1
「くっ…」
調子にのった。が、適当な表現だろう。
「もう……魔力が…」
姫様は慢心めされた。
ダンジョン5階層。並の冒険者であれば、複数パーティで潜ってなお、犠牲者が出る難易度である。
エルフ故の膨大な魔力と、王族故の気位の高さが、その身を安全から遠ざけた。
「クソッ!ポーションはないのか!?」
既に何度も漁った『どうぐぶくろ』を忙しなく確認する。
もう冷静ではいられないのだ。
こんな状況で、オークの群れなんかと遭遇してしまったら。
良くて死。悪ければ……ちょっと分からないけど。
「せ、せ……」
しかし、姫様は知っている。
「接吻されちゃう!」
だから震えているのは、魔力残量が原因ではない。
「そんな……恋だってまだなのにぃ…」
膝を抱えて泣きじゃくる姫様。だって、とてもひとりでは帰還できそうにない。
そんな、絶望で満たされた空間に、
「バーローッ!」
「ひぃっ!」
突如として、罵声が響いた。
「闇に潜む闇々しい闇。ここは全てが変わるダンジョン5階層。人が本性を剥き出しにするこの部屋に、絶望した少女の悲痛な叫びがこだまする…」
イヤに熟れた口上と共に、ムーンウォークで現れた声の主。
「な、なな…」
姫様が顔を歪ませながら、その男を指差す。
「なんだ貴様!?」
青ジャケットに蝶ネクタイ。分厚いメガネ、不可思議な頭髪…
「見た目は大人、頭脳は子供……」
白ブリーフ。
「冤罪寺ロメン……童貞さっ!」
この状況で、絶対に遭遇してはならない手合いの人間がそこに居た。
2
「ワンツゥ、スリルぅでパッ!キメからさぁすぺぇんすぅ↑」
突然現れた、だらしねぇ身体の中年男性が、キレッキレに踊っている。
「ふんふーんで止めずぅ、りなちゃんバーロー…」
姫様は慌てて立ち上がり剣を構えているが、その剣先はブレにブレる。
怯えているのだ、無理もない。
「りなちゃーんりなチャンリナぁでまたパッ。手ぇを横に流してバロッフゥー、フゥーりなちゃぁん…」
視界に入れるだけでダメージを受けそうなその動き。冤罪寺ロメンと名乗る男の息は益々荒くなっていく。
「ふぅ、ふぅ、りなちゃぁん、りなちゃぁん、りぃなちゃああああああん…」
「うわああああああああ!」
恐怖の余り、ついに叫びだしてしまう姫様。
「りなちゃん!りっ、りなちゃんりなちゃん!りなちゃわああああああああああ!」
「うわああああああああああ!」
「ウッ…」
カクッと膝を付く男。姫様は驚きに身体を跳ね上げ半歩引く。
「ふぅ…」
膝をついた男は、何故か地面を指先で拭い、そのままペロリと舐めた。
「これは……オマーン国債っ!?」
「……………」
余りにも常軌を逸した光景に、最早絶句するしかない姫様。
「……ん?」
ふと、男が姫様の方を向く。
「オメーいつからそこにいる!?」
「ぇぇ…」
貴様さっき名乗ってたじゃないか、などと言う返答は、今の姫様には出来ない。ただただ身を竦ませている姫様に向かって「バーロー!」と更に罵声を重ねながら近づいてくる男。
「おいハヤシバラ!」
知らん名で呼ばれ、グワシと両肩を掴まれた。
「アフレコどうした!とっとと戻れ!」
「……はゃ……ぇ?」
刹那、姫様の頭の中で不思議な事が起こる。
考えてみよう。
尋常な冒険者であれば、単身で白ブリーフで白ブリーフで白ブリーフでダンジョンには潜らない。
また幻術の類であれば、いくらなんでもコイツは出ない。
「も、戻る道が判らない」
つまりこの男は実在していて、尋常でなく強いのだ。
「頼む、送ってくれないか?」
意味が分からな過ぎて、姫様の頭は却って冷えたのだ。
「………へぇ、待たせてる女性がいるのか?」
「ああ、ワカナ姉ちゃんだ」
「姉ちゃん?失礼だがおいくつの方か?」
「17歳」
「あ、姉ってなんだよ犯罪だ!」
「何、問題ないさ。もう30年くらい17歳をしている」
「ああ、実在しないのか」
本当に意外な事だが、会話が出来た。
ほぼ魔力切れである事を伝えると、男は「バーロー」と言ってポーションすらくれた。
「バーロってんなら素直に言えってんだ」
どうやら送ってくれるらしい。
因みに金銭は執拗に要求された。どうやら無職であるらしい。
「あの、すまない…」
「なんだ?スケボーなら今バーロってるぞ」
「いやその、すけぼぉ?は知らないが…」
「じゃあこのバーロー型催淫銃のことか?」
そういって、手首に巻いた変な形のブレスレットを見せつけてくる冤罪寺ロメン。物議を醸す名前だが姫様が気になっているのは違った。
「バーローって……なんだ?」
「………………………」
「おいっ!」
そんなやり取りを経てから、少し距離を置きつつ男についていく姫様。人に会えたら他人の振りをする心構えだ。
「……妙だな」
ふいに男が立ち止まり、そう呟く。
「……うむ、確かに妙だ」
その視線の先には、赤いスイッチ。
流石に罠である。同意した姫様に、男は「うん」と頷き返す。
「ダンジョンに乳首がある」
「ごめんなんて?」
「ここは慎重に…」
「あ?ああ…」
「いったん押す」
押した。
途端に溢れ出す、触手の群れ。
紛う事なくトラップだ。
「……っ!」
声をあげる間もなく姫様が逆さ吊りにされたが、そこは経験である。スカートを抑えながらも姫様は努めて冷静に男の行方を探す。
「謎は全て解けた!」
果たして冤罪寺ロメンは、とても口に出来ない縛られ方をしていた。
「そうだろうなあ!だつてボタン押したからなあ!」
頑張ったけど冷静ではいられなかった。
「あれれーでも、おっかしいぞー」
「おかしいのは貴様の頭だ!」
「おかしな格好したデブが踊るの『おもしろい』って、ルッキズムに反しないのかなぁ?」
「今そんな話してねえだろがあ!」
言う間にもギチギチと締まっていく触手。尻への食い込みに、男が「おぅふっ」と声をあげる。
「でもへっちゃらさ!こんな時はこの『精力増強シューズ』だバーロー!おいハヤシバラ!」
「ハヤシバラじゃねぇよ!」
「オレの右乳房を捻じれ!」
「……はぁ!?」
姫様は未だ、花も恥らう三千歳。ほんの乙女である。
よもや、右乳房などと。
「だから!精力増強シューズを使うから!オレの右乳房を捻じれってんだバーロー!」
「……もう助かりたくない…」
「急げー!ケツが割れてしまうぞー!」
「くっ、殺せえええええ!」
トラディショナルな台詞と共に手を伸ばし、何とか届いた右乳房。
「おっ、おがたさああああん!」
パカッ。
「あっ…」
ケツは間に合わなかったものの、右乳房を捻られ、途端、全身から不可解な光を放ちだす冤罪寺ロメン。
「いやっふぅ~!」
口にするのも憚られる場所を強調するように縛っていた触手を、事もなげに引き千切る。
「増強パーンチ!増強パーンチ!」
「結局何が増強されるんだよぉ…」
そうして、あっという間に駆逐されたイージートラップ。
まさか、助かってしまった。
何というか、やってみるもんである。
3
「もうやだょぉ…」
仕方ない、ベソかいてしまう姫様。これでもう暫くは家出などされないだろう。正直助かる。
「バロってる暇がバルならとっととバーレばいいだろ」
差し出された手も、払ってしまう。
「うるさい!だからそのバーローって何なんだよ!」
「…………」
「何でそれは答えねえだよおおお…」
地面をテシテシしながらお嘆きあそばされている。
確かに過去、姫様は傲慢であった。
しかしその罰が、これ程のものか。
「本当にこの道であってるのか!?あ、信用してない訳じゃないけど、今度は撮りながらシようよ?愛の証、欲しいなぁあん?」
更に追い討ちをかけるように、姫様の発言が狂いだす。
「なっ、なんだ急に?何かおかしいかなって思うのも無理ないし。体調悪いならムリしないで?今日は手だけでOK牧場(爆)」
「お、効いてる効いてる」
喉を抑え、顔中に疑問符を貼り付ける姫様に向かって、ニチャリと嗤いかけた冤罪寺ロメン。
「さっき飲ませた毒だが…」
「毒っ!?毒毒毒!?でも君の毒なら寧ろどくどくしちゃうよ!(なんつって)。う、ぅぅ?」
さっき渡されたのは、案の上ポーションじゃなかった。
「ああ、毒といってもバロっちまう訳じゃねえ。ただ、それを飲むとな?」
戦慄する。
愕然とする。
「言葉尻におじさん構文がついてしまう、のと、引き換えに…」
身の危険に全身の皮膚が泡立つ。
「鼻毛が伸びる」
ファサッ!
「くっ、こ……ころっ、殺してくれてもいいよ(観念)?でも、そんな奴から、君はおカネを貰う立場(失笑)って事は、忘れないでね(嘲笑、指も差してるよ)」
「因みに筆談なら顔文字も付く」
「…………あはっ」
アハハハハハハ…
ごく丁寧に尊厳を奪われた姫様に残ったのは、諦念。
とにかく、生きて地上に出るのだ。
ふらふらと立ち上がり、今度は二人、並んで歩きだす。
「バーロー(苦笑)」
ダンジョン6階層に向かって。