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13.本当の彼女

「遠藤さんって、家ではどんな感じなの」


 柚乃と話すうちに、私は彼女のバックグラウンドを知りたいという衝動に駆られた。これまでの私だったら絶対に知ろうともしなかった。自分を罠に陥れる人間のことなんて、知ったところでどうにもならないと思っていたから。

 でも今は違う。私は彼女と、同じ立場にいるのかもしれない。成り行きこそねじれてはいるが、こうしてお近づきになれているのは、弱さにつけ込まれたことのある人間同士だからだろう。


「うちで? 息が詰まってるって感じかな」


「え?」


 予想していたものとは全然違う答えが返ってきて、私はとっさになんと答えたらいいか分からなかった。もっと別の、例えば家ではだらだらとゲームをして過ごしているとか、両親とめちゃくちゃ仲が良いとか、そういう当たり障りのない答えを期待している自分がいた。あんなに可愛い猫を飼い、私をいじめていた彼女はきっと、何不自由なく幸せな生活をしているのだろうと思いたかった。

 だけど彼女が口にした「息が詰まる」という感覚は、私にも身に覚えがあるものだ。


「知ってるか分かんないけど、うちって結構金持ちなんだよね。自分で言うのもアレだけど」


「知ってるよ」


 柚乃の家柄の噂なら時々耳にする。確か、お父さんが大手証券会社の社長なのだと聞いた。私は、彼女の家から猫を盗み出した日のことを思い出す。あまり記憶に留めておきたくはないのに、脳裏にこびりついて離れない光景。そりゃ、あれだけ立派な家に住めるはずだ。


「そか。でさ、お母さんはすっごいプライドが高くて、小さい頃からいろんな習い事させられてたんだー。ピアノでしょ、ヴァイオリンでしょ、体操でしょ、水泳、お花、お琴。こんなのいつ役に立つんだろうってことまで全部。こんなこと言っちゃ悪いけど、自分は専業主婦でお金を稼いでるのはお父さんなのに、見栄を張りたかったんだろうね。私に何でもできるようになってほしい、っていう気持ちより、他所様に自慢したいって気持ちが透けて見えたから、私は全然乗り気になれなかったよ」


 一度話し出すと、柚乃は止まらなかった。たぶんずっと、誰かに愚痴を聞いて欲しかったんだろう。その相手が私でいいのかは分からないけれど。

 それにしても、聞いているだけで気が滅入りそうな多忙さだ。幼い頃からそれほど多くの習い事をさせられていたら、私だって反発したくもなるだろう。


「でもさ、たちの悪いことに、一度やり出したことを中途半端にやめられない性格でさー。あ、私のことね。それが逆にしんどくて。『もうやりたくない!』って投げ出して家出でもなんでもすれば良いのに、結局お母さんの期待に応えようとしちゃうわけ。ふっ、これだから私は馬鹿なんだわ」


けたけたと、自分を嘲笑う柚乃を見ていると、いたたまれない気持ちになった。

柚乃の家と春山家は全然違う。うちはそんなにお金持ちじゃないし、習い事だってやってたのはせいぜいピアノくらい。でも、

「勉強は絶対に裏切らないから頑張りなさい」と言われ続けてきたことを思えば、柚乃と自分の境遇に似ているところがある。親から期待を押し付けられる時の不快感。親が見栄を張るためだけに頑張らされているという虚無感。すべて抱えて投げ捨ててしまいたかった。きっと柚乃も同じなのだ。だから、彼女の気持ちは痛いほどよく分かった。


「けど私も本当は、そういうお母さんの期待に応えることで、自分のスキルが上がっていくことが嬉しかったのかもしれない。なんでもできないよりはできる方がいいじゃない? 学校で自慢はできるし、一目置かれる。そうやって気を張ってるうちに、大切なものはどんどん離れていってしまうのかもしれないけどね。大事な友達とか、先輩後輩とか」


 うーん、と伸びをして彼女は力なく笑った。

 自分のこだわりを貫くがあまり、大切なものが遠ざかっていく。

 柚乃が言った言葉に私ははっとさせられた。

 人の言葉を受け入れられずに自分の殻に閉じこもることで、私も大切な人たちを失ってはいないだろうか? ふと、母の顔が頭に浮かぶ。いつも疲れた顔で「勉強しなさい」という母のことを、私は心の中で疎ましいと思っている……。

 思春期の子供なら、誰でも親に反抗したくなる。意見の合わない友達や、心が通じない片想いの相手に「どうして」って問いたくなることがある。でもきっとそれは、相手も同じなんだろう。通じ合えないイライラが、お互いの間に積もっていく。

 私はこれまで、柚乃のことを知ろうとしなかった。だって自分を苦しめる相手のことをどれだけ知ったところで、理解できないのだと思っていたから。

 けれど、『SHOSHITSU』のアプリを使ったことで、柚乃と私の間に強者-弱者の関係がなくなり、対等な立場になった。私はようやく、彼女の心に一歩踏み込むことができたのだ。

そう考えれば、『SHOSHITSU』アプリって、決して悪いものではないのかもしれない。

 最初は使ったことを後悔したのだが、もしこんなふうに荒れていた人間関係を修復できるようなことができるのなら、今後も使う価値はあるのかも……。


「春山さん、どうかした?」


 腕を組んで考え事をしていたからか、いつのまにか柚乃が私の顔を覗きこんでいた。


「う、ううん。なんでもない。それより、遠藤さんってすごい頑張り屋さんなんだね。今まで知らなかった。なんか私、勘違いしてたみたい」


「頑張り屋ってことないよ。生真面目なだけ」


「それでもすごいよ。私だったら絶対投げ出してるから」


「そう? ありがとう」


 クラスの中ではカースト上位にいるお嬢様の柚乃。華やかな見た目に彼女を好いている男子たちがかなりいて。

 みんなからはきっと、憧れの存在として見られている。でも話を聞けば見えないところで他人の期待に応えようと努力してるんだな……。

 私はそういう彼女の裏の姿を、何も見ようとしていなかった。


「私、尊敬する」


 足をぶらぶらさせて両手を後ろについている彼女に向かって、自然と言葉が漏れていた。柚乃に対してこんな感情になるなんて思ってもみなかった。

 柚乃は顔をこちらに向け、「え?」と目を丸くしていた。まだ完全に乾き切っていない彼女の艶やかな髪の毛が頬に張り付いている。


「……ありがとう」


 照れ隠しなのか伏し目がちになる彼女は、強さと弱さを併せ持つ普通の女の子だった。


「それにしてもバレー部の先輩ひどいね。なんとかならないかな」


 一瞬、『SYOSHITSU』アプリのことが頭をよぎる。もし私がバレー部の三年生たちの名前を入力すれば、彼女たちはいなくなる。そうすれば柚乃は嫌がらせをされずに済むだろう。

今度は見知らぬ上級生のことだから、罪悪感もそれほど大きくないかもしれない。心を開いてくれた柚乃に、ちょっとぐらいお返しするつもりでやってみるか。

 そこまで考えて、私は思考を止めた。

 たぶん、三年生たちを消してしまえば、柚乃の記憶から私とこうして話したことが失われてしまうだろう。神林や穂花のときみたいに。

 それに、もしかしたらまた柚乃は私をいじめるあの意地悪な彼女に戻るかもしれない。世界を変えるということは、どんな可能性だって起こりうるということだ。私はそれを、重々承知しているはずだ。安易に人間一人を消し去ろうなんて考えるべきじゃない……。

 私が深く考えこんでいたからか、柚乃は反対にふっと息を吐いて「大丈夫でしょっ」と軽く笑ってみせた。


「たぶんあの人たち、ちょっと暇つぶししたいだけだから。それにさっきは金くれーって言われただけだし。もちろん渡してもいない。放っておこう」


 柚乃はけたけたとまた笑い出す。でも、その笑いの裏に強い覚悟が垣間見えて私は自分の情けなさを思い知る。



 その後結局、バレー部の先輩たちによる柚乃への嫌がらせは止まなかった。

それどころかどんどんエスカレートしていって。

 1学期が終わり、夏休みが終わる頃には、柚乃は学校に来なくなった。


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