今、ナイフが放たれた瞬間、俺は確かに見た。
あの博士が一瞬のうちに左腕を上に振り上げたところを。
だが刃物を取り出した仕草もなかったが、一体いつのタイミングで……いや、そのナイフ自体姿を消したんだし、おそらく異能の類で出現させた可能性が高いか。
「ちょっと博士くん、言った傍から燿くんを攻撃してるじゃないか」
先生はまるで教師のように、教卓に手を付きながら博士へ注意を飛ばす。
その口調、見た目と寸分違わぬ優しさと朗らかさ。
「そりゃ仕方ねーよ。先生だって手の甲に蚊が止まりゃ、思わず殺しちまうだろ? そんな感覚だって!」
「テメェさっきから好き勝手言いやがって……っ!」
あまりの暴論に俺はバッと椅子から立ち上がり、2人の会話に割って入る。
どうにかしてコイツは先生から共感を得ようとしているが、人を蚊に例える時点で充分イカれた思想だ。
「あ〜あ〜さっきからうるせぇ羽音だなぁっ!」
博士はわざとらしく鬱陶しそうに吠えながら、再び腕を上に振るう。
と同時に、さっきと全く同じ見た目のナイフが一直線に加速し、俺へ向かってきた。
普通の人間だから舐めてんのか、と思うと腹が立ってきた……いや、もうすでに腹が立っているので、俺は如何にも余裕だと言わんばかりにナイフを片手の人差し指と中指で挟んで受け止める。
「異能使ってその程度なのか?」
俺の挑発に対して、博士は特に反応を示すわけでもなく、感慨深そうな表情で何度も首を縦に振る、
「ほ〜ん、ここに招待されただけはある、ってか」
「おい、勝手にご納得されるのはいいんだが、いきなり攻撃してきて謝罪もねーの?」
正直もうすでに俺の心は、限界に達するほどの怒りで充満している。
人間を奴隷のように扱い、事ある毎に貶す。
そもそもそういった思考の異能者自体に腹が立っていた時にコイツだ。
人間を虫レベルにしか捉えていない。
博士は俺を一瞥して、冷たく抑揚のない声で「あーごめんごめん」と言うと、次はコトユミへ視線を移す。
「で、そっちの異能者さんは? どんな能力よ?」
さっきと裏腹に明るく楽しげな声で、彼女へゆっくり近づいていく。
コイツ、俺の時とえらい違いだな。
「ひぃ……っ! し、師範っ!」
距離を詰められる前にと、コトユミは勢いよく机にガタンッと足をぶつけながらもなんとか立ち上がり、俺の背後へ身を隠した。
「おいおい〜異能者が人間に助けを乞うなんて恥だぜ? すぐさま離れた方がいいぞ」
博士ははぁ、と嘆息を吐きながら両手を上にあげ、肩をすくめている。
「博士くん、新しい仲間になるかもしれないんだ。怖がらせてどうするんだい?」
先生はいつも通り温厚な声掛けをしているが、なんとなく雰囲気から目が笑ってないように見える。
学校でも普段怒らない先生が淡々と怒る姿は妙に怖く感じる、今の状況は全くそんな感じだ。
「げっ! この害虫もか?」
博士は汚い物を摘むような素振りをしつつ、目を細めて俺を見てくる。
コイツ、完全にバカにしてるな。
まぁ心配すんな、お前らの仲間になんてなる気ねーから。
「ユミちゃん、この人が異能に詳しい人だよ! 博士、異能のコントロールについて教えられるよね?」
暁斗は机に両手で頬杖つきながらご機嫌そうに話す。
「ほぉ〜。それなら俺の分野だ。なぁ、どんな異能なんだぁ?」
「い、嫌……っ!」
コトユミが拒否反応を示している中、さらに距離を詰めてこようとするので、俺は颯爽と竹刀を抜き、博士に突き付けた。
「コトユミが嫌がってる以上は近づいてもらっちゃ困るぞ。一応俺はコイツの師範なんでな」
「へぇ〜。ここで1発殺り合おうってか? ちょうど俺もお前を駆除したいと思ってたところだっ!」
俺が近距離タイプの戦闘スタイルと判断してか、博士は後方へ大きく退いた。
そして胸の前で手をクロスするが、その各指間に1本ずつナイフを挟み込んでいる。
やはり不意に現れたことを考えると、あのナイフは異能によって召喚したものってことか。
果たしてナイフのみを出せるのか、他の武器類や道具なんかも出せるのかによってヤツの強さは変わるはず。
もし戦うとなれば、能力の特徴を探りつつって感じになりそうだな。
「まぁまぁ博士くん、落ち着いて。ナイフ、仕舞ってくれるかい? 耀くんも祐未さんも気を悪くしないでくれると嬉しい」
先生は今の状況を落ち着かせるような優しい声色で俺達と博士の間を取り持とうとしてくれた。
大丈夫、この人は信頼できる――
不意に俺の本能がそう訴えかけてきた。
何故だろう、その雰囲気が敵ながらについ安心してしまうというなんとも不思議な感覚に陥った。
なんていうか父や母に近い安堵感、全てを包み込んでくれそうな包容力すら感じてしまう。
「え……っ!?」
コトユミが発した小さく短い叫び声。
振り返ると、そこには笑顔で彼女の頭を撫でている先生の姿があった。
「な……何してんだ?」
俺は思わず、そう問いを投げた。
敵であればここは急いで竹刀を振るってでもコトユミから引き離さなければという感情が出てくるが、なぜか不思議とそんな気が起こらない。
コトユミも似たような感情なのか、特に逃げる素振りもなく、ポカンと先生の顔を眺めている。
「いいかい? 君は博士くんについていき、異能の力を学んでおいで。祐未さんはまだまだ異能の力を引き出せる。溢れるほどの力をコントロールして、我々の力になるんだ」
先生はコトユミの頭の上に手を当てたまま、まるで言い聞かすかのように言葉を淡々と並べていく。
「……はい」
「おい……コトユミ、どうした?」
彼女はなぜか先生に対して従順たる姿勢をみせ、俺の呼びかけに全く応じない。
「さぁ、行っておいで」
「分かりました」
その時に見せたコトユミの顔からは、いつもの表情豊かな姿が消えており、何かが抜け落ちた、そんな様子が伺えた。
そして彼女は先生の言葉に2つ返事で承諾して、おもむろに足を進めていくだった。