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他者のために急いでやろうとは思わない。ゆっくり帰ることにした。カーラン村までおよそ一時間。持ちこたえたからといって、賞賛には値しない。村が跡形もなく踏みにじられた様子を思い浮かべると、不謹慎なのだろうが、やはり少々、胸が躍る。ついついスキップしそうになる。わたしの邪悪な魂には凄惨な死こそふさわしいに違いない――と、デモンは自身を分析する。
時間は経過――。
村に到着した。力ずくでこじ開けたように、門は派手に壊されていた。村人たちは決死の覚悟で防衛に臨んだのだろう。行く先々にヒトの死体、ゴブリンの死骸が転がっていた。激戦となったのは広場らしいことが窺えた。死がまんべんなく散らばっている。ヒトもゴブリンも仰向けにうつ伏せにと倒れている。ここまでの惨状となると壮観と言える。じつに気持ちのいい見晴らしではないか。
広場の真ん中で大泣きしている少年――アレンだ。「お父さん! お父さん!」と叫び、仰向けに倒れている男性の胸を揺すっている。アレンのそばに立っているのは、細身の剣を手にしたリズ。やりきったのかと――まあ、正直、安心くらいはした。
にわか雨。
近づくと、リズが見上げてきた。煤けたように汚れた頬を伝うのは涙、雨粒。デモンはリズと視線を交わし、それからアレンに目をやった。まだ泣いている。親を亡くした子ども然とした反応と言える。
「血が、流れすぎました……」リズは悲哀に満ちた声を発した。「……つらいです」と絞り出すように言った。
リズのことをなかば無視して。デモンは「アレン」と呼びかけた。アレンの着衣は紫色の血液でべったりと汚れている。ということは、恐らく……。
デモンの左肩に、オミが止まった。
一つ「カァ」と鳴くのはいつものことだ。
「詳しいことを話そうか? 全部見ていたから、全部話せるよ?」
「アレンはヨハンの、父親の
「うん。小さな両手で握り締めた鍬、それで一生懸命に殺したんだ」
「泣けてくるな」
「心の中ではすべてを嘲笑しているんだよね?」
「というより、すべてを馬鹿にしている」
デモンは「アレン、風呂に浸かりたい。用意しろ」と告げた。するとリズが「デモンさん!」と声を荒らげた。そりゃ怒るだろう。だが、そんなの知ったことではないので、アレンについては腕を引っ張り上げることで無理やり立たせた。
もたれかかるようにして、デモンに抱きついてきたアレンである。デモンは目線を斜め上にやり、眉間に皺を寄せた。うっとうしい、うざったい、めんどくさい――後ろ向きな単語ばかりが頭に浮かぶ。感傷的になったわけではないしなるわけもないのだが、ただそっと、その後ろ髪を撫でてやった。
小さな頭を右手で掴み、アレンのことを遠ざけた。後方に気配を感じたからだ。身を翻す。二メートル級のデブのゴブリンだ。鎧はまとっていない――丸裸。モノが屹立しているのは今の今までヤっていたからだろうか。まるで性欲の権化だ。デカいくせに率先して戦わなかったあたりにだらしなさを感じる。「殺してやるどぉぉぉっ!」とどたどた駆けては来るものの、手ぶらだ。何も持っていない。
アレンが「リズ!!」と叫んだ。リズが力強く地を蹴ったからだ。なぜ突っかかるのか。みなの復讐とでも言いたいのだろうか。リズはあっけなく横っ面を殴り飛ばされた。ずいぶんぶっ飛んだ。デブのゴブリン殿、えらい怪力なのは間違いない。アレンがリズに駆け寄る。デモンは左手を前に広げた。相手をしてやるのが面倒なので、手のひらから発せられる黄金色の光線で顔面をゴッと吹き飛ばした。デブのゴブリンはどたんと前のめりに倒れ――即死だ。
今度は「リズ! リズ!!」と彼女の身体を揺する、アレン。デモンは近づき膝を折り、脈を確かめた。生きている。脳震盪だろう。肩に担ぎ上げて、「帰るぞ」とアレンに告げ、デモンは宿への道を歩き始めた。
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宿の一室。夜。リズが目を覚まし、ベッドの上で身体を起こした。アレンに心配そうに「だいじょうぶ?」と訊かれると、にこりと微笑みで答えた。左の頬に怪我を負ったが、ただの腫れだ。そのうち癒える。
椅子に座っているデモンは、「シド村長はどんな具合だ?」と訊いた。冷静に「たぶん、殺されたと思います」と返してきた、リズ。
「やはりな。ゴブリンからすれば裏切りの村の
「報酬のご心配をされているんですか?」
「まあ、そうだ。こうなることは予想がついていて、べき論として村長が支払うべきだとわたしは言ったわけだが、金目の物を奪ってとんずらこいたゴブリンもいるだろうから、奴さんの家に資産などほとんどない残っていないと踏んでいる。やむを得ん状況だ。支払義務は村人が負ってくれ」
リズは下を向き、ため息をついた。
「王は、死んだんですね?」
「それは間違いない。一つだけ、朗報をくれてやろう」
「朗報?」
リズがデモンのほうを向いた。
「今すぐとは言わん。いつかまた、わたしはここを訪れる。そのときに耳を揃えて払ってくれればいい」
「いいんですか?」
「今宵のわたしは寛容だ」
アレンが部屋に入ってきた。
左肩にはオミが乗っている。
「牛肉をごちそうしてもらったんだ。美味しかったんだ」と、オミは上機嫌。「ああ、がんばって働いた甲斐があったなぁ」
「はたしてがんばったと言えるのかね」デモンはツッコミを入れた。「どうあれ、わたしが食わしてやる手間は省けたな」
「きみも奢ってくれていいんだよ?」
「今宵のわたしは不寛容だ」
くすくす笑ったのは、リズ。
「後処理は? どうするんだ?」
デモンがそう訊ねると、アレンは「本格的な作業は夜が明けてからにするって」と答えた。
「わたしへの感謝の言葉は?」
「ありがとうはみんな言ってた。ずっといてほしいとも言ってた」
「謝意は受け取ってやるが、これ以上の滞在の予定はない」
「行っちゃうの……?」
「そういうことだ」
アレンが俯いた。「もう、寝るね?」と小さく言い、オミを肩に乗せたまま部屋から出て行った。
またリズと二人きり――。
「……ちくしょう」リズは悔しげに言う。「私に、私にもっと力があれば、あなたのような力があれば……っ」
「わたしとは比べんほうがいいぞ。生きていることが虚しくなるぞ」デモンは
「あなたは、違うと?」
「くどいな。わたしは特別だ」
リズは「そのさばさばとしたご性格、清々しくて、羨ましいです」と言い、微笑んだ――微笑みながら、はらはらと涙を流した。
「悲しみのどん底にいるのはわかる。これからどうしよう――そんな不安に駆られるのも理解できないわけじゃない。だが、ニンゲン、前に進むしかないんだよ。たとえイチかバチかでも、強い目をして足を動かすしかないんだ」
おまえが村長をやれ。デモンはそう言った。昨日今日知り合ったばかりのニンゲンの命令に、リズは素直に「はい」と応えたのだった。
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朝、目覚め、ベッドから下りて両開きの窓を押し開けた。チュンチュン、チュンチュンと、雀の高く短い鳴き声が聞こえる。長閑なものだ。――が、今日、村人たちは忙しい。死体や死骸を片づけなければならないのだ。ニンゲンには悲しみと慈しみをもってかかり、ゴブリンには蔑みと憎しみをもってかかることだろう。現象は現象として、事実は事実として受け容れるしかないのだが、そのへんわかっていても、なかなか難しい。ヒトとはかくもか弱い存在なのかと舌打ちしたくなるわけだが、今日くらいは喪に服してやってもいいか――などとも思わないわけだ。冷徹、非情、ひとでなし。言い表すフレーズは多々あれど、どうあれマイペースは貫いている。デモン・イーブルはいつだってポジティブだ。
服を着替え、一階に下りた。食堂。朝食をとった。ヨハンの女房でアレンの母親――トリィいわく、アレンは早々に出かけたらしい。くだんの作業に参加するためだとのこと。大人と一緒になって父を運ぶ様子――そのとき、涙しているであろう姿が目に浮かぶ。客観的に見れば、この村を襲った悲劇はあまりにも残酷と言える。
宿を出る際、トリィは「お代は結構です」と言った、どことなく申し訳なさそうに。ゴブリン退治に手を貸してもらった、その礼のつもりだろう。もちろん、気が引けるなんてことはなく、言葉に甘えた。トリィは外まで見送ってくれた。「お元気で」と微笑む様には母の包容力を感じた。
デモンの左肩に、今日もオミが舞い下りた。
「退屈しのぎにはなったと思うんだ」
「そうだな。多少は邪心を燃やすことができた」
「きみの表現はいつも大げさだね」
「個性なきニンゲンは生きるべきではない」
「ぼくはカラスだから助かった」
「死ね」
「そんなの、嫌だね」
激戦の跡地――広場に立ち寄った。ヒトが多くいて、片づけを進めている。結構、捗っている。思いのほか、みな、手際がいい。しかたないと割り切ったのか、それとも、がんばろうと思う気持ちが強いのか。
デモンの姿に気づいたらしいアレンが駆け寄ってきた。「父親の埋葬は済んだのか?」と訊いた。
「済んだよ」アレンは無念そうな顔をしないで、「ちょっと、ホッとしてる」とむしろ笑んでみせた。「お母さんもいるし、マリア姉さんは帰ってこないけど、メリル姉さんは元気だし」
苦難を乗り越えたことが、アレンの成長に繋がったことは間違いない。この少年はここ、カーラン村再興の象徴となり得る存在だろう。
リズがやって来た。アレンと同じく、手袋をはめている。ゴブリンはどうするのか、焼くのか埋めるのか、べつにどうでもいいので訊かなかった。
「お世話になりました。あなたは村の恩人です」リズは綺麗なお辞儀をし、上半身を縦にした。「どこへ向かわれるんですか?」
「さあな。どこでもいいさ」と、デモン。「死の匂いがじつに色濃い。嫌いではないが、癖になりそうだから、もう行くよ」
デモンはふっと口元を緩めてみせ、二人に背を向け、歩き出した。
「客観で述べると、今回のきみは優しかったと思うんだ」
「主観としては?」
「平常運転」
「だろう?」
にぃと邪に笑んだ、デモン。
オミは一つ「カァ」と鳴いた。
後ろから声がした。
アレンの大きな声だ。
「デモンおねえちゃん、ほんとうにありがとう!!」
今日も黒ずくめの彼女は、振り返ることなどしなかった。