酒場に入った時にはまだ朝特有の澄んだ空気とじんわり染み渡るような日差しだった天候も昼を少し過ぎるまで駄弁っていた名残で室外に出れば、脳天をじわじわと焼いてしまうような強い光とコントラストが強くなった青空に様変わりしていた。
いつもカオル子が自室のカーテンの隙間から朝一番に見るのはこの空でまだこんな時間なのに既に少し疲れているという普段では経験しないような体感に些細だが改めて異世界へと足を踏み込んでしまった事を感じさせる。
丁度昼時らしく通りすぎる民家の煙突や窓からは美味しそうな匂いのする煙が上がっていた。
「あーあぁ…これがテーマパークだったらなんの気もなく楽しめたはずなのになぁ…」
「テーマパァク?なんですかそれは?」
「あそっか、アンタたちはわからないんだったもんね」
「カオル子さんがいたっていう世界にゃそんなもんがあるんですねぇ、よかったら道がてらおもしれえ話してくださいよ」
「いいわよぉ?じゃあテーマパークの話でもしましょうか」
どうやらチョロチョロっと行くというのはすぐ近くというわけではなかったらしい…五分も歩けば着くと思っていたが町並みは全く変わらず同じようなところを歩き続けている錯覚にもとらわれてしまう。ただ確かにそこは違う場所で確実に歩みを進めているらしく時折ダニアンが知り合いなのか、似たような背格好の男達と話しているのがわかる。
道端の石を蹴りつつどうせ歩くのだったら彼のいう通り何か面白い話でもしてやろうとポロっと口に出したテーマパークについて話すことにした。
「テーマパークっていうのはねぇにおいて、なんか明確に崇め讃えられるマスコットキャラクターみたいなのがいてね?それぞれ色んなテーマを持って乗り物とかショーとか、パレー ドとかを見せたりする施設なの。」
「なんじゃそりゃ……」
「わかりやすい例ほしい?」
「お願いしてもいいっすか、俺の頭ではわからねえや…」
「ちょっと待ってね捻り出すから」
彼らにとってわかりやすい例えとはなんだろう。自分もいつだったかお店でテーマパークと遊園地の違いの話になりパキッとした明確な違いを偉大なるグ○○ル先生で知ったところだ。いきなり例えを出してみるのは難しいだろう。
ただ少しでも話のたねとなれば良いとない頭を全力で使いどうにかわかりやすい例えを構築していく。
「あ、きたかも」
「お、いけそうですかい」
「いけるいけるいい例えが出てきた」
「じゃあお願いしまっせ」
「アンタたち魔法使いさんを崇拝してるでしょ」
「はい。あんな学問に精通して神様と対等の力を手に入れるなんて並大抵の努力じゃできねえことですから」
「その魔法使いさんをテーマにした娯楽施設って考えてみてちょうだい」
「魔法使いさんをテーマに?」
「そう。魔法を体験できたり、魔法使いさんの冒険を乗り物で体験できたり、本物の魔法使いさんと触れ合っておしゃべりできたり、魔法使いさんをイメージした食べものがあったり……。テーマパークはそういうところよ。」
反応がない相手に心配になり『伝わったかしら…?』と尋ねれば突然大きな拍手が爆音で生み出された。
「すげえ!そんな楽しいところがカオル子さんのいたところにはあるんですねぇ!いいなぁ俺も行ってみてぇなぁ゛〜!」
良かった。どうやらしっかり伝わったらしい。
だがここで大事な補足をしておかなくてはならない。
入るにはキャラクターに対して多額のお布施をしなくてはいけないと言うことを。
「ダニアン、夢をぶち壊すようで悪いんだけど補足付け足していいかしら?」
「へぇ?ここで夢がぶち壊れることなんてあるんですかい?」
「そのテーマパークに入場するには入場するだけでアホほど金がかかる。」
「アホほど。」
「そんでもってパーク内での飲食、これもバカほど高い」
「バカほど。」
「うん。」
「まぁ魔法使いさんに会うには貢物をしねえと会えねえですからね」
「いやに物分かりがいいじゃない。オタクの鏡かしら?」
「オタクの鏡?オタクってなんですかいな?」
「その物が好きで好きでたまらないって人のことよ」
「魔法使いさんに憧れんのは俺だけじゃねえと思いまっせ」
「じゃあそいつらは全員オタクよ。今度からそのものが大好きで大好きでたまらないって人を見かけたらオタクって呼びなさい。」
「へい!いやぁ面白い話が聞けましたよ!これで寝る前の子供の話に困らねえ」
「ダニアンアンタ子供がいたの!?てっきり独身子なしかと思ったわ」
「へい!美人な奥さんと元気なガキンチョが5人いまっせ」
「思ってたより多いわね…。」
「毎日やかましくて大変でっせ。でも俺の大事な宝もんなんす」
「アンタつくづくいい男よね」
「褒められて嬉しいすぁ」
「…でもアンタ今日仕事サボってるわよね?」
「……まあそれはそれ、これはこれですぁ。ちゃんとカオル子さんを服屋に送り届けたら仕事に戻りますよ」
「ほんとにぃ?てかそれじゃあ今日全然働いてないじゃない」
「奥さんにはなんかうめえもんお土産で買って行って機嫌取りしようと思いますわ」
「そうした方がいいと思うわよ、というかアタシのために仕事休ませちゃったみたいになってるわ、ごめんね」
「いやいや俺が飲みたくて付き合ってもらったんでこちらこそありがてえです!」
「そう?じゃあ素直にお礼は受け取っておくわ……って結構歩いてるけどまだ着かないの?」
歩き始めてもう既に30分近く経っている。ずっと道なりに家があると思っていたが今歩いているところはかろうじて土の道はあるも両サイドの家のあった場所は完全に畑と雑木林だけの土地に様変わりしている。チョロチョロっと行くは全然早くなかったと二度目になるがその言葉を噛み締めた。
「もうちょいでつきますんでもうちょっと待ってくだせえ、あ、ほら!家が見えてきましたでしょ!あそこほら!」
「えー。どこよ」
なるほど、目を凝らせば少し離れたところに家の屋根がわかる。一歩一歩確実に近づいていけば再び家々が連なる群であることがわかった。しかも先ほどまで呑んでいたところより幾分か賑わっている。その住宅密集地に足を踏み入れしばらくすれば八百屋のような店は露店で露の滴る新鮮そうな野菜や果物を売っており、その向かいの店では近くに川か海でもあるのだろう。目の輝いた生きの良さそうな魚を売っていた。
「わぁ……さっきの所もすごかったけどここもすごいわねぇ」
「やっぱり専門的な買い物がしたくなったらここの地区に来るんですよ。今日は八百屋に嫁さんと子供が好きな葡萄が売ってるんでそれを買って帰ることにしますわ」
「いいわね、すごい新鮮で美味しそう」
「お、素っ裸のにいちゃん、このレイトンの市場に来たからにはうちの店で買っていかないと損するぜぇ?」
「ここはレイトンっていう所なのね〜すごい賑やか。おじさん今日のおすすめは何かしら?」
「今日は採れたてのリンゴと葡萄、それにもぎたてのラプンツェルだな!葡萄食ってくか?」
丸く宝石のように輝きを湛えた赤紫色の果実を手渡されれば口に放り込む。ハリのある皮を歯が破り割くと甘い水分に満ち溢れた果肉が口一杯に広がっていく。少し歩いて乾いた喉も冷たい果汁が満たしていった。
「んん〜っ!ちょー美味しい!!」
「はは!だろ!!」
「あ、そうだダニアンアタシが買ってあげる葡萄。」
「え、いいんですかい!?居酒屋でも奢って貰っちまったのに!」
「だってアンタアタシを見物させてくれるために休んだんでしょ。奢ってもらえるって言われた時は素直にご馳走様って言う人間になりなさいよ」
「ありがてえありがてえ…いつかこの御恩は必ず返しますんで!」
「じゃあ今度奥さんと子供達見せてね。おじさん葡萄2房頂戴」
「毎度!2房で1500ペカだよ」
先ほど居酒屋でもらったお釣りを取り出してみる。柄の違う紙幣には『1000』と書いてあるものが3枚。そのうちの一枚と『500』と打刻された金色の丸い硬貨を差し出した。
「1500ペカ丁度だね!毎度っ!」
どうやらお金を払うことに成功したらしい。ただお金を払うという行為なのに初めてのお使いでもした時のような妙な達成感を覚えた。自分は違う土地でも何だかんだやっていけるんじゃないか。そんな淡い期待さえも抱いていた。
気の良さそうな店主は見たこともない木と紙の中間地点のようなものに上手に葡萄たちを包むと麻紐のようなものでくるりと取っ手をつけて手渡してくれた。
「また買いに来てくれや!」
「勿論よ!今度もおすすめ置いておいてね」
店主に挨拶を交わし店から離れたあとダニアンに葡萄を渡してやった。
「振り回して落っことして帰らないように気をつけるのよ?奥さんたちと食べて頂戴な」
「ありがてえありがてえ…ほんとナンベンお礼を言ったらいいのやら…」
「もういいわよお礼は、いっぱい貰ったから。さて、問題の洋服屋さんはどこかしら?」
「そうだったすっかり忘れてた!もうちょい、今度はほんとにチョロっと行ったとこですわ」
「チョロチョロって信用しないわよアタシ」
「まあまあそんなこと言わないで、今度は本当ですから」
賑やかな街音楽とそれに群がる子供達を通りすぎていけば靴の看板や服の看板が目立つところに入った。空いた窓からは店内の様子が伺える。店内には色とりどりのアクセサリーや仕立てたであろう洋服がどこの店にもずらりとお行儀よく並んでいる。
「すごいわね…とっても綺麗」
「ここいら一帯は全部服とか靴とかの店でっせ!ここで好きなお店を選んで好きな服を買ってくだせえ。俺はそろそろ戻らねえと、仕事終わりまでに仕事を始めるっつーのができなくなりそうで、」
「じゃあ急ぎなさいよばか!」
「へへすいやせん、あ、ここのエリアをちょっと行くとさっきとは違う八百屋が一軒あります。そこ越えれば宿があるんでもし泊まるようだったらそこ使ってくだせえ!」
「何やら何まで道案内ありがとうね。」
「こちらこそいろんな話してくれて、お土産までもらっちまってありがとございました!」
「だからもういいって、さ、早く行っちゃいなさい!間に合わなくなるわよ!」
彼と別れを告げれば彼は今きた道を慌てて走っていった。大事そうに葡萄を両手で抱えながら。ここまでの半日しか彼と共にはいなかったがそれなりに楽しかった。知らない事を、知らなければこの先困ることを教えて貰った彼には頭が上がらない。
空の色も夕方を含み始めそうな気配をしているため急いで服を買おうと先ほど窓から覗き見した店舗へと足を進めた。
「これ普通に入るのでいいのかしら?」
閉まっていた扉を恐る恐る引っ張ってみる。開かなかった。
もしや自分の力が足りないのだろうか。何度か頑張って引いてみるも店舗の中で居酒屋とは違うドアベルの音が響いていることしかわからない。
どうしようと一度手を離すと空いた窓の中から声が飛んだ。
「お客さん!引き戸じゃなくて押し戸よ!」
なるほど。押してみれば先ほどの葛藤が嘘のように軽やかなドアベルの音を立てて扉が空いた。
「もう!ずーっとドアベルだけカラカラなってお化けがきたかと思っちゃったじゃない!ってあなたなんで上何も着てないのよ!」
「びっくりさせちゃってごめんなさいね〜押し戸だと思わなかったもんだからぁ、あ、お洋服はねぇ〜なんていうか落として来ちゃったの」
嘘は言っていない。化粧の濃い肥えた、いいや上品に言うとふくよかな女性はおそらく店の人間だろう。その女性は大袈裟に驚いて見せたあとこちらに近づいてきて値踏みするように頭のてっぺんから爪先までを眺めた。
「あら、あなたのこのパンツ、破けてるじゃないの」
「これはこう言うデザインなのよ〜」
「それになぁにその履き物は、見た事ないものね」
「いいでしょこれカッコよくて可愛くて〜」
眉間に皺を寄せていた女はパッと突然笑顔になって声高く言った。
「奇抜なファッションと思っていたらあなたとってもハンサムじゃない!今都会のハンサムの間ではこう言うファッションが流行っているのねぇ」
どうやら都会お金持ちボーイだと認定されたらしい。『今良さそうなのを持ってくるからねぇ!』と乱暴に足音を立てて店内の奥にすっこんでいってしまった。
「…なんだかとてもやかましい…いいや賑やかな方ね…」
まあハンサム認定されたから文句を言うところはない。机の上に綺麗に並べられたアクセサリーを物色しているとマダムが奥から服を持ってきた。
「わたしの見立てではあんたにはこれが似合うと思うんだけどどうかしらどうかしら、ほら早速着てみて早く早く!」
「わわ、ちょっとせかさないで頂戴よゆっくりゆっくり!」
手渡された服は見慣れたワイシャツのようだったが嫌に滑らかで心地良い布地をしていた。身につけているはずなのに何も着ていないかのような風通しと解放感。ピッタリ体にくっつくデザインのはずなのに体のどこも苦しくない。
持ってこられた全身鏡をみてまたびっくり。
「いやだ…アタシ超美人で似合ってるじゃない……」
「でしょう?やっぱりわたしの目に狂いはなかったわ〜!!特にこの腕と肩のところ!ぴっちりしてるからだらしない体だったらわかるはずなのにお人形さんみたいにとっても綺麗!」
「もっと言って」
「お腹のところも健康的な痩せ方で不気味じゃないのが逆に不気味になっちゃうくらい美しいわ!このちょっと破けた変なパンツも着こなせるのはあなたくらいよ」
「もっっと言って!」
「うっかり天から神様の使いが降りて来ちゃったんじゃないかと心配になっちゃうね!」
「マダムこのお洋服はいくらかしら。買うわ」
「そうこなくっちゃあなたの美貌に負けてあげる。5000ペカでどう?」
「これが5000でいいの?マダムはそれでやっていけるの?」
「あなたの美貌が見れただけでもう一生大丈夫よ」
「超褒めるじゃない…」
ポケットを弄って丁度5000ペカ札を引っ張り出す。お釣りでもらったお札たちはあと『1000』と印字してあるものが一枚だけになった。
上機嫌なマダムに5000ペカ札を手渡して店を出る。『素敵なハンサムさん!また買いに来てね〜!』と退店前に言われれば悪い気はせず歩く脚も自然と大股で謎の自信に満ちた面持ちになっていた。
さて、夕暮れの足音がそんな自分に追いついて来たようだ。いい宿を探してまた入り口の所の八百屋さんでくだものを買ってつまみながら明日からの事を考えようと来た道をそのまままっすぐと未開拓の地へ進んでいく。
道の立ち並びはあの村もこの村も変わらずでやはり道の両サイドに構える店舗や家から感じられる生活感も変わらないものである。
「場所は違えど空も同じに見えるし家庭と生活をもってるのはどこも一緒なのねぇ…」
ポエムちっくな言葉が自然と口から出てくる日が来るなんて思っていなかった。普段都会に塗れた生活を送っている体に自然の比率が一気に上がった世界の空気は高級なもので自分が死んでしまい全く知らない世界に送られたんだということすらも忘れてしまいそうになる。そこは1番忘れてはいけない所だとは自分でもわかっているがここでのんびり暮らすのも悪くないかもしれないと既に思い始めてしまっているのだ。
そんなことを考えながら歩いていればダニアンが言っていた八百屋を通り過ぎた。
そのさきに見える建物は心なしか今見てきた民家たちよりも大きく窓が多かった。
「ここが宿屋であってるのかしら……うんあってそうね」
建物一軒一軒マークのデザインこそ違えど皆一様にベッドのデザインを施した看板からここが宿泊施設帯であることは見てとれた。本日のゴールも確認できたので帯の1番最後まで行き1番最初の八百屋へ戻ることにした。
宿屋の入り口にはすでにオレンジ色の火が灯され中からは食事を用意したり風呂を沸かしたりする音と疲れを癒しに来たであろう人々のくつろいだような談笑の声が漏れている。本当にここが異世界でなければどれほど楽しめただろうか。宿泊施設最後の建物からその先を見れば木が生い茂りその先も見通せない程になっていた。そしてその森の入り口には崖から落ちるような人の看板が設置されていることからこの下は崖なんだとわかった。
「崖から落ちたら危ないわね、もう先へは進まないようにしましょうか」
端から引き返し始めればもう空は満を持したとばかりにオレンジ色に輝き出す。白い雲も今は夕日の力を借りて金色に染まっていた。急がなければ真っ暗になって道がわからなくなってしまう、と宿地帯を抜けかけた時だった。どうやら宿泊地帯の入り口が騒がしい。人をかき分け背伸びをしてなんだなんだと野次馬群衆の仲間入りをしてみるとそこには洋服屋を越えたところにあった八百屋があった。
何故八百屋如きでそんなに人が集まるんだろうとよく目を凝らせば小さな子供の姿が二つ見えた。
「ねえねえ、なんであの子供たちをみんな見てるわけ?」
疑問が自我を持ち気が付けば自分の隣にいた老人にそう話しかけていた。
「知らねえのか兄ちゃん、あれは人間じゃねえ。山の吸血鬼が飼ってるバケモンなんだ」
「化け物?アタシにはただの可愛い子供にしか見えないのだけれど。」
「お前さん山の吸血鬼の噂は知らんのか?」
「あ、そういえば今日教えてもらった気がするような…」
化け物と皆に睨まれる子供はどう見てもただの子供。双子なのだろう顔や髪型、服装がそっくり。2人とも左右は反対だが前髪を三つ編みにして流し、片方の子供は白くふわふわとした柔らかそうな髪。もう片方の子供は灰色がかった短い髪を頸で刈り上げていた。あれが飲み屋の店主が話していた化け物なのだろうか。本当に化け物にはどうしても思えなかった。百歩譲って店の品物を盗んだりしてるのならばこうやってガヤガヤされるのも致し方がないと思うが、ちゃんとりんご三つを店主に出し、お金も払っているように見えた。
「ちゃんとお金払ってるじゃない。いい子たちだわ」
「いいやあれは化け物だ!ワシが若い時にも一度見たが全く見た目が変わっておらん!」
「そのお孫さんとかってわけではなくて?それならあり得そうだけど」
「いんや、ありゃ絶対同じやつらだ」
「ふぅん………なんだかかわいそうな子たちね」
村人たちからこんな扱い受けて、という言葉は続かなかった。買い物を終えた双子は2人でしっかりカゴを持ち、お財布であろう巾着袋をしっかり握ってこちらに近づいてきた。皆小さな悲鳴をあげて道を開けたり後退したりして一気に人が動いたからである。
「ば、化け物!村にくるな!」
突然そんな声が群衆から飛び出し小石が投げ込まれた。辛うじて双子には当たらなかったもののそれを皮切りにこちらからもあちらからも、枝や小石が投げ込まれ始めた。双子は投げ込まれる障害物を避けるでもなくただじっと下を向いて小さい足で歩き続けている。もう少しで彼女の目の前にたどり着くという時だった。
一際大きな石が双子の持っていたカゴを直撃し双子の手から籠が、カゴの中に収まっていたリンゴか転げ落ちた。それを拾おうとかがんた子供にも一度当たってしまったからか遠慮はいらないと当たる障害物の数も増えていく。
見ているべきではない。
体が突然動き出した。
「ちょっと待ちなさいよ!」
カオル子は突然庇うかのように双子の前に立ちふさがった。石を投げてたり罵詈雑言を浴びせかけていた民衆も石膏像のようにピタリと動きを止めて静かになる。辺りに響き渡るのは彼女の震えた怒り声だけだった。
「こーんな小さい子ども達に石を投げふって!どーゆーつもりなの!?信じられない……アンタ達自分や自分の子供がぶつけられたらいやでしょうが!なんで自分がやられたら嫌なことしちゃうわけ!?アタシにはこの子達よりアンタ達の方がよっぽど化け物に見えるわよ!!」
自分に腐敗したゴミでも見るような軽蔑した視線が突き刺さるのがわかるがこの痛みも、目の前の二人の子ども達が感じた痛みよりも何倍も小さいだろう。散らばってしまった小銭と先程店で買ったであろうリンゴを広い集め、髪の白い子供の持っている籠へと入れてやった。
「大丈夫二人とも?ケガしたりしてなぁい?」
「………………うん。」
「………………大丈夫だよ。」
「良かったぁ、おうちはどこ?二人だけで帰れるの?アタシ一緒に行こうか?」
「……………二人で帰れるよ。」
「……………ちゃんと帰れるよ。」
「本当に?もっと早く助けられなくてごめんね…」
自然と両手が動き手のひらに辛うじて収まる二人の幼子の頭を泣きじゃくる子供をあやす母親のように撫でていた。双子はびっくりしたようにお互いに顔を見合わせると慌てたようにペコリと会釈をし彼女から離れてあっという間にかけて行ってしまった。
あとに残ったのは双子を撫でるためにしゃがんだ自分とそんな自分をしかめた顔で見る野次馬だけ。
「なによアンタ達。双子ちゃんはもう帰っちゃったわよ。アンタらももう良いでしょうが。早く引っ込みなさいよ」
立ち上がって膝の土埃を払い視線を上げれば明らかに気まずいのか自身に刺さっていた視線が一つ、また一つとそれぞれの家に引っ込んで行くのがわかった。
これからどうしようか。もしこのまま双子を庇わなければ今日の夜はあの人が大勢いる宿に泊まれたかもしれない。談笑ついでにこれからの行き先を人に尋ねられたかもしれない。
だが自分の美学に反して、人の道徳心に反して手に入れた宿で果たして安らぎは手に入っただろうか。
「しょうがない………このままダニアンのとこまでもう一度引き返して一晩だけ泊めて貰おうかしら。でもなぁんで間違った事一個もしてないアタシがあんな視線を貰わなきゃ行けないのよ………おかしいでしょうが」
今来たばかりの道を帰る足取りはずるずると重たい。今の騒ぎで外に出ている人なんて一人もいないのにレッドカーペットを歩く女優の見物でもするかのように明かりの灯り始めた家々からは熱烈な視線を感じる。
先程服を見繕って散々自分自身を誉めまくっていた服屋の前を通れば、店主のでっぷり肥えたおばさんも先程の人の良い笑みからは想像できない様な冷たい視線を送ってくる。先程はグラマーだと褒めたが今は心のなかで散々デブでぶだと罵ってやった。
日がオレンジ色に染まった状態になってしまえばと夜の帳が落ち始めるのが異常に早く感じられる。初めての場所で建物の影形がはっきり感じられなくなってしまえばせっかく知り合った男の家もわからなくなってしまう。焦りから次第に歩みは早くなりしまいには駆け出し始めたが突然耳に響く太い声で静止がかかった。
「そこの奴大人しく止まれ!」
「ん?アタシの事?」
「お前以外にいると思っているのか?」
「そう言われれば確かにアタシだけね。」
ぐるり振り替えればそこには西洋の王様の手下を彷彿とさせる軍服を着込み頭には甲冑のようなものをつけた小規模なグループが明らかに偉そうな一人を先頭に明らかに戦闘態勢で此方を威嚇していた。その姿は小学校の同級生が集めていたようなミリタリーなフィギュアを彷彿とさせる。
「魔術取り締まりに協力して貰おうかなカオル子。」
「アンタなに先頭で偉そうにふんぞり返ってアタシのこと呼び捨てにしてるわけ?初対面よねアンタ。」
「そうだな。俺と君は初対面だ。」
「初対面なのにどうしてアタシの名前を知ってるの?それに魔術使いだなんて。此処の人は初対面の人間全員に対してそんなファンシーな容疑をかけるのね。」
「それはこいつから聞いたんだよ。なぁ、アトラス?」
そう男は自身の後ろに目線を向けて声をかけた。そこからすっと顔を出したのは紛れもない、昼間酒場で杯を交わしたあの女だった。
「あれアンタ…昼間の?」
「カオル子さん貴方を魔術取締和平法に従い捕らえさせていただきます。」
「ちょ、ちょっとどう言うこと?アタシ魔術なんて使えないわよ?」
偉そうな男の後ろに見える兵隊たちは明らかに敵対姿勢を見せこちらに向かって剣を引き抜いている。自分が一体何をしたと言うのだろうか。保護されるならまだしもこんなもん連れてかれてオーナーがいうようにあっという間に首ちょんぱではないか。もしや先ほど双子を助けたのが不味かったのかと恐怖と困惑により思考回路がバグってしまう。
「昼間の飲み屋でのお話を覚えていますか?」
「覚えてるわよ、それが何かした?」
「あの時貴方は魔法使いと、そう呼ばれていましたね?」
「そうよ、でもあんなもん誤解よ、アタシはなんの魔法も使えn」
「それなのにも関わらず!」
自分の言い分をかき消すような彼女の声に喉を引き攣らせ黙るしかできない。
「それなのにも関わらず貴方は魔法石の存在を、使い方を知らなかった。」
「だってそりゃアタシはここの人間じゃないし」
「どこの国の人間でも魔法石と魔法、それと魔術の違いだってわかるはずです」
「いや違う、そういう意味じゃなくてね?あのなんていうかアタシはこの世界の人間じゃないのよ!」
「ふん苦しい言い訳だな。アトラスが言っていることは事実だろうにそれに反論するとは」
「何よちょび髭男が偉そうに。アタシが今アトラスちゃんって言ったっけ?その子にお話してるのに入ってこないで頂戴。百合に挟まる男は嫌われるわよ!」
「ちょび髭男、だと!?貴様誰に向かって口を聞いているんだ!俺はウェスティア勇義隊魔術駆逐隊隊長のドムラグ・ラベルだぞ!!」
「ごめん誰だかわからないし隊ばっかだし早口すぎてなぁんにもわからないわ。」
「っ貴様!捕らえろ!!」
怒りで茹蛸のように真っ赤に染まった自称隊長の血管はカオル子が身につけた煽りスキルによって粉砕されたらしい。そう叫ぶと同時に後ろに控えていた隊が見せつけるようにして抜いた剣を構えて自身を捉えようと走り出してきた。
捕まったら不味い。そうカオル子の脳が判断するのはそうそう遅くなかった。今人々の視線に耐えて耐えて歩いてきた道を猛ダッシュで引き返し始めた。
「おい貴様逃げるのか!魔術使いなんだろう!術を出して見せろ!」
「魔術だか魔法だかなんなのか知らないけどほんとにアタシ使えないって言ってるでしょうが!」
「燃えろ《バーニット》!」
アトラスと呼ばれた昼間の女が何か叫んだのを聞くと同時に熱気が足元から立ち上がる。走る事をやめずに視線だけを足に向けると愛用のヒールが火種もないはずなのに燃え上がっていた。
「キャァ゛!!??なんなのよこれ!」
「これが魔法です!貴方も撃てるんでしょ!?逃げるだけでは死んでしまいますよ!」
「だから使えないんだってばぁ!!」
「っち、あのオカマ走るの早くないか、っ?」
何故自分がこんなことにならなければいけないんだろう。燃えたヒールをほっぽり投げ裸足で痛む足の裏を必死で動かしながら逃げて思う。
アルコール中毒で死に、
生き返ったと思ったら投げられ、
魔法使えないのに魔法使いと言われ、
ゴミを見るような目で見られ、
今は魔法でもない魔術使いだと言われ、
命を狙われ、
長年連れ添ってきた愛用のヒールともお別れだ。
自分が何かしただろうか。前世に神でも殺して日本を滅ぼしたのだろうか。きっとその何方でもないはずなのに。早いと言われ舌打ちをされているも正直もう限界である。何年かぶりの全力ダッシュにビーリャとジャガイモと葡萄一粒しか入れていない体には酷で苦しくて仕方がない。
騒ぎは自分が逃げるのと並行して広がるらしく宿集団の入り口まで走れば何事かと大勢の人が道に見物に来ていた。その様子はまるで年明けの駅伝中継のよう。
「どけぇ!巻き込まれたいやつだけ道に出ろ!」
「ごめんなさいカオル子逃げてまぁす!」
人を器用にかき分けて走り抜けるも後ろからは人を押し退けて追いかけてくる集団が今にも追いついてきそうだ。先ほどは見るだけで引き返した草原森林へと駆け入った。草がちくちくと足を刺してくるも駆け抜けている今は気にしていられない。
そういえばここ崖注意みたいな看板があったはず、と駆け抜けていた足を緩めようとしたその瞬間だった。
ズルリ。
「え、?嘘、」
男が出すとは思えないほどの高い悲鳴をあげて今注意しようと心に決めた崖から真っ逆さまに落ちていった。
『アタシ…死、?』
「っはぁ、は、隊長、たいちょぉ!あいつここ落ちましたよ!」
「何っ、!?捕まえていないのか、!」
「我々が、もう少し、で追いつきそうだったんです、が、」
「まぁいい、っここから落ちれば、生きてはいられないだろう、……仕方ない。帰るぞ」
アトラスが息を切らした自隊と合流したのはカオル子が落ちてしばらくしてからだった。カオル子の足元に魔法を放った後火を消し、隊の者たちが宿屋で突き飛ばして怪我をさせた子供の介抱をしていたからである。
「隊長、あの人間は?、捉えられましたか?」
「ん?ああ崖から落ちたらしい、まああの高さからだったら死んでるだろうな。」
「死んだ……そうですか……」
「それにしてもアトラス、腕が鈍ったんじゃないか?もっと体を燃やしてやればよかったのに」
「私の魔法では絶対に人を殺さないと何度も_!」
「嗚呼そうだった、そうだったな。仕事も終わったし宿を取ってこい。」
「っ…はい。仰せのままに」
彼女は今までの一連でふと疑問に思ってしまったことがあった。本当に自分が密告し人間、カオル子と名乗った男は魔術使いだったのだろうか。
こちらが攻撃しても魔術らしきもので攻撃してこなかったし、飲み屋で上半身裸だった時も魔術使いにはあるとされている印はついていなかった。
それに自分の身を心配してくれた彼の笑顔に邪悪なものは感じなかったからだ。なんの罪もない民衆を突き飛ばし怪我をさせたのに振り返りもしなかった隊長の方が魔術使いだと言われれば10人中10人ともそう思うだろう。それにこんなに慕って身を尽くしているのに隊長はきっと自分の魔法しか見ていないのだろうと日々の振る舞いや、今さっきの発言で感じられてしまう。あの隊長よりも彼の『やっつけてあげるわ』という言葉を信じた方が良かったのではないかと、思ってはいけないかもしれないが思ってしまったのだ。
急いで隊長に追いついて『彼は魔術使いではない。』そう言おうと思っていたのだが追いついた時にはもう既に彼は落ちてしまったと。
遅かったか。
抱えてはいけない胸のもやもやを抱えながらも彼女は今きたばかりの道を引き返し宿屋に向かうのだった。
カオル子の残金あと 99万1200ペカ。
第二話 (終)