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オミの奴が宿に戻ってこない。どこをほっつき歩いているのか。そんじょそこらのニンゲンよりよっぽど食い意地が張っているいるにもかかわらず、夕食どきをとうに過ぎても姿を見せないとはどういうつもりなのだろう。あるいは危険性を孕んだアクシデントに見舞われた? 最悪、なんらかの暴力に遭った? たとえそうだとして、仮に奴さんが――大げさな話、死んだとしても、わたしにはまるで関係がないなと考えるデモンである。悲しんだり、あるいは何かを悔やんだりもしないだろう。ひどく冷たくできているからだ。やはり
どうあれカラスごときのことを気にかけたところでしょうがないので、白いシルクの寝間着に着替えた。黒いカーディガンを羽織り、椅子に腰掛ける。丸テーブルの上のグラスに手を伸ばす。このウイスキーはうまい。素材も良ければ樽もいい。旅を始めて長くはないが短くもない。行く先々でアルコールを摂取することが楽しみの一つになっているのは間違いない。
今宵も暇だ、手持無沙汰。どこであろうが宿で過ごす時間などそんなものだ。趣味とまでは言わないものの読書が嫌いではないのだが、流浪の身だ、本なんていうかさばるアイテムを持って歩くわけにもいかない。かと言って、あたりまえのように鏡台の引出に居座っているなんぞやの教典にはまるで用がなく、興味もない。
夕刊をもらいにフロントまで出向いてやろう――と考えた、そのとき。
カラスの大きな声、「カァ!」と聞こえた。どうやら帰ってきたらしい。ゆっっくりと窓を開放する。案の定、上方からバサバサと現れ、滑るように入室すると案外優雅にテーブルへと着地した。今度は小さく「カァ」と発した。無闇な感もありありともう一つ「カァ」。
「ただいま、なんだ」
「ああ、おかえり」
「あれ?」
「何か変か?」
「おかえりだなんて、優しいなって」
「わたしはいつも優しいだろうが」と指摘したデモン。「メシは? 食ったのか?」
「まだなんだ」と、オミは答え。「おなかはとってもすいているんだ」
だったらそのまま餓死しろ――と突き放してやりたくもなる。
「ぼくのぶんの御飯はないのかな?」
「ない。朝まで我慢しろ」
「優しいという評価は激しく訂正なんだ」鏡台の上にはタオルがたたんであって、その上にオミは移った。「外はとても寒いんだ」
「そうでもないと思うが」デモンはウイスキーをすすった。「で、何か収穫はあったのか?」
「収穫――どうしてそう思うんだい?」
「単なる雑談だよ」
オミは脚を折った。身体をむくむくに膨らませる。
とても温かそうに見える。
「期待されると困ってしまうタチなんだ」
「役立たずめ」
「酷いんだ。でも収穫――ないこともないんだ。じつに面白い内容なんだ」
「なら、とっとと話せ」
また「カァ」と鳴いた。うるさいとしか言いようがないのだが、カラスだから、まあ、鳴くだろう。ニンゲン、ときにはあっさり割り切ることも必要だ。
「殺人の現場を見たんだ」
「ほぅ。しかし、おまえにとって、人殺しの画は珍しいものなのかね」
「ううん。見慣れているよ。だってぼくはアウトローだからね」
「カラスのアウトローうんぬんはどうだっていい」デモンはウイスキーを飲み干し――新しい一杯をグラスにそそぐ。「速やかに続けろ」
すると「うん」と素直なオミ。
「明かりもろくにない路地の袋小路で、事は起きたんだ。ナイフで一気に斬るし刺すし。被害者の女性は声一つ上げることができなかったんだ」
「犯人の顔は確認できたのか?」
「できたけど、顔立ちを言語化するのはとても難しいんだ。これ、フラウも言ってたよね? だけど、オールオッケー、だいじょうぶなんだ?」
「と、いうと?」
「犯人はぼくたちが知っている男なんだ」
男、か。
嫌でも見当がつくなと思う。
オミはくりくりと首を横に振って、「ああ、怖いなぁ。彼は怖いなぁ」などとほざき――。
「寝床は? わかっているんだろうな?」
「当然」誇らしげに嘴を持ち上げてみせた、オミ。「郊外の大きなお屋敷なんだ」
「金銭的に満たされている。いよいよだな。いよいよわかる。金があるという現実にも満足していないんだろう。浅薄なことだ。状況や環境、それにもたれかかるのも一興だろうに」
オミがデモンのほうを向いて、「まずは訪れることをオススメするんだ」だなんてまったくもって偉そうに言った。そのへん大目に見てやろうというあたり、わたしはどれだけ寛容なのだろうと感じる彼女である。
「どこかのタイミングで、奴さんは逃げると思うかね?」
「どうかな。堂々としていたことだけは確かなんだ」
「敢然と迎え撃ってもらえると面白いんだが」
「男のコだから、がんばってほしいんだ」
「そうだな。まったく、そのとおりだ」
「ところで、他者の絶望を見るのは楽しい?」
「やかましいな。ほんとうにおまえは生意気なカラスだよ」
カァカァとは、嬉しさからくる鳴き声だろうか。
あるいは不本意だ心外だと訴えている?
――どうだっていい。
「今から行く?」
「明朝でいい。わたしはとても眠いんだ」
「じつはぼくもすごくすごく眠いんだ」
「大きなお屋敷とやらは? 歩ける距離か?」
「五、六キロ程度なんだ」
「歩くとしよう」
「そうしよう、なんだ」