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12 : 生還へのドア

「…………っ !! ……じょうっ !! 」


 リリシーを呼ぶ、よく知っている人の声。

 信頼──いや、愛しい人か。


「お嬢っ ! 」


 届いていても身体が目を覚まさない。

 リリシーの身体から魂が抜けたのは現実世界では一瞬のはずだ。

 数秒経ち、ソフィアがこの世に戻った。

 しかしまだ、リリシーは魔法文字の傍で倒れたままだった。


「おい、なんで目が覚めねぇんだ !? 」


 クロウはリリシーを抱き起こし揺さぶった後、すぐ背後で不安げに見守るソフィアに声を上げた。


「分からないわ……向こうを出る時は一緒だったし……危険は無かったはずだもの。案内人がいたわ 」


 ソフィアはまさに生き人形の如く。

 生気を帯び、『物体』の域を超越していた。

 関節が見えないように履かされたロングブーツと長袖のブラウス。唯一の難題であった顔の作りも、口元は魔術で柔軟に伸縮する。

 以前と変わらないキャンディのようなキラキラした金の髪色。当然の眩さだ。これはエミリアの自慢のブロンドなのだから。


 ソフィアは全てが完璧な、生きたビスクドールとして生き返ったのだ。


「くそっ !! じゃあなんでだよっ !! 」


「……リリシーの中には他の魂もいたのよね ?

 身体に入る魂が混乱を起こしてるのかも……」


「はぁ !? じゃあ、起き上がったらオリビアだったりすんのかよ !? 」


「そ、そんな事分からないわよ !! 分からないわ !! これは彼女の編み出した応用魔術だもの !

 でも、だからこそ何が起きてもおかしくないのよ……」


 ソフィアの肩に一際大きな手が置かれる。


「ダメよ〜ダメ〜 ! 不安や焦りは 禁 物 !

 ソフィー。貴女は有能な巫女でしょう ? 」


 ゴードンの言葉にソフィアの表情がふと無機質なものに変わる。なにかを思い出したような……それは、静かな悟りだった。


「…………ごめんなさいクロウ。

 わたしも自分の為に来てくれたリリシーが、先に目覚めて無かったから焦ってしまったわ」


「あ ? お、おう……」


 ソフィアはクロウのそばでしゃがみこむと、リリシーの両手を自分の身体に静かに寄せ、グローブ越しに握りしめる。


「今回の魔術はとても繊細なものだったはず。それだけの応用魔術を確実に成功させることは基礎実力の現れなのだから。

 絶対成功なのよ。戻ってくるわ。リリシーを信用しているもの ! 」


 突然冷静になった場況に、クロウも落ち着きを取り戻すように口を紡ぐと、仮死状態になったままのリリシーの身体をきつく抱き直す。


「あ……いや、違ぇ違ぇ ! 俺は別にオメェに文句垂れてるわけじゃねぇよ。

 ……んあ〜……なんか俺に出来っことってあるか ? 」


 ソフィアは悩みもせず即答する。


「そのまま抱いててあげてください。意味があります」


「意味ぃ !? おい、じゃあリズルとか……血縁者もいた方が……」


「そうじゃないでしょう ? 」


 二人の長い間の信頼関係。

 いや、ノアに聞いた話では相思相愛であるはず。

 ソフィアはそれを覚えていた。


 魂は必ず帰る場所を知っている。


「祈ります」


 ソフィアはリリシーの手を握ったまま、静かにゆっくりと聖なる言葉を口にする。

 それは最早、薄まっていった白魔術の力だとしても、自信と経験、確実な実力と──聖人としてのプライド。

 何より、長年に渡り神を崇め、讃え、祀り、築いてきた絶対的な信仰。

 ソフィアの価値観はまだまだ白魔術師から遠く離れてはいないのだ。


「神々よ、我々の魂に憐れみを」


 □□□□□□□


 ソフィアが目覚めてすぐ。


「……ここは…… ? 」


 リリシーが目覚めたのは何も無い場所だった。

 壁も、天井も床も……何も見えない白い空間。

 両手を見る。

 感覚はあるが、肉体的な質量を感じない。何よりまだ下着のままだ。


「誰かいるの ? 」


 何かの気配がする。

 強烈な視線。

 敵意は無いが、全身を観察されるような強い感覚。


「わたくしめでございます」


 その視線の主はすぐ、目の前に姿を現した。

 パリッとした異国風の服装に、白い手袋をした老人であった。


「…………貴方何者 ? 気配が人じゃないわ……」


「死者の魂の行き来を管理する者でございますよ。無論、人とは違います。

 お連れ様の女性は先に戻っていただきました」


「ソフィーは戻れたのね !? 」


「ええ。勿論でございます。

 ですがあなたの場合ですと、オリビア様とエリナ様の魂も一度呼び戻さなければなりませんので」


「…………二人は……今、どこにいるの ? 」


 老人は小さく二回頷くと簡潔に答える。


「『本来行くべき所』です。ですが、貴女が生き返る以上、身体に術が施されていますので、また呼び戻さなければなりません」


「……」


 呼び戻す。

 今、本来行くべき所にいる二人の魂を。


 俯くリリシーを後目に、老人は手を二回叩く。

 すると大きなドアが現れた。

 何も無い所から生えて来たようにそびえる、重厚感のある黒いドア。


「……ドアが……。それに何の為に…… ? 」


 リリシーが困惑するのも仕方の無いことだが、状況はどんどん進んでいく。

 黒光りする程指紋一つないドアの、金色のノブがガシャリと音を立ててゆっくり引かれた。


「………… ! 」


『 ! 』


『……っ !! 』


 三人共無言だった。

 ドアが開き、お互いの存在が目に入った瞬間、三人共に同じ動きをするだけだった。


 まずはドアの前に固まる。

 そして抱きしめ合いなら互いの無事を確認するように頬に触れ、髪を撫で、身を寄せ合い涙する。


「オリビア ! エリナァァァ ! あぁぁ〜ッ ! 」


『おう ! おう ! ははは、泣くなよ ! 』


『あぁ ! リリシー ! リリシー、あたしだよ !

 あんただって泣いてんじゃないか ! 』


 死してから初めての対面となる。

 本来なら有り得ない霊体との再会。

 この魂だけの空間にだけ許された特権である。


『心配すんなよ。ちゃんと戻ってきたぜ』


 オリビアは生前と同じ燃えるような赤い短髪に、攻撃に特化した身軽な槍使いの姿だった。

 そしてエリナもまた同じく、褐色肌で筋肉質の剛腕豪脚だと言うのに、不思議と色香の強い蠱惑的な笑みでリリシーを包み込み、三人は深く身を寄せる。


『当たり前さ。あたし、あんたが死ぬまではしっかり居座らせて貰うからね ! まだまだ戦えるなんて気分いいしね ! 』


 そう言い、ケラケラとリリシーの肩を叩く。

 その瞳の視線が、やがてリリシーの手元に下がる。

 今、装備が無いリリシーの継ぎ接ぎになった自分の一部をそっと握る。


『あたしの左腕…… ! 綺麗なネイルじゃないか ! あぁ、やっぱりあの髪切り屋は腕がよかったんだね ! 満足だよ。

 わがままきいてくれて、礼を言うよ』


 何も二人からは文句も、不満も出てこない。

 ただ自分を案じて、更には励まし、リリシーの使った黒魔術に罪は無いと肯定するかのように笑顔で受け入れる。

 それまでもずっと自分を支えてくれていたパーティと言う絆に、リリシーは今ほど感謝した事は無かったと言える。


「ううん。わたしもドキドキしたよ ! ……爪ひとつでこんなに気分がリフレッシュするなんて……エリナはほんとにオシャレだったものね」


『ふふー ! そりゃあ良かったさ ! 』


 二人の愛情に涙が止まらなかった。

 そんなリリシーを、オリビアはいつものわざとデリカシーの無い様子であっけらかんとする。そしてエリナはストレートに感情をぶつけてくる。


『じゃあ、次は染料も指定するよ ! グランドグレーには青い果実があるんだ ! 次はその色もいいねぇ ! 』


「わ、分かった ! 絶対約束するわ ! 」


『さ、早目に戻ろうぜ。どうせ会話は好きな時に出来るんだからよ。

 皆んな心配すんだろーし』


「あ……うん……」


『大丈夫だぜ。姿なんて見えなくても、ちゃんとお前の中にいるからさ ! 』


 オリビアはニッと人懐こくわらうと、名残惜しそうにするリリシーの背に手をあてる。


『さ、行こうぜ』


『ああ ! 次の旅が楽しみだね』


「……うん。そうだね。ありがとう二人共……」


 三人がそれぞれ話が落ち着いた段落で、老人が手を再び二回叩く。

 今度は美しいレリーフの装飾が付いた白いドアを召喚した。


「あなたは……何者なの…… ? 」


 リリシーの問に老人は深々と頭を下げる。


「わたくしめは『門番』でございます。

 死者の案内、迷い込んだ生者を元ある肉体へ戻す……あらゆる魂の行き先を管理するゲートキーパー。

 名は、スルガトと申します」


「門番……」


「はい。そう言った存在概念でございます。

 リリーシア様、さぁお戻りに。

 貴女を呼ぶ声がします」


 白い手袋が恭しくドアを開け放つ。


 強烈だが眩しくない白い光がリリシーにまとわりつくように照らされた。


『お嬢 ! 』


 クロウの声が響く。続いてソフィアの声も届いた。


『風の守護神ガルダよ。シルフを信仰する風使いをお護りください。聖人スカイ神父よ。どうか非力なわたしの言葉をお聞きください。そして親愛なる隣人、リリーシア · バイオレットの魂にこの祈りを捧げます』


「ソフィーだわ……」


「この祈りは ! なんて……強い…… !

 リリーシア様。この先をわたくしめが案内することは出来ません。ですが、この祈りの声のする方に足を踏み入れてください。お戻りになれます」


「ええ」


 オリビアとエリナがリリシーと足並み揃え、ドアの前に並ぶ。


『さぁ、行くかね ! 』


『あぁ、戻ろうぜ』


「うん」


 三人手を繋ぎ、せーのでドアをくぐる。それと同時に意識が白んでいった。


 □□□□


「…………ぅっ……」


 次の瞬間からズシッと感じる自分の身体の質量。ゆっくり目を開ける。

 心配そうなクロウと、ずっと聞こえていた祝詞を唱えるソフィアに囲まれ。「戻って来れた」事と、内側にいる二人の存在を感じながら。

 今度はリラックスするように瞳を閉じる。


「……クロウ……。ふふふ、ただいま」


「お嬢 ! なんっだよ ! 心配すんだろがっ ! 何笑ってんだぁ !? 」


「……戻る前に会えたの。二人に会えたの……」


「……二人に……」


「お嬢って、やめてって言った」


「ぐ……。分かってらぁ。

 詳しい話後で聞かせろよ。とりあえず無事か !? 」


「ええ。少しボーッとするだけよ」


 身体に影響は無いようだが、少しの倦怠感と眠気が襲う。

 リリシーは上体を起こすと傍に居たソフィアに向き直る。


「ソフィー、祈りをありがとう。聞こえてたわ……」


「いいえ。出来ることをしただけ……。

 私、貴女に改めて御礼を…… ! 」


「ん……少し消耗したみたい……。眠くて……眠くて……なんだか……」


 そういいながら、リリシーは気を失うように静かに寝息をたててしまった。


「マジかよ、寝たぜぇ !? 」


「仕方ないわ。それだけ披露してるはずだもの」


 本当はソフィアも消耗しているが、生き返ったと言う感謝と気合いだけで意識を保っている。

 そこへゴードンがイラブチャとリズルを連れて来た。


「あは ! 成功したねぇ」


 リズルが全身くまなく、ソフィアを見る。最早ソフィアにとって、リズルだけは異質な男に見えて仕方が無かった。本気で逃がす算段もせず、魔導書も捨てるより残忍な使い方をした男である。ソフィアは眺め回すリズルからそっぽを向くように背を向けた。


「ふん。どうもお世話になりました」


「いいよいいよ。

 ふぅーん。こりゃあ凄いね。

 まぁ、とりあえずカイリに戻ろうか」


 確かにこんな廃墟では全員、寝るにも旅立つにも準備も食料も無い。何よりエミリアとノアは屋敷で待機している。

 しかし不安の色を見せたのはソフィアだった。


「私とドンちゃんはこのままグランドグレーに残ります」


 カイリには戻れないと思ったのだ。

 だが、そこはイラブチャが首を縦には振らなかった。


「一度、戻りなさい。妻もおそらく君に会いたいはずだ。

 今やあの頃の使用人、皆が記憶を取り戻している。皆も同じだろう。

 何より、俺が君を傷付けはさせん」


「侯爵…… 」


 かくして、全員一度カイリに戻ることになった。

 皆、シルバードラゴンのズメイに乗り込んだが、ブリトラがリリシーを心配そうにガァガァ鳴くもので、クロウとリリシーはこちらに乗ることにする。


 クロウはリリシーを担ぐと、ブリトラに鬱陶しいくらい言い聞かせた。


「いいか !? フリじゃねぇぞ !? リリシーは意識がねぇ ! 振り落としたらマジでご主人様が死ぬからな !? 」


 〈グェゲェ …… 〉


「ハイハイ、じゃねぇよ ! マジで ! 」


 〈バァ〜〜〜フ〉


「溜め息ついてんじゃねぇよ !

 あ〜〜〜クソ !

 ……ってか、ほら ! 俺はズメイじゃなくてオメェに乗りてぇなぁ〜 ! やっぱり顔見知りのブリトラが一番だよなぁ〜 !!

 よっ ! 色ドラゴン ! 人気の悪竜 ! 個性的で知的な切れ者 ! リリシーの相棒 !! 」




 〈ケッ〉





「……乗せろや。いいから乗せろや……」


 そんなやり取りを笑いながらリズルが茶化す。


「はは ! クロウも中々に相性がいいね !

 まぁ、彼女は頭が良すぎるからなんだろうけれど、相変わらず躾は容易じゃないみたいだね」


「あぁ゙ !? 他人事だと思いやがって !

 まぁ、でも何だかんだでデキるからリリシーも手放さねぇのさ」


「だろうね。

 さぁ、ズメイ ! 行くよ !

 クロウ、侯爵の家で待つよ ! 仲間も連れておいで ! 」


「おう。

 ……だってよ、ブリトラ。まずはソフィアの屋敷だ」


 〈ケケッテ ! 〉


 羽ばたき、ホバリングする自身の強風の中。シルバードラゴンのズメイはブリトラとクロウのやり取りを興味深く観察していた。

 シルバードラゴンというプライドと、知的な主人への服従心に自分は誇りを持っている。だが、時として、自分より下位竜であるはずのブリトラの方が主人とコミュニケーションが取れている気がしてならない。

 ビジネスパートナーとしてのリズルとの堅い付き合いは、プライドの高いズメイには合っている。だが単純に、仲間の一員として扱うタイプのリリシー達には憧れがあるのであった。


 □□□□□


 戻ってすぐ、ギマ夫人にリリシーを任せ、クロウはノアとエミリアを侯爵宅へと連れて合流を果たした。


 イラブチャとリズルは神官達と共に、コバルト王に何があったかを城内で説明する事となる。

 ドラゴンで移動し、カイリに戻る時。今度は神官では無い、別の面子に入れ替わる。


「素晴らしい景色です。飛竜一族とは、いつもこのような景色が見られるのですね」


 コバルト王国 王位継承者である第一王子 レオ。そしてその側近達。

 状況が状況である。

 戴冠式を待たずしてカイリに姿を現れた。側近や重役を連れ、コバルト王の死に際云々より『カイリが独立出来ているのか』をしっかり確認するつもりであった。

 その行動には、イラブチャも町の人間もコバルト王の時代とは風向きが変化したと希望を持った……そんな第一印象のレオ王子。


「リリーシア様にはあたしも一度会いたかったんだ ! 死んだ兄が唯一愛した女性って話でしょ ? ジリル騎士団長に聞いたのよ ! 」


 もう一人の客人は、炎城の新女王である。

 名はルビー · スカーレッド。

 レオ王子はまだまだ若いが、コバルト王から受けていた英才教育のおかげで、すぐにでも他国と渡り合えそうな物腰の柔らかさだ。

 一方、ルビーは元々孤児院に居た経歴のシンデレラガール。まだまだ自覚は薄く、言葉使いも破天荒。その庶民的な振る舞いが、長年ミラベル王政に悩んでいた街人には盛況ではあるが……。


「ルビー女王、少し落ち着かれては ? 個性があって良いかとは思いますが……」


「今だけだもん。公務の時はしっかりしてますぅー」


 本来、エルザ大陸で真っ二つに領土の分かれた二つの王国。

 王、女王が立て続けに亡くなり、どちらも若き王政となる。これではいつ本土の兵が押し寄せ戦争になるかもしれない所だが、レオ王子には、炎城のルビー女王と親交を持つ意思があることが救いだ。

 タイプも育ちも違う二人の王。

 しかし歳も近しく、お互いの足りないモノをカバーして行けるかもしれない。


 二人並んでカイリを視察する姿は書物屋がこぞって取材を申し込んだ。


 クロウは人形屋敷から材料や道具を運び出し、ノアとエミリアは町で旅の用意を済ませる。

 ただ一人、リリシーだけが目覚めない。

 ソフィアは一晩で回復が済んだが、リリシーが目覚めないのは三人分の魂と、二度も使用した黒魔術の影響だろう。

 術は成功したのだから、回復するまでは待つしかない。


「ノア」


 町から帰ったノアが手荷物を整理していると、ドアの傍にソフィアが立っていた。


「ソフィー。どうしたの ? 」


「今一人 ? 」


「うん ? そうだけど」


 ノアの返答にソフィアは箱を持ち込むと、部屋のドアを閉め、鍵をかける。


「ど、どうしたの ? 」


「あのね ……。お願いがあるの……」


 ソフィアは箱の中から火起こしの発動器を取り出し、何やら重そうな棒を手にする。

 ノアの顔色が豹変する。

 それはあまりにも恐ろしく野蛮な物体。


「どうして ? もう新しい身体なんだよ ? 」


「考えたんだけどね。でもこれが私だから」


 ノアは手の中に押し込まれた鉄の鏝を、憂鬱そうに見下ろす。

 奴隷商人が使用していた焼き鏝であった。


「戒めよ。この町で起きた悲劇はわたしが元凶なのだと……一生背負う覚悟を忘れない為にね」


「分かるけれどさ。でも、これじゃなくていいんじゃないの ? 例えば記念に別の物を持つとかさ」


「物 ? 」


「そう。いつでも見える場所に置くんだ。それを見て過去を……」


「ううん。確かにそれでいい人もいると思うけど……私はこれが一番しっくりくる」


「…………。クロウはさ、完璧を求める職人だよ。でもソフィーの出自は話して知っていたはずでしょ ? でも、ソレには拘らなかった。

 必要無いから入れなかったんだよ」


「必要かどうか決めるのは私よ。

 大丈夫。痛みは感じないし、この鏝もさっきクロウから受け取った新品よ。やり方も聞いてきたわ。まず、この液体を塗ってから焼いた時に変色するようにするの。だから一度ここに塗って……届かないからお願い」


 ソフィアの意思は変わらないようだ。

 ブラウスをさっさかと脱いで行く。


「……分かった」


「奴隷商のところに居なかったら、私たち出会ってなかったのよね」


「そうだね」


「ドンちゃんとは炎城を見に行くの ! その後ここに戻ったら、グランドグレーに行くためにギルドで冒険者登録しようと思うの」


「じゃあ、旅先でバッタリ会うかもしれないね ! 」


「ええ。楽しみ。

 嬉しいの。外の世界に目を向けられるのが ! 」


 ソフィアはまだ個人的な意思で他の街並みを見たことが無い。


「白魔術師でギルド登録するの ? 」


 ノアは液をソフィアの肩下に塗り終えると、発動器のサラマンダーの火を起こすレバーを巻く。


「わたしはそう。精霊魔法も一通り使えるから二つジョブプレートを貰おうかなって。

 ドンちゃんはね、踊り子希望なんだけど……性差別が強い地域に行った時の為に、もう一つジョブを持っておいた方がいいってギルドで言われたみたい」


「性差別 ? 今時、そんな町あるのかなぁ ?

 あの髪切り屋の人、他に何かあるの ? 」


「身体は大きいけれど、繊細で器用で芸術肌なの。吟遊詩人か、召喚師がいいかなって」


「召喚師 !? 」


 召喚師とは、自分と契約をしたありとあらゆる人外を召喚する特殊なジョブである。


「ず、随分グレーなジョブ希望なんだね 」


「彼女ね、この町で何人もの海の魔物相手に髪を切って来たんだって。不思議よね。

 何か、魔物を手懐けるコツ ? が、あるみたい」


「へぇ〜 ! 個性的な人だしね……。人外とか性別とか、そう言う仕切りを取り払える人なんだろうね。

 確かに……そういう事なら向いてるのかも ! 」


「そうなのよ。

 さ、やって」


 ソフィアが黄金色の髪を束ねて逆肩へと避ける。

 これだけソフィアが望んでいるなら何も言うことは無い。


「じゃあ、行くよ」


「ええ」


「てぃっ !! 」


 じゅあぁぁぁっ !!


 部屋に充満する焦げた臭い。

 ノアは顔を顰めながら、押し当てた鏝をゆっくり剥がしていく。

 表面は無事だ。

 ヒビひとつ無い白い肩。

 そこに入る新しい奴隷の烙印。


「……うん。大丈夫みたい。終わったよ」


「ありがと。これで完全な私。

 今まで通りよ」


「うん。そうだね」


 そこへドアをノックする音がする。


「ノア、ソフィー、手が空いたら来てくれる ? 」


 エミリアだ。


「リリシーの目が覚めたわよ」


「分かった ! 」


 リリシーが目覚め、旅の準備は済んでいる。

 別れの日が近い。

 しかし、ノアもソフィアも、決してそれを口にしなかった。

 感情的なものでは無い。

 単純に『また会える』という、根拠の無い自信があった。


「私、背を流してから行くわ」


「うん」


 廊下に出たノアにエミリアが気付いて振り返って目を丸くする。


「え〜 !? すぐ出てきたぁ !

 あんた達、イチャイチャしてたんじゃないの ? あんたもっとソフィーと居なさいよ」


「別にイチャイチャはしてないよ ! ソフィーは巫女だよ ? 神官だよ ? そんな事しないよ ! 」


「んも〜焦れったいわねぇ ! 」


 二人並んでリリシーの客室へ向かう。


「……短い期間なのに、長く感じたね」


「そうね〜」


「……エミリーは髪……短いのも似合うね ! 」


「当然よ ! ショートが似合うのはガチな美人の証拠よ ! 」


 今のエミリアの髪はソフィアに提供してから、うねりのあるショートボブになっていた。

 しかし、露出気味の衣装が更に髪で隠れる部分が無くなったが為に、更に色気は増している。


「レオ王子もルビー女王も今夜はここに戻ってくるらしいわ」


「じゃあ、今日が送別パーティだね。

 いよいよカイリの港とはお別れかぁ〜」


 二人は一度自室に行くと必要な物を持って来た。

 そしてリリシーの部屋の前に立つと、ニッと顔を見合わせる。

 その二人の両手の中には大きな花束が抱えられていた。

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