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マックス・マクマホンとの話を終え、「反ゴーレム党」の事務所をあとにした。昼食をとるべく町をゆく。坂道を転がり落ちるような勢いで急激に腹が減ってきたので、歩くスピードも必然、速くなる。天候は相変わらずイマイチ。重く垂れ込めた雲には感心できない圧迫感がある――だからなんだという話だが。べつに数日のあいだ太陽を拝めなくたってニンゲン、簡単に死んだりしない。ゴキブリ並の生命力とはよく言ったものだ。そのへん、デモンも大いに認めるところである。
先程から、付かず離れずの間隔で尾けてくる生き物の気配を感じている。犬猫の類ではない。もちろん鳩でもなければエリマキトカゲでもない。ヒトだ。否、この町においてはゴーレムの可能性もある。どうあれどうせ取り合うに値しないくだらん用件だろうと考えながら左折、路地に入った。すたすた進む、すたすたすた――。
「誰かが尾行しているんだ」囁くように、オミが言った。
「気づくのが遅い」デモンは鈍感なカラスに少し失望した。
「きっときみを殺そうとしているんだ」
「確かに意欲は感じられる」
「逃げるんだ」
「現状、逃げている」
ランダムに右左折をくり返し、最終的に見つけたのはいっとう細い小路だった。ずっと向こうまで続いているが、人っ子一人いない。このあたりが手頃だろうと考えて、身を翻す。オミが「出てこい!」とでも言わんばかりに、「カァ!」と大きく鳴いた。脆弱でしかないカラスのくせに生意気なことだ。虎の威を借る狐のようだとデモンは思う。まもなくして比較的小柄なシルエットが建物の陰から姿を現し、「こんにちは」――若い男の声だ。澄んだ響きを帯びている。
赤いシャツを着た茶髪の男――人当たりの良さそうな青年に向けて、オミが「カァカァ」喚く。デモンは彼の頭をそっと撫でてやってから、「やれないことはないらしいな」と口にした。青年――綺麗な顔をした茶色い瞳の青年が不思議そうな表情を浮かべたので、「殺しの腕のことだよ。覚えはあるんだろう?」と鎌をかけた。「どうして、そう思われるんですか?」との返答があって――。
「わたしは勘も良ければ肌だって敏感だ。幸運にも恵まれるし、僥倖なるワードとも仲良しだ。要するに何が言いたいかと言うと、ここで会ったが百年目、じつはおまえが下手人ではないかということだ」
青年は「下手人?」と首をかしげた。
「賑やかしも甚だしい連続殺人の犯人かと訊いている」
「例のゴーレムが俺だということですか?」
「そうだ。――ああ。ゴーレムなのに『犯人』などと口走ってしまった」
「確かにゴーレムはヒトでは――って、そのへん、どうでもよいのでは?」
「いいからとっとと答えろ。おまえがやったのか?」
青年はにこりと笑みを深めると、いきなり「俺はあなたをデートに誘いたい」などと口にした。当然、デモンは眉根を寄せる。口もへの字になった。
「少し話をしませんか? 喫茶店なんてどうですか?」
「奢ってくれるなら、いいぞ」
青年は軽い調子でハハッと笑い、「豪胆な女性だなぁ」――。
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窓を背にして、デモンは席に着いた。向かいには茶髪の青年の姿。オミは不在。喫茶店なんてNGに違いないから自重させた。
二人分の紅茶とティーポットが運ばれてきたところで、おたがいに名乗った。穴ぼこが空いているようで不気味に映る茶色い瞳――の青年は、リカードというらしい。
デートがどうこうほざいてくれたリカードであるわけだが、無論、デモンにその気はない。話が聞きたいからという理由で、こうして向かい合っているだけだ。その旨、察しているであろうリカードは「早速、本題でしょうか?」と訊ねてきた。「わたしは殊の外、気が短いんだよ」と答えたデモンである。
「一連の殺人がゴーレムの仕業なのであれば、俺は犯人ではないですよ」
リカードが顎の下に左の拳を掲げ、甲を晒した。
確かに、五芒星の入れ墨はない。
「なんなら自分を傷つけてみせましょうか? きちんと出血しますよ?」
鼻から息を漏らし、肩をすくめたデモンである。
「必要ない。疑ったことを謝罪しよう」
「ゴーレムの犯行。報道ではそうありますが、事実、そうなんでしょうか?」
「わたしの依頼人は間違いないと言っている」
「依頼人とは?」
守秘義務契約など結んでいないから、この場においても容易く「プラットという家のニンゲンだよ」と回答した。「手を下したゴーレムをやっつけてほしいんだと」と付け加えておいた。
「夫婦が殺されたそうですね」リカードが言う。「だけど、彼らの娘は生き残った」
そのとおりだと肯定してから、デモンは「仕事は何を?」と訊ねた。
「していません。気のいいパトロンがいるので」
「ゲイ?」
「俺はバイセクシャルです」
にっこりと笑み、「やっぱりいい勘してますね」――褒められてしまったのだった。
「わかった。もう行っていいぞ」
「疑いを晴らすことができて良かったです」
「次はわたしが奢ろう。次があればの話だがな」
リカードは静かに席を立つと、伝票を持って辞去した。
――十分ほど紅茶を楽しんでから、デモンも店を出た。待ちわびていたのか、すぐにオミがやってきた。カラスがヒトの肩に舞い下りたわけだ。周囲のニンゲンはそれなりに驚いていた。
「どんな感じだったのかな?」
「顔立ちといい立ち居振る舞いといい、理想的な若者と言える。若干、短躯ではあるがな」
「上から目線の評価だと思うんだ。彼はきっときみより年長者なんだ」
「ああ、そうだ。わたしはピチピチなんだ」
「その表現、すごく唖然なんだ」
「やかましい」ぴしゃりとデモン。「おまえはどう思った? どう感じた?」
「そうだなぁ」とオミは言い。「っていうか、ぼくの、たとえば審美眼をあてにしているのかい?」
「他者に関して、その見る目だけは、わたしより優れているんじゃないかね」
嬉しいのか喜ばしいのか、オミは明るく気分良さそうに「カァ」と鳴いた。
「だったら感想を述べようかな。言うよ? 彼の両の手は真っ赤に染まっている――そんなふうに、ぼくには見えたんだ」
「理由は?」
「そう見えたんだから、そこに理由なんてないんだ」
次の日の朝刊で、ナイフでめった刺し――再びそんな殺人事件が起きたことをデモンは知った――。