リクスの驚きは気にせず男は淡々と話を続ける。
「ルールとしては、奴らを完全に撒くまでこちらに戻ってこない事。破った場合、申し訳ないが死をもって償ってもらう。仲間に対しそこまでのペナルティを課したりはしないが、君はまだ他人だ」
「ヤバいのに自分からこんにちはーって会いに行って挑発して撒くんですか。そんなの出来る訳」
危険すぎる。それをわざわざさせる意味がどこにあるというのだ。遠回しに死ねと言ってるようにしか聞こえない。
「皆やってんだぜ? 俺だってやった。面倒だろうけど、それぐらい出来ないと信用出来ないって訳だこういう世の中だしな。ま、俺は別に仲良くしてもいいんだが、友だちと一心同体の仲間は別だしなぁ」
ホストはケラケラと笑う。
「マ、マジか……」
これは仲間にならない方がいいのではないかと思う。わざわざ命を懸けてまでこの人たちと組むメリットはこちらにはない。情報は時間をかければ少しずつでも手に入る。安全策を取った方が結果として兄に繋がるだろう。
「どうする? 出来ないなら出来ないで構わない……と言いたかったんだが、この場所へ来る道を知ってる君は拒否できないんだ。一応は隠れ家的立ち位置だからねここ。恨むなら君の脚の速さを恨みな」
どうやら拒否権は行使できないようで。
リクスは胸中で悪態つき今を嘆いた。なんという強制イベントだ。
ミロナを一瞥すると彼女は手を合わせて苦笑している。殴りたい。
「……分かりました」
力なく了承する。
絶対死ぬ気がしたリクスだったが、最悪何とかなるだろうと楽観視して見る事にした。本当に危なくなれば逃亡してしまえばいい。
「ま、監視も付けておくか。雲隠れされて誰か連れてこられても困るしな。おいヒューイ」
「了解」
逃げられないようだ。
△△△△△△△△△
「おいっ! これだけか? もっとあんだろ! パン寄越せパン!」
「えっ、でも昨日は」
弱弱しい眼鏡姿の男はギャングの一人に気圧され足をプルプルと震わす。
額に刺青を刻んでいるギャングは男のロケットを無理やり取り上げ、中の写真を見て舌なめずりした。
「へぇ~いい女じゃん。娘か? 残り数日でここから出れる仲間がいるから、そいつに連れてきてもらうとすっか」
「そ、それだけは!」
刺青は男を思い切り蹴り飛ばし、壁に激突させる。
「戻ってきたら返してやるってー。あんまムキになんなよ」
「わ、分かりました……すぐ食料取ってきます……」
男は痛む腹を抑えてそそくさとその場を後にした。
刺青はモヒカン頭の仲間に声を掛ける。
「おい付いてって食料全部取り上げろ。ボコボコにして娘の居場所聞き出せ俺の女にする」
「りょーかい」
モヒカンはカッターナイフを受け取ると軽い足取りで男を追いかけに行った。
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「どこ行けばいいんですかね」
リクスとヒューイは中央街の噴水広場近くにいた。噴水広場と付いてはいるものの水は出ていないが。見えるのはチラホラと談笑する人たちの姿。
出会って撒けといってもそこらへんに歩いているわけでは無いようだった。仮に普通に歩いてたらほとんどの人が生き残れない気もするので良いことなのかもしれないが。今はいてほしかったという矛盾した感情。一体あの化け物はどこで暮らしている? のだろう。
「あいつらはいっぱいいるから通り歩き回ってればいつか会えると思うよ」
並行で歩きながら答えるヒューイ。
「うげぇ」
リクスは思わず変な顔になる。いっぱいなんて聞きたくない。
「ははっ! そんな顔しないでよ」
「そういえば、ヒューイさんはあの化け物知ってるんですか?」
「多少はね。詳しい事はだれーも分からないんだけど、とりあえず分かってるのは、初回サービスってのがあるってことと、二回目以降見つかると襲ってくる奴の二種類が存在するって事かな」
初回サービスってあの近くで不吉な登場をする事か。いらないサービスである。
「……違う種類のがいるんですか? 個体が複数いるのは気づきましたけど」
ヒューイは顎に手をやって答える。
「この街で初めて罪を犯した人間が出会うのが赤い目を持つ化け物、一度罪を犯して逃げ延びてる奴のみを狙うのが蒼い目をしてるねぇ。君の言う通り蒼い方は結構色々な見た目のがいるかもしれない」
「色が違うのか。……でも顔隠してません? 目みたいなのは見えませんでしたが」
「ローブで顔隠れてるけど微かに発光漏れしてるから一応判別可能。ま、それが人間でいう目なのかは分かんないんだけどねぇ。近くじゃないと全く気づけないレベルだし」
「そうですか」
「別に目云々は気にしなくていいと思うよ? 君はもう赤いのには襲われないから」
「……分かりました。ところでヒューイさんは、化け物って何体ぐらいいると思ってます?」
「どうだろうねぇ。僕らも観察しながら逃げ回ってるわけじゃないから。君が思うよりはいるかもってだけ言っておこうかな」
「うげぇ」
「ま、滅茶苦茶足速い訳じゃないし、僕らが知る限りは複数体に囲まれたって話も聞かない。基本的にはそこまで身構える程の危険性じゃないと思うっていたね」
ヒューイが立ち止まりどこかへ指を指す。
「どこです? お」
ローブが歩いていた。今までのとは違って雑巾におじさんの顔が浮かび上がっており、満面の笑みを浮かべて軽やかに歩を進めている。だが足元には黒い霧のようなものが追随するかのように漂っており、ただただ異質だ。
そしてまた一つ、この街のルールを理解した気がした。
当たり前のように逃げる人たちもいたが、周りのほとんどは警戒しつつも話を続けていたのだ。対するローブも誰にも興味を持っていない様子でゆっくり歩いており、すれ違っても一切顔すら向けていなかった。ただ笑顔で歩いているだけ、本当にそれだけ。
どうやら本当に特定の人間のみを狙う習性を持っているらしい。一定範囲内にレーダーか何か展開しているのか?
なんて思っているとヒューイが肩を叩く。
「よしっ、行こうか。といっても近づくと僕も追われちゃうからさ。遠くから見守るって事で。困っても僕の方には来ないでね。僕を追いかけ始めたら君の試験はやり直しだよ」
「分かってます」
とてつもなく気乗りしないが頑張ろうと自分を鼓舞した。
「やーいやーい! 俺っちを捕まえてみろってんでーい!」
蟹股で大声をあげるリクス。その顔には涙が浮かんでいた。
ローブは足を止めリクスの方に向き直る。
と、直接脳に響くような例の気色悪い声を発しながら走ってきた。両腕を交差してメトロノームのように左右に振りながら、足はこちらの挑発に乗るような蟹股になっていた。相変わらずとても機嫌の良さそうな笑み。
『挑発ってのは相手に敵意を向ける行動だからね。これをやれば多少距離があっても気づいてくれるはず』
なんてことをヒューイが言っていたがまさか本当にやらされることになるとは。というよりも本当に気づいてくれるとは思わなかった。気配を感知しているみたいだが、耳はどうなっているのだろうか。範囲外でも判別する方法を持っているのか? 益々謎が増える。今はどうでもいいことだが。
リクスはすぐさま身を翻し走り出す。後ろを覗くとしっかりと付いてきていた。動きが気色悪いがかなり早いスピードだ。速度も個体で違うのかもしれない。
「おいおい何でわざわざ挑発してんだあの男。馬鹿かよ」
「自分に相当自信あるんだな。あれは早死にするタイプだ」
口々にそんな声が聞こえてくる気がした。
しかし、馬鹿にしてくる人たちも道の端に寄るのはお決まりのようでいまいちムカつけない。
しばらく逃げ回っていると、やがてスラム街のようにごみが散乱し至る所から腐敗臭のする場所へと来た。息をするように落書き達も顔を出している。
こんな場所でも格差があるのか、あちこちにみすぼらしい格好で段ボールをかじる人さえ見えた。皆リクスを見るや否や建物の中へ逃げていく。
リクスは気になりながらもペースを一定に保ち走り続け……立ち止まった。
「なっ!」
正面に何かいたのだ。
ローブ姿ではない、ハンドソーで死体? を切り刻んでいる何か。後ろ姿はがっしりとした体躯の男に見えなくもないが、まぁ流石に人間では無いだろう。
それの気配は追手を忘れるほど強く、絶対的な殺意に満ち溢れていた。ローブの化け物が殺しを目的としておらず、代わりにこの何かが殺しを担っている、そんな考えが脳裏に浮かび上がってくる始末。周りには食料らしきものが多数乱雑に散らばっているのが見えた。運んでいる最中に襲われたのだろうか?
とはいえ今選択すべきことはただ一つ。とりあえず、絶対に関わってならない。
リクスはすぐさま左右を流し見た。
前の何かは気にしない事にする。何としてでも気づかれる前に距離を取らねば。
「……あっちか」
右に商店街跡とみられる細長い通路があるように見えた。建物と建物の間をすり抜けてそちらへ出る事に。
リクスは横向きになり1人がギリギリ通れる隙間を通っていく。左を見るとローブがこちらを凝視していたが、どうやら入れないようで立ち止まっている。
後ろの奴からは上手く逃げきれそうだ、とリクスは思ったがそれも束の間、ローブは太めの枝のように細くなり速足で侵入して来た。例えるなら、黒光したアレなみの速さだ。
「マジか!」
急いで抜け隣の道へと出るとリクスは右に走り出す。ローブもすぐ飛び出てくる。逃がすつもりはさらさらないようで。
一直線の道をひたすらに駆ける。今日何度も走っているにしては意外と体力は残っていた。
時折後ろを見ると、少しずつ距離を離すことに成功している。後は撒くだけだ。
速度を上げより早く足を出し前に進む。
がむしゃらに走り続けること数分間。息が切れかかりまずいと思った時、廃れた家々が立ち並ぶ住宅街らしき場所へと出た。
「はぁ……はぁ……はぁ……。いない……ふぅ……」
後ろを見るとローブはいなくなっていた。上手く撒けたようだった。確かに言う程足は速くない。
リクスは呼吸を整えながら道々を歩く。草木は枯れ建物の外壁も剥がれ落ち、今にも崩れそうな屋根を持つ家さえある。元々はかなり賑わっていたのだろうが、今は見る影もない。 一体この街は何が起きて何故刑務所として使われるようになったのか、あの化け物はどのようにして生まれたのか。ふとそんなことを思ってしまう廃屋の数々。
「あ、レコーダー」
ふと思い出し、ポケットからレコーダーを取り出してスイッチをoffにする。本当にこれで大丈夫なのか不安だが、あちらから渡してきた以上大丈夫なのだろう。
「……」
そしてここで1つ思った。
「どうすればあそこに帰れるんだ」
正直言って適当に走っていたので、街のどこに今自分がいるのか分かっていない。リーダーの男は地図を持っていたがリクスは地理を把握できるものは何一つ所持していない。
「やべぇ帰れないこれじゃ」
下手に歩き回ってローブと再会しても面倒だし、空を見上げるとすっかり暗くなっていた。これは普通にまずい、と呼べる状況かもしれない。
元々日中通して薄暗い場所ではあるらしいが、夜になるとより一層おどろおどろしさが増す。それに加わるように時折吹く冷たい風が身体を震わせ孤独感を煽る。まさに気分はホラゲーの主人公。
誰かが新たにライトでも取り付けたのか、折れた街灯が小さく周りを照らしているのが唯一の救いか。そういった小さな光が無ければここは真っ暗闇だっただろう。だが光があろうとなかろうと、夜ここに長居するのはかなり危険といえた。どこから何が出て来てもおかしくない。
「どうするべきか……」
と悩んでいると背中を叩かれた。