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3.不可解

「てかさ、聞いてよ。今度の期末テストの英語の範囲。50ページとかありえなくない?」


 昼休み、今日は一日中雨が降っているから、穂花のクラス4組でお弁当を食べることになった。他のクラスの人は2組のいじめのことを知らないから、ここでは幾分か心が落ち着けた。


「テスト? もうそんなこと考えてるんだ」


「だって〜前回のテスト赤点だったんだもん……」


 泣き言を言う彼女が可愛らしい。彼女はあまり勉強が得意じゃないから、テスト前は私が勉強を教えることも多い。


「また今度一緒に勉強しよう」


「やった! ありがとう! 日和に教えてもらえるなら希望が湧いて来たよ」


 落ち込んでたはずの彼女は、コロッと明るくなるのが面白い。私もこんなふうに前向きに生きられたらいいのにな、と度々思う。


「それよりさ、穂花に見てほしいものがあるんだけど……」


 私は朝からずっと頭の中を支配していた例のアプリのことを、彼女に話すことにした。周りを見回して、近くに人がいないことを確認してからスマホを開く。


「『SHOSHITSU』って、何のアプリ? 初めて見た」


 仲良しの穂花とは同じカメラアプリや加工アプリを使っていることが多いので、見慣れないそのアイコンに、彼女も首を傾げている。


「それが、私も分からないの」


「ん? どゆこと?」


 うん、それは私も聞きたい。

 私は、今朝スマホを開くと『SHOSHITSU』がダウンロードされていることに気づいたということを穂花に説明した。


「えーなにそれ! 超やばいじゃん。日和、最近大丈夫? とうとう頭がおかしく……」


「むしろそうだったら良いんだけど、残念ながら本当に心あたりがないんだよ」


 あまりにも深刻そうに私が言うので、穂花も普段の明るいテンションがすっと冷めたようで、「まじ」と視線を再び私のスマホに落とした。


「てかこれ、なんのアプリなんだろうね。開いてみた?」


「いや、まだ。なんだか怖くて」


「それじゃ、今から開こう。あたしも一緒だし、大丈夫っしょ」


 アプリを開いたからといって何かが起こるわけではないということは分かっていたが、得体のしれない存在を前にしてなんとなく怖気付いていた。


「じゃあ開くね……」


 割れたハートのアイコンを恐る恐る指でタップする。新しくダウンロードしたアプリを開くとき特有の「通知をONにしますか?」

「位置情報を許可しますか?」などの質問は出てこない。表示された真っ黒の画面を見てスマホを投げ出しそうになりながら、そこに浮き上がる白文字を目で追っていた。


『あなたが消したいものを、入力してください』


「あなたが、消したいもの……?」


 たったの一文だけしか表示されていないのに、むしろその一文のインパクトは強烈でスマホを持つ手が震える。


「なんだこりゃ。こんなの見たことない」


 穂花も首を傾げている。そもそも、なんのアプリか分からない上にチュートリアルすら存在しない。広告もないし、一体誰がなんのためにこんなアプリを開発したんだろうかと疑うレベルだ。


「調べたら出てくるんじゃない?」


 確かに、アプリストアやネットで検索すれば開発者からの説明や利用者たちのレビューが出てくるかもしれない。

 私はまず、アプリストアを起動して検索窓に「SHOSHITSU」と打ち込んだ。

 しかし、検索ヒットは0。まさか、ストアにないなんて。それならネット上には存在するんだろうか……?


「日和、ネットで調べてみたけどこっちにも載ってないわ。何も出てこない」


 さっさとネット検索してくれていた穂花が、怪訝そうな顔でこちらを向いた。

いよいよ、本格的に怪しいんじゃないか。


「削除すればいいんじゃない? そもそも使い道が分かんないわけだし」


「そうだね」


 穂花の提案通り、長押しをして「削除」を押そうとしたところで指が止まった。


「どうしたの?」


「『削除』ボタンがない」


「え?」


 どれどれ、と私のスマホを覗き込む穂花。普通のアプリなら、長押しすれば削除ができるものだが、件のアプリは長押しをしても何も表示されない。


「つまり、なぜダウンロードされているのかも分からない上に、消すこともできないというわけか〜名前は『SHOSHITSU』なの

に変なの」


 この不可解な状況を少しでも明るくしようと笑いながらそう言う穂花の気遣いに敬服したい。


「よく分かんないけど、何かのエラーじゃない? 放って置いたら大丈夫でしょ」


 穂花の言う通り、スマホ側のバグかもしれない。

 放っておくのが得策。でも。

 口には出せないが、私は自分の中に渦巻く一つの感情に気づい ていた。


『あなたが消したいものを、入力してください』


 消したいものが本当に消えるのなら。

 遠藤柚乃たちが私を見て嘲笑する姿が脳裏に浮かぶ。

 痛い、恥ずかしい、苦しい。負の感情を、押しつけられる毎日からおさらばしたい。くだらない攻撃に、自分がこれほど壊れやすいなんて知らなかった。できるなら、もう一度高校二年生をやり直したいと思う。彼女たちのいないクラスで、できれば穂花と同じ教室で何不自由なく青春時代の一ページを埋めていきたい。

 もう二度とクラスで肩身の狭い思いをしなくて済むのなら。

 お弁当箱を片付ける穂花に気づかれないように、ゴクリと生唾を飲み込む。

 私は、突如現れたアプリの効果が気になって仕方がなかった。


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