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8.変わった

 小一時間ほど無言で勉強をしていた。一人が集中していると自然と残りの二人も勉強に集中できる。友達と勉強するのもなかなかはかどるものだ。店内を流れる穏やかなクラシックギターの音楽が耳に心地よい。ほどよくお腹が空いてきたところで、穂花がちょうど「お腹すいたー!」とペンを置いた。


「そろそろお昼休憩にする?」


「賛成。俺はカレーにする」


「はや! じゃああたしはミートドリア」


「え、ちょっと待って。えっと、ペペロンチーノかな」


 三者三様で食事を注文した私たちは水を一口飲んだ。一時間集中して勉強しただけで、肩が凝っていたことに気がつき軽く腕を回した。


「それにしても、知らない間に永遠と日和が仲良くなっててびっくりしたよ。きっかけは何?」


 穂花は私たちを交互に見てニヤニヤと笑っている。


「きっかけって、特になにも」


「そうだよな。気づいたら自然と話すようになっただけ」


「ほーう。なんかそういう感じ、逆に怪しいな〜」


「怪しいって、何がよ」


「だって、二人はそういう関係なのかなって。男と女の」


「ちょ、何言ってんだ」


 神林が穂花を慌てて止めるが、私はすでに恥ずかしさに顔が赤くなっていないか気になって俯いていた。隣に神林がいなければどうってことないのに、この状況ではとてもじゃないが顔を上げられない。


「ごめん、言い過ぎたわ。日和、気にしないで」


 さすがの穂花もこれ以上問い詰めるつもりはないらしく、ふふっと笑って正面から私の頭をポンと軽く叩いた。


「そういうこと言うのやめろよな。春山さんが困ってるだろ」


 いや、困ってるのではなく恥ずかしいだけなんだけれど。

 穂花はまたもニヤッと口角を上げて神林を見返していた。彼はいまどんな顔をしているんだろう。隣だからよく見えない。


「私的には、穂花と神林の方が付き合ってるように見えるよ。そういうの、ないの」


 反撃だというつもりで、私は穂花を見た。


「へ? ないない」


 と、先に穂花が返事をすると思っていたのに、実際に否定したのは神林の方だった。


「それはないって。なあ?」


 今度は穂花が気まずそうに目を伏せた。

 あれ、なんだろうこの感じ。

 天真爛漫な穂花がこの手の話にノリで返さないなんてことあるんだろうか。

「どうしたの」という言葉をかけることさえ憚られて、私はペペロンチーノをフォークで巻いた。ニンニクの香りが鼻から抜ける。家で食べるときよりも匂いが強く感じた。

 神林も、思い描いた返事が穂花から帰ってこないことに戸惑いを覚えたのか、無言で水をごくんと飲んだ。店内のBGMが夏を感じさせるポップな音楽に変わる。しかし反対に、私たちの間に流れる空気はちょっぴり重たかった。

 なんとか話を続けようと、私は気になっていたことを聞いた。


「二人は幼稚園から知り合いなんだよね。子供の頃お互いどんな感じだったの?」


 私には幼稚園いまも同じ学校に通っている友達がいないので、幼い頃からの付き合いというのに憧れがあった。


「穂花は変わってないな。ずっと何も考えてなさそうな感じが」


 神林がおかしそうにニッと笑って告げた。


「えー、何それ! あたしだって成長してますよ」


「そうか? 幼稚園で友達におやつ盗られたとき、『野良猫が持っていったのかな』ってへらへら笑ってまったく気にしてなかったの覚えてるぞ」


「だってその時はまさか誰かがあたしのおやつ盗っただなんて思わなかったんだもん」


 ムキになって反抗する穂花。ようやくいつもの彼女が戻ってきた。元気じゃない穂花なんて穂花じゃない。こっちの調子まで狂ってしまうから元に戻って良かった。


「いーや、いま同じことされても他人を疑わねーだろ。ま、そういうところがいいところでもあるけど」


「そうでしょう、そうでしょう」


 えへん、という声が聞こえるくらいドヤ顔で胸をそらす穂花がいつになく可愛らしい。神林と会話してる時の彼女は本当に楽しそうだ。私も同じ。彼と会話してると、いつの間にか余計なことまで口走ってしまう。それくらい調子に乗せられるのだ。


「逆に永遠は変わったよね。あたしと話してる時以外は根暗だったのに」


 穂花がそう言ったとき、私は隣で神林の肩がぴくりと動くのを横目で見た。気のせいかもしれないと一瞬思ったが、すぐさま反論しないのを見るとどうやら見間違いではなさそうだ。


「……まあ、そうだな。そう言われても仕方ないか」


「反論しないんだ」


「まあね。思い当たる節はあるし」


 先ほどまでテンポ良くやりとりしていた二人なのに、急に会話が滞る。なんだか今日はみんなおかしい。自分から二人の過去を質問しといて、やきもきした気持ちにさせられている私も、いい加減おかしいのかもしれない。


「そんなに言うほど根暗だったの? 私にはあんまり分かんないな」


 確かに神林と話したことがなかった頃は、口数が少ない人だとは思っていた。だからと言って、たとえば常に下を向いているとか、学校で誰とも口を利かないということはなかった。体育の時間に「二人組をつくれ」と言わればさっと誰かとペアになるタイプだったし、授業前にはクラスメイトから宿題を見せてと声をかけられている様子も見てきた。だから単に人間関係がクリアな人なのだとばかり思っていた。


「日和は知らないだけだよ〜。永遠、小学校の時はほんっとうに誰とも遊ばなかったもんね。同級生からは根暗ってからかわれるし、放課後だっておじさんに連れられて一緒に船に乗ってばかりだったし。たまにあたしとも遊んでくれたけど、中学に上がってからはそれもめっきりなくなっちゃったよね」


「余計なこと言うなよ。穂花は昔から『永遠、永遠』ってうるさいんだよ。そのせいでうちの親にいろいろと誤解されてんだぞ」


「へえ、誤解ってどんな?」


「それは教えない」


 ケチ、と穂花が頬を膨らませる。神林が昔は根暗だったなんて。穂花の話を聞くと、今の彼からは想像もつかない。口数は少なくても、クラスのみんな神林のことを一目置いているような気がする。からかわれるなんてことは今後もないだろう。


「でも、神林の中では穂花だけが心を許せる相手だったんだね。そういうの、いいなって思う」


「たまたまだよ。家が近所だっただけ」


「もーひどいなあ。そういうときは、嘘でも頷いておくもんだよ」


 むくれる穂花を尻目に、私は「もし穂花じゃなくて私だったら仲良くしてくれた?」と聞きたい気持ちをぐっと飲み込んだ。腹の底に落ちていく言葉たち。穂花が「どうかした?」と私の方に顔を向けたが、とっさに首を振った。

 私たちはしばらく無言で食事を続けた。話しながら食べていたので、パスタはとっくに冷めてしまっていた。熱が覚めた分だけ、香ばしいパスタの味が際立って感じられる。

 私たち3人はいま、微妙な距離感で互いの均衡を保っている。会話をしているときはみんなヒートアップしてそれぞれの真意を深くは考えないが、こうやって沈黙が訪れたとき、みんなの腹の底を探ってしまう。少なくとも私はそうだった。

ほとんど同時に3人がご飯を食べ終わった。お腹が膨れて一息つきたいところだったが、結構話してしまったのであと少し頑張らなくちゃいけない。


「もうちょっとだけやりますか」


「そうだね」


「おう」


 英語の参考書を開き、耳にイヤホンを装着。英単語の音声が流れ始め、店内のBGMが遠のいていく。同時に、穂花や神林のことも頭からシャットダウンしようと努めた。

 そうでもしなければ、目の前の問題に集中することができなかったから。


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