「っ!」
ドスンと叩きつけるような音が鳴り、人々はその原因を一瞥する。
「お前は今日からここで暮らす。定められた期間罪を犯さなければ普通の人生に戻る事が可能。また食料は隔週に一度支給される。もし足りない場合は奪えばいい。ま、奪ったら普通の人生は拝めなくなるけどな。病気や怪我に関しては医師が隔月で来るからその時まで生きている事を祈ってろ。以上質問には例外無く返答しない」
軍人は一通り言い終えると面倒そうにあくびをしながら去って行った。分厚い壁に埋め込まれたドアが開かれ中へと消えていく。
それから少し経ちやがて1人になると、地面に尻もちをついている男―リクスは起き上がり周りを見渡した。
「ここが兄さんの手がかりか……」
錆びつき苔の生えた数々の建物、整備されずに放置された道路。
街だが自分のよく知る街とは違う異様な雰囲気を醸し出していた。
道行く人々は皆陰鬱な表情を見せ、何かに怯えるように震えながら歩いている。偏見かもしれないが、話好きに見える明るい容姿のグループでさえぼそぼそと話しすぐに口を閉じていた。車やバイクといった乗り物も何一つ見当たらなかった。
「……最低限って感じだな」
罪人が収容され、一定期間生き残ると刑期満了となり元の場へ戻れる街―ブーセシュタット。
普通に暮らしている普通の人間ではまずお目に掛かれない場所だ。
ここが存在すると言う話は知っていたが、内部情報はほとんど入手出来ていない。ここから戻ってきた人でさえ詳細を話す事が叶わないのだ。皆口々に忘れたとしか言わない。推測だが、恐らく釈放時、記憶に干渉する何らかの工程を経てから街へ戻されているのだろう。それが薬なのか心理術なのかは不明だが、その謎に兄は関わっており、それに従事する者もまたこの街のどこかに幽閉されているのではないかと思っている。
だから、”ここ”へ来たんだ。
友人と協力し、知友暴行罪で懲住4か月。その後は街へ戻されるため、期間内に何とか手掛かりを見つけなければならない。
「いざ来てみたはいいけど罪人以外がどこにいるのか分からないんだよなぁ」
ここは刑務所代わりに使用される理由となった便利な何かが存在しているそうだが、別にそれだけでは無く、一定の面積があったことも理由の一つ。自分の暮らしていた街と比べれば小さいが、端から端に行くには流石にそれなりの時間を有する。むやみやたらに行動しても見つからない可能性が高い。
リクスはおでこを突きながらどう行動すべきかを自問自答する。不必要に目立つ真似はしたくないし、まずは様子見するべきか?
「どうしたんだいそんな不自然にキョロキョロしおって。下手に目立つと痛い目見るぞ」
背後から低い声が耳に届く。
驚いて振り返ると、1人の老婆がこちらに向かって歩いていた。あちこちが破れた大きな毛布を身にまとい、手入れの届いてないボサボサの髪は歩くだけでぽろぽろと抜け落ちている。リクスはゾッとし思わず後退すると手を突きつけ、これ以上近寄るなと合図する。
「あなたは」
「私はもう何年もこの街で暮らしている老婆Aだよ」
「そうですか」
リクスを凝視する老婆は髪をポリポリとかき、汚臭のしそうな息をこぼす。
「不潔な人間は嫌いかい坊や」
ド直球に飛ばされる言葉にリクスは怯むが、何とか傷つけないように言葉を選び返す。
「……それも無くはないですが、やはり一定の清潔度が無いと何かしらの問題に巻き込んできそうというのがありまして……」
ここは刑務所代わりであり、普通の人と同じ清潔さを維持する事は不可能だとは理解している。だが限度というのもあり、一定の匂いや仕草は維持出来るのではないかと思う。刑務作業も無く監視もいないため、忙しいからという言い訳は通用しない。水ぐらいあるだろう。
すると老婆は遠くを指差した。
リクスは釣られてそちらに視線を向ける。
「なんだあれ」
そこには数人の列が出来上がっており、それを監視しているようないかつい男達が複数いた。
「ここでは身体を洗える場所は限られている。水道管は一切点検されてないから汚水では無い水が出る場所はほとんど無いし、仮にあったとしても公共の場になっているから好きには使えない。それも一部のグループが占拠してるからねぇ」
もしやあれが占拠しているという奴らなのか? 全員が大分物騒な見た目だぞ。
老婆が言うにあれが浴場扱いなのだろうが、近づけば絶対揉める気がしてならなかった。
「あの占拠されてる場所が身体を洗う場所? 他には無いんですか?」
流石に一つぐらいは安全な環境があってほしいのだが。
「他の場所もあるにはあるが、特定のグループが独占使用してるね」
「え、それまずいんじゃ」
「中央街の浴場を占拠してる奴はラドキス・エンプロイ率いるギャング共。10人ぐらいいるからかなり危険だね。まぁ、無断で入ろうとしなければ特に何もして来ないから大丈夫」
老婆はまた別の方角へと指を向ける。
「後、街外れに小さなコインシャワーがあるけど、ハリルデン・ダスティロアという男が罠を張り巡らせてるから近づけない。また、彼自身も軍人だから目は付けられない方がいい」
「じゃあ皆どこでシャワー浴びてるんです?」
「ラドキスの所さ」
「え」
嫌な答えだった。
リクスは自分の耳を疑い過去を遡るがやはりそうとしか聞こえない。思わず苦笑を漏らした。この老婆のようになるのも仕方が無いと感じ、清潔ライフは諦めた方が良さそうだと早々に判断する。
老婆はそんなリクスの姿を見て哀れむような目を見せる。
「あの列になってる奴らは物々交換で権利を得た人たちだ。一定の価値があるもの、簡単に言えば支給された食べ物や薬だね。それを渡すことで30分だけ浴場を使わせてもらえる」
「基本そのシステムでやってるんですか?」
「そうだね。他にも頼めば水が使えるところはあるにはあるけど、また別の奴らが条件つけてたり無人の代わりに問題があったりで好き好んで行くやつらはいないね。ここが清掃もされてるしろ過装置もつけられてるから一番快適さ」
対価を貰って提供しているからそれなりの管理は行っているのか。
リクスは少し感心したものの、食料などがどの程度配給されるのか、どの程度要求されるのか分からない以上むやみやたらには近づけないなとも思った。
「そうですか」
老婆は悲し気な顔で空を見上げる。
「この街はねぇ、生きるのに必要な最低限の物資は提供されるがそれ以外は自分の手で入手しなければならないのさ。幸いここはぱっと見普通の街と変わらなくてね、空き家も意外と綺麗なんだよ。ルールは基本無いようなものだから、誰の物でも奪ってよし。殺されてもいいなら物資配給に来る軍人を襲うのだってOKだ。要は無法地帯さ」
「……それにしては、極力人と関わろうとしないでひっそりとコミュニティが形成されていますよね。他国の刑務所は監視がいるにもかかわらず凄まじくうるさいそうですが」
老婆はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりの表情を見せてくる。
「それは決まりがあるからさ。無法地帯にしたくても出来ない決まりがね」
「決まり?」
何かあるのなら最初に説明される筈では?
「郷に入っては郷に従えというやつだ。普通に考えてあり得ないと思う事がこの街では多々起きると思う。だがそれが事実ここでの当たり前なんだ。何が起きても意味が分からないと否定するのではなく、そうなんだと受け止めて対応した方がいい。長くここにいる婆からのアドバイス。それさえ分かっていれば特に困る事は無いだろう」
「……分かりました」
わざわざ刑務所制度を撤廃したのだ。それだけの理由がこの街には存在し、それが超常的なものであるという可能性は排除していない。何が起きても受け入れる覚悟はできている。
リクスは神妙な面持ちで沈黙した。老婆はそんな彼を見ると空気を換えるようにポンと手を叩いた。
「まぁそんなことよりも、君はなにをしでかしたんだい? 爽やかな顔して結構悪どかったり?」
二やついた顔で言われ一瞬拍子抜けするがすぐ答える。
「へ? あ、あぁ、俺は人殴ったんですよ。あなたは?」
「私は要介護の夫を不覚にも死なせてしまってね。すぐに通報すべきだったんだがお互い楽になれると思ったら途端に身体が重くなったんだ」
「罪は何だったんですか」
「親類縁者生存権利侵害だよ。親族の内誰が危篤状態に陥った場合その生存権利を守るために全力を尽くさなければならないってやつだっけな。可能性の排除は許さないっていうね」
「そうですか」
ここにいるぐらいだから何かとんでもない人なのかと思ったが、そういう訳では無いようで安心する。少々臭うがこちらに危害を加える気も見えず信用に値する人物かもしれない。
「今は後悔しているさ。愛した人間なのだからね」
「……」
「悪いねぇ。空気変えようと思ったら益々悪くなってしまったよ」
申し訳なさそうに顔を曇らせる老婆。
「いえ、罪が何か知る事で多少は信用出来るようになりますし」
本当かは分からないが、とは言わない。疑う姿勢は大事だが、誰もが人を騙すクズではないのだから。
「そうかい。すまないねぇ。あぁ、後」
その時背中に衝撃が響く。
「うおっ!」
リクスは急な事に反応しきれず体勢を崩した。
思わず老婆の方へ手が伸びる。
「っ!?」
老婆の肩に手を付いてしまい、それに押し飛ばされた老婆が地面に倒れ込んだ。間髪入れずリクスが老婆に覆いかぶさる。
酸っぱい匂いがリクスの鼻を襲い思わず吐きそうになるが、それどころではないためすぐに冷静に戻った。
「あいたたた……」
苦痛な表情を見せる老婆。
「ごめんなさい! 急に押されて!」
既に自分を押した何者かはその場から消えていた。一体誰がという苛立ちが募っていく。とはいえそれより先にやるべきことを。
リクスはすぐさま起き上がると片膝をつき老婆の背中に手を回した。しかし老婆はその手をはたいて拒絶する。
「私は大丈夫だ。それよりあんた逃げなさい。最後の審判が来るぞ」
本気で心配した顔で、目を大きく見開く老婆。
「えっ? それってどういう」
「いいから行きなさい! 暗闇で一生遂げるなんて嫌だろッ!?」
並々ならぬ表情を見せ声を荒げた老婆。
温厚な彼女から溢れる危機感、そこから従わざるを得ない何かを感じるのは至極当然の事だった。