修学旅行はいよいよ三日目。今日で、二泊三日の旅行は終わりを迎える。
こんなに雛祭さんや、みんなといっしょにいたのは初めてだったので、朝起きたときには、すでに名残惜しいと思ってしまっていた。
昨晩はなんとか先生たちに見つからず、快人のいる部屋に辿りつけた。運がよかったのか、オリオン座流星群のおかげなのか……なんていっていたら、快人に「ロマンチストかよ!」と笑われた。
朝食を食べ、ホテルを出る。最終日の最初は、海洋博公園内のエメラルドビーチに向かう。一日目に行った、美ら海水族館が近くに見える美しい砂浜だ。
季節はばりばりの秋だが、温暖化の影響でなのか、まだまだ暑い。真っ青な海に、真っ白な砂浜。思春期青春真っ盛りの高校生には、まぶしすぎる光景だ。
次の予定があるのでビーチは散策のみといわれている。「せっかくの海なのに、泳げないとか、どういうことなん」、と女子たちがブーイングをしているが、おれは海で泳ぐよりも、散策のほうが気が楽なので、都合がいい。
そもそも水泳の授業しかり、水着に着替えることじたいが苦痛だ。なんでわざわざ見せたくもない裸にならなくてはいけないのかわからないし、見たくもない他人の水着姿を見せられなくちゃいけないのかも、わからない。まず興味のない女子の水着なんて、ありがたくもなんともない。
どうせおれが水着姿になったところで、ダサいだの、腹筋ないだの、ひょろひょろウケるだの、ばかにされるのがオチなのだ。
とにかく、今回はおれの勝ちだ。いくらきれいなビーチだからって、簡単に泳げると思うなよ、陽キャども。
「はいはーい。では、今から一時間ほど、エメラルドビーチでの散策の時間を設けます。このあとは、十一時に沖縄フルーツランドにて昼食をとります。遅れないよう、お互いに時間を確認しながら、楽しんでくださいねー」
水木先生の「では解散」で、みんな大はしゃぎに散開していく。
女子は、インスタ用だとかいって砂浜に何かを書きはじめ、男子は裸足になって果敢に海に入っていく。
快人を探すと、他の男子たちに交じって、いっしょに海に挑んでいた。さすがだ。おれは、濡れるおそれがあることはやりたくない。
てか、このあとバスに乗るんだぞ。よくやるな。いいのか。
案の定水木先生が、「こらー!」と叫んだ。男子たちのテンションはすでにマックスなのでなかなか効果がない。
近くに設置されたパラソルつきのベンチに、よっこいしょなんていって座る。朝早くから、みんな元気だな、とおじいさんみたいなことを思いながら、真っ青な海を見つめた。
本当に、きれいな海だ。これからのインドア人生で、もう来る予定はないので、目に焼きつけておこう。
「ここ、いいですか?」
どきっとして顔をあげると、髪を耳にかきあげるしぐさをしている雛祭さんがいた。
「う、うん。まあ……どうぞ」
「ありがとうございます」
すっとおれの隣に腰をおろす、雛祭さん。
「昨日は、ありがとうございました」
「い、いえいえ」
「お互いの部屋、行き来禁止なのに、来てくださって」
「雛祭さん、最後まで気にしてたもんな。万が一見つかっても、怒られるだけだよ。へーきへーき」
「……記憶を失くす前のわたしだったら、ルールを破ってはだめですって、止めたかもしれませんね」
ざぱあん、と波打つ音が、ビーチに響いた。
秋の日差しは、まだ夏の焦げつくようなするどさを残していて、砂浜の白に踊るように反射している。
白々しい色をしたパラソルが、雛祭さんの白い肌に、うっすらと影を落とした。
「でも、わたし……昨日の鯉幟くんの言葉で、思ったんです。エーデルリリィのわたしも、あの『異世界のことを書いたノート』を書いた雛祭ちかなも、わたしだって。ものすごく……わくわくしたから」
雛祭さんの目が、昨日見たシーグラスのように、きらりと光る。
「ほしるべ洞窟と書かれた、あの封筒を見たとき。なかの紙に書かれた数字を見たとき。昨日、オリオン座流星群に向かって三回数字を唱えたとき……すごく、胸がどきどきして……楽しくて……わたし、ちゃんとここに、この世界にいるんだって思えたんです」
快人も、みくりも、山際さんも、他のみんなも、思い思いにエメラルドビーチを散策していた。
おれと雛祭さんだけが、パラソルのなかにいる。
ここだけが、別世界みたいだ、と思ってしまう。
おれと雛祭さんだけの世界は、とても穏やかで、秋の風が心地よかった。
「雛祭さんが考えた異世界は、おれだってとてもわくわくしたよ。あのノートに書かれていることは、本当によくできてると思った」
「鯉幟くんも、そう思ってくれたんですね」
「もちろん」
すると、雛祭さんは今まで見たこともない、かわいい顔で笑った。おれは無意識に息が止めていたようで、急いで空気を吸いこむ。肺が破裂しそうなほど、吸いこむ。
あぶない、シヌところだった。
ふしぎそうにしている雛祭さんにいいわけするように、おれはベンチから立ち上がった。
「遊ぼうか、せっかく海に来たんだからさ」
「はい、遊びたいです。鯉幟くんとなら、ぜったい楽しいですから」
うーん、いちいちおれが嬉しくなるようなこといわないでくれ。いよいよ、心臓が止まってしまう。
「えーと、何しようかな。基本、インドアだからすぐに思いつかん……」
「無人島ごっこしましょうよ」
「な、なんだそれ。初めて聞いたんだが……」
「昨日、天野川さんと山際さんに見せてもらった、動画チャンネルの人たちがやってたんです。無人島に持っていくなら、何がいいかって話しあうんですよ」
「あー、いわゆる『もしも〇〇ならシリーズ』ね。砂浜でやると、さらに臨場感があって面白そうだな」
「じゃあ、まずはわたしから」
「はい、どーぞ」
「無人島に持っていくなら、もちろん『魔法』ですよ」
「えっ」
「これ一択です! この世界では使えないのが残念ですが……」
雛祭さんと、この問答をくりひろげるのは、根本的な発想から違ったようだ。
異世界から来た美少女が、無人島に持っていきたいもの―――魔法。
そりゃそうだよな、便利だもんな。持っていくなら当然それだよ。
でも、魔法って『もの』認定でいいのか? なんて、ツッコミはもちろんガマンした。
「んー。無人島は、魔法なしで楽しむものだと思うけどな」
「え!? でも、無人島って火もないし、食べ物もないんですよね? 魔法なしで、どうするんですか?」
「火はね、木の板をこすりあわせれば、起こせるんだよ」
「うそでしょう!? 木をこすりあわせるだけで、火が出るんですか!? そんなばかな!」
「めっちゃ驚くじゃん……。それに、一見雑草に見えても、実は食べられる草があるんだよ」
「それは知ってます。薬草のことですよね。薬草学はわたしも、本の知識ですが、かじったことがあります」
「そうじゃなくて、草を料理して食べるんだよ。ヨモギとかナズナとか」
「ヨモギにナズナ……聞いたことないですけど、どうやって食べるんですか?」
「基本は、おかゆかな。あと、モチに混ぜたりするんじゃないかな」
初めて聞く話ばかりなのか、雛祭さんは百面相してばかりだ。
以前のおれが知らない、雛祭さんの一面。記憶を失くす前の彼女との『会話はほぼない、ただのクラスメイト』という関係性を思うと、この状況はいまだに信じられない。
まず、みくり以外の女子と隣同士で座って、談笑していることが、現実味がない。夢みたいだ。
おれは雛祭さんと、どのくらいのあいだ、こうしていられるんだろうな。
「魔法がなくても、無人島ってこんなに楽しめるんですね。わたし、無人島に行くなら、鯉幟くんとがいいです!」
かわいい笑顔でそういう雛祭さんに、おれはまた「おれなんか」といいそうになる。本当は、目の前の砂浜を、走りだしたいくらい嬉しいくせに。
「じゃあ、今から木の板で火をつけられるよう、練習しなくちゃだなー」
「ふふ、わたしも食べられる草を見分けられるようにならなくちゃです!」
おれだって、雛祭さんとなら、どこへだって行きたい。
見知らぬ土地にだって。
エーデルリリィにだって———。