先生の指示にコトユミは踵を返し、足を進めている。
その行き先はおそらく彼女の視線の先、真っ直ぐ俺を見ているような感じだが実はその奥、博士の立つ位置だ。
そしてそれを見つめる虚ろな目から彼女らしさは一切なく、まるで全く別の物が取り憑いていると思わせられる表情。
そんなコトユミの足どりが俺を通り越そうとしている。
ダメだ、絶対にこのまま行かせちゃいけないっ!
「コトユミ、しっかりしろ……っ!?」
そう思って俺は彼女の腕を掴もうとしたが、それどころか触れることすら出来なかった。
いつの間に覚えたのか、腕のみを液状化させるという性能の高い技法を駆使されて避けられたのだ。
そんな俺が唖然としている間にも、彼女は歩みを止めることなく博士の元へ向かう。
「よし、いい子だ。俺の研究室に行くぞ」
博士は傍にやってきたコトユミの肩に腕を回し、まるで見せびらしているかのように得意気な顔で俺を見てきた。
「コトユミ……っ! 逃げられないんなら俺が助けてやる」
なんでそんな訳の分からない男に肩を組まれて、表情1つ変えない?
本当はビビりなのに、なんでそんな堂々としてる?
おかしな点が多すぎて最早助けるための1歩が中々出なかった。
だけど、そんなもんは引っ張ってでも本人連れ帰って直接聞きゃあいい話だ。
そう思い、俺は前進した……はずだった。
なのに進まない――
「は……? なんだこれ?」
おかしなことを言っていると思うが、これ以上表現のしようもない。
つま先にはしっかり力は入っているし、前にも強く蹴り出せている。
それこそ俺とコトユミの距離、3メートル程度はひとっ飛びで行けてしまいそうな力加減でだ。
まるで目の前に見えない壁でもあるんじゃないか、感覚としてはそんな感じ。
「ははっ! いいぞナイスだ、
こんな状況でも相変わらず席に座り、スマホをいじっている女子中学生に向かって博士はそう言葉を言い残して、コトユミとともにこの場を去っていく。
「おい、待てっ! なんだこの壁、くっそ壊すこともできねーのか!」
俺はこの見えない空間に一心不乱に竹刀を振り続ける。
竹刀がぶっ壊れるんじゃないかと思うほどの勢いで叩き込んでいく。
そして放つ竹刀が空間に弾かれるところを見ると、このバリアとやら、物理的に存在しているらしい。
それにこのバリア、ご丁寧に前後左右貼られているようで、俺の移動可能範囲はせいぜい四方2歩ずつが限度くらいだ。
くそ、これじゃ檻に入れられている動物と同じじゃねーか。
こんなことをしている間に、コトユミの姿を完全に見失ってしまった。
「そんなの効かないよ」
今さっき詩、と呼ばれていた女の子はこっちを見る素振りも一切なく、冷たい声でそう一言漏らした。
「おい、出せよ」
「嫌。あなた、出したら大暴れするでしょ? 危険」
「そりゃ仲間奪われてんだ。暴れるのは当たり前だろ!」
「奪われた? ヨウくん、ユミちゃんは強くなるために行ったんでしょ? なんでそんなに怒っているの?」
暁斗は閉じ込められた俺に、こてんと首を傾げながら純粋たる疑問顔を向けてくる。
この表情、本気でそう思っているのだろう。
「暁斗、違うんだ。今のコトユミは少しおかしくて、きっと誰かに操られて……っ!?」
俺は自分で話しながらふと思う。
そうだ、あれは誰かに意識を操作されている、そんな感じだ。
突然のことで頭の整理ができていなかったが、今思い返せば先生に頭を撫でられた時からコトユミの様子がおかしかった。
それに俺自身も少し変で、先生に対して、人にとって重要な危険信号というか警戒心みたいなものが全く働かない。
今、このバリアの檻に放り込まれて少し冷静になったのか、不可思議な点が少しずつ露わになっていく。
「燿くん、どうしたんだい? そんな深刻そうな顔をして」
先生は今までと変わらないにこやかな笑みを向けてくる。
「どうしたって……先生、お前がコトユミを操ったのか? 異能で!」
「操った? 人聞きの悪いことを言うなぁ。私はただ祐未さんが生きやすい世界を切り拓いただけなのに。彼女にとってこの組織は居心地がいいと思うよ? 異能だって極められるし、異能者として、新しい世界創造の役に立てるのだからね」
やはりそうか、コトユミがおかしくなったのも何かしらの異能。
もし発動の条件が相手に触れることなのであれば、頭を撫でられてからの変化ってのも納得がいく。
俺自身にも影響があったことを考えると、少し条件が違う気もするが……いや待て、握手、握手したわ、そういえば。
そして相手の悪事に気づいた今、俺の中の違和感ってのが薄れていく。
そう、先生に向ける感情だ。
さっきまであんなに安心感があった人のはずなのに、今はイカれた異能者グループの責任者にしか見えない。
もしかして能力を理解したことで、異能の効果が解けたのか。
「出せよ」
俺は竹刀を振るった。
今放てる最高速度で何度も空間に斬りかかる。
沸き出る怒りを武器に乗せて一振り一振りを全力で。
バシッバシッと響く打撃音は最早地響きでも起こすんじゃないか、と思うほど大きくうるさい。
「そ、そんなことをしても無駄。先にその竹刀が壊れる」
さっきまで無表情だった女子中学生は、音が響く度、体をビクつかせている。
「この竹刀は俺用の特注品だ、壊れる心配はねぇ!」
異能者とはいえ所詮子供だ。
バリアをかましたとて、ここまで人に殺意を向けられることはないだろう。
コトユミもそうだが、異能のコントロールには精神面の安定が大事なはず。
心が揺らぐほどの動揺を与えればと思い、俺はあえて強い打撃音をひたすら繰り返した。
「うわぁぁぁうるさいうるさいっ!!!」
そんな激しい音の応酬の中、突如教室にドサっと何かが倒れる音と大きな唸り声が響く。
何事かと声の方に視線をやると、そこには椅子から転げ落ち、床に突っ伏せる暁斗の姿。
「暁斗、どうした?」
「僕は、自分の家を……父さんを、母さんを、お姉ちゃんを……この力で……っ!! どうして燃やしたりなんか……ううっ!」
一見無駄だと思えた俺の連続攻撃は、思わぬところに影響を及ぼしたようだ。
「あ……そうだ、思い出してきた」
そして暁斗の口から真実が語られようとしている。