またしても引き止められて、律儀に立ち止まる雛祭父は、確かに気真面目な性格らしい。きっちりとこちらを振り返ってくれるが、その機嫌はかなり悪そうだ。
だからといって、おれも引き下がるわけにはいかない。
雛祭さんにまとわりつくどうしようもない理不尽から、おれが彼女を救える機会は、もうこの瞬間しかないのかもしれないのだから。
「誰だね、きみは」
「……雛祭さんのクラスメイトです」
「名を名のりなさいといっているのだが」
「人にたずねるのなら、まず自分からでは?」
「……なるほど。最近の子どもは、ずいぶんと反抗的だ。いったい、何が原因なのだろう。SNSによって幼い承認欲求が強まってしまったのだろうか」
「えーと……」
名のらないのかよ。というか、この人、本当に雛祭さんの父親なのか? 性格が終わってるんだけど。
「雛祭さんのお父さんなんですよね」
「ああ、名のるのを待っていたのか? 私は、雛祭桃矢という」
「おれは、鯉幟大知です。雛祭さんのお父さん。あなたはさっき、なんといいましたか? おれはそれをもう一度たずねたいんです」
「さっき? 私はなにかいっただろうか」
「いいましたよ。記憶をなくした雛祭さんに対して、『さらに、ばかになったものだ』といいましたよね」
「それが、なにか?」
「いくら親でも、ひどいんじゃないですか?」
「私は子どもの教育に、真剣に向き合っているだけだ。学ばせるためなら、金などいとわない。なのに……裏切られたのだよ」
雛祭父が、大きなため息をついた。
持っていたビジネスバックから、一冊のノートを取りだした。
あれは―――。
「こんなこと考えてる暇があるなら、勉強しろといってるだろう、ちかな。なんなんだ、これは?」
雛祭父が取りだしたのは、雛祭さんの『わたしの異世界転生記録』だ。雛祭さんは、困ったように目を伏せている。
ああ、もう。自分勝手な、おとなの態度に腹が立つ。
「あのですね、雛祭さんは記憶を失ってるんですよね。今、大変な状況なんじゃないんですか。体調が心配じゃないんですか。なぜ、そんなに勉強させなくちゃいけないんですか?」
「記憶がないからこそ、必死に学ばなくてはならないのが、わからないのか。私だって―――娘が心配だ。これは、娘のことを本気で思っているから、していることなんだ。もうこれ以上、他人は口出ししないでくれないか」
雛祭父のいい分は、ひどいものだと思う。娘のためというけれど、こんなのはあんまりじゃないか。
他人がこれ以上、口出しするな、といわれても、雛祭さんを放っておくことなんて、できない。
「あの、雛祭さんの勉強がはかどれば、修学旅行を続けてもいいんですか?」
「何をいいだすんだ、きみは」
「でも、そういうことですよね」
「私はムダな時間を使って、勉学をおろそかにしたくないんだよ」
「じゃあ、今からプレゼンテーションしますよ。どれだけこの修学旅行がすばらしいものなのか」
「……は?」
おれの言葉に、雛祭父はあぜんとしている。みくりが、おれの横っ腹をトンと、小突いた。ひそひそと耳打ちしてくる。
「あんた、何考えてんの」
「本気でいったんだけど……水木先生に許可とったほうがよかったか」
「そーゆう問題じゃないと思う」
頭を抱えるみくり。少し離れたところから、水木先生が走ってよってきた。
「鯉幟くん、今のって」
「あーえと、その」
「……手短にね」
「いや、マジか」
まさか、許可がおりるとは。
しかし、おとなたちが動かないのなら、おれがやってやる。
おれの思いはただひとつ。雛祭さんと国際通りで食べ歩きがしたい。
そのためなら、プレゼンのひとつやふたつやってやるよ。
「それは、ちかなにとって、メリットがあるのかね?」
雛祭父の当然の疑問に、おれはすっぱりと答えた。
「勉強ばかりしていたら、頭でっかちになって、友達や恋人の前で、世間知らずって恥をさらすぞ」
「懸命に勉強をしてきて、世間知らずになるとはどういった矛盾かね? 学べば学ぶだけ、人は賢くなるだろう」
「じゃあ、これ知ってる?」
おれは、貴重品持ち運び用にリュックの中から、一冊の本を取りだした。『異世界転生したら、マシュマロみたいなオバケになっていたんだが、なぜか深窓の令嬢に可愛がられているのでよしとします』。すでに読み終えていたが、雛祭さんのバイブルでもあるこの本を旅行中、家に置きざにすることは、今のおれにはできなかった。
「その本がどうかしたのか」
「あなたは、娘のことが心配だといっていた。だがこの本に書かれている大切なことを、あなたは知っているだろうか」
「私には理解できないことをいっているな」
「多くのことを学んできたあなたでも?」
「これは、何の話かね? 修学旅行がどれほど有益か、というのをプレゼンする、という話じゃなかったか」
雛祭父は気まじめな性格だ。持ちあがった話は、最後まできっちりと聞いてくれるだろう。よし、ここまで話を持ってこれたぞ。
「プレゼン、成功したら、雛祭さんは修学旅行を続けてもいいんですよね」
「私を納得させられたら、話を聞いてやらんでもない」
あとは、まじめなこのおとなを、正論で叩きのめすだけだ。
だが、ただ修学旅行の利点をならべるだけでは、雛祭父は納得しないだろう。
なんとかして、雛祭父をうならせ、おれのプレゼンで学びを得た、と思ってもらわなければならない。
勝てるんだろうか、おとなであるこの人に。
「ったく、首里城で何やってんだよ、大知ー」
「大知のくせに、あんなえらそーなおとなとバトルなんて、すごいじゃん」
「鯉幟くん、ここは人通りもありますから、手短に……」
快人、みくり、水木先生が口々にいってくるが、正直、頭に入って来ない。
ぶっちゃけここが首里城の門前だということも、どうでもよくなっている。
教頭先生が、「みんなー固まってないで、見学してきなさい」と他のクラスメイトたちを奥へとうながしている。
なので、ここに残っているのは、おれ、雛祭さん、快人、みくり、山際さん、水木先生、そして雛祭父だ。
首里城の赤さが、ここを異世界っぽく演出しているような気になってくる。
おれは今から、この性格が終わり気味の雛祭父とプレゼンバトルをする。
―――作戦は、当たって砕けろだ。
「さて。首里城は五回燃えてるって知ってます?」
「当然だ。ちなみに、1453年、1660年、1709年、1945年、2019年に燃えているな」
「くう……じゃあ、美ら海水族館で展示されている生き物の数は―――」
「約720種、約11000点もの生き物が展示されているな。ちなみに水槽は、77槽ある」
「ううーん、美ら海水族館はアジアの人気の水族館ランキングで1位!」
「そうだな。世界の水族館ランキングでは、9位にランクインしている」
このおとなの知識、無尽蔵か!?
こちらの知識に、さらに上乗せして返してくる……並大抵の知識量じゃない!
さすがは、雛祭さんにあれだけ勉強を強要するだけあって、口だけの人間でないってことはたしかだな。
このままでは、らちがあかない。
この盤上をひっくり返せるような、なにかを起こさなければ……。
「鯉幟くん!」
ずっと黙っていた雛祭さんが、おれの名を呼んだ。
顔をあげると、必死の表情で、何かを訴えようとしているみたいだ。
ぱくぱくと、口を動かして、四文字の何かをいっている。
これは―――読唇術を会得していないおれでも、解読できた。
あれだね、雛祭さん。そうか……あれなら、勝てるかもしれない!