「うぇぇぇーん……」
これは夢だろうか。
俺の目の前にはビチョビチョに濡れ……いや溶けて、なんというかスライムみたいな女性が座り込んで泣いている。
一応女性として、人間としての形状は保っているが、今にもふやっと蕩けてしまいそうなほどプルプルだ。
青く綺麗な髪に、透き通るほど白い肌、真っ白なノースリーブワンピースを着た女の子。
20代前半くらいだろうか。
夏で薄着のせいか、張りの良い胸が嫌に目立つ。
液状化のせいで余計にプルプr……。
「え……っ!? 何その女!?」
俺に遅れて部屋までやってきた心菜。
まるで見てはいけないものを目の当たりにしたかのような表情。
開いた口が塞がらないを自身の体で体現しているほど驚愕しているようだ。
「ど、どうなってるのですか!?」
それに遅れてやってきた大堤のおじさん。
驚きのあまりか静止画のように固まっている。
「え……ご、ごべんなざいぃぃ!!! わぁぁぁん……っ!!!!」
心菜、大堤と目があった途端、今まで以上に大きく泣き叫んだ。
そして同時に手を前に差し出したと思えば、なんと掌から水を大量に噴射させたのだ。
「な……っ!?」
あまりに突然のことで、俺は声を出すことしかできず、その激しい勢いの水は無惨にもおじさんへクリーンヒットした。
噴射した水により彼は家の壁へ激突し、気を失う。
「大堤さんっ!!」
心菜が駆け寄るも、やはりピクリともしない。
大堤、どんまいだ。
「心菜! お前ちょいと離れとけ!」
さすがに水を生み出すようなトンデモ能力を相手に心菜の安否を心配してちゃ、戦いにくい。
守れるかどうかも怪しいので俺は避難を促す。
「えっ!? 燿ちゃんは!?」
「そりゃあ、なんとかするしかねーでしょうよ!」
もうこーなったらヤケクソだ。
ここであのビチョビチョ女を止めて、大堤に箕原道場の評判を広めてもらう、よしそうしよう。
「やぁぁぁぁんっ!!!!!」
未だに泣き止まず、水をあちこちに噴射させまくっている。
しかも遂には掌だけでなく、腹部から、腰から、肩からと全身から水が噴き出し始めた。
その威力、窓を破り、壁を凹ましとかなり水圧が強い。
「ほら、やべーからあっち行ってろ!」
「ご、ごめんっ! じゃあ戦いは任せたっ!」
そう言って心菜はこの部屋から出ていった。
「くっそ、はなっからそのつもりだってんだよ!」
ったく子供の癇癪かよ。
ビービー泣きやがって。
しかもあちこち無差別に水を放っており、いつ俺に当たってもおかしくない。
とりあえずあの勢いに飛ばされぬよう、重心は低く、自慢の足に気合を入れた。
まるで相撲の体当たり、ラグビーやレスリングのタックルのようにできる限り低い姿勢をとる。
「えぇぇぇぇん……っ!!! 近づかないでぇぇ!!」
さらに泣き叫ぶことで水はさらに威力を増す。
まずはどうにか泣き止まさねーと。
「よし、とりあえずゆっくり近づい……あばばばばばば!」
水が……すごい、腰から上に見事直撃し続けている。
顔にも届く勢いで上手く呼吸ができない。
だがちょうど夏だし冷たくて気持ちいい、かも?
と、意外と悠長に頭を働かせられている。
これは彼女が放つ水の威力を、自身の足の力と効率の良い姿勢で対応できているからだと思う。
「これば、足腰のちょぼぼぼぼ……うど良いれん、しゅうになぶぶぶぶ」
俺は不規則に訪れる水の応酬にこれでもか、と堪えつつ彼女へ一歩ずつ近づいていく。
これは筋トレ、そう思おう。
俺と彼女の距離、おそらく2メートルもない。
水の噴射口がこちらへ向いていない間に俺は声をかける。
「ちょっと!! 俺はアンタの敵じゃない! だから水を止べべべべべ……ぶはぁっ! ってやめろっつってんだろ!!!」
しまった、イラついて怒っちまった。
これでまた大泣きされたらいつまで経っても水が止まらん。
「ふぇぇぇ……こんな近くにっ!? この水の威力に負けないって……ば、化け物っ!?」
「うおぉぉいっ!! 水噴き出してるやつに言われたかねーわ!! ってかマジでその水止めてくれよ!」
とは言ったものの、涙がふと収まった彼女から放出される水の量はかなり少なくなった。
今の水量なら心菜や大堤のおっさんでもきっと飛ばされないくらいだ。
しかしこのまま放っておくわけにもいかない。
「その止め方が分かんないんですぅ……!!!」
どうやらそれは本当のことっぽい。
初めに挙げてた手を下ろしているところ、大堤に向けた時のような攻撃性は感じない。
おそらくあの全身から強く噴き出している水、彼女の意思に関係なく巻き起こっていることなのだろう。
しかし今泣き止んだことで水の威力はかなり弱まった。
「えーっとなんだ、深呼吸とかしてみたら?」
「え、あ、はい。スー、ハーッ! スー、ハー。ダメですぅ……やっぱりあたし人間じゃないんだぁ!!」
再び彼女は目を潤ませている。
「いや、どう見ても人間だろ」
「え……?」
俺は間近で頭を撫でると、彼女は座ったままふいっと視線を上に向けてきた。
こうやってすれば子供も泣き止むと聞いたことがあるからな。
「ほら、こーやって触れられるんだ。これのどこが人間じゃねーって言うんだ?」
俺はさらに頭をワシャワシャ撫で回した。
「だ、だってこんなに水だって噴き出すし、なんか体も気を抜けばフヤフヤになるし……」
それは彼女のこのスライムみたいな体質のことだ。
といっても人としての形状はなんとか保ててはいるのだが。
俺はしゃがみ込むことで目線の高さを合わせ、彼女の顔を覗き込んだ。
「あ? そんなん気にすんなよ。ほれ、こんなに美人な顔してんだ。そんなの人間以外にない魅力だろ?」
「び、美人っ!? そ、そんなこと初めて言われた。でもあたし、ただえさえ役立たずで生きてる価値なんて無いのに、こんな体になってしまって……」
「いいじゃん! その水使えば、水に困ってる人とか助けられるかもよ。世界じゃ水不足だなんだ言うだろ? 生きてる価値がないとかそんなことねーと思うけど、自分でそう思うなら水の異能使いこなしてさ、その『価値』ってやつを見つけりゃいいんじゃねーの?」
すると彼女は目を大きく見開き、パチパチと何度も瞬かせた。
まるで予想外のことが起きたかのように。
「そ、そっか。そうだよね。この力を頑張ってコントロールすればいいのか。もしかするとアタシ、人の役に立てるかも……」
彼女から放たれる水の勢いも概ね落ち着いてきた。
よし、これはもう一息かもしれない。
「そうだ、例えばこーやってさ、お前から噴いてる水を手で掬うだろ? ほら夏の暑い時期にもこうやって飲めば喉越しバツグンっ! 飲料水にして売りゃあ一攫千……アバァッ!!!」
「やぁぁぁ……っ!!! 飲まないでぇぇぇ!!!」
彼女から再び噴き出した高威力の水に為す術なく、部屋の壁までぶっ飛ばされた。
俺はただ異能の新たな使い方を提案しただけなのに、何顔を真っ赤にしてんだか。
またも水の暴走が始まったかと思えば今度は次第に落ち着いていき、さっきまで液状化していた体も徐々に人間らしさを取り戻していく。
そして完全に元の姿になった彼女は上向きに倒れている俺へゆっくりと近づいてきて、声をかけてきた。
「い、言い出しっぺはアナタですよ」
「え、なにが?」
俺は仰向けのまま会話を続ける。
別にワンピースの下を覗こうってわけじゃないぞ、ほんとに。
「責任もって異能の使い方、教えてください」
「何言ってんの、無理だけど?」
なぜかコイツ、俺を異能者だと思ってるみたいなんだが。