穂花とお茶を飲みながら、私が遠藤柚乃の名前を入力した経緯と、これからどうしたらいいかを話し合った。
「今ではすごく後悔してる。確かにいなくなって欲しい人ではあったけれど、まさかほんとに消えちゃうなんて思ってもみなかったから」
「そりゃそうだよね。名前を入れて少しでも心が軽くなるなら、って気持ちあたしにも分かるし」
「ありがとう。でもここからどうしたらいいか分かんないんだ。元に戻す方法でもあるのかなって……」
「難しいね……。アプリは今どうなってるの?」
穂花に言われるがまま、私は『SHOSHITSU』を起動した。そういえば昨日からこのアプリを開いてさえいなかった。
真っ黒な背景の画面が映し出され、画面の中央に浮かび上がる白文字。この間までは『あなたが消したいものを、入力してください』という一文が表示されていたのに、今回は違った。
『消したもの:星川学園2年2組遠藤柚乃』
『代償:彼女が飼っていた猫を奪うこと』
「代償……? 奪う?」
物騒なワードが目に飛び込んできて私は思わず「ひっ」と喉から声が漏れた。穂花も眉を寄せて不快な表情を浮かべている。
「これって、どういう意味?」
頭の中が疑問符だらけだということは私も穂花も同じだった。それなのに、聞かずにはいられない。アプリが示している言葉の意味を、私は知らなければならないと強く思った。
「代償って言うからには、消したものを取り戻すための方法ってことじゃないの」
「なるほど。“遠藤柚乃を取り戻したければ、彼女が飼っている猫を奪え”ってこと?」
「たぶんそうだとう思う」
導き出された結論はかなりシンプルなものだった。この世に存在する人間を消去するという大罪を犯したのだから、それを解消するにはそれなりの労力がいるということ。
言葉にするとすぐに理解はできるのだけれど……本当にそれで、遠藤柚乃は戻ってくるんだろうか?
いや、でもこのアプリの効果は本物だ。実際柚乃はこの世界から消えている。だから、代償だって本当に効果があるものだろう……と思う。
「それで、どうするの? 日和は遠藤柚乃の家が飼ってる猫を奪って、彼女を元に戻すつもり?」
問題はそこだった。
突然、「代償」などと言われても、すぐに実行できそうな内容ではない。遠藤家のペットを奪ってしまえば、少なくとも彼女の家族は悲しむだろう。そんなことをしてもいいのだろうか? 今この世界には柚乃はいないことになっている。家族からしても、そもそも存在しない人間に対して、返して欲しいなんて思っていないかもしれない。
「元に戻すべきだとは思う」
頭では理解していることを、ただ口にする。穂花は「はあ」とため息をつき、私の顔をじっと見た。真剣モードの彼女に見つめられると、私は蛇に睨まれた蛙の気持ちになる。その場から動けなくて、息をすることすら憚られる。心臓の音がやけに大きく響いて聞こえた。
「あたしはさ、べつに元に戻らなくてもいいんじゃないかって思うよ」
「そうかな」
「そうだよ。だって、遠藤柚乃は日和のことをいじめてた人でしょ? その人のせいで、高校生活が台無しになって、日和が傷つ
くのを見るぐらいなら、あたしは全力で反対する。今の方が絶対平和じゃん。わざわざ自分から平穏を壊しにいくことないよ」
平穏。
それは、私が最も望んでいたことだ。
青春を謳歌したり、心が揺さぶられるほど傷ついたりする高校時代よりも、仲の良い友達となんでもない日々を送っていきたい。それに、穂花が言うことは最もだ。むしろ私が一番痛感していたこと。だからこそ、『SHOSHITSU』に遠藤柚乃の名前を入力した。そうでもしなければ、心が壊れてしまうと思ったから。
「ちょっと、考えてみる」
今すぐに答えを出すことのできない私は、いったん考えるのをやめた。いろんなことが一度に起こりすぎて、頭の中で収拾がつかなくなっている。
「おっけー。最終的には日和が決めることだから、好きにしたらいいよ。あたしは日和の選んだ答えなら全力で応援する」
ガッツポーズを見せて大袈裟に笑う穂花。彼女の優しさが、胸にジンと染みた。
「そろそろ帰るね。日和、疲れてるだろうし。明日は学校来られそう?」
「うん。この調子ならたぶん大丈夫だと思う。今日は本当に来てくれてありがとう」
「いえいえ! 日和が困ってたらいつでも助けに来るよ」
穂花を下まで送り、私は玄関を開けた。笑顔で手を振る穂花は、晴れの空の下に去って行った。