現在前方にいるのは、前回の何もかもがイカレた化け物というよりは、真っ黒なローブ姿で首から上全てを布で隠したカルト狂人みたいだった。
ローブの化け物には複数個体が存在するということが今判明し、リクスは引き気味に笑う。この調子だと他にも色々な種類がいそうで、コンプリートしない事を祈るばかりだ。
今回のローブはあちこちに吐しゃ物やゴミが付着して水気を含んでおり、近くにはハエのような子虫が多数浮遊しているのも見えた。一定の距離があるのに何故か落ち着くような甘ったるい匂いも漂ってきている。他者をマインドコントロールするために使うような、思わず思考せず身を任せてしまいそうな空気が辺りに展開されているようだ。
個体は違くてもやはり不自然さの極みである。
視線に関してはミロナと自分の二人を交互に眺めるように流し見られており、今回は自分だけを目的としているわけではないようだった。
そしてこの全く気づかせない接近能力。
かなり周辺には気を配っていたつもりだったが、気配遮断でも出来るのか? なんてことまで考えてしまう。
「ヤヤヤミミヘヘヘオいデぇえあぇぁ……」
エコーのかかったような声で徐々に歩み寄ってくるローブ。一瞬だったが一歩踏み出した際、人間のようなハッキリとした足が見えた気がした。だが足音はまるで重い靴底が地面を押し下げるようなドスッとした音で、一々目立つ振動を伴う不可解さ。そして際立つのは同時に聞こえた金属の擦れるような異音。ローブの中にまるで鋭利なナイフなどを隠しているかのような印象を受ける。今回はシンプルに殺しに来るのか?
なんてリクスが思考していると、ミロナはキョロキョロと顔を動かした後彼の腕を掴んだ。
「逃げるよ!」
「う、うん」
リクスとミロナはゴミの道を駆けた。
ローブもそれに呼応するように走り出し、徐々にこちらを追い詰めようと的確に追跡する。今までいた道には出られそうになく、逆方向へと向かっている。無駄に建物が多いため逃げるための通路が多いのは幸いだった。これなら再度撒ける筈だ。
それから何分だったのだろう。
先程襲ってきたローブはすぐにこちらを見失っていたが、今回のは一向にこちらを見失う気配がない。追跡能力が向上しているタイプなのか? 身体が人間っぽいから動きも柔軟なのだろうか。
「ああああああ! いつまで追って来るのぉぉぉぉぉぉぉ!」
リクスは呼吸が乱れ始めていたが、ミロナは大声を出して楽しんでいるかのように軽やかな足取りで走っていた。疲れ知らずとはこのことか。
「はぁ……はぁ……はぁ……! ミロ……ナさん……って……速いね……!」
「まぁね! これでもそれなりに鍛えてたり鍛えてなかったり? あ! あっち行こう! ちなみに耳は無いから音判断でも無いよ!」
ミロナの指差す方へ向かい、階段を駆け降りトンネルを潜り抜け丘を昇る。人気は徐々に無くなっていき、代わりに草木が道を挟むように並んでいた。都会的な雰囲気から一変、一気に田舎のような雰囲気が出てきている。本で読んだ東国にあるような自然の景色。綺麗だとは思った。だがハッキリ言って場違いで、気持ち悪い感覚を覚える。
その後も進み続けていた二人。足の速いミロナはほぼ並列だったリクスからも距離を離していき、時折手招きしながら崩れていた建物の角を曲がろうとしていた。
……そこでふと思った。
気配が後ろから一切しない。
「ミロナストッ」
「嘘っ!?」
リクスが止めようとするよりも先に、ミロナの目の前にローブが現れた。
驚いて思わず後ろへ尻もちつくミロナ。
「ミロナ!」
水気が無くなってはいたが、見た目は先ほどの個体にも見える。流石にこの短時間に三体目ということは無いだろう。
回り込まれたのか? そんな知能もあるのかこいつらは。いやそんなことを考えてる場合ではないミロナ優先だ。どうにか引き離す方法を秒速で考えねばならない。
だがどうすれば。どうすればいいんだ。
助けなければとは分かっているが、まず一般人程度の格闘が通用する相手なのか? ここで人間のグループに襲われたときに備え日頃から身体は鍛えていたが、流石にこれは想定していない。
「く……」
身体が硬直する。
動けない。動けなかった。動く事は叶わなかった。
辛かった。行く末を見守ることしか出来ず辛かった。
見捨てたかったわけじゃない。見捨てたいはずがない。
折角できた知り合いだ。大事にしたかった。
でも、身体が否定したのだ。
こ
こ
で
彼
女
と
共
に
死
ぬ
未
来
を。
自分は
他と変わらない
クズだ。
……だが。
ミロナの身に何か起きる事は無かった。
「え……?」
気づくとローブは足を止めており、ミロナとリクスを交互に見つめていた。気配は恐ろしく涙が出てくるが、奴は全く動こうとしなかった。
「……」
その後何事も無かったかのように翻し、その場から去っていく。少し腕を伸ばせば届く距離なのに、ローブは何かすることを拒んだ。
何故だ?
「え、なんでどっか行くの。死んだと思ったのに」
自分よりここに来てから長いミロナでさえ何が起きたのか分かっていない。また何か新しい化け物が現れたのだろうか。対象者は別の人間?
ここへきて早々新たな謎に悩まされることになったリクス。
だがミロナは気を取り直し直ぐに立ち上がった。
「今みたいなこともあるし、ずっとここにいるのは無理があるよ。仲間になろー!」
さっきの事は記憶の隅にでも放り投げたのだろうか。全く気にするそぶりが見えなかった。それ程意味不明な事態なのかもしれないが、適応力は自分よりあるかも? なんて思ってしまう。
リクスは小心者のように辺りを見回し、気配が無い事を感じるとミロナに近づく。
「そういえば、仲間って言ってるけど、誰かと組んでるの?」
ミロナは両手で大きく円を描く。
「結構大きいグループだよー。皆でここから逃げようとしてんの」
「そうなんだ……」
「で、どうする? 来るよね?」
積極的というか一方的というか、かなりしつこく迫るミロナ。人手不足なのだろうか。
大きいとなると人間関係で面倒ごとに巻き込まれかねない。ミロナだけならまだしも相性が悪い人間がいれば何されるか。仲間は確かに必要だが、この街にいるのは全員大なり小なり犯罪者だ。いまいち首を縦に触れなかった。
「しばらくすれば皆出れるんじゃないの?」
リクスの言葉にミロナは苦笑する。
「何言ってんのさ。一度対象者になって出してもらえるわけがないでしょ? 殺されるか死ぬまで逃げ続ける毎日だよ」
「え」
どういうことだ。4か月で出れない事があるだと?
リクスの顔が歪む。ミロナはそれに追撃するように続けた。
「だってよく考えてみてよ。罪を犯してここに来てるのにそれを懺悔するわけでも奉仕するわけでも無くまた罪犯した状態だよ? 許されるとは思えないね」
何だと……?
リクスは夜目覚めた時、口に虫がいた時のような顔に陥る。未来を嘆く絶望の表情だ。
「おすすめは脱出かなー。流石にずっとここにいるのは無理があるよ。仲間いた方がいいでしょ? リクス君?」
「でも俺は何も加害者になることしてないし」
「残念だけど間違いなんてここには無いよ。この街では対象になるかならないかだから。一度でも対象者になったら大統領令でもどうにもならないなー」
「……」
目線の動きを見るに嘘を言っているとは思えないが、全て真実とは限らない。嘘の情報を本当だと思い込んでいることだって人間誰しもあるのだから。
だが仲間になった方がメリットがあるかもしれないとは思った。自分の今置かれている状況に他者が得た情報が加われば兄に繋がる手掛かりが見つかるかもしれない。それに、ミロナ達は恐らくそれなりの期間この街で生き延びている。
となれば言う事は1つになるだろう。
「仲間になるよ。俺も協力できる人がいた方が頼もしい」
「じゃ決まりね! そうと決まったらレッツゴー!」
腕を高く上げたミロナはもう片方の手でリクスを引っ張った。
とんとん拍子に事が進んでいく。
行動力が凄いなとリクスは感心した。
それから数十分、ミロナ達は迷子になりそうな複雑で迷路のような道を止まることなく歩き続けた。辺りは薄暗く時折吹く冷たい凬が髪を揺らし不安を煽る。あちらこちらに瓦礫の山で何かの拍子で崩れてきそうな恐怖もあった。
「こっちだよー」
やがて道が切り開かれると、それなりに掃除が行き届いた敷地に辿り着く。何かの交流館だったのだろうか。結構な大きさの建物がある。周りは後で作られたと思われる塀に囲まれており、普通に暮らしていれば絶対たどり着けないような場所であった。わざと行きにくくしているようだ。
だが門前雀羅を張った様子はなく、人の気配があちこちに感じられた。ミロナの言う通り何人もここにいる様子。
「ミロナちゃんお帰り。ん? その人は誰?」
爽やかな笑みを浮かべる好青年がこちらへやってくる。ミロナも笑顔で言葉を返す。
「ヒューイ君ただいま。この人はリクス君、加入希望だよ」
「お、じゃあこっちに来てくれますか? うちのリーダーの所に案内します」
「分かりました」
少しの緊張感を持ってヒューイと呼ばれた青年に付いていく。
外廊下を進んでいき案内された会議室らしき部屋へと入ると、そこには数人の男達がいた。奥の絵画飾られた壁横に寄り掛かる屈強な体躯の男は、軍服のようなジャケットを身に纏い、こちらを腕組んで警戒するように凝視している。
その近くの椅子に深々と座っていたリーダーと思わしき巨漢の男は、巨大な長机の上に手製の地図を広げ見つめている。チェック柄のTシャツの上にはユーティリティベストを着ており、ほとんどのポケットは膨らんでいた。
しばらくの沈黙の後、巨漢の男は地図からこちらに視線を移行させる。表情には少しの曇りが垣間見え。
「……おいミロナ。目隠しも耳栓もしていないのは何故だ」
耳に恐怖を与えるような圧倒する声が届いた。リクスの背筋がピンと張る。ミロナも顔色を変え、頬を掻きながら必死に誤魔化そうとする。
「あ、えっと……この人最近来た人だし、逃げてるの見たらかなり足速いから問題無いかなーって……あはは……すみません……」
男はため息をついて少し笑みをこぼす。
「お前は相変わらず自由だな」
「あはは! さっすがミロナ!」
茶色の長髪でホストにしか見えない男は、腹を抱えて思い切り笑っていた。古びた椅子を動かしこちらに身体を向けている。新人に興味津々のようで。
その隣にはブレザー姿の少年が眉1つ動かさずに分厚い本を読んでいた。辞書か?
……なんて言うか、個性的な面子だなと思う。仲良くするために来たわけでは無いものの、仲良くできるかは未知数だと不安がよぎる。
「仲間になりたいんだよね君」
男がこちらに顔を向ける。睨まれてはいないようだが、元々の顔つきが強いのか一々身構えてしまう。
「ま、まぁ……」
「じゃあこれ」
男はボイスレコーダーを投げてきた。それを両手でキャッチする。何を録音しろというのだろうか。
「君を追いかけてきたあの化け物は少々変な声を発するんだよ。人間の声とは全然違う周波数でね。対象者に気づいたときの音、追っている時の音は全く違うからそれをレコーダーに録音する事で大体出会った事と撒いたことは把握できる」
追われた際に特に何か変わったような音は感じなかったが。機械でのみ聞き取れる何かがあるのか?
「ここにはスマホやカメラなどの録画機能付きの物は無くてね。ここの現状を街に漏らさない措置だろうけど。で、頑張って手に入ったのはこれだけ」
「何をさせるのかは分かりませんが、信頼できるかどうか確かめたいのなら、私をしばらく監視させるのが一番楽では無いですか?」
信頼できる誰かが、こちらが仲間にする条件を満たせているかどうか判断するのが一番いい筈だ。音だけで判断するというのは高性能機器なども存在しないこの場所において得策といえるのか?
「……それは難しいな。ということで今から君にやって欲しいのは、化け物に自分から会いに行き、追いかけっこして撒くことだ」
「え」
今、なんて言った?