『ねぇオーナー、もしアタシが死んだらどうする?』
『え、何カオルちゃん死ぬの?店しめて話し聞いた方がいい???』
『もしの話だからIfの話だから本気にしないでよ』
『なーーーんだ!よかった〜、気でも病んだのかと』
『アタシ鬱の対義語な女だから大丈夫。生まれてこのかた32年間気を病んだことはないわ!』
『馬鹿は風邪ひかないっていうからな…』
『んもう!鬱は風邪じゃないわよ〜…ってねえアンタ今アタシのことバカって言った?ブスって言った??』
『東大行けなんて言ってないから。そんなに酷く言ってねえ。でもお前が頭弱いのはみんな知ってるだろ?』
『えぇ?みんなバカバカって言うけどそんなにバカじゃないわよぉ、高校もちゃんと出てるし。』
『じゃあ今までの元号言ってみろ。』
『縄文、奈良、平安、江戸、明治、森永、昭和、平成、令和!ほぉら見なさいちゃんと言えてるでしょ』
『いや色々消されててかわいそう。一回ツッコんでいい?????平安から一気に江戸!?何があったんだよ文明開花!!それとちょっと待てお前森永って言った????初耳なんだけど』
『チョコレートの会社だって覚えてるから絶対森永よ』
『それ明治じゃねえの?』
『あれ、森永てなかったかしら??』
『ない』
『嘘よ』
『ほんと』
『嘘だって』
『ほんとだって言ってんだろバカ』
『はぁ?』
『は?』
何故だかもう会えない人間と会話をしている様な気がする。何故だろう。オーナーなんていつでも会えるのに。なんなら仕事で毎日会っているのに。
懐かしい。年を越したのも店のカウンターでだっけ。年号のやりとりで最終的に金的をするほどの喧嘩に移行したんだった。お互い酔っ払っていたのもあって喧嘩になった理由も忘れてしまったし、なんなら喧嘩をしたという事実も忘れていたのは今じゃ職場では一種の伝説となってしまっている。懐かしいな。
あれ…懐かしいってなんでかしら。
『はっぴばぁあすでえカオル子さぁあん〜』
『はっぴばぁあすでぇカオル子さぁあん〜』
『はっぴばぁああすでぇええでぃあカオルちゃぁああああん』
これは確か誕生日をお祝いしてもらった日。でもどうして?さっきまでは年明けの喧嘩していたはずなのに。プレゼントだと受け取った箱の中には誕生石があしらわれたピアスが美しく並んでいた。
『いやぁあん!ちょぉちょぉちょぉちょおきゃわいいんですけどぉ!』
『でしょカオル子さん!みんなで休みの日に選びに行ったんですよ!』
『男5人でアクセサリーショップな。とんでもねえ目で見られたなぁ。』
『あらわざわざお休みの日に買い物に行ったの?アタシのために???みんなちょっとアタシのこと好きすぎじゃあない?』
『だってカオル子ちゃんはこの店の看板娘だもんね〜はい、これ女性陣からのプレゼント』
『あら綺麗なラッピング!ガサツな男陣とは違って華があるわねぇ〜!』
『文句言うなオネエ!現金で返品させるぞ!!』
『冗談だって冗談、でもオーナー?アタシにオネエって言ったこと絶対許さないからね。』
『え〜、店でもお前のバースデーイベントやるから許してよ〜』
『きゃあ!これアタシが欲しがってた新発売のグロスじゃない!!』
『聞けよ!!』
『しかもこの色、普段のお仕事につけていくやつに似てるから普段使い出来ちゃうじゃない!』
『そうなんです、こっそりカオル子ちゃんのリップ勝手に使っちゃったんですけどやっぱり合ってて良かった〜!』
『あら下調べも素晴らしいじゃないの、アタシのために使ったんだから怒らないわよ。でもアンタたちこれ高かったんじゃないの?』
『みんなでお金を出し合って買ったんです。でも一つしかプレゼントできなくて申し訳ない…』
『なぁに言ってんのよ!プレゼントに量は関係ないわ!大事なのは気持ちよ気・持・ち!』
あのグロスほんとにすごくって、ちょっと物飲んだり食べたりしたくらいじゃ発色落ちなくてすごい便利なのよね。ピアスもリングより小さいのにちゃあんとアタシの耳で存在感を放ってるしアタシに似合ってるし。本当に人間に恵まれたわ。
そろそろ目覚ましが鳴るのかしら…。仕事は楽しくってもやっぱり起きるのは嫌ぁね…。
『おい貴様逃げるのか!魔術使いなんだろう!術を出して見せろ!』
何これ。
『捕らえて処刑してくれる!』
何これ。
『バーニット!』
何これ熱い、逃げなきゃ殺されちゃう。
先ほどまで確かに日常の一箇所に腰を下ろしていたはずなのに突然の罵声で景色は一変する。明かりも星も月も全くない、ただ真っ暗な空間の中を死に物狂いで駆け抜ける。今後ろを追いかけている人に捕まればおそらくただでは済まない。まだ死にたくない。逃げなければいけないと体中が警告している。心臓も肺も、張り裂けそうになるほど走った。走って走って、ただがむしゃらに走り続けて、あともう少しで逃げ切れそうだと希望を持ち始めた時、突然足元の草が絡みつき動けなくなる。
『なんでよ!離してよ!アタシ逃げなきゃいけないの!』
『捕まえろ!首を刎ねろ!』
やだ!何もしてない!待って、誰か助けて、アタシを見捨てないで、やめて、
「助けて!」
自身の叫び声によって意識が現実世界へ叩き起こされて意識が覚醒した。そこは見知った自分の部屋でも、いつだったか投げられた土の道でも無かった。白灰の石が規則正しく並べられた煉瓦のような天井。だがそれと対比するように背中に伝わってくる感覚は何よりも柔らかかった。
「ぉ。目が覚めたか。」
「……あれは…夢?」
「随分魘されていたが、よほどひどい夢を見たんだろうね。」
「…すごい嫌な夢だった気がするわね…叫んで起きたのなんて小さい時にホラー映画見た日の夜以来よ………ほぉんとやになっちゃ………ん??????アンタ誰?????ここ何処?アタシは何を?????」
自称口から生まれた女なのでそんな天井と背面を感じながらも喋りかけられれば自然と会話を始めてしまう。ただぼんやりとした脳が自然に今の状況を緩やかに吸収していくとともに自分は誰と会話をしているのか、此処はどこなのかという莫大な疑問が津波となって押し寄せてきた。
「何も覚えていないのか?」
「覚えていないも何も場面が暗転しすぎてもう何が夢で何が現実かわからないわ…てかアタシ目を覚ますたびに場所移動してるんだけど。何?倒れすぎじゃないアタシ。昔読んだ少女漫画の病弱ヒロインみたいだわ……」
「ほう、記憶が混濁している、と。」
「そうそう、なんで今こうして寝てるかもわからないし。ずーっと今も天井しか見えないし。アナタは一体誰でなんなのよ」
「私はこの屋敷の主人だ。何、と聞かれれば困るが人間だとでも言っておこうか。」
「主人さんなのねぇ…初めまして。アタシはカオル子。ここ最近でもう3回目くらいの自己紹介よ…ん?3回目?なんでそんなに自己紹介してるのかしら??」
「知らん。それだけ人に会ったということじゃあないか?目が覚めたならいい加減体を起こせ。寝続けるのも体に悪い。」
「初めましての人がいっぱい、ねぇ……。確かにアンタのいうことにも一理あるわ゛っっっっ!!?痛っっっっったぁああああああい!゛」
ずっと仰向けで話しているのもなんだか妙な感じがする。それに声の主の顔と今自分がいる状況を理解しなくてはいけないと起き上がるために寝台に手をついて体重をかけて起き上がった瞬間だった。体中に鈍く激しい痛みが襲いかかってきたのだ。思わず体を縮こませて悶えてしまう。涙で滲む視界には包帯が幾重にも巻いてある自身の体が指越しに見えた。
「アタシ、アタシなんでこんな怪我してるの?確か…あ、そうだ…お酒飲んで、服買って、お散歩してて…そのあとどうしたっけ……」
「君は崖の下に落ちていたんだよ。最初見つけた時はゴミかと思ったが、なぜ落ちたのかは知らないけどよく生きていられたものだ。」
「あ!!!!おっっもいだした!!そうよアタシ変な人たちに追いかけられて、危ないと思った時にはもう崖からころり……」
「何をどうしたら変な人に追いかけられるんだい?君は余程奇妙なことをしていたんだろうよ。」
やっと視界に捉えた男はため息が出るほど美しい容姿をしていた。すらりと高い身長、艶のある上品な黒髪、何故この人間を作る時にまつげをもっと間引きしなかったんだと神に問いたくなるほどに男にしては長いまつ毛。キリとした吊り目の中に見える瞳は尖晶石レッドスピネルのように自信に満ちて美しく気高く鎮座していた。
余りの美しさに中途半端に口を開いたまま硬直しているとその人形のような男は『寄りかかれば幾分か楽だろう』とヘッドボードに適当なクッションを差し込み、体を支えながら彼女をそこへよりかからせた。
「アンタ…恐ろしいくらい美男子ね……」
「ありがとう。容姿には多少自信があってね。褒められるとは光栄だ。」
「ナルシスト?って罵りたかったけど事実めっちゃ綺麗だから何も言えないわ……」
形の良い唇を円弧状に曲げて軽やかに笑う男は何やら室内を移動するとローテーブルから何やら深い海の底を濾過したような色の液体が入った試験管と透明な液体の入ったティーカップを持ちあげる。
「痛み止めだ。多少傷の治りを早めるために補助はしたがまだ痛むだろう?飲みたまえ。」
受け取ってみるとティーカップの方に入っているのは水だろうと予想ができるが問題は試験管の方だ。漢方独特のあの匂いと、幼少期に育てていたカブトムシの飼育ケースの中の匂いが混じったような未知の存在だった。
「…え、これ怪しい物じゃないわよね、飲んだら死んだりしない?」
「それを飲ませて殺そうとするんだったら君を助けたりしないさ。」
「本当に飲むの?とてつもなぁく嫌な匂いがするんだけど。」
「ほんのちょっぴり苦いだけさ。だから口直しに水も用意した。」
「口直しって言っても口の中のえぐみを喉に移動させるだけのやつでしょ、それに美形の言う『ちょっと苦い』はとんでもなく苦いって相場で決まってるのよ。」
「相場?言っている意味がわからないが、その体の痛みを抱えたままでいいのなら飲まなければいいさ。」
「これ飲まなきゃずっと痛いのよね………」
しばらく試験管の眺めていたが覚悟を決めたのだろう。苦味を感じるのは一瞬だが痛みを感じるのは長い。大きく息を吸って止めると一気に口の中に海色のダークマターを流し込んで飲み込んだ。
「にっっが、!!!マッズ!!!おぇ、おぇええ…、」
「ほら早く水を飲め。そのための水だと言っただろう?」
カップに口をつけ紅茶に見立てて優雅に啜る……なぁんてことはこの状況を見れば絶対にできないことがわかるだろう。口の中を、舌を洗い流すかのようにガブガブと口をつけて飲んだ。
「っぷはぁ、何とか山は越えたけど、やっぱりまだ風味が残ってるわ…あ、これ鼻で息しちゃいけないやつだわ、カブトムシの土食べてる味がする」
「土で感想を言うということは君は土を食べたことがあるのかい?」
「ないけど!ないけど匂いと味って一緒じゃない?それしか例えようがないのよ!」
「まあその薬がおかしいほど不味いって言うのは私も同意するよ。お疲れ様。まぁ直ぐに効果が出てくるものだからね。良薬は口に苦しという言葉があるようにそう思って耐えるしかない」
「確かに………そう思って頑張るわ………ぉぇ」
まだやはり体は痛いが凄く効く薬だと思えば徐々に楽になっている気がしてきた。美青年に目をやれば自身が飲み干したティーカップをローテーブルに置いてあるトレーに置いていたる。そのトレーは鉄のように見え、飾りが施してあった。
「そのトレー可愛いわね、アタシそう言うデザイン好きよ」
「ありがとう。今は出回っていないデザインでね大事に大事に使っているよ。」
「物持ちが良いのは良いことよ。アタシなんてすーぐ物失くしちゃう。」
「それは気持ち1つでどうにかなると思うが。」
『どうにもならないこともあるのよ』と反論する前に男が小さく、ペットを呼ぶかのように口笛を吹いた。昔見た映画にそんなシーンがあった気がする。ただ男の口笛の合図で寄ってきたのはペットでも、生き物でも無かった。
トレーと同じようなデザインのメイドさんが使うような銀色のワゴンがきぃきぃ音をたてながらやってきたのである。
「何なになに!?ぇ!?なんで誰も動かしてないのにワゴンが動いてんのよ!オバケ!?透明人間!!??!?!?」
「まぁまぁ。そんなに驚く事ではないだろう?」
「いや驚くわよ!誰もいないのに来るワゴンなんて魔法みたい」
「…まぁ、似たようなものさ。」
「どういうこと?アンタ魔法使いさんなの?この世界には魔法が使える人がいるんだって聞いたわ」
「そうだ。君も集会で習っただろう?『このまま神様をお慕いして、勉強に励んでいればいつか魔法が使えるようになるかも知れないよ。だからお祈りを沢山しましょう』ってね。」
「いやいやいや、習わないわよ宗教じゃあ無いんだから。」
「何?国民の義務だとされているのにその教育を受けたことが無いのか?」
「生憎アタシは無宗教なのよ。宗教勧誘はお断りよ!」
その言葉を聞けば男は突然真剣な真顔になりぶつぶつ独り言を言い始めた。
「この国のほぼ全員が知り、尊敬し敬うものを何故こいつは知らんのだ?親が教えなかったのか?それとも敢えて教えを聞かなかったのか………こいつもしや"此方側"の…………」
「なぁに?突然ぶつぶつ言い始めて………アタシなんか不味いこと言ったかしら、」
「ん?嗚呼、少し考え事をしていただけだ。気にしないでおくれ。」
「ふーん、じゃあアンタは魔法が使えるってことね。アタシは使えないからちょっと羨ましいわ」
「まぁ良いことは余りないね。」
「そうだ!魔法よ!!」
「突然どうした大声なんて出して」
会話の途中で突然大声を出したカオル子をぎょっとした顔で見る彼にカオル子は思い出したと話し始める。
「アタシ魔法が使えないって言ってるのに魔法が使えると勘違いされて、それで魔法石?杖?とかもこの世界の人間じゃあ無いから当然知らないのに『魔法が使えるのに石も杖も持っていないのは魔術だ!』って追いかけられて、それで逃げてて崖から落ちたのよ!!アタシ彼処から落ちたのに生きてたの!?化け物ね!」
「ほう…不審者扱いされていた理由が実に興味深いな。それで君は魔法か魔術か、どちらかでも使えるのかい?」
その質問に男は目を細めて品定めをするように、なにかを見破ろうとするようにカオル子を見つめ返答を待つ。
「だーかーら、両方使えないってばぁ、使えるんだったら崖から落ちてこんなにボロボロにならないでしょ。飛べるでしょ」
その返答を聞くと男は大きく感情は表さないが一つ瞬きをした後また笑顔になった。何やら感情が動いているらしい。ここでも対人間会話用にしか機能しないカオル子の感情センサーが働いた。
「両方使えないのに罪に怪しいだけで罪に問われるとは…全く、ウェスティア勇義隊は躾をしっかりして欲しいものだ。」
「そーよねぇ!話さえ聞いてくれなかったんだから!しかも愛用の靴まで燃やされちゃって…」
「燃やす?マッチでも落とされたのかい?」
「違うわよ、肌露出多めの女の子がなんか呪文?見たいなの唱えたら急に靴が燃えちゃった…お気に入りだったのに」
「何?その女は杖か魔法石持っていたのか?」
「あら、食いつきがいいのね。確か持ってた重そうな剣の持ち手?柄?みたいな感じの先っぽになんかついてた気がする」
「色は?形は?大きさは?他にはどんな魔法を使っていた?そいつは勇義隊の一員なのか?」
ぽんぽんと矢継ぎ早に投げられる質問に目を回してしまう。ただでさえ暗くて宝石があったのかさえやっとのことで捻り出したのに色や形を聞かれれば答えられる訳がない。
「ちょっと!ゆ、ゆっくりゆっくり!色や形は見えなかったけど変な隊の先頭にいたわ!」
「勇義隊が来ていたのか。それに魔法使いがいる隊とは相当前線の奴らだな…」
「な、なに?顔が怖いわよ?」
「顔が怖いのは生まれつきさ。まあ君を拾ってから一週間経っているし、目的であった君が崖から落ちて死んだんだ。もうここにはいないだろう。心配することじゃない。」
「え、ちょっと待って????アタシ一週間も寝てたの????え?」
「嗚呼。一週間寝たきり。正直もう脳が死んでいるかと思ったんだが処分しようと思っていた矢先に目醒めた。」
「あっっっぶなかった、下手したらアタシ殺されてた、の?」
「人聞の悪いことを。」
「でも事実じゃない。」
「…………まあ生きていたならよかったじゃないか。」
「アンタねぇ!!」
「…ベル様………」
「ベル様、お喋り……?」
食ってかかろうと思ったが子供の声にピタ、と声を上げるのをやめた。声のする入り口の方に目をやると見覚えのある子供二人がこちらをそっと覗き込んでいた。
「あれ、アンタたち」
「お姉さん起きてる………」
「…おねいさんいきてた…………」
「あの時の双子ちゃんじゃない!」
「嗚呼、散歩をしていたらこの子達が君を見つけてね。助けて欲しいと言われたから助けてやったんだ。感謝したまえ。この子達がいなかったら君は確実に拾われずに死んでいたんだから。」
「そうだったのね……ありがとう、えっと…お名前は?」
双子は男に懐いているらしく男に抱き抱えられてベッドを、ベッドに寄りかかるカオル子を見下ろしている。あの時助けた子供はこの家の子供だったのかと2人ぼっちでは無かったことに安心する。お礼を言おうにも名前がわからないため、おずおずと名前を尋ねた。
「………モノ……」
白いふわふわとした髪の毛を持つ子供はそう名乗った。
「………ジノ………」
その後に続くように灰白色の少し髪の短い子供もそう名乗る。
2人ともあの八百屋で見た時とは異なる服を着用しており、お互いの頭髪に遂になるようなブラウスに俗に言うかぼちゃパンツ、と言ったような物を身につけていた。
「モノちゃんとジノちゃんね、助けてくれてありがとうお陰でこうしてお話ができるわ」
「モノ、男の子………」
「ジノも男の子………」
「あら!ごめんなさい、アタシ誰にでもちゃんって付けて呼んじゃって………嫌だったらくんって呼ぶわよ」
「………ジノ、ジノちゃんだって」
「モノもモノちゃん、だって」
お互いの名前を『ちゃん』をつけて呼び合い、くふくふと笑う姿はどうにも可愛らしい。自分が動けていたのなら真っ先に立ち上がって撫でていたのにと少し悔しくもなる。
「モノ…モノちゃんでいいよ」
「ジノも………ジノちゃんがいい」
「ホント!?じゃあお言葉に甘えさせて貰うわ!ありがとうねモノちゃん、ジノちゃん」
双子はくすぐったそうにもう一度笑うとモジモジしながらカオル子に名前を尋ねる。その様子を抱き上げながら男は慈愛に満ちた表情で柔らかに見つめていた。
「アタシは磯西薫って言うの。カオル子って呼んでくれたら嬉しいわ」
「カオル子………」
「カオル子ちゃん………」
「可愛いお名前ね、ジノ」
「うん、カオル子ちゃんお名前、可愛いね。モノ」
「あらやだ嬉しいこと言ってくれるじゃないの!…ところで双子ちゃんのお名前はわかったんだけどアナタの名前はアタシまだ聞いていないんだけど。」
「ん?私かい?」
「自己紹介してないのアナタだけなんだけど。」
「そうだったね。名乗り遅れて申し訳ない。私はベルベット。ベルベット・ハートさ。この館の主人でこの双子の保護者。ベルベットでもハートでも。好きな方で呼べばいいさ。」
「わかった。………っってアナタその若さで保護者なの!?結婚してるの!?奥さんはいるの!?」
随分若い見た目なのに保護者と聞けば感心よりも驚愕の方が先に飛び出した。失礼な質問をしまくっている自覚はあるが一度抱えた疑問は、不味い薬のおかげで痛みが引いた体から爆音となって紡がれた。
「五月蝿いうるさい…大声を出すな。結婚はしていない。この子達は拾い子だ。」
「嗚呼、そうなのねぇ無粋な質問だったわ。ベルベットとハート、どっちがお名前なの?」
「わかればいい。何方も名前だが?」
「違う違うそうじゃなくて、どっちが苗字でどっちがアナタのお名前なのかってことが聞きたいの」
「嗚呼成る程。ハートが苗字さ。」
「ハートちゃん…だと女の子っぽいか。じゃあベルベットの方で呼ぼうかしらね。宜しくベルちゃん」
「ベルちゃん?」
「…ベル様、ベルちゃんだって…」
「ベル様…ベルちゃん……」
「いいじゃないお揃いで。モノちゃんジノちゃんベルちゃん」
「いや私はちゃんは……」
「ベル様、お揃いうれしい」
「ちゃん、お揃いうれしい」
「…………わかったよ。ちゃんでいいさもう………」
期待と喜びを目に秘めた双子の熱烈な視線に根負けして呼ばれ方を矯正する気はすっかり失せてしまう。ため息を吐きながら言いたいことがある、と言う双子をベッドに乗せてやった。
「あのね、カオル子ちゃん…」
「あのね、カオルちゃん、」
「なあにどうしたの?」
「あの時、モノとジノ庇ってくれてね、」
「あの時、みんなに怒ってくれてね、」
「ありがとって言いたいの」
「ありがと…したい」
双子は眠っているカオル子の元に毎日毎日通い、いつかカオル子が目覚める時を心待ちにしながらありがとうの練習をしていたのだ。ちゃんとお礼を伝えられたことに喜びベッドの上からベルベットに言えたことを報告する笑みを向けていた。
「寝ている君に向かって毎日練習していたんだ。うんとかすんとか言ってやれ」
「っ…ぐず、」
「…は?」
諭すように黙りこくってしまったカオル子を見下ろせば大量の涙と鼻水を垂らすなんとも不細工な顔がそこにはあった。まさか泣くとは思っていなかった3人は大慌てでオロオロするしかできない。
「石投げられてぇっヒッグ、やな言葉言われてたらぁっグズっ、助けるのなんてぇ゛っエグゥ…あたりまえなのにぃ」
「おい、なんで泣いてるんだ、痛み止めが切れたのか?」
「ぁゎ、カオル子ちゃん、泣かないで、」
「カオルちゃん、ゎ、泣いてる…」
「アタシに゛お礼なんてぇ゛うぁ゛ん、いいこたちでぇ゛」
「わかった、わかったから泣き止め汚いな…」
ポケットから取り出した白いレースのハンカチを手渡せばメソメソ泣きつつも涙を拭き取る。しばらくメソメソしていたが徐々に落ち着いてきて彼女は心配そうに双子に顔を覗かれていた。
「ありがと…やだった?」
「…やだた?」
「嫌なわけないじゃない!嬉しくって良い子すぎて思わず泣いちゃっただけだからぁ、ありがとうはこっちもよ。アタシのこと助けてくれて本当にありがとうねぇ」
包帯ぐるぐる巻きの手で双子の頭を撫でる。骨に染みるかすかで鈍い痛みはあるものの薬はそのほかの痛みを消し去ってしまうほどの有能っぷりだった。双子は『また撫でられちゃったね』とひとしきり撫でられるのを堪能すればよいしょよいしょと布団から降りていった。
「カオル子ちゃん、早く治ってね」
「カオル子ちゃん、がんばれ」
「食べて寝れば治る。また痛みが再発したらあの薬を用意してやるさ。」
「わかったわよ、アタシすーぐよくなっちゃうんだからね!」
やる気十分とガッツポーズをした彼女に『お昼ごはん楽しみにしててね』なんて可愛らしいことを言って双子は部屋を出て行った。
「さて…戯れはすんだかな。」
「……え?」
双子がいなくなれば突然扉が大きな音を立てて閉まった。石の壁に嵌められた窓の外には青空に照らされた空間が広がり、日光も多少部屋に入り込み明るかったが心なしか今は薄暗くなってしまって見える。
先ほどまで双子に慈愛の笑みを向けていた人間と同じ人物だとは思えないほど一切の表情を消し去った男はこちらへと軽蔑の眼差しでも投げるかのように見下ろしていた。
「カオル子。お前が何処の誰でどんな人間か。はたまた人間ではないのか。じっくりと教えて貰おうじゃないか。」
命が助かって可愛い双子とお話しできたことを喜んでいた過去のアタシへ。
とてもコワァイ美形に殺されそうになっています。助けてください。
現在ヘビに睨まれたカエル状態のアタシより。
カオル子の残金あと 99万1200ペカ。
第4話 (終)