アイリスは夜会のために着ていたロイヤルブルーのドレスを脱ぎ、淡いピンクの軽いドレスに着替えて、ユーグとともに夜の温室にいた。
温室の中は暖かく、色とりどりの植物達が元気よく育ち、天井の窓からはたくさんの星が見えていた。
「もう遅い時間だから」と固辞するユーグを説得して、アイリスは「いろいろあって神経が昂って寝られないから、話し相手になってほしい」とユーグに頼み込み、温室に来たのだった。
温室に置かれた小さなテーブルには、軽いお菓子と温かなハーブティが用意されていた。
背の高い木の上に吊るされたランタンの灯りが、幻想的な光を周囲に投げかけている。
「夜の温室かぁ。ロマンティックねえ。ほら見て。あの蘭のお花、満開だわ。すごく綺麗」
アイリスが背中に自然に流した青の巻毛を揺らしながら微笑む。
エドワードに婚約破棄され、気を失い、魔法が発現した後から、アイリスはまるで別人のように変わった。
表情が明るくなり、コロコロとよく笑い、ちょっとした動作も茶目っ気たっぷりで、まるで幼い少女のようだった。
でも、子どもの頃は、確かにアイリスはこんな感じでよく笑っていた、とユーグは思い出す。
それが、王子の婚約者になり、王子妃教育が始まり、侯爵家でも厳しい躾や教育を受け、次第に完璧な令嬢へと変貌していったのだった。
「アイリス、これからどうするんだ? 本当に、王子との婚約だけを覚えていないのか?」
「そうなの。不思議だけど、そのようよ? でもいいの。話を聞くと、楽しい記憶じゃなさそうだから」
そう言って、アイリスはクスクス笑った。
そうして、クッキーを上品につまむと、はむっと、まるでリスのように口に入れるので、ユーグは思わず笑ってしまった。
笑ってしまってから、慌てて顔を引き締めると、ユーグは言った。
「アイリス、俺と結婚……」
しかし、全部言い終わる前に、アイリスはぺちん! とユーグの鼻をはたいたのだった。
「ぶふぉっ!? アイリス、何をするんだっ!!」
「ユーグ、わたくしなら大丈夫よ。そんなに心配しないでいいのよ?」
「……! いや、心配というか。俺は、ずっとおまえのことを……」
「ユーグ、わたくしはこれから国外追放になる身の上よ。誰かと、ましてや騎士団長の令息と婚約などできる場合ではないの」
ユーグはため息をついた。
「これからどうするつもりなんだ?」
その言葉を聞いて、こてんと首を傾げるアイリス。
シンプルに、可愛いかった。
ユーグは真っ赤になった顔をブンブンと振った。
「おまえ、急に性格変わったな!? いや、元はこっちだったな!?? そうか、元々の性格に戻ったのか」
「修道院にでも入ろうかしら?」
「アイリス!」
「国外追放になるのでしょう? じゃあ、外国へ行かないといけないわね?」
「無実の罪だろう!!」
う〜ん、とアイリスは綺麗なラインを描く眉を寄せて、考え始めた。
成長して、すっかり完璧な美貌になった彼女が、子どもの時のようなしぐさをすると、とても不思議な感じがする、とユーグは思う。
「わたくしは婚約の記憶だけを失ってしまった。それでも、わかるわ。わたくしは今までに心から誰かを愛したことはない。もし、わたくしがあのエドワード王子と婚約していたとしたら、それは侯爵令嬢としての、王子の婚約者としての、体面と矜持だけが理由だったのでしょう。リリベル嬢のことも、どうでもいいと思っていたと断言できるわ。……ということは……」
アイリスはまだ、眉を寄せて、うんうんと唸っている。
「アイリス……その顔でその表情をするのは、おかしいから止めてくれ」
「そうよ、旅よ」
アイリスはユーグに構うことなく言った。
「失恋したら、旅に出るものだわ。まあ、正確には婚約破棄のようだけど。そうだ。せっかくだから、理想の男性を探しに行きましょう!」
「はあ!?」
「マーガレットお姉様が隣国のノール王国に嫁いでいらっしゃるわ。もう何年も会っていない……。会いに行きましょう。そうしたら、新しい出会いがあるかも」
「何!? 新しい出会いなんて、とんでもないっ! いや、待て!! 俺も行く!!」
「いいえ、もう一度言うけど、あなたは騎士団長の令息でしょう。他国になんて行けないわよ〜」
「何とかする!! アイリス、待ってくれっ!!」