みくりの両親が帰ってくる時間になったので、帰り支度をはじめる。すると、みくりが不満そうに、くちびるをとがらせた。
「えー、さみしー。ふたりとも、泊まってけばいいじゃーん」
「あほか。雛祭さんはともかく、おれはあかんだろ」
「大知だって、幼なじみなんだし、問題ないじゃん」
「めちゃくちゃな理屈で説き伏せようとしてくるな、おまえ……」
ふてくされるみくりを置いて、さっさと荷物をまとめながら、雛祭さんをちらりと見る。
……送ってったほうがいいよな、常識的に考えて。
おれなんがか、暴漢から彼女を守れるわけがないが、送らないよりは男よりは、まし……だよな。
おれに送られて、雛祭さんが何を思うのかはしらんが。
ええい、いいわけばっかで、うっとうしいぞ。すっぱりと聞くだけ聞いとけ、陰キャ。
「お、送ってこうか。いや、変な意味でなく、まじめに。もう外、暗いしなあ、と……」
「そんな。いいんでしょうか。鯉幟くんの家、どちら方面ですか?」
「大知の家は、あたしの家のそばの神社を曲がってすぐだよ」
みくりがよけいなことをいったので、雛祭さんは申し訳なさそうに、両手を振った。
「なら、悪いですよ。わたしの家、セブンイレブンのほうなので……」
「あー、おれはぜんぜん大丈夫。セブンに用事あるから、ついでだよ」
はっきりいって、セブンに用事などない。なだが、ここで「じゃあ、解散で」は、あんまりだろ。
くそ。みくりが正直にいうせいで、雛祭さんに気を使わせただろうが。
セブンで、マガジンでも立ち読みしてくか。
「それじゃあ、いっしょに帰りましょうか」
「う……うん」
おい、おれ。いっしょに帰ろうっていわれただけで、テンションあがるな。単純なやつめ。
すると、背中にばしん、と衝撃が走った。振り返ると、みくりが眉間にしわをよせて、おれを見あげている。
「な、なんだよ」
「別に」
「はあ? なんで叩いてきたんだよ、今」
「セブンでカレーパン買い食いして、太らないようにね」
「……はあ? おれ、セブンのカレーパンなんて買ったことないけど」
「あっそ」
なに怒ってんだ、こいつ。なんでおれが太るのを注意してくるんだ。ラ〇ザップのトレーナーかよ。
玄関まで見送りにきたみくりは、またもここぞとばかりに迎撃してくる。
「セブンの焼き鳥の串で、のど引っかけないようにね」
「お前、おれののどになんの恨みがあるんだよ」
帰り際までおかしなやつだな。セブンイレブンがそんなに気になるなら、いっしょに来ればいいだろ。なんだったんだ?
ようやく、みくりの家を出ると、外はすっかり暗くなっていた。これじゃ、女の子ひとりで帰らせられるわけなかったな。事前に交渉しておいてよかった。
雛祭さんは、少し肌寒いのか、両手を握りこんで、おれの横を歩いている。うーん、これって上着とか着せてあげるべきなのか……。いや、違う。まだ友達ともいえない関係性なのに、それはやりすぎだろ。気持ち悪いに決まってる。
そもそも、おれは今日、上着なんて着てきてかったけどな。
「あのう」
「へっ」
ひとりもんもんと歩いていて、やっと気づいた。みくりの家を出てから、今まで、ずっと無言だった。いかん、何か話題を出さねば。
おれ、異世界ネタの話題のレパートリーなんて、あったか?
「鯉幟くん。わたし、どうすれば元の世界に帰れるんでしょうか」
「え……」
街灯に照らされた、雛祭さんの表情は真剣そのものだった。
「わたし、不安なんです。なんだか、常に居場所がない感じがして、そわそわしてしまって。学校の校舎裏で、黄色のギアルに包まれて目を覚ましたときから……この世界でひとりぼっちになってしまったような感覚なんです」
今、理解した。
おれ、雛祭さんの気持ち、一ミリもわかってなかったんだな。
いきなり記憶喪失になったなんて、不安に決まってるじゃないか。何もかも失って、知らない世界に来たんだ。右も左もわからず、情報は空白のノートしかない。
おれなんて、今やどこにいくにもスマホ頼りだ。スマホがなかったら、不安でたまらない。丸腰で無人島に行ってるような感覚になる。
だったら、本当に何も持たない雛祭さんは、こんな状況で、どれほど怖かっただろう。どれほど、孤独を我慢しただろう。
「居場所なら、あるよ」
「どこに、ですか?」
「えっと……」
ここに、あるだろ———って、おれはどこのウェブドラマの若手俳優なんだよ。こんなありきたりのセリフ、雛祭さんにいえるわけない。おれは、思春期で中二病のラノベオタクだぞ。おれの隣、空いてますよだなんて、口が裂けてもいえるか。
そもそも、雛祭さんの居場所は、ちゃんとあるんだよ。みくりの、クラスの連中の隣にあるだろ。おれだって……そうだ。
雛祭さんの家族だって、いる。
雛祭さん、どうしてそんなこというんだよ。
「エーデルリリィに帰りたい?」
「はい。わたしの帰る場所はエーデルリリィですから」
ふわり、と花が咲くようにほほえむ雛祭さんの笑顔は、まじで可愛い……のに、どことなく寂しげに見えた。
記憶を失った雛祭さんは、以前のようなまじめな表情をあまりしなくなった。ふにゃ、とした無邪気な笑い方をするようになった。
おれは、今の笑いかたの雛祭さんのほうが、すきだ。
でも、雛祭さんはエーデルリリィに帰りたいんだよな。
「帰る方法、知りたい?」
「えっ! 鯉幟くん、知ってるんですか」
おれは、ゆっくりとうなずいた。雛祭さんにきらきらとした、尊敬のまなざしをむけられ、顔が熱くなる。
帰る方法の情報元。それは、もちろん『マシュかわ』だ。
だが、マシュかわの本編からの引用ではない。
マシュかわのラストは、主人公と深窓の令嬢が末長く仲よく暮らす、純度百パーのハッピーエンドだ。
だが、マシュかわの作者は、異世界転生した主人公が、人間だったころの元の世界に戻ってしまう、バッドエンドも考えていた。
作者は、それをマシュかわのもう一つのエンディングとして、SNSにこっそりと投稿していたのだ。
だから、恐らく雛祭さんは、この設定を知らない。
今のところ、日本に異世界転生した雛祭さんが元の世界に戻るための方法は、これしかないだろう。
「洞窟のなかで……数字を見つけるんだ」
「洞窟、ですか」
「それを、星が降る夜に三回つぶやく」
「星が降る夜……そういえば……見てください!」
雛祭さんがスマホを取り出し、ネットのウェザーニュースを開いた。
そこには、五日後のオリオン座流星群の情報が載っていた。
「今朝、見つけたんです! まさか、夜になって、鯉幟くんからこんな話を書けるなんて思いませんでした!」
「あ、うん……」
「しかも五日後は、修学旅行の一日日ですよ。わたし、がぜん楽しみになってきました!」
「そっか。よかったな」
「はい! 鯉幟さんがエーデルリリィにくわしくてよかったです! さすが、わたしを召喚しただけのことはありますね」
「ま、まあ……」
だから、召喚してないんだって。
「異世界に帰れたら、わたし、真っ先に、鯉幟くんに手紙を書きますよ。エーデルリリィの花を添えて送りますね。ピッパムって花」
ピッパム……そんな名前の花、マシュかわに出てきたっけ?
「手紙、楽しみにしてる」
「はい! 返事、くださいね」
書くよ、ぜったい。雛祭さんのくれた手紙だから。
だけどさ、エーデルリリィにどうやって届けるんだよ。
雛祭さんの記憶……いつになったら、戻るんだろう。