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9 : 死と裏切り

 強風吹き荒ぶ夜の廃村。

 半分しか屋根のない石造りの廃墟で、ソフィアは一人震えていた。

 飛んできた砂粒が、石と織物だけの寝台にパチパチと打ち付ける。

 逃げてきたはいいものの、ルサールカがいつどうなるか分からない今、ただただ死の恐怖へと向き合う。ルサールカが何らかの方法で倒される事があれば、魂だけで形成されている今の身体が消える。その時、痛みや苦しみはあるのか、さては死後の世界があれども黒魔術を使った自分は常人と同じ場所には行けないのだとも思えていた。

 薄手の布ですっぽり頭を覆い隠し、砂から髪を守る。

 ここはリズルが住み着いていた廃村だ。グランドグレー大陸先端。石の村。

 エルザ大陸とグランドグレー大陸を結ぶ航路はもっと大回りに迂回する為、この町は錆れた上に旅人も来ない村だった。


 こんな時に限って星が美しく夜空に散らばって輝いている。

 どこへ行けばいいのか、これからどう生きていけばいいのかも分からない。

 ソフィアにしてみれば、状況は何も変わっていなかった。

 ただ、町人から責められて家を焼かれる心配は無いという事だけだ。


 ……………。


「 !!? 」


 何かが聴こえたような気がして辺りを見渡す。

 風の音と砂の打ち付けるぱちぱちと言う音。


 一度は被った布をハラりと下ろし、もう一度耳をすませる。


「……」


 微かにする。

 石畳を歩く靴音と、カチャカチャと金属が擦れる様な音。聞き覚えのある装備が擦れる音だ。


 カチャ……チャ……ザッ……ザッ……トッ…………


「……リリーシア……」


 戸口に姿を現したリリシーは恐ろしい程に冷たいエメラルドグリーンの瞳でソフィアを見下ろしていた。


「ごきげんよう、ソフィー」


 白い髪が風で巻き上がる。

 飛竜の卵素材の厳つい防具に、ひらりと靡く黒のローブ。そしてリリシーの背丈にしては不釣合いなロングソード。


「こんなところにいたのね。移動してなくて良かった。

 ここは石の村。知ってる ? 」


「いいえ」


「寒暖差がある方だし、何より岩盤が硬すぎるから農作物が育たないらしいわ。でもここで採れる良質な密度の高い石が村人を支えて来た。

 でも……それも枯渇しかけると採石職人は次の資源のある場所へ移住したんだって」


「そう……。寂しい場所だわ……採れるだけ採って用済みになったら捨てる。人は勝手ね」


「どうかしらね。何も無い空よりマシだわ。わたしは空以外見たことがなかったから。

 こうして石に触れると、自然はこんなに素晴らしいのかと感動する。風化してもこんなに頑丈で、手で触れると冷たくて気持ちいい……」


 リリシーのなんでもない話を、ただソフィアは項垂れて耳に流した。

 リリシーが何をしに来たのか、予想はついていた。

 思わず言い訳の方が先に口をついて出る。


「……死を受け入れられなかった。許せなかったのよ。裏切りより、なんの感情もない顔でわたしを突き刺したあの瞬間が」


「 ???

 ああ ! リールって子の話ね ?

 でも貴女は死んだの。本来、生きていてはいけないはずの人間。

 貴女は死人」


「リリーシア……貴女はどうなの ? 貴女の仲間だって、貴女がいいように引き止めていい魂じゃないわ」


「……そうね。ただ、人は襲わないけれど」


 リリシーはロープを取り出すと、ソフィアをきつく結んで行く。


「……逃がすというのは嘘だったの ? 」


「それはクロウが勝手に口約束しただけでしょ ? 」


「でもリズルさんも同意して……」


「リズル兄さんがそんな良い奴なわけないもの。

 だから貴女、男に騙されるのよ」


 リリシーの言葉には棘がある。

 わざと逆撫でするような発言を繰り返すが……これが現実だ。


「……わたしはどうなるの ? 」


「兄さんは今頃、貴女の魔導書を持ってどこかの国の……そうね、気に入らないオジサンにでも渡してるんじゃない ? 想像つくわ。

 黒魔術書……あれは見たら使いたくなる魔力がある。でも、わたしそっちはどうでもいいかな。

 わたしの仕事はルサールカ退治。貴女を、ルサールカに引き合せるわ。

 その魔術、わたしも読んだけど。これが一番の解決法よ」


「こないだは曖昧な返事したのに……。やっぱり貴女は魔導書の中身を知っていたのね」


「ミラベルの残した魔導書の中に貴女の使った魔術も記してあったわ。

 貴女が人形に封印しているのが、ルサールカの思念とは思わなかったけれどね。侯爵の庭園で感じた怨念の質がルサールカと同じだったから気付いたのよ。

 貴女はあの崖で亡くなったのね」


 執拗に死んでいることを突き付ける。

 ソフィアは身動きが出来ず、ただ俯きロープの痛みに耐えている。まるで罪人の如き扱い。間接的に人を襲っているとしても、まだまだ年端もいかない少女である。


「人形にルサールカを封印してしまえば……わたしは自由になれると思った……誰にもバレないうちに」


「ルサールカは悪魔よ ? 人形に封印し切れる魔力じゃないわ。あれを止められるのは貴女の正しい死のみ。

    さてと……。さぁ、立って」


 リリシーは後ろ手に縛ったソフィアを手荒く引き上げる。


「……っ ! 」


「死者 ソフィア · ブルー。貴女は自然の理の中に帰るの」


「くっ ! ……ルサールカを倒せばいいじゃない ! 白魔術師なら可能って、魔術書には書いてあったでしょ !? わたしは関係ない !!

 最善を尽くしてよ !! 白魔術師くらい知り合いにいるってリズルさんもクロウも言ってたのに ! 」


 歩き始めようとするリリシーからソフィアはロープを強く引き逃げようとする。


「なら同じページに書いてあったでしょ ? 白魔術師を使った解除方法は成功確率は一桁台。そんなもの当てにならないわ」


「いやっ !! 戻りたくない !! 」


「無駄よ。

 ……リズル兄さんも魔導書欲しさに貴女を釣っただけ」


「に……逃がしてくれるって…… ! 言ったのに !! 嘘つき !! 」


「だから、それはクロウが勝手に言ったんでしょ ? 兄さんは別だわ。ただの方便。

 大体、本当に逃がす気なら隠れ家の提供者の一人二人、いないわけ無いじゃない。

 こんな荒谷の廃村に一人で……貴女は置き去りにされたのよ。


 助けは。

 来ないの」


「……っ」


 大粒の涙が零れる。

 一度出ると、どんどん溢れて止まらなくなる。


「なんて……なんて冷たい人…… ! わたしに……悪魔になった半身と海に沈めって言うのっ !!? 」


 〈ギュルルル ! 〉


 その時、ソフィアの金切り声を聞いたブリトラが不機嫌そうな顔で鎌首をもたげ、一軒先からソフィアを見下ろす。


「き、きゃぁあ !! 」


 死角ではあるが隠れ家のほんのすぐ側に巨大なドラゴンがいた事もだが、何よりソフィアが驚いたのは品種だった。


「ま、まさか貴女の飛竜って…… ! ブリトラドラゴン…… !? 気性の荒い悪竜…… ! 最も不吉なドラゴン ! 」


 ブリトラドラゴンはゴッドイーターだと言う謂れがある。属性が雷 · 闇なのである。


「大丈夫よブリトラ。この子を運ぶだけ。わたしは大丈夫よ」


 〈グルッケケケ ! 〉


「さあ、乗って」


「い、嫌ぁっ ! 」


 走り出す。

 縛られたままで。

 遠くに逃げれるはずなどないのに。


「あぅっ ! 」


 走りにくい凸凹の石畳ではすぐに足が縺れる。


「仕方ないわね」


 リリシーは剣を抜くと、躊躇い無くソフィアの脹ら脛を斬りあげる。


「ひぃああぁぁっ !! 」


 痛みで転がり泣きじゃくるソフィアを見下ろし、非情にも血塗れの脚で即ブリトラに乗るよう命じる。


「さぁ、早く。また斬られたいの ? 死ねもしないのに地獄の痛みを味わう事になるわよ」


「ひぃ……うぐ……うぅ…………」


 この広い大陸の、荒廃した大地に。

 今、地獄が居る。


 その地獄の隅。

 二人から身を隠していた女はその恐ろしい光景に目を閉じ、ひたすら両腕で全身の震えを抑えていた。


 □□□□□□□


「よし……」


 クロウは最後のパーツをそっと置くと、今まで使用してきた道具を一度片付け始めた。作業開始からクロウの強烈な集中力を見たノアは、研ぎ澄まされた狂いの無い一手一手の作業に言葉を失っていた。

 作っているのは剣や防具では無い。

 しかし長年の経験と器用さ、知識だけで感覚的に作っていると言うのに精密過ぎる程の出来栄え。


「ノア、ヤスリと着色剤出しとけ」


「う、うん」


 いつも粗暴なクロウだが、リリシーが何故クロウの武器しか使わないのか。この腕前が物語っている。


「おい、エミリアぁ ! 」


 リビングで一人ソワソワしていたエミリアがクロウに呼ばれる。


「な、何 ? 」


 作業部屋に入ったエミリアは、台の上に並べられた人体パーツに目を見張る。


「嘘……。これ、今……たった数時間で !? 」


 クロウとノアが作っていたのは、ほぼ原寸大のソフィアを模したビスクドールだった。


「ったく ! 仕入れておいて正解だったなぁ !

 リズルのやつに、刀の手入れと引き換えに取引したんだよ。

 見ろ。これぁ、グランドグレー大陸最北端、石の村の上質な粘土だ。他の泥漿とは違げぇ。扱いやすくてヒビが入らねぇ上に、焼きの時間も短く済むって代物だ。今は廃村で入手困難品なんだぜぇ ? 」


「人形…… ? ソフィーの人形を作ってたの ? それって……。

 ……ソフィーとルサールカをこれに封印しちゃうってこと…… ? )


 ノアが離れていったのを確認しながら、不意に二人とも小声になる。


(ノアには言うなよ。

 実際、あいつァもう死んでるんだぜぇ。倒されるか、封印されるかしかねぇんだろ)


(……そんな…… ! そんな事って……)


(逃がしてやりてぇのは山々だがよ。このまま港を見捨てるわけにゃいかねぇ。

 リリシーがソフィアと港を天秤にかけて判断したんだ。反対はしねぇよ……。とんでもなく後味は悪いがよ。

 これが一番いいんだろうさ。殺しもせず、倒しもせず……。封印されてる間はソフィアに苦痛は無ぇしよ)


 バタバタとノアが外に積まれた工具箱から戻ってきた。


「使わないものは片付け完了 !

 クロウ、あとはどうすればいいの ? 」


「あ〜。窯で焼く。裏庭に移動だ。パーツを運ぶぞ。

 ゼッテェ落とすなよ !? フリじゃねぇぞ !? 割るなよ !? エミリアに触らせんなよ !? 」


「何よ ! 呼ばれたから来たのに ! 」


「おめぇ、サラマンダーと契約したか ? 窯に火入れする時呼ぶからそこにいろ」


「それだけの為に呼んだのぉ !? 」


「うるせぇ ! 意味があんだよ !

 いいか ? 全員で作るんだ。技術が必要なところは俺がいる。だが、今回ばかりは一人作業じゃ駄目なんだ」


「ビスクドールの製造にそんな決まりがあるの ? 」


「いんや。これは……一種の験担ぎだがよ……。色んな人間の苦労と願いで封印の力を複雑にするんだ。封印を破る時は逆。一人の想いの強さの方が大事だ」


「ふーん……」


 ノアがバタバタとダイニングから滑車の付いたカートを持って来た。


「じゃ、これに…… ! 」


「他の部屋からブランケットとか何か、緩衝材になる物を見繕って来い。乗せんのは俺がやる」


 ノアが必死に駆けずり回っている姿を見て、エミリアが震えていた両手を胸の前でキュッと握る。


(本当にそれしか方法が無いの ? ノアには伝えないの ? アンタ、あんなにノアがソフィーの為に頑張って手伝って、期待させておいて……ただ封印して居なくなるなんて知ったら……。

 黒魔術のタブーとかは、あたしはよく分かんないけど……ノアには伝える方が……)


「……」


 クロウは腕組みをするとこれまでに無いほど深刻な面持ちで考え込み、やがて悪い考えを振り落とすかのように大きな手で目頭を強く抑える。


「……分からねぇんだよな」


「何がよ ? 」


「リリシーだ」


「何よ。それ。

 アンタ、前回も炎城でリリシーがミラベルと一緒にいた時むくれたそうじゃない。またそんな感じ ? 」


(……違ぇよっ。

 リリシーが何を仕出かすか分からねぇんだ。エルザのダンジョンでもそうだった。突拍子も無ぇ事を平気でやるんだ。度胸があるのか、無知なのか……。

 言われた通りのドールを用意したけどよ……これならルサールカとソフィアを合わせて封印しても、破裂する事はねぇだろうが……)


「 ? 何に悩んでいるのか分からないわ」


(……あいつは何故封印の仕方なんて知ってんだ ? ミラベルの魔術書は処分したって聞いてたが……そんなに覚えきれるものなのか ? )


(……言われてみれば……。でも、それならもっといい方法がありそうだけど……あ、そういう事 ?

 リリシーはただこれにソフィーを封印するだけじゃ終わらないって事 ? )


(かもな……。話の流れじゃ、二つ方法があるけどどっちも良くねぇって悩んでたのに、リズルが黒魔術書を代償に貰ったって聞いて、封印するって言い出した。急にだ)


(確か、リールをルサールカに捧げるか、ソフィーがルサールカと一緒になるか……の二択だったわよね。残りの一つは白魔術師がいれば方法があるとか……でも、その方法は有耶無耶になったわよね ? )


(白魔術師なんてあいつの顔なら知り合いは多いはずだろ ?

 それをしねぇって事は……どうしてなんだろな。例えば成功率が低いとか。それならあいつは選ばねぇと思ったんだ。なら、他に何か方法があるんじゃねぇのかなって。

 確証がねぇ以上は、俺もノアになんて言っていいのか分かんねぇんだ。

 逆も有り得るしな)


「逆 ? 」


(封印なんて生易しい方法じゃねぇかもしれねぇ。普通に死ぬより酷い最後になる事も有り得る。

 あいつは判断力が早い分、多少酷なやり方でも躊躇わねぇ性格してやがんだ……昔からな)


 エミリアは半信半疑でクロウから顔を背ける。にわかに信じ難いリリシーの本質。


(どの国も飛竜一族を懇意にしたがる。金になるからなぁ。だから、そういうモーションに靡かねぇように、簡単に心を開かない。常に鋼の意思で冷静になりがちだ。それが時には冷酷に見えることも多い)


「あたし達には優しいじゃない。酷い事なんかするかしら……」


(じゃあ、おめぇ出来るか ? リリシーが死んだら、あいつの体を切り刻んで自分にくっつけてタダイマって言えるか ? 親兄弟んとこに顔出せるか ? 俺ァ出来ねぇよ。

 炎城のクソ女王もそうだ。最後はブリトラに食われて死んだ。その骨を糞から洗って拾えるか ?

 異常だぜ)


「でも、あんたはそんなリリシーに惚れてんでしょ ? 」


「……それは別だね。俺ァ、死んだ後パッチワークされるのはゴメンだな」


「……」


 モップなコートを脱いだクロウは、いつもの飄々とした雰囲気は何処吹く風。汗に塗れたシャツ一枚から出る筋肉質な腕に、濡れてへばりつくシャツからも分かるシックスパック。作業中に無意識にかき上げた髪のままのクロウの、リリシーに対する複雑な表情。彫りが深く、かと言い、年相応の落ち着いた年上の男性の雰囲気。


 エミリアはこの時初めて、クロウに気があるリリシーの心理を理解したのであった。何より恋愛感情に流されない意志の強さをお互いに持っている。これが強みだ。


「はぁ……面倒臭い二人ね。

    人形の髪、どうすんの ? パッサパサの作り物じゃ可哀想じゃない」


そう言うとエミリアは鋏を手に自分の長く艶めかしい赤毛をそっと掴み上げた。


 □□□□□□□□□


 翌日、夕暮れ時。

 コバルト王はリズルに連れられ、アクエリアス邸へ姿を現した。


「コバルト王……ど、どうされましたか ? 」


 イラブチャが驚いたのも無理は無い。

 コバルト王はその日のうちに魔導書を読み切ってしまった。元々、魔術書を読み慣れていればそう難しい頁数では無い。

 だが、窪んだ眼に抜け落ちた歯。イラブチャが半年前程に会った時より、コバルト王は生気を吸われた様に干からびて見えた。いや、実際干からびたのだ。


 あの後コバルト王は早速、一人になると一つの魔術を使ってしまった。

『土地を手に入れる方法』の欄に記されていたものの一つである。

 しかし、魔術書を普段読めども魔法を使うことのないコバルト王だ。

 リズルにドラゴンに乗せられる前に部屋へ籠ると、成功したかしていないかも分からず、何度もその術を繰り返した。


「いや何も。年甲斐も無く、読みたじめた文献に手が止まらず徹夜をしてしまった」


「そうでしたか。さすが、勤勉でございますね」


「町はなんの騒ぎだ ? 」


「海の神の為の祭りごとです。どうか事故が無くなるようにと思った次第でして……」


「ああ、漁師の事故の事だな。

 今日はそれを解決に参った」


「王がですか !? 」


「ああ。少し方法を聞き齧ったのでな」


 イラブチャは不意に、王の背後にいるリズルと視線が絡んだ。

 リズルに何か吹き込まれたのは明白である。イラブチャ自身、妻以外にコバルト王へ不信感を持っていることを口にしたことは無いが、それでもリズルは察している様子で普段から顔を合わせていた。

 そのはずのリズルが、コバルト王を港の為に連れて来た。それも少し様子がおかしい王の姿。


「……そうでしたか。

 いえ、是非お願い致します。ほとほと困り果てていましたので……」


 不穏な空気。

 コバルト王は庭園の中へ入ると、一度後ろを振り向いた。


「それで……。何処でやればいいのだ ? 」


「庭園の右手の崖です」


 コバルト王の問い掛けに姿を現したのは帰還したリリシーだった。


「リリーシアさん…… ? 」


「こんばんは、侯爵。今夜全て解決します」


 そういい、何かの塊を地面に転がり落とす。

 それは切り傷や殴打でボロボロになったソフィアだった。


「う、うわぁ ! ソ……ソフィア !?

 おい ! なんて事してくれてんだ !? 」


「元凶です。侯爵。

 彼女は既に死んだ人間なのです。死に還さなければいけません。

 その汚れ仕事ともなる役を、コバルト王が自ら引き受けくださったんです。

 これで手打ちにしましょう」


 コバルト王も白魔術師や騎士達も、気の毒そうにソフィアを見下ろしてはいるが、承諾の佇まい。

 最早、抵抗する気力も失っているソフィアを見て、イラブチャは遂に腰を抜かしてへたり込んでしまった。


「酷い怪我だ……あんた、この子になんて事を !

 よくも出来るな ! 」


 ソフィアに差し伸べる手をリズルが制する。


「侯爵、死人にお手を触れぬよう。呪文に引き込まれてしまいますよ ? 」


 イラブチャが呆然と見上げる。


 飛竜を連れた白い兄妹。

 儚く、消えてしまいそうな白い二人。

 その白さは色味としての印象は最早薄くなるばかり。

 美しい霧とは言えない、薄笑いを浮かべた恐ろしい白。


 ──薄情。


 この兄妹の白さは情の薄さにあらわれているように思えてならなかった。


「死んだ時の追体験を利用します。ソフィーをここで落とすと、間違いなくルサールカも反応して半身の元へ戻ってくるでしょう。

 二つを一つに戻すことで術が解け、ルサールカを消す事が可能です」


「そんな……。本当にそれしか方法が無いのか……」


「生け贄だ。それも既に死んだ者と言うじゃないか。今、生きているお前の仲間の命を考えればこれが自然な事では無いか ?

 大丈夫だ。俺がやる。この娘も世話になったお前に殺されたくはないだろうしな」


「そんな ! あんまりだ ! 王 ! 何卒、他の方法を ! 」


「ダメです」


 リリシーがピシャリと言い放つ。


「最早、犠牲なしではおさまりません。死者を死の国へ返すだけです」


 リリシーの冷たい言葉に、イラブチャは地面に額を付けソフィアに向かって嗚咽を上げて泣き始めた。


「ソフィアァァァ ! うぉぉぉぉぅ ! 」


「コバルト王、そろそろ月が真上に」


「うむ」


 リズルがソフィアの縄をリリシーから受け取って、立つように促す。

 ソフィアは抵抗する事も、呻き声一つも上げずに、ヨロヨロと立ち上がった。服の原型が無いほど痛めつけられた体に、イラブチャがしがみつく。


「ああ ! そんな !

 すまん ! すまん〜っ ! 俺が引き取らなかったらこんな事には !

 あぁぁ ! 二度も死ぬなど、なんて酷い事だぁ ! すまんよぉっ !! 」


 リズルに縄を引き渡したリリシーは、その場を去ろうとする所をイラブチャに呼び止められる。


「リリーシアァァッ !!!! おまいさん、自分の目で見て行けやっ !! 逃げる気か !! 」


 リリシーは立ち止まると、溜息をついて首を振る。


「いいえ。逃げませんよ。

 わたしは崖下に回ります。

 彼女が使った術を説明したでしょう ? また同じ事をされないように、最後を見届けなければなりませんから。

 遺体も港には戻しません。不吉な呪物になるケースもありますので、ドラゴンで離れた場所へ運んで封印します」


「……なんて……なんて冷たい女なんだ……。

 うぅぅ……せめて ! せめて封印した後は墓に納めてくれ ! せめて安らげるような場所に…… ! 」


 イラブチャの最後の願いに、無表情のままのソフィアの瞳から最後の大粒の涙が零れる。

 大きな月を見上げて、深く深く息を吸い込む。

 庭園の緑の香りと吹き上がって来る潮風。


「…………アクエリアス侯爵……。わたしを引き取って下さり、ありがとうございました。

 ……港の皆さんにご迷惑をおかけしました……ごめんなさい……」


「……ソフィアァァ……」


「さぁ、コバルト王」


 リズルがかつてソフィアがリールに殺されたあの崖にコバルト王と白魔術師を誘う。

 すれ違う瞬間、リリシーとリズルの空気が張り詰める。


「では、ソフィア · ブルー。死の国へ還るのだ」


「はい……」


    ソフィアは静かに頷くと、王に触れられる前に、自らその細い体を海に投げ出した。


「よし、白魔術師、呪文だ」


「は、はい」


    白魔術師が震える声で呪文を唱え始める。


「……終わったな。これでいいのだな ? 」


「ええ」


 肌にイラブチャの怒りをピリピリと感じながら、リリシーはその場を立ち去った。

 この場へ来る直前。

 飛んできた白い鳩の紙に描かれた『〇』を取り出し、握りしめる。


「ブリトラ ! 」


 〈ギュル〜〉


「馬鹿ね。大丈夫よ。

 あの崖の下に行きたいの。あっち側から低空飛行で回り込んで ! 」


 〈ケケ ! 〉


その時だった。


『リリシー !! 海の方 !! 』


 突然オリビアに呼ばれ、心臓が跳ねる。


「あれは…… ! 」


 大きな突起物が海面から現れてくる。


「シービショップ !? 」


『祀りが遅かったのかねぇ ? 』


「そんな短気な生き物じゃないわ。曲がりなりにも神の類よ…… ? 」


 シービショップはノロノロと崖へ歩いてくると、どうやらコバルト王やイラブチャ達をじっと眺めているようだった。


『ルサールカの半身に気付いたんじゃないのかい !? 』


「……ソフィアはもう崖下よ……別なものを見てる……」


 リリシーの言う通りシービショップはコバルト王を見ていた。

 やがてシービショップは大きく手を振りかぶると、庭園の中から王をつまみ上げた。


『おいおい !! まじかよ !!? 』


『コバルト王じゃないか !! 』


 リリシーはブリトラの側でそれを見上げる。


「王から少しの黒魔術の魔力を感じたわ。それに反応してるのね。

 ……リズル兄さんの策にはまったのよ……」


 コバルト王の黒魔術の魔力も、悪魔 ルサールカの魔力も神から見たら同じようなものである。敵対者と認識されたのだ。

 祭りが間に合った事で、シービショップはアグレッシブに自分の海域を護る力を取り戻した。そして、黒魔術の臭いのするコバルト王を元凶と考え攻撃をしに来たのだった。


 ゆっくり摘まれ崖から離される。ジタバタうねるコバルト王の姿が、やがて奇妙な音を立てて触腕に握り潰された。


己の欲で黒魔術を使ったがばかりに……いや、使おうとして魔術書を受け取った時から。コバルト王は、リズルの思惑通りに黒魔術の餌食になった。


「ふ……。シービショップがいなくても、いずれ魔術に飲まれたでしょうけどね」


〈ぐえぇ〜〜〜……〉


「ドン引きしないで行くわよ。ソフィーを見失っちゃう」


 〈フンスフンス !! 〉


 ブリトラはいつになく後脚をゆっくり踏み込むと、風を上手くコントロールしながら静かに崖下へと向かった。

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