『あなたが消したいものを、入力してください』
『消したいものは、××』
『了承しました。では、明日から××が消えた世界をお楽しみください——』
◆◇
大人になるということは、大事なものを失ってゆくことだ。
誰だろう。私は誰からこの言葉を聞いたんだろう。昔の偉い人が言ったのか、漫画か何かの台詞で記憶に残っているだけなのか。はたまた、誰かから聞いたというのは勘違いで、思春期真っ只中にいる私が、自分に酔って生み出した言葉だっただろうか。
捨てたいものなら、たくさんある。
重たい教科書。汚れた上履き。ブサイクに写った卒アルの写真。
どれも、私にとって「煩わしいもの」だ。なくなったって、これから生きてゆくのに支障はない。教科書がなければスマホで解説を読むし、上履きだって新しいものを買えばいい。卒アルは、そもそも見返す機会がない。そのくせ重たいし場所だけはとられるから、ないに越したことはない。
そう思うのに、全部捨てられない。
絶対に必要なものでもなく、かと言って今すぐにゴミ箱に捨てるにはいささか勇気が足りないのだ。
学校に通うのには市営バスを利用していた。私立星川学園は、俗世間から隔離されることを第一に考えたのか、街のはずれに位置していた。しかも、長い坂道を登らなければ校門にたどり着くことができない。坂道は、桜並木になっている。桜の季節は、花吹雪の舞う通称「星川学園坂」に写真を撮りに来る人が多くいるほど、桜は美しい。
バスは、星川学園坂の真下にある「星川学園前」というバス停に止まる。
だから、私と同じように通学にバスを利用している生徒は多く、同じバスに乗っているとはつゆ知らず、バス停でクラスメイトと鉢合わせることもしばしばだ。特に朝は乗客が多いため、バスから降りて初めて、知り合いの存在に気がつくということが日常茶飯事だった。
高校二年生の5月、ゴールデンウィークが明け、みんな意気消沈しながら登校する日が訪れた。
しかし私はそこまで憂鬱じゃない。「学校に行きたくない」と思ったことがないのだ。そう聞くといかにも、「青春を謳歌する明るく活発な女の子」をイメージするかもしれない。はたまた、「とてつもなく成績が良くて、勉強が大好き」な優等生を思い浮かべるかも。
だが実際の私はそのどちらでもなく、どちらかと言えば「地味で陰キャな女子高生」だった。
メイクやおしゃれに腐心する同級生たちを尻目に、休日でも制服でいいや、と適当に服を選ぶ。「華の女子高生」の無駄遣い。でも大丈夫、あと二年もすれば「華の女子大生」だもん。ま、大学生になったところで、結局この陰気な性格は変わらないんだろうなあとしみじみと思う。いとあはれなり。
とにかくまあ、そんなにいやでもない高校生活、かといって華にはならない高校生活を送っていた。
今日だっておそらく、いつもと変わらない平坦な一日が始まるんだろうな。
バスが、「星川学園前」にたどり着く。学園の生徒たちがわらわらと降りる。
ほら、今日もいつもと同じ風景が広がっている。