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早い朝。緑の葉から透き通った露が落ちる様――を想像する。涼しい。寒暖の差は軟弱なニンゲンに風邪をもたらすかもしれない――という無意味な思考。
アレンの案内で、レジスタンスのリーダーのもとに向かっている。なんでも牛飼いの娘らしい。年は二十一。デモンよりも下だ。村なる集落には閉鎖的なイメージがあって、ゆえに「産めよ育てよ」の精神で婚期も早くに迎えるように思われたが、そうではないところもあるだろう。女だてらにゴブリンと戦おうなどとは勇ましい話ではないかと、賛辞くらいは贈りたくなる。
オミはいない。置いてきた。来たいなら追ってくるだろう。自由にしてもらっていい。邪魔なら邪魔だと告げるだけだ。主従ははっきりしている。
家畜特有の匂いが鼻に届く。「ちょっと待っててね」と言うと、アレンが牛舎に入っていった。三角屋根の古い建物だが、手入れは行き届いている感がある。管理するニンゲンの几帳面さが窺えるというものだ。
アレンが、たたと出てきた。小走りで後ろに続く若い女は、年季の入った白いシャツに黄土色のズボン姿。背は高くも低くもなく、線自体はじつに細い。
若い女はぺこりと頭を下げてみせた。顔を上げるとにこり――人懐こい笑みだ。大きい瞳には活発さが感じられる。ただのつまらないニンゲンではないといいなという希望的観測。
「はじめまして。リズです」
目を細め口元を緩め、「デモン・イーブルだ」と名乗り、右手を差し出す。若い女――リズはズボンで右手を拭うと、握手に応じてくれた。
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リズに連れられ着いた先は、レジスタンスの集会所――木造平屋の建物は村の持ち物とのこと。以前は酒の席に使われたらしいのだが、ゴブリンが出入りするようになってからは、それもご無沙汰だという。支配されているわけだ。閉塞感に苛まれるのはあたりまえだろう。村人たちの根っこにあるのは、ひときわ大きな「怯え」なのだ。
午前九時になろうとしているところ。リズとアレンが声かけをして集めてきたメンバーと円になっている。粗末ななりの者が多い。この村にあってはフツウなのだろうか。男ばかりの中に、女はリズ一人――。
デモンの向かいに座るリズが、「先日はありがとうございました」と言った。ゴブリンどもを追っ払った件に関する謝辞だろう。
「どこかで観戦していたのかね?」
「いえ。伝え聞いただけです。ザギ兵長は、以前、見たことがあります」
「その際、実力を推し量ることはできたのか?」
リズは「ただ者ではないのは、雰囲気でわかりました」と答え、「ですから、すごいな、って」と言った。そこにあるのはデモンに対する尊敬と憧憬の目――。
「達者なのか?」
「村一番の老人に剣を習っていますけれど、とてもそうは思えません」
「魔法は?」
眉尻を下げたリズは、「使えたらどれだけいいでしょう」と苦笑のような表情を浮かべた。
男どもを見回しながら、デモンは「おまえたちは?」と訊いた。誰からもリアクションは得られなかった。腕に自信がある者は皆無らしい。使えないニンゲンは無価値だと思うのだが、今、それを言い出しても何も始まらない。
「だけど――」と、リズ。「気持ちだけは負けません」
「だろうな」デモンは言う。「やはり、まっぴらごめんか?」
「当然です。奪われるだけは許せません」
「奴隷について、生き残りはいないのか?」
「召し上げられたニンゲンは、男性、女性ともに、誰一人として帰ってきていません」
「男はどこかで重労働にでもあてがわれているとして、女はまあ、死ぬまで相手をさせられるのだろう。力なきニンゲンの末路はほんとうに悲惨で残酷だ。まったく、笑わせてくれる。典型的な弱者だよ、おまえたちは」
メンバーの一人――がっちりした男が「おい!」と声を荒らげた。「典型的な弱者」というワードがいい感じに刺さったのだろう。他意以上のものはないというのに。
男はリズが宥めた。
「連中の『巣』は?」
「巣、ですか?」
「ゴミに等しい、まさに“ダスト”だから、巣でいいんだよ」
「北東にあります。徒歩だと一時間ほどかかると聞きます。大きな洞窟で、彼らは『城』と呼んでいるようです」
「彼ら」という言い方も「ゴミども」でいいように思うのだがそれは置いておき、デモンは、「なんにせよ、すぐにでもやってこられたら、どうにもならんな」と言った。「そうですね」とリズはやや険しい顔をする。
「どうあれ、やるのか?」
「私はそのつもりです」
「なるほど」デモンは目を閉じ、小さく頷いた。「襲撃が今日だとするなら問答無用で迎え撃つしかないわけだ。よって、残りの可能性、明日以降である場合を想定しておく」
「そうするべきだと思います」リズも首を縦に振った。「やっぱり、いつ攻めてくるかは知りたいですね」
「そういうことだ。時間があると知ることができれば、それに応じた備えができる。――わかった、いいだろう。偵察はこちらで請け合う」
「できるんですか?」
「できる」
事が成ったあかつきには、「不吉の象徴」に、いい肉を食わせてやろうと思う。
「ほら、他の連中はどうなんだ? やるのか? やらないのか?」
デモンがそう訊ねると、リズは仲間を見回した。すぐには誰も応えない。だが、「みんな、お願い。もう待ったなしよ。覚悟を決めて。最後まで戦い抜く覚悟を」と続けると、みなが深く頷いた。
「デモンさん、お手を煩わせてしまいますけど、お願いします」
「乗りかかったなんとやらだ。やぶさかではない。ないが」
「なにか?」
「わたしは巣を潰しにかかる。だが、おまえたちにも血を流してもらう」
「もちろんです。私たちもあなたに付き従い――」
デモンは右手の人差し指を左右に振った。
「その手段はスマートとは言えない。連中がこの村を攻撃している最中、すなわち、巣の守りが薄いときにボスを叩く」
場がざわとなった。
「私たちを、いえ、村をおとりに使う、と?」
そうだと言ってやると、リズは目を伏せ、唇を噛んでみせた。
「覚悟を決めたと言ったろう?」デモンは邪に、にぃと笑む。「そうでなくとも、わたしは一度、この村はさっぱりさせたほうがいいと思うぞ? 民草はその情けなさ、みっともなさについて、あまりにも無自覚だからな。要はカッコ悪いと言っているんだよ」
しんとなった。
「彼らが――ううん、奴らがいつ襲ってくるのか、それは教えていただけるんですね?」
デモンが「だから、それは約束する」と答えると、リズのブルーの瞳に力強さが宿った。「わかりました。早速、準備に取り掛かります。だいじょうぶです。うん、きっとだいじょうぶ……」と自らに言い聞かせるように言った。
「ザギ兵長――奴さんクラスはまだいるに違いない。おまえたちがどれだけ村を支えられるのか、お手並み拝見といこう」
「デモンさん、ほんとうにあなたはお一人で……?」
「問題はない。心配も要らん」
わたしは誰より強いんでな。
デモンは自信たっぷりに言い放った。
*****
夜。デモンは宿の部屋にて椅子に腰掛けている。開け放たれた窓から穏やかな風が流れ込んできた。いい夜だ。ちょうどいい気温は安らかな眠りをもたらしてくれることだろう――あくびが出た。
「不吉の象徴」こと、オミが帰ってきた。窓から入り、軽やかにテーブルの上に舞い下りた。「おなかがすいたんだ。喉が渇いたんだ」などと言う。が、無視。何より先に話を聞かせてもらわなければならない。
「首尾は?」
「上々なんだ」
「目当ての情報は得られたんだな?」
「うん。装備の状況からして、寝て起きたら出発だと思う」
対ゴブリン戦は明日だということだ。
その旨をリズに知らせるべく、早速、アレンを使いにやった。
オミがリンゴを食べて水を飲む。アレンに用意させた物だ。「リンゴは飽きてきたなぁ」と不満を漏らしつつも、くちばしでしきりにつつく。合間に「こき使われた気分なんだ。探りを入れるくらい、自分でやったらいいのに」と、ぶうたれた。
「ニンゲンが歩くよりも、カラスが飛んだほうが効率がいいということだ」
「きみは走るのが得意じゃないか。メチャクチャ速いじゃないか」
「何キロも走りたくない」
「本件について、ぼくはもう働かないんだ。なんと言われても働かないんだ」
「役立たずが役にたった。すでに万々歳だよ」
食事を切り上げたオミは、テーブルの端に立ち、見上げてきた。
「明日、ぼくはどこにいたらいいのかな?」
「アレンのそばにいろ。飛び出していきそうになったら、きちんと引き止めろ」
「お優しいことだね。らしくないと思うけど」
「そんなわたしもいるということだ」
ウイスキー――グラスをぐいと空ける。
ストレートだから、胸がかっと熱くなった。
窓の向こうを見やる。
月明かりはなく、深い闇があるだけだ。
*****
早朝、大きな広場に集まった。レジスタンスのメンバーはもちろんのこと、男ばかり、老いも若きも集まった。結構な数だ。百五十から二百人はいるだろう。ついに立ち上がる決意を固めたということだ。昨日の今日――すなわち、短い時間でリズたちが説得して回ったということだ。特にリズの場合、確かにカリスマ性が滲み出ていて、ヒトを導くだけの器であるように感じてはいた。大した女だと認める。村人らの装備が鍬や鎌なのはしょうがない。武器らしい武器はゴブリンに取り上げられてしまったのだろうから。烏合の衆であることは間違いなく、ゴブリンのほうがずっと戦い慣れていて、だから正直、敗北は必至だと判断せざるを得ないのだが――まあ、そのへんは自らに関係ないなと思う。冷徹だとか非情だとか言われようが、そこは「そういう性格だから」の一言で済ませるしかない。
仲間に段取りを伝え終えたリズが近づいてきた。
「やれそうか?」
「はい。がんばれるだけ、がんばります」
えいえいおーっ!
えいえいおーっ!!
村人らがかけ声に合わせて拳を突き上げる。
いつまでこの元気と士気を保てるのか。
「デモンさん、それで、報酬のことなんですけれど……」
デモンは地面を指差し、「ここ」と言った。
「えっ?」
「ここはなんて名前の村だったか」
「カーランです。カーラン村です」
「そのカーラン村の
「シドさんですけれど、それがなにか?」
「わたしへの支払いは村長にさせろ」
難しい顔をしたリズは、まさに「それは難しいと思います」と言った。
「成功したらでいいと言っている」
「村のみんなで出し合うのは、いけませんか?」
「おまえの意見など聞いていない。今の地位でいたいなら金を出せと脅せばいい。というか、脅せ。奴はゴブリンに媚びへつらうだけのクソの役にも立たんクソ野郎だ。知らんわけではあるまい?」
「それは……はい。ですけど、彼が『王』と話をつけてくれるから、村が生きながらえてきたことも事実で――」
デモンは厳しい口調で「だから、おまえの意見など聞いていない」と言い、わたしはもう行く」と続け、身を翻した。
デモンの名を呼ぶ声がし、そちらに目をやると、アレンが向かってくるのが見えた。そばまで来る。はあはあと弾む息。全力疾走だったのだろう。
アレンが見上げてきた。
「ほんとうに一人で行くの?」
「一人であることが理想だ。誰にも足を引っ張られずに済むからな」
「ちゃんと帰ってくるよね?」
「誰に物を言っている?」
デモンが声を張り上げ、その名を呼ぶと、オミがアレンの左肩に舞い下りた。
「困ったら、こいつに指示を仰げ。間違ったことは言わんから安心しろ」
頷いてみせた、アレン。
「父親は? ヨハンはどうしている?」
「集まりの中にいるよ」いまだ鬨の声を上げる連中のことを、アレンは指差して。「街を守るために……ううん、家族を守りたいから戦うんだ、って」
やっと目が覚めたというわけだ。娘に手を出したことは許されることではないが、挽回する意思があるならまだマシと言えるだろう。
覚悟を決めたニンゲンたちと、下劣を極めるゴブリンらの戦争。
泥仕合で御の字だ。
引き分けに持ち込めたら、よくやったと評価できる。
デモンは歩きだす。
自らの邪欲を満たせるかもしれないと考えるとわくわくし、またぞくぞくした。