おれは、雛祭父に向き直る。雛祭さんからのアドバイスをうけ、雰囲気が一変したおれの態度に、雛祭父は一瞬たじろいだ。
しかし、すぐに「ふん」と鼻を鳴らし、得意の薄ら笑いを浮かべた。
「もう、終わりかね? きみたちの修学旅行がどれほど素晴らしいものなのかを披露してくれるといわれたので期待したが、ムダ知識のひけらかしばかりで、ひょうしぬけだったな」
「そーれーは! あんたがすぐに知識の上乗せをしてきて、その後の展開すらさせてくれなかったからだろうが!」
「ほーん? 何かいったかな?」
憎たらしくほほ笑む雛祭父。くそう。やってやる。
おれたちの修学旅行をこんなところで終わらせてたまるかよ。
まだ、雛祭さんとの思い出、ぜんぜん作れてないんだよ。
これからだって、思ってたのに。
なんだよ、この展開は!
だって、今日の夜なんだぞ!
オリオン座流星群が降るのは―――。
だったらおれは、雛祭さんの親にだって、雛祭さんの夜を奪わせたりしない。
おれは、すうと息を吸いこんで、今まで蓄積してきたものを一気に放出した。
「うんじょーうちなーにちいてぃじるぐれーぬ知識ぬあいびーが?」
「は?」
案の状、雛祭父は、あっけにとられた顔をしている。
はは、今まではあんなに気取ってたのに、そんな表情もできるんだな。
これまで必死に、沖縄弁を勉強したかいがあったってもんだ。
「ぬーんちうんぐとぅいなぐんぐゎんかいびんちょーしみーるがやー」
「なんだ? なにをいってるんだ」
「わんがくとぅばぬわかやびらに?」
「わからん。もっと、ゆっくり話せ!」
「よーんなーんでぃいーしぇー、くぬぐれーぬスピードでぃゆたさいびーが」
「そ……それは、沖縄弁だな!? なぜ、沖縄出身でもないきみがそんなに方言がうまいんだ!」
「それは……」
雛祭父の問いに、おれはなんと答えようか、一瞬迷った。
迷いに迷ってから、はっきりと答えた。
「修学旅行が楽しみだったからです!」
「な、なんだと……」
雛祭父が動揺し、わかりやすくたじろいだのがわかる。
ここまでずっと、おれに勝ってきたのに、まさか現地の方言で不利な状況になるとは思わなかったのだろう。
おれの沖縄弁は、かなりクオリティが高いからな。
粟國ルキナが出てくるゲームのオフ会で、沖縄出身の同志に出会い、かなり特訓してもらった。
つまり、現地人のお墨付きもあるというわけだ。
「沖縄方言は、大きく分けても、沖縄・石垣・宮古・与那国とあり、お互いの島の言葉はわからないほどに、その島で独自に発展していっている。でも……覚えておけば、すぐ沖縄の人と仲よくなれると聞いて、がんばったんですよ。ねえ、雛祭さん」
おれが振ると、雛祭さんは「えっ、あっ」と焦りだす。
がんばれ、雛祭さん。雛祭さんなら、あの言葉を覚えているはずだっ。
「そ、そうですね。お土産屋さんで、『にふぇーでーびる』といって、通じたときは、とても嬉しかったです!」
「ね!」
「あと、『てゃーがんじゅー、やみせーみ』といったら、返してくれたのもテンションが上がりました!」
「そうでしょ、わかるわかる」
ふたりで盛りあがっていると、パンッ! と空気を入れかえるような音が聞こえた。
雛祭父が、思いっきり手を叩いた音だ。
「ふん。なるほど、よく勉強しているようだな」
「も、もちろんですよ。ほら、修学旅行はいいものでしょう」
「納得ができないところは多々あるがな」
「ええ……?」
「だが、私が持っていないものを、きみのような学生に見せられてしまっては、無理にでもあきらめるしかない。おとなのわるあがきほど、醜いものはない」
今までのあんたの態度は、醜いものじゃあなかったのかーというツッコミは、同然しない。できない。
まあ、雛祭父がまじめな性格で、よかった。きちんと筋道を立てて論理的に説得すれば、それなりに折れてくれた。
かなり、労力を使ったけれど。
水木先生も、教頭先生も、かなりヒヤヒヤしていたのか、ホッとしているようすだ。
「じゃあ、えっと……雛祭さんを置いて、帰ってくれますよね」
恐る恐るいうと、雛祭父は仏教面でうなずいた。
「きみ、名前はなんといったか」
「鯉幟大知ですよ。さっき、名のったじゃないですか」
「そうだったな。覚える価値などないと思って、聞き流していた」
正直だな。なのに、なんでこんなに失礼なんだよ。
この人が雛祭さんのお父さんだなんて、あらためて嫌すぎるだろ。
「鯉幟大知、覚えたぞ」
「覚える気になったんですか」
「きみのような失礼な子どもは、初めてだからな」
いや、それ、そっくりそのまま返すってば。
「ちかな。修学旅行だかなんだか知らんが、しっかりと勉強するように。このテキストに付箋を貼っておいたから、そこを中心に埋めてきなさい」
おい! しっかりと宿題出されとる!
こいつ~! おれが訴えたかった修学旅行の意義が全然伝わってないぞ。
楽しい思い出を作るのが、修学旅行なんだよ!
内心で地団太を踏む、おれ。
しかし、雛祭さんは嫌がるそぶりもみせず、しっかりとテキストを受け取ってしまった。
「はい……」
「よし。では、タクシーも待たせているから、私は帰る。ちゃんとやるんだぞ、ちかな」
「わかりました」
タクシーの後部座席に乗りこんだ雛祭父は、娘に手を振ることもなく、首里城を走り去って行った。
まるで、嵐のような人だったな。
水木先生が、興奮したように「鯉幟くん」と近づいてきた。
「すごいですね、あの沖縄弁! 修学旅行のために、あんなに勉強して来てくれたなんて、先生感動しましたよ」
「あ、いや、そのう……」
やばい。推しの粟國ルキナのための努力です、だなんて今さらいえない雰囲気だ。
おれは、へらへらと笑いながら、「ま、まあ……」と相づちを打つ。
後のほうで、快人とみくりの冷たい視線を感じながら。
「推しのためだよなあ?」
「ルキナのためっていってたじゃん」
ひそひそと陰口が聞こえるが、おれは聞こえないふりをした。