな。ゴーレムは死ねば泥に返るんだろう?」


 憤ったように、オミは「カァ」と鳴き。


「冗談だよ」


 嘲笑するように、デモンは言い――。


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