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第7話 今まで見えていなかったもの(1)

 アイリスが意識を失っていたのは、時間にして、ほんの数分だったようだ。


 まもなく、アイリスは床の上に横たわったまま、ゆっくりと目を開いた。

 見えてきたのは、自分を取り囲む人々の、さまざまな表情だった。


 そこには、彼らの、さまざまな本音が見えていたように思える。


 自分を断罪するエドワードの目には、自分に対する嫌悪感が溢れていた。

 エドワードの後ろに隠れて自分を睨みつけるリリベルには、満足げな表情が浮かんでいた。


 最近、エドワードはいつも自分に批判的だった。

 いつも冷静で落ち着いている表情は、愛想がない、冷たい、無表情と言われ。


 自分の意見を出せば、可愛げがないと言われる。

(彼の意向に添えるようにと努力はしたけれど……)


 一方、リリベルは。


 アイリスは、リリベルのことを思い出した。

 王子妃教育と、自宅での家庭教師の授業もあり、あまり出席できなかったが、アイリスは貴族の子弟が通う、王立学園にも籍を置いていた。


 そこで、確かにリリベルを見かけた。


***


 アイリスが初めてリリベルに気づいたのは、課題を提出しに、久しぶりに王立学園に足を運んだ時のこと。


 この後は王宮に行かなければならないので、制服ではなく、きちんとしたドレスを着ていた。


 担当教授の部屋で近況報告をした後に挨拶をして部屋を出ると、廊下を歩いていくピンク色の髪をした少女に気がついた。


 アイリスの青い髪もそうだが、ピンクも珍しい髪色だ。

 ふわふわしたピンクの髪を下ろして、手足の細い、小柄な少女がぎこちなく歩いていく。

 制服である、紺色のワンピースを着ているが、どこか違和感がある。


(……スカート丈が短いのかしら)


 アイリスはふと思う。


(でも、なぜ?)


「アイリス嬢、どうかされましたか?」


 アイリスの視線に気がついた教授が声をかけた。

 視線を追って、その先にピンク色の髪を見つけるとうなづいた。


「あれは、確かリリベル・ジョーンズ男爵令嬢ですね。ピンク色の髪が、目立つでしょう? 赤い瞳をしていて、結構目立つ子なんですよ。この夏に転入してきましてね」


「そうでしたか」


 アイリスが何気なく眺めていると、リリベルはやはり、歩きづらいのか、ぎこちなく進み、ようやく廊下の向こうに消えた。


「……アイリス様、そろそろ、お時間では」


 ドアの脇から、そっと声をかけられた。


「ユーグ」

「……ここはシンプソン、で」


 地味な濃紺の騎士服を着た、若い騎士が無表情に訂正する。

 茶色い髪。緑色の瞳。

 ユーグ・シンプソンだ。

 騎士団からエドワードの婚約者であるアイリスの元に派遣されている、護衛騎士の一人。


 アイリスは穏やかにうなづいた。


「シンプソン、では王宮に戻りましょう」

「かしこまりました」


 アイリスが護衛騎士を従えながら、学園の廊下を歩くと、すれ違う令嬢達が次々に挨拶をした。

 とはいえ、どこかぎこちなく、いかにも社交辞令、といった感じがしなくもない。


 アイリスはともかく忙しく、若い令嬢らしいお付き合いごとなどは、あまりしてこなかったのだ。

 王子の婚約者、という肩書きもあり、どうしても遠巻きにされてしまうのは仕方のないことかもしれない、とアイリスは思った。


「アイリス様、ごきげんよう」

「お久しぶりですわね、アイリス様」

「お元気でいらっしゃいますか?」

「今度はいつ授業に出られますの?」

「さすがアイリス様。上品な、素敵なドレスですわね」


「ありがとう、皆さん」


 アイリスは一人一人と目を合わせ、口元に微笑を浮かべながら、挨拶を返し、校舎を抜けていく。


「アイリス様!」


 見事な黒い巻毛の令嬢が声をかけてきた。

 その屈託のない様子に、周囲の令嬢が一瞬、視線を交わしたのに、アイリスは気がついた。


 黒い巻毛の令嬢は微笑みながら、アイリスを見つめている。


「今度の、クラストン夫人のお茶会には、いらっしゃいますの?」


 アイリスは足を止めた。

 かつてアイリスの教育係だったクラストン夫人のお茶会には、限られた令嬢だけが招かれている。


 アイリスは黒い巻毛に、黒い瞳の、愛らしい少女を見つめた。

 たしか、先日彼女は婚約したのではなかっただろうか?


「アナ様」


 アナ、と呼ばれた少女は嬉しそうに笑った。


「はい! ウェズリー伯爵家のアナでございます。わたくしも出席いたしますので、お会いできるのを楽しみにしておりますわ」


 その屈託のない様子に、ついアイリスの表情も緩む。


「こちらこそ———アナ様」


 こほん、と頭上から軽い咳払いがした。

 アイリスが顔を上げると、困ったような顔のユーグが見えた。


「申し訳ありません、アイリス———様、邪魔はしたくない……のですが、本当にもう王宮に戻らないと、時間が」

「そうでした。ごめんなさい、ユーグ」

「シンプソン」

「でしたね。シンプソン」


 アイリスはアナに微笑むと、今度こそ王宮に向かうために、廊下を足早に進んだ。

 玄関前には、すでに馬車が待機していた。


 アイリスはユーグの手を借りて、滑るようにして馬車に乗り込む。

 一方、ユーグは馬の手綱を取り、騎馬で馬車と併走した。


「珍しかったですわね、アイリス様が学園に立ち寄られるなんて」

「ふふ、噂どおりの『完璧令嬢』。とてもお綺麗でしたわね」


「……たしかに、所作や見た目は『完璧令嬢』なのですけれど、思ったより人間味があるように感じましたわ……」

「そうですわね。あまりに完璧すぎると、反感をもたれることも」

「ふふ……」


 令嬢達がささやき合いながら、廊下を歩いていく。


 その時、廊下の陰から、ピンク色の髪をした少女が、王宮へ向かう二人の様子を見つめていたことに、アイリスも、ユーグも、気がつかなかった。


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