「永遠」
とにかく何か言わないと、とそれだけに心を支配されて、ようやく口だけが動いてくれた。
それまで私の存在に気づいていなかった神林が、びくりと肩を揺らして振り返る。
「……きみに見つかるなんて思ってもみなかった」
彼は寂しそうに眉根を寄せていた。爽やかで凛とした表情の彼しか知らない私は、一瞬誰だろうと自分の目を疑ったくらいだ。初めて見せる憂いのある表情は夕日に染まり陰を作っていた。
「どうしてそんなところにいるの?」
少しずつ金縛りが解けてきた私は一歩ずつ前へと踏み出す。彼を刺激しないように、とてもゆっくりとした歩みで。
「……」
神林は答えない。何かを訴えるような表情で私を見つめるだけだ。
「もしかして私のせい……?」
ずっと考えていた。彼が突然責任を放棄して教室から姿を消したいと思うほどの出来事が最近起こったのだとすれば、思い当たるのは一昨日私が彼の想いを受け取れなかったこと。
「日和のせいじゃない、俺のせいなんだ。でもきっかけはそうかもしれない」
分かるようで分からない言い方だった。頭の中が混乱して、いつもの頼れる彼のことを探してしまう。けれど、柵の外側にいる彼はどこにでもいる男の子だ。四六時中強いわけじゃなない、脆い部分も壊れそうな部分もある普通の男の子。
「ごめん、理解力がなくて分からないや……。私が曖昧な返事をしたからいけなかったんだよね。でも私、決めたから。失った自分の気持ちを元に戻そうと思う」
そうすればあなたにきちんと返事ができるの。
その代わりにあなたの恋が失われるのだとしても、自分の気持ちから逃げた私は私を許せない。
神林は無言で私を見つめている。彼からすれば私が何を言っているのかなんて分からないだろう。でも、私の言葉を聞いた彼は「それだ」と何かに納得した様子で頷いた。
「アプリを使ったんだろう?」
「え?」
「『SHOSHITSU』アプリを使ったんだってこの間言ってたじゃん」
「それは言ったけど……でも、意味が分からなかったでしょう」
「いや、知ってた」
「何のこと?」
「だから、『SHOSHITSU』アプリのこと。そんなアプリがあるっていうことを知ってた」
彼は何を言っているんだ——確かにアプリの話は何度か彼にした。穂花にも相談した。でも、消失と代償を繰り返す度に彼らの記憶からは私が話したことが薄れていったのではないか。もう何も覚えてくれていないと思っていた。だから彼が覚えているというのは意外だった。
「私が話したことを覚えてたんだ」
「そうじゃないんだ。日和が俺に相談してきたことは実はぼんやりとしか覚えてない。でも俺はそのアプリのことを知ってる。だって俺も」
彼はポケットからスマホを出してホーム画面を私の方へ向けた。
「実は同じアプリを使ってる」
「なんで——」
信じられなかった。このアプリは私のスマホにだけ現れた不可思議な現象とばかり思っていた。誰かに話せば頭のおかしいやつだと思われかねないからと、信用できる人にしか話せなかった。
私だけじゃない。アプリを持っていたのは。目の前の神林がそれを証明した。
頭がぐらぐらして思考が追いつかなかった。彼は依然として切なげな表情で私をまっすぐに見ている。彼は一体何を消したの。これまで少しでも神林のことを知れたつもりでいたけれど、私の知らない本当の彼がアプリの中に閉じ込められている気がした。
「俺は、自分の嫌な性格を消した」
「それってどういうこと?」
「初めて日和のことを知ったのは、高校一年生の夏だ。穂花が日和と仲良くなったんだって嬉しそうに話してるのを見て興味が湧いたんだ。二人が学校で一緒にいるところを見てから、日和のことが気になり始めた。ふふ、馬鹿だろう? 男ってさ、すぐに人を好きになるんだ」
「好きに……」
「そう。でも日和とはクラスも違ったし、接点は何もない。あるとすれば穂花ぐらいだがあいつに日和のことを紹介してくれだなんて恥ずかしくて言えやしなかったよ。俺は遠くで見てるだけ。そして二年生になった」
知らなかった。彼が私と出会う前から私のことを知ってくれていたこと。
何気なく過ごしていた日々の中に、恋のきっかけが落ちていたこと。
「日和と同じクラスになったときには心臓が飛び出そうになったさ。何とかして仲良くなりたかった。でも俺にはきみに話しかける勇気がなかったんだ。だって本当の俺は根暗で女の子とまともに目を合わせられない、どうしようもなくビビリな男なんだ」
「そんなこと」
「信じられないだろう? でもこれが真実。俺は、本当は君が思っているような格好いい人間じゃない。君に好かれたい一心で、いやな性格をなくしたから。ある日スマホに現れた『SHOSHITSU』を使って、日和に話しかけられる自分に生まれ変わった。あれは確か、日和の机がなくなった事件が起こったあとだ。誰だったか忘れたけど、日和に嫌がらせをした奴がいて、そいつにいじめの犯人にされたことがきっかけだった。その日の昼休みにアプリが現れて、軽い気持ちで実行してみた。そしたら俺の根暗な性格が消えたんだ。俺の望み通り、日和と仲良くなれて最初は舞い上がってた。このままアプリの効果が続けば俺は日和と付き合うことだってできるかもしれない。でも、日和もアプリを使っていることを知って、そのせいで俺の気持ちに応えてくれないんだって知って、苦しくなった。君に嘘をつき続けるのは苦しいから、取り戻そうと思う。だから本当は根暗で、どうしようもないんだ。そんな俺の性格を知っても、好きでいてくれるのか?」