時間が経つのは恐ろしく早く、電車で到着した時刻からすでに6時間は経過し、時計の長針は7の数字を指している。
つまりもう19時ということだ。
日中観光した温泉街には、異能者の騒ぎもあってか人通りが極めて少ないのにも関わらず、立ち並ぶ店店はほとんどが開店していた。
こんな状況でも営業してくれていることに少し違和感を感じていた俺だが、その真相は至極簡単、要は異能対策部から直々に店を開くようお願いがあったらしい。
そんな簡単に営業してくれるか、とも思ったが、これはこれで温泉街側にもメリットがあり、今回のアルファウイルスのせいでどこも売り上げはガタ落ち、人の出入りが少なくなったこの街に再び観光客をと『警視庁異能対策部の警備付き、安全な観光を!』なんていう謳い文句を掲げているのだから、これはさすがにwin-winである。
そしてその宣言通り、温泉街のアチラコチラに黒スーツを着た人が見回りのようなものをしていた。
アリスを見かけると立ち止まり、完璧なお辞儀をしてから業務に戻るところ、間違いなくあれが異能対策部の連中なのだろう。
未だそのキャッチフレーズが世に通ってないからか、客足は少ない。
が、チラホラと観光客が目に入るあたり、全く効果がないわけではないのだろう。
おかげで人ごみのない人気観光スポットで肉を食べ、お土産を見て回り、名物である湯めぐりなんかもすることができた。
あ、あと海鮮丼も。
すでに夕暮れ時は過ぎているが、夏ということもあり、まだまだ日も長く夕闇というには浅すぎる。
街の上には茜色の空が広がっている時間帯、俺達はある旅館に到着した。
「こんないいところ、泊まったことないんだが」
今日泊まる宿を見て、俺は思わずそう漏らす。
そう思うのも無理はなく、目の前には老舗旅館を感じさせる『夕映亭』と書いた横長の看板が立て掛けられた大きな木製の門があり、それを通った先には素人目でも分かるほど光沢感の強い高級な天然石の石畳が旅館の入り口まで連なっている。
「アリスさん、本当に私達ここに泊まっていいの?」
「もちろんです! 費用は会社持ちなのでっ!」
アリスは心菜へ真っ直ぐ立てた親指を向け、屈託のない笑みを浮かべる。
またも自慢気にそう言い放つアリスが異能対策部を会社と呼ぶことに少し違和感を覚えるが、今はそんなことよりも、生まれて初めて泊まる旅館というものに俺の心は弾んで仕方なかった。
それからさっそく足を進めるがこの石畳、高級感がある故か、まるでレッドカーペットを歩いている俳優のような気分になる。
選ばれしものだけの道というか、まぁそう言うと大袈裟だが、そんな特別感をひしひしと感じつつ旅館の中へ入っていった。
「お客様、いらっしゃいませ。本日ご予約の異能対策部様でございますね?」
「はい、そうです!」
俺達を立礼で出迎えてくれたのは、淡緑の着物を着た女性、40代くらいだろうか。
他に見えるスタッフは茶衣着と軽めの和装をしており、目に映る範囲ではきっちりした着物はこの女性だけだ。
もしかしたら女将ってやつなのかもしれない。
そして部屋への案内、この女将さんが先頭に立って後を追う形だったため、3人が同じ部屋って男女の倫理的に大丈夫かなんて思っていると、ちょうど到着した隣り合わせの2部屋へ案内された。
つまり異能対策部としては俺の1部屋、心菜、アリスでもう1部屋、合計2部屋の予約をしたということだ。
まぁ男女で部屋を分ける、妥当な考えだと思う。
その後食事か風呂という選択があったが、3人で食べたい旨を伝えると、どうやら食事処は21時までの利用になるらしいので今の時間帯であれば必然的に食事となるらしい。
客室で1人で食べるよりか断然良い、女性陣もせっかくならみんなで、ということで意見は一致、俺達はまず食事処で夕飯を食べ、その後は湯めぐり合わせて本日3度目の入浴をした。
◇
大浴場――
「はぁああ……気ぼぢいいぃ」
何度入っても風呂は気持ちいいもんだ。
仮に1度この風呂から上がったとして、再度入浴しても同じ唸り声を出せる自信だってある。
それにしても旅行なんて、初めてだな。
普段は武道1本道場大好きっ子の俺、簑原燿。
遊びよりも大事なことがあると愛する竹刀ちゃんとの修行に明け暮れ、ほとんどの娯楽という時間を省いてきた。
旅行もそのうちの1つ。
しかし本来の目的はダンジョン探索だったはず。
ま、そうでもなけりゃ温泉街でこんな楽しむこともなかったわけだし、そういう意味ではアリスに感謝しなきゃだわ。
ひとしきりお風呂を堪能してから部屋に戻ると、すでに寝る用の布団が敷いてある。
これが旅館ってやつか、と感嘆の声が漏らしつつ布団に寝転がった。
戦いとは別の意味での疲れがやってきたのは本当に久しぶり、それだけ楽しかったんだと実感する。
もうこのまま寝てしまいそうだったので、俺は電気を消して再び横になった。
目を瞑りながら俺はこんな楽しい日々が永遠に続けばいいのに、意識が遠くなりながらもそんなことを思う。
そして静かに眠りについた。
その夜――
客室の入口からわずかに廊下の光が差し込む。
徐々にその範囲は広くなり、その後再び闇に包まれた。
物音一つさせずに侵入してきたその影は燿の頭元で立ち止まる。
そしてソイツは手に持つ刀を鞘から抜くのだった。