金曜日か。やっと、今週も終わったな。
今週は、やけに長く感じた。原因が何かは、わかりきっているが。
今日が終われば、ついに土日。おれは優秀な帰宅部員なので、やることがいっぱいあるのだ。さて、スチームで前から気になっていたゲームが販売開始されたんだよな。帰ったら、さっそくダウンロードするか。
「鯉幟くん」
「な、なに? 雛祭さん」
二時間目の休み時間、雛祭さんが横からひょっこりと顔をのぞかせた。いたずらを思いついた、といわんばかりの、わくわくした顔を浮かべて。
休み時間は新しく買ったラノベを読もうと思ってたんだが、これはむりかな、と悟る。
「どうしたの。おれに、何か用」
「これを、見てください」
雛祭さんは、後ろ手に持っていた箱を取り出し、おれの目の前に突き出した。両手におさまるサイズの白い箱だ。
「何これ」
「ふふふふふ……」
ふたをぱかりと開ける、雛祭さん。なかには、十センチほどの黄金色の長方形が八つずつ、みっちりと入っていた。
「これ、なに」
「なんだと思いますか?」
ふふん、と子どもみたいに聞いてくる雛祭さんに、おれは頭を悩ませた。雛祭さんの目的は、なんだ? おれはいったい、何を試されているんだ……。
でも、この黄金色の長方形って、たぶん『アレ』だよな……。
「雛祭さん、芋ようかんなんて、学校に持って来ちゃだめだろ」
「えっ! だめなんですか?」
「校則違反になるからね」
「コーソクイハン……って、そんなにしちゃいけないこと、なんですね」
悲しそうに、芋ようかんの箱のふたを閉めていく、雛祭さん。
「あー、いや。校則違反は、いけないことなんだけどさ。おれに、芋ようかんを見せようとしてくれた雛祭さんの気持ちは、いけないことなんかじゃないんだ……」
雛祭さんが、そろっと顔をあげる。
「まあ、先生に秘密にすればいいんだよな。だってさ、他のみんなもけっこう、小腹が空いたとき用に菓子パンとか持って来てるし。この学校の先生、全体的にゆるいから、黙認してくれてるんだ。……芋ようかんを持ってきた人を見たのは、はじめてだったから、驚いただけだよ」
「秘密……ですか」
「うん」
「わかりました。秘密ですね!」
記憶喪失になってからの雛祭さんは、まじめな以前と比べて、とても素直だ。子どものように無邪気で、まっすぐに感情を出している感じがする。
記憶を失ってまっさらになったことで、感じるものをストレートに受け取って、そのまま出しているんじゃないかと思うほどで。
それがなんだか可愛く見えて、おれは正直、困っている。話していると、でれでれしそうになる。とろけきった情けない顔を出したくなくて、つい対応がぶっきらぼうになってしまう。このままじゃあ、近いうちに嫌われるだろうな……。
ひとりで想像して、ひとりで落ちこむ、おれ。
「えっと、それで芋ようかんがどうしたって?」
「知ってますか? これ、食べ物なんですよ!」
「ああ、知ってるよ。しかも、これ芋ようかんで有名な店じゃん。舟〇ってとこのやつだろ」
「そんなにおいしいんですか? こんな、美術品みたいな黄色の四角」
「美術品って」
「マインク〇フトの素材みたいですよね」
「なんで異世界転生者が、マイ〇ラ知ってるんだよ!」
「海野くんが、休み時間にスマホで見てたんです。どんなものなのか、ていねいに教えてくれましたよ」
快人のやつ、学校でどうどうとゲーム実況見るなよ……。何も知らない異世界転生者が、まねするだろ。
これも、うちの学校ではいちおう、校則違反だ。ゆるい教師たちが黙認してくれているだけで、見つかったら生徒指導室行きだろうな。
「でも、芋ようかんって似てますよね? マインク〇フトの素材に」
「いや、っふふ、まあ……」
まじめな顔でいう雛祭さんがおかしくて、おれはつい吹き出してしまう。いかん、がまんしないと、そのままツボに入って、大爆笑してしまいそうだ。なんだよ、この人、面白すぎるだろ。
「鯉幟くん? どうしたんですか、震えて」
「あー。雛祭さんのいったことが、おかしくて笑っちゃっただけ……。気を悪くしたんなら、ごめん」
すると、雛祭さんの顔が、ボッと赤くなる。じわじわと耳まで赤く染まっていき、芋ようかんの箱を持ったまま、固まってしまった。
おれ、今、何いった? 雛祭さんの羞恥をあおるようなことをいってしまったのか……?
「ご、ごめ。あの、おれ」
「……鯉幟くん。いっしょに来てください」
「えっ」
雛祭さんに、ぎゅっと手を握られると、教室からそのまま引っぱり出された。引きずられるように、ぐいぐいと廊下を早歩きで通りすぎていく。どこに行くつもりなのか、まったくわからない。
二階の教室から、三階へとあがっていく。三階は主に、特別教室がある。音楽室に、美術室に、視聴覚室。
雛祭さんに押しこめられた先は、家庭科室だった。誰もいない家庭科室に、おれと雛祭さん、ふたりっきり。待ってくれ、これはいったい、どういう事態なんだ。
「わたし、見たんです」
突然、雛祭さんが、ぽつりとつぶやいた。
「な、何を……」
「悪魔です」
「あ、あく……ま?」
「指先、一本でした。スマホに指先ひとつふれるだけで、大量の料理やスイーツが流れてくるんです。『インスタグラム』という呪文だけでですよ」
「はえ……」
「インスタグラムは、恐ろしい呪文です。そこで、凶悪な悪魔に出会ったんです。見てください、これ!」
雛祭さんは、どこに隠し持っていたのか、調理台の上にバターの塊をドン、と置いた。横に、芋ようかんの箱も、並べる。
「フライパンに溶かしたバターで、この舟〇の芋ようかんを焼くんですって……」
「えーと、やってみたいの?」
「家では、できないんです。だから、ここでやるしかないんです」
「いや、でも」
「わたし、悪魔に憑りつかれてしまったんです。インスタグラムのせいで、バター芋ようかんが食べたくて、仕方ないんです」
瞳をうるうるとさせながら見てこないでくれ。いろいろと負けてしまう……。
おれは、家庭科室の時計を見あげた。休み時間のリミットから換算して、今から急いで調理すれば、できなくもない時間だった。
だが、どうしたって逃れられないものがある。
フライパンで溶かした濃厚なバターの香りに誘惑されない、育ちざかりの高校生がいるだろうか。バターは、強烈だ。こうばしいバターの香りは確実に、階下に流れる。バレるだろ。確実に、バレる。
なんて、葛藤しているうちに、雛祭さんはさっさとフライパンの用意をはじめていた。
「ま、まじにやるの?」
「憑りついた悪魔は、これでしか祓えません」
『マシュかわ』に、悪魔祓いするために、芋ようかんを焼くエピソードなんてないが!?
雛祭さんは、真剣な表情で、フライパンを火で熱していく。ちょうどよい温度になったら、バターをひとかけら、フライパンに放りこみ、溶かす。これだけで、ノドがごくりと鳴ってしまうのは、致しかたないことだろう。バターのうまさに抗えない思春期高校生などいないのだ。
じゅうぶんにバターを広げたら、いよいよ芋ようかんを投入。ほどよい焦げ目がつくまで焼いたら、できあがりだ。
「できましたね!」
ちゃっかり用意していたらしい皿に、バター芋ようかんを乗せ、フォークを取りだす。
「どうぞ、鯉幟くん」
「え、いいのか」
「もちろんですよ。だって、鯉幟くんにも食べてほしかったんです。だから、ここまで来てもらったんですよ」
そういえばさっき、家では作れないっていってたもんな。変なところで、厳しい家庭なのか。だったら、家庭科室で作るしかないって思うのかもしれん。
だが、急がないと植えたハイエナどもが来るかもしれないぞ。そうなったら、当然、教師どもも来ることになる。
「さあ、あとはもう一個焼いて……!」
「いや、時間も時間だし、もう一個はむりだ」
「そ、そんなあ!」
「すまん。おれの半分で、我慢しろ。片付け、手伝うから」
「えっ」
雛祭さんの顔が、じわっと赤くなる。
しまった。おれ、何いってんだ。くそ、失敗した……!
「いや、今のは説明させてくれ。ごめん、普通にいやだよな。なんだけど、これは先にフォークで切り分けた半分だったんだ。口つけてなかったんだ。だから、問題ないかと思ったんだが、それ以前に同じ皿から食べるのだって、ありえんよな。まじで悪かった、軽率だった……。いいわけすると、妹がいるんだ。くわえて、みくりのやつも、こういうのを普通にしてくるやつだから、つい……」
「そうじゃなくて……」
「へ?」
オタクお得意の早口いいわけが、マーライオンのように出てきたことすら申し訳ない思いだったが、雛祭さんはふるふると首を振った。
りんごみたいな顔をうつむかせたまま、恥ずかしそうにつぶやいた。
「エーデルリリィでは、食べ物を半分わける儀式は、婚姻のときにするものだと決まっているので……」
そういって、ますます顔を赤らめる、雛祭さん。
「……へ?」
雛祭さんの熱が、おれにも感染したようで、カアッと顔が熱くなる。
でも……待て、待ってくれ!
そんな設定―――『マシュかわ』にないぞ。
雛祭さんの記憶は、マシュかわの設定に上書きされてしまっているんじゃないのか?
じゃあ、今の雛祭さんの発言は、どこの設定なんだ。おれが今まで読んできたラノベのなかに、あったか? だめだ、思い出せん。
恥ずかしそうにしている雛祭さんはとにかく可愛い。だが、今はそれどころじゃない。
雛祭さんのマシュかわに準じた記憶のなかに、別のものが混じっている。これが、戻りかけた記憶なのか、そうじゃないのかはわからないが……。
「ちょっと、あなたたち。何やってるのー!」
おれたちがやっていた秘密は、あっけなく水木先生にバレた。やはり、バターの香りが校内に流れ出ることは、止めることができなかったか。
水木先生の後ろから、クラスメイトや他の学年の生徒たちも、わらわらと集まってきている。
「勝手に芋ようかん焼いちゃ、だめでしょ」
「す、すみません……」
「ふたりとも、あとで、生徒指導室に来なさいね」
「はい……」
急いで、料理器具を洗い終わったところで、授業開始のベルが鳴った。
教室に戻った雛祭さんが、芋ようかんとバターを保冷バッグに入れているところを横目に見ながら、おれは考えていた。
雛祭さんの記憶が戻らないのは、もしかして本人が、元の記憶を取りもどしたくないからなんじゃないか、と。