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婚約の記憶(だけ)を失った侯爵令嬢は、人生をやり直すことにしました
櫻井金貨
異世界恋愛ロマファン
2024年10月28日
公開日
32,984文字
完結
〜「もう、いいや」で自分に魔法をかけてしまったようです〜

ローデール王国のアイリス・ノーフォーク侯爵令嬢は、聡明で美しく、礼儀作法もバッチリな、『完璧令嬢』。そんな彼女は、絵に描いたような王子様、エドワード王子の婚約者だった。
しかし、隣国のノール王国国王を迎えた歓迎夜会で、アイリスはエドワードから突然、婚約破棄を宣言されてしまう。

動揺したアイリスは彼女らしくなく、気を失って、床の上に倒れ込んでしまった。
その時、アイリスは、頑張ってきた自分も、完璧だった自分も、「もう、いいや」と思うのだった。

それをきっかけにして、アイリスが思ってもいなかったことが起こる———。

婚約破棄されたことをきっかけに、アイリスが新しい世界への扉を開く姿を描いた物語です。

※全14話。
※加筆修正を終了しました(2024年11月8日)。
※他サイトにも掲載中ですが、こちらは加筆した『ネオページ版』になります。

第1話 婚約破棄

「聞こえなかったか? アイリス・ノーフォーク! おまえとの婚約を破棄する、そう私は言ったのだ」


 ローデール王国王宮。

 鏡のように磨き抜かれた、優美な金と白の回廊にそぐわない大声が響き渡る。


 回廊の先には、王国の誇る大きなバンケットホールがある。

 今は国賓を招いて行われている夜会の真っ最中だ。


 アイリス・ノーフォーク侯爵令嬢。

 豪華なホールの中央に立っているのは、珍しい、青い髪をした令嬢だった。

 ローデール王国でも名門の家門、ノーフォーク侯爵家の一人娘である。


 美しく装ったアイリスに指を突きつけるようにしているのは、金髪に青い瞳をした、アイリスの婚約者。

 ローデール王国の第二王子、エドワードだった。


「……おまえのその、冷たい、澄ました顔が嫌なんだ。いつも上品で、真面目で。おまえが表情を変えることはあるのか? まるで作りものの人形のようじゃないか。私は人形を妻にする気はない」


 美しい容姿をしたアイリスの婚約者は、しかし容赦ない言葉で、アイリスを責め立てていく。


 エドワードは手に持っていたものを、アイリスに突き出した。


「おまえとの婚約は破棄する。国外追放だ。侯爵家を出て、他国で平民として生きるがいい。自分が苦しめた身分の低い者の苦しみを味わうといいのだ……!!」


 ほら、とアイリスに1枚の紙が投げつけられた。


「愚かで物覚えの悪いおまえのために、書面にしてやった。『アイリス・ノーフォークとの婚約は破棄。王家反逆の罪にて、国外追放。侯爵令嬢の身分は剥奪』」


 ぱさり、と床に落ちた紙を、アイリスは拾い上げた。


(婚約破棄……王家反逆……国外追放……身分剥奪……)

 恐ろしい言葉が並ぶ文面。


(わたくしは、何かをしてしまったの———!?)


 その瞬間、アイリスの目の前が文字通り真っ暗になった。


***


「ユーグ、いいか、騎士は姫君を守るものだ。アイリス嬢をしっかり守れ。かすり傷ひとつ付けるな。おまえも騎士団長の息子なら、死ぬ気で任務を果たせ」

「はいっ、父上!!」


 時は遡り、アイリスがまだ、小さな女の子だった頃のこと。

 王都にあるノーフォーク侯爵邸。


 庭を見渡す来客用のサロンから、勇ましい声が聞こえてきた。

 侯爵邸ではあまり聞くことのない、元気な少年の声に、召使い達が何事かと耳を澄ます。


「……まあ、シンプソン様、どうぞそんなに厳しくおっしゃらなくても。ね、ユーグ君?」


 サロンのソファに腰を下ろしたノーフォーク侯爵夫人が、微笑を浮かべて、少年にうなづいた。

 しかし、筋肉質で大きな背中をピシリと伸ばし、立ったままのシンプソン騎士団長は厳しい表情を崩さない。


「ユーグは何年かしたら従騎士となり、一人前の騎士を目指す身。それでなくとも、一人っ子のせいか、こいつは甘えん坊で泣き言が多いのです。今から厳しくしなければ」


 茶色い髪に、緑色の目をした少年は、不名誉にも甘えん坊で泣き言が多いと断言され、恨めしそうに父親を見上げた。


 ノーフォーク侯爵夫人が、少年を労るように話しかけた。


「ユーグ君、アイリスと一緒に遊んでちょうだいね。マーガレットも妹を見てあげて」


「はい、お母様」

「おかあさま、わたくしは大丈夫でしゅ!」


 マーガレットがにこやかに返事をすると、その隣で小さな女の子も負けじと声を張り上げた。

 子ども達の返事に表情を緩めると、ノーフォーク侯爵夫人は騎士団長を促した。


「子ども達は大丈夫ですわ。主人が待っております。どうぞ書斎へ」

「恐れ入ります」


 大人達がサロンから出ていくと、青い髪にリボンを結んだ小さな女の子が、ニコニコと笑いながら少年の手を取った。


「わたくしはアイリス。あなたはだぁれ?」

「ユーグ」


 マーガレットが優しく、小さなアイリスの手を取った。

 ユーグにうなづきかける。


「こんにちは、ユーグ君。わたくしはアイリスの姉のマーガレットよ。あなたが小さい時に会ったことがあるの。覚えているかしら?」


 マーガレットが姉らしい穏やかさで話しかけると、ユーグは顔を真っ赤にした。

 気まずそうに小さく首を振る。


「ふふ。小さかったから、覚えてなくて当たり前ね。さ、あなたのお父様がご用を済ませるまで、一緒にお庭に行きましょう」

「おねえさま、お庭におかしはありましゅか?」


 青い髪を揺らして、アイリスがマーガレットとユーグの間に割って入った。


「アイリス、お菓子がほしいの? じゃあ、お庭にお茶の用意をしてもらいましょう」

「おねえさま、だいしゅき!!」


 アイリスがユーグをじっと見上げた。

 まるでマシュマロのような、柔らかそうな頬。

 大きくてキラキラしている目は、不思議な紫色だった。


 髪にもリボン。ドレスにもリボン。

 まるでお菓子のようなかわいい少女。

 それが、ユーグの出会った、アイリス・ノーフォーク侯爵令嬢だった。


 ユーグの心臓が、とくん、と音を立てた。

 そんなことは知らないアイリスが無邪気にユーグの手をくいくいと引く。


「ユーグ、かけっこしましょう!!」


 そう叫ぶと、アイリスはくしゃ、っと顔いっぱいの笑顔になった。


 小さな手が、ぱっと離れて、ぎゅっと握りこぶしを作ると、ドレスを翻して、アイリスは走り出した。

 お菓子のように可愛い少女は、案外元気いっぱいだった。


「———アイリス!」


 ユーグは叫んだ。


「アイリス! 待って!」


 この小さな手は、離してはいけない。

 ユーグは思った。


『ユーグ、いいか、騎士は姫君を守るものだ。アイリス嬢をしっかり守れ。かすり傷ひとつ付けるな。おまえも騎士団長の息子なら、死ぬ気で任務を果たせ』


『はいっ、父上!!』


 ユーグは走り出した。


 アイリス嬢をしっかり守れ。

 かすり傷ひとつ付けるな。

 騎士は姫君を守るものだ。


(アイリスの手は、絶対、離さない)


 この日、ユーグ・シンプソンはそう心に決めたのだった。

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