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8 : 深海マリンスノー

 無言になってしまったノア、イラブチャ、リール。

 暫くは思い詰めた表情をしていたエミリアだが、やがて皆を代表するかのように、リリシーに向き直る。


「ねぇリリシー。リール君は兵士だったし逆らえない立場だったでしょ ? 侯爵も最善を尽くしたと思うのよね。

 ソフィーの事は残念な結果になったけれどさ。ソフィーの気持ちを考えたら……なんて言うか、あたしも同じことするかなって」


「しないわ。エミリーはそんなことしない」


「言い切れる ? あたし結構、わがままだし怒りっぽいよ ? 」


「わたしは手に負えないような人を仲間にしない。友でありながら、戦友だと思ってる。エミリーは自分で思ってるほど、我儘じゃないし利口な女性よ」


「え、ありがとう。うん。

 や、そうじゃなくて……」


「宿で話した通り、黒魔術書は危険なものなの。わたしが言えたことじゃないけれど、わたしだからこそ言えるって事も分かって欲しい。

 ソフィーは黒魔術を使った。そのしっぺ返しが来てるんだわ、きっとね」


 確かにリリシーだって同じことが言える。

 本来、エミリアもノアもリリシーが自分を棚に上げて話していることを言及してもおかしくは無い。

 だが、結論から言えば、リリシーの使った魔術の方が独りよがりで業は深いかもしれないが、赤の他人にまでは迷惑をかけない魔術である。ものの捉え方にもよる話だが、つき詰めればどちらも願いが叶っても代償の大きい理不尽な魔術である事は間違いない。


「皆さん、そろそろ最後の目撃地点に差し掛かります」


 船長も場の空気の重さを感じながらも、全員に声をかけた。


「では」


 リリシーが小舟に手をかける。


「漁船を降ろします。わたしが乗り込みますので……エミリー、他の魔物が来ないよう水を観察してて」


「……」


「エミリー ? 」


「あ、うん。

 水よ ! ウィンディ、力を貸して ! 」


 エミリアのそばにスルンと小さな体が現れる。


「う……わぁ。これが精霊 !? 」


 初めて見たのか、リールも船長もイラブチャも目を丸くしてウィンディを見る。


「精霊様 ! どうか今後も漁業にお力を ! 」


「綺麗……こんなに……綺麗なのか……素晴らしい……」


「……はぁ……やっぱり俺が見たのは精霊じゃないや。あれはこんなに美しい光じゃなかったよ……」


『ふふん。出てきて早々、褒めすぎなのー』


 ウィンディは髪をファサファサと手で靡かせながら、満更でもなく信仰心を受け入れる。


『何かが来たら、警告くらいは伝えてあげる。他の魔物も、巻き込み事故は望んでないのー』


「ええ。お願い」


 リリシーが一人、漁船に乗り込む。


「もしもの事があったら、ロープを切り離していいわ」


「操縦は大丈夫かい ? 」


「このレバーですか ? この発動器なら使えそうです。行きます」


 ロープが解かれると重い軋み音を上げて、繋がれていた漁船部分が中型船から分離する。ポツンと一人漁船で座り込むリリシー。その姿を見て、ノアはまだ悩んでいた。


「あんた、今回は降りた方が良かったんじゃない ? 」


「……まだソフィーが原因って決まった訳じゃないもん……」


「ここまで聞いたら、もう分かるじゃない……。あたし、あんたが辛そうにするの見たくないわ。帰ったら間違いなくリリシーはソフィーを責めるもの」


「……ん……そうかもね……」


 その時だ。


 漁船の奥の海面が盛り上がる。


「来た ! ?」


 全員、身を寄せ合いながらもジッと目を見張る。

 固唾を飲んで身構える商船のメンバーより、単身漁船に座っているリリシーは、その姿勢のまま剣も抜かず、ズルズルと盛り上がる海面を見上げるだけ。


 〈うあああ……うぅ〉


 咽び泣くような鳴き声を上げながら巨大な突起物が姿を現した。


「で、でかい !! なんじゃぁ ? 」


「あれがそうなの ? 」


「違います ! 俺がみたのは女性の魔物です ! あんな大きくありませんよ ! 」


 せり上がってきた大きな突起物は神官帽だ。その下にはぶよぶよに伸びた人面のイカに似たものが繋がっている。口を横に広げ、なんとも悲壮感漂う目元から塩が吹いていた。


『あれは、シービショップ ! 海の神なの ! 』


「神ぃっ !!? 」


『泣いてるの ! 怪我してるの ! 』


 リリシーはゆっくり立ち上がると、人とも魚とも似つかない巨大な存在を見上げる。

 手の鉤爪は数本が折れ、体表の鱗も逆さにめくれる程深い傷を負っていた。


 〈お……ア……アァ……〉


「海の司祭よ。どうか力を分け与えてください。海の平穏を取り戻します」


 リリシーの言葉にシービショップは頭を垂れ、言葉を理解する仕草を見せる。

 もう息も絶え絶えだ。項垂れたままヒューヒューと苦しそうな呼吸をする。


『様子がおかしいの ! 怯えてるの ! 』


 〈あ、あ、あぁぁぁ〜〉


 何かを伝えようとリリシーと海面を交互に見やる。


「 !! 下 !!? 」


 海中だ。

 深く暗い海底から、猛烈な勢いで上がってくる殺気。


「エミリー !! 彼にシールドを !! 」


『言われなくても !! 』


「水よ !! 」


「水よ !! 」


 リリシーとエミリアの二人がかりでシービショップにシールドを張る。


 ザバァッ !!


 間に合った !


 イルカのように水面から飛び出してきた人型。

 体表は青白いというより青緑に近く、水で生きるのに特化したのか、蜂蜜色の髪が途中の生え際から深緑色に変色していた。

 恐ろしい程に鋭いグリーンアイ。


 〈フン ! 〉


 シールドを忌々しそうに確認すると、再び水中に姿を消す。


 ダバンッ !!


「青い女 !! 今のがそうね !? 」


「すぐ戻ってくるっ !! エミリー ! シービショップを沖まで援護誘導 !

 わたしから離れて ! 」


「リリシーは !? 」


 リリシーはポシェットを剥ぎ取ると漁船の床に投げ下ろす。空気球を頭に被り、剣を構えた。


「あれを追うわ ! 」


「えぇ !? 」


「水よ ! 海中雪華 ! 」


 止めるまもなく、リリシーは海面へ飛び込んで行った。


「えと ! 海の神さん !! ついてきて !! 」


 エミリアは半分パニックに陥りながらも、船長に更に沖に出るよう言う。


「とにかくどこか人目につかない浅瀬に。この神様を誘導して ! 」


「お、おう。じゃあ、南東の方へ……リリーシアさんの漁船はどうする !? 」


「俺が残りますよ ! 」


「リール !? あなたじゃダメよ ! あの女の狙いは漁師さんだし、リールは復讐対象なんでしょ ? 」


「僕が残る」


 ノアは素早くロープを手繰り寄せると、身軽に漁船へ乗り込み切り離す。


「行って ! 」


「くっ……。ノア……。

 リリシーをお願いね ! 」


 エミリアは床にあった帆の切れ端を持つと、船尾で大きく左右に振り続ける。


「神様 ! こっちよ ! ついてきてね !! 」


 海の神、シービショップはあの魔物に長い間攻撃を受け続けていたのか、しょんぼりとしたように偽商船のあとをついてくる。


 □□□□□


 ゴポポ……。


 底は暗い。

 既に太陽の輝は遠い。

 巻き上がった沈殿物が、射し込んんだ光で雪のようにチラチラと舞う。

 一寸先は闇。魚も居ない。

 深海がこんなに暗いとは。

 だが、光を灯せば格好の的だ。

 重力に任せて静かに静かに沈んでいく。

 気配だけで辺りを探る。


 目の前に現れた青緑の少女。

 体色は人間離れしてはいるが、ほぼ人と同じ形をしている。だが、あれは呼吸も必要とせず、水の中にいる魔物だ────悪魔 ルサールカ。


 その悪魔の出処とは ?

 魔王大陸から来た魔物では無い。


 強い恨みや復讐心の強い念から生まれる、死んだ女性の成れの果てである。

 アンデッドにはならず、凄まじい怨念が魔力に変わることで悪魔化する、意志を持った美しい水死体。

 それが悪魔 ルサールカだ。


「我が水の精霊よ答えたまえ」


『はいよ』


「ディーネル、敵の方向を教えて」


『グルグル回って様子を伺ってる。空気球があるとはいえ、この深さじゃいつもより持たないから注意しな』


「……」


 気配がない。

 恐らく急接近して強い一撃が来るはず。


 リリシーがロングソードを構え、辺りを探る。


『止まった。正面だ。光が邪魔だろ ? 俺は逃げるぜ』


「……」


 リリシーが呪文の詠唱に入る。

 それを止めるかのように、鋭い物が水を切って飛んできた。


 ビッ ! ビビッ !


 小石だが、勢いがある殺傷能力が高い攻撃だ。

 水の抵抗を無効にしたロングソードが、それを容易く払い除ける。


 〈ヒュヒュヒュ ! 〉


 直後、ルサールカも飛び込んで来た。

 不気味な笑い声。

 手にした金属片は恐らく沈没船から奪ったものだろう。流石水中に特化した悪魔だ。魔法など無くとも抵抗なく物理攻撃を繰り出す。


 ビュオッ !!


 水を切り裂くような音と共にリリシーの頭蓋目掛けて突かれる。


「ふっ ! 」


 余裕で避け切るリリシーだったが、誤算。


 パツン…… !!


 空気球が割られた。


「う、ボゴ…… !! 」


 これでは詠唱は無理だ。

 足をバタつかせ海面を目指す。破られたのは頭部分の呼吸魔法のみ。これが身体全体にかけた水圧無効の魔法が破られていたら深海の圧で死んでいた。


 〈キィィ !! 〉


 ルサールカはそれを理解していた。すかさずリリシーの足首を掴み、海底へ引き摺りこむ。


 ズムム……


「 !! 」


 そこへノアがボートを止めるために下ろした錨が沈んできた。


「ガバ……ぐむ ! 」


 リリシーはロープを二回、二回と大きく引く。

 漁船にいたノアもこれにはすぐ気付いた。自然な動きでは無かった。少し引くと確かに感じる重み。しかし、水中にいる成人一人の重みだ。そう簡単には上がらない。


 リリシーは錨を掴むとルサールカに投げ付ける。


 ギィィン !


 〈あはは ! 〉


 ルサールカは鉄の棒でそれを薙ぎかわす。

 瞬時にリリシーの足元へ潜り込むと、凄まじい怪力で足首を掴み、再び深海へと引きずり込もうとする。


「んぐっ !! 」


 ルサールカがいやらしい笑みを浮かべてリリシーを見上げる。


「……ゴボ……」


 リリシーの手がゆっくりロープからずり落ちる。

 目は虚ろになり、無抵抗にルサールカのなすがままに沈み始めて行く。


 〈キュフキュフ !! 〉


「…………」


 溺死寸前のリリシーの様子を伺おうとルサールカが顔を上げた。

 その瞬間を見逃さない。


 近付いたルサールカの顔を、リリシーの手が猛禽が如く掴み取る !


 〈キャ !! ギャ !! 〉


 リリシーの冷たい眼光。


 〈っ ! 〉


 口を塞がれたルサールカが、全てを察して目を見開く。

 防水グローブの中に仕込まれた炸裂玉。

 無理に咥えさせ、着火と共に手を引き抜く。


 ドボッ !!


 これにはたまらずルサールカもリリシーから手を離す。

 何とかロープ伝いに海面に顔を上げた。


「リリシー !? 」


「がは !! ごほ !!

 風よ !! 空気球 !! 」


 〈ヒギキキキ !! 〉


 ルサールカも諦めない。

 追いついたリリシーの背にある剣を背負う革ベルトに手をかける。


「ぐえっ !! この ! 」


 凄まじい執念。

 再び引き摺りこもうとするが、今度はリリシーに水を掻く手を掴まれる。


「風よ !! 」


 ザバァッ !!


 風魔法のかかったブーツで勢い良く海の外へとルサールカが引き上げられる。


 〈くっ !! あぁぁっ !! 〉


 ザバッと音を立てて上がってきたリリシーとルサールカが、狭い漁船に飛び乗って来た。


 ドサドサッ !!


「うわっ ! 」


「ノア ! 下がって ! 」


 〈ギャ !? ギュヒュキュ !! 〉


 ルサールカは怯え焦ったようにバタバタと藻掻くが長い期間の皮膚の腐敗で滑って上手く立てないようだ。這いつくばり、リリシーとノアを怒りに満ちた形相で見上げている。


「……これが……魔物 ? 」


「はぁ、はぁ…… ! 悪魔 ルサールカ。恨みをもった水死体が悪魔になったものよ」


「元は人間……だったの ? 」


 必死の形相でリリシーを睨みつける禍々しいモノ。


 〈ウギィィ !! 〉


「ひぇっ !! 」


 ノアは反射的に、リリシーに飛びかかろうとしたルサールカの胸にダガーを突き立てた。


「あわわわ ! なんか刺しちゃったなんか刺しちゃったぁぁぁ ! 」


 〈ギ……ギギギ ! くふくふ ! 〉


 ルサールカは逃げるでもなく、しかし攻撃が効いているでもなく、息の上がったリリシーと呆然とするノアをギョロギョロと見る。


「なんともない…… ? なんで ?

 リ、リリシー……」


「全く…… ! しぶといわね」


 〈ふ……ふふ……〉


 異形だ。

 あまりにも人とはかけ離れている姿。

 顔の造形こそ美しいが、ドブのような異臭と青緑の身体。白目のない濁ったグリーンアイは死人の目のそれだ。

 それでも髪には元の色素だろう金色の髪が混じり、何より体付きも鼻立ちも……似ている。比べれば、確かに似ているのだ。


「ソ……ソフィー…… ? 」


「……半分だけね……」


 リリシーは剣を構え直すと、思い切りその首を跳ね飛ばした。


 ドフッ !


 ルサールカの頭は一度ドス黒い煙のように霧散するが、すぐにまた形成を始めてしまう。


「んもー ! ノア、わたしのポシェットを取って」


「う、うん !! 」


 顔半分が再生し、リリシーを睨みつけるルサールカに、今度は小さなナイフを取り出してその眼球に目掛けて突き立てる。


 〈キィヤァァァァァッ !! 〉


「効いた ! 」


「教会で貰った聖剣のレプリカ。気休め程度の攻撃だわ ! すぐに回復する ! 」


 ズズズズ……


 大きな渦が漁船を飲み込むよう、ゆっくり吸い込んでいく。


「あわわ…… !! 」


「風よ ! 大円風 ! 」


 ギギっと音を立てて漁船の底が水面から離れた。

 だが、大渦は一瞬で大きな漏斗状になると、底にいる漁船を握り潰すように鋭い水の槍撃が四方から飛んで来る。

 まともに受けたら船が沈没する。その時犠牲になるのは魔法が使えないノアが先だ。


「空気球 ! 水圧シールド ! 」


 ノアに沈没を見越して魔法を重ねる。負ける訳にはいかない。

 頭上には水の槍。船に穴を開けて沈める気だ。ルサールカは何としても水中戦に持ち込みたいのだろう。


「火よ !! 豪熱 !! 」


 反射的に放った火球。

 海水が蒸発し、凄まじい蒸気と熱湯が降りかかる。リリシーがノアを抱えてシールドをかける。


 ジュアァァァッ !!


 〈キィィィ !! 〉


 ルサールカは身を翻すと一度海底へ姿を消す。


「あちち ! リリシー ! 魔力が尽きちゃうよ ! 」


 いくらなんでも相手にダメージが無い以上、リリシーの魔力が枯渇する方が先だ。


「……最終手段ね……。あまり期待できないけれど、一時撤退出来ればそれでいい」


 そういうと、リリシーは詠唱を始める。


「来たれ、海の魔物達よ。我が黒の使い手に姿を現すがよい ! 」


 ノアも『黒』というワードにピンとくる。黒魔術を使って他の魔物を呼び込んだのだ。


 ズ……ズズ……ザァ………………


 一度水平に戻った海面。

 あまりに急激な海の変化に耳鳴りが止まない。

 数メートル先に、何か丸いものがタプタプと何個か浮かんでいる。ノアは目を凝らし、じっと見つめて、やがて「ひっ」と声を漏らす。


 〈我々を呼んだか、人間〉


 〈黒魔術師 ? 〉


 浮かんでいたのは人の頭だ。

 厳密に言うと、この海域に住むセイレーン。人の上半身を持ち、下半身は水鳥や魚類の中位悪魔である。


「わたしは髪切り屋の友人である。ルサールカを倒す算段を立て直したい。貴女方の海を取り戻すのに協力もする。

 わたしたちを陸まで援護しておくれ」


 セイレーン達は顔を見合わせ、少し困惑した様子でゆっくりと漁船へ近付いて来た。


 〈ルサールカは ? 〉


「逃げたわ……状況はこちらが不利。すぐに戻ってくる。

 でも、勝てる参段があるの」


 〈……〉


 〈髪切り屋に行ってることは誰も知らないはず〉


「本人から聞いたわ。それに、他言するつもりは無い。わたしたちはルサールカを倒せればそれでいい」


 セイレーン達も顔を見合わせ承諾。元々船乗りを襲うセイレーンにとってルサールカは同類ではあるが、言葉の通じない厄介な存在だ。倒せると言うのなら、リリシーの条件に応じても構わないのだ。


 〈船の下、警護する〉


 〈ついてきて。そっちは珊瑚に引っかかるわ〉


「ありがとう。

 ノア。エミリー達に終了の花火を打って」


「う、うん」


 パン ! と渇いた音と共に、上空に火薬が燃え尽き煙をあげる。


 発動器に手をかけ、セイレーンから離れないようゆっくり漁船を動かす。


「ふー……。駄目だわ。ただの魔法では倒せないわね」


「魔法が全部効かないってこと ? 」


「そんなところ。

 それにしても……ノア、こっちに残ったのね。早く気付いてれば……あんなソフィーの姿、見せずに済んだのに……」


「……やっぱりソフィーなんだね。ううん。隠し事されるよりいいよ。

 でも……じゃあ屋敷にいるソフィーは何者なの ? 」


「あれは……ソフィーの記憶や中身、魂の方よ。身体が半分になった訳じゃなくて、身体と魂が分離して、身体の方が変態する……今見たのは水死した肉体の方。それが恨みが強いと死後ルサールカに変態する……。

    でも、使った黒魔術はそれだけじゃないはずだわ……」


 言いかけた所で、崖側に向かった商船組から花火が上がる。


「神も無事帰ったみたいね。良かったわ」


 二曹共に無事陸に着き、合流となる。

 リリシーは印を切り、海中へ隠れたセイレーン達に感謝の意を唱えた。

 シービショップはエミリーから回復魔法で治癒を受け、海へと帰って行ったという。


 □□□□□


 船長とリールには、まだ海には近付かないよう言い、神としてこの海に存在したシービショップの説明を他の漁業者にもするよう指導する。海の古代神であり、シービショップ自身は海を荒らしたりはしない。東の大陸でも確認されており、「海人カイジン」「海坊主」と呼ばれるものだ。古い世代の漁師が出てきて、皆に自分の目撃談を語り始めた。

 機嫌を損ねると突然の時化に見舞われたりなど祟りがあることも報告されているため、シービショップが傷を負っている今、すぐに祭り事をするよう計画を立てさせる。

 腐っても神の類だ。彼の怪我の治りも信仰心が唯一無二の治療になる。何より今後のカイリの海のためにも必要なことなのだ。


 問題は、その神相手にも攻撃力が強大になってしまったソフィアの半身だ。


「……居ない……」


 屋敷に戻った三人はガランとした部屋を見渡す。

 そこへクロウが顔を出した。


「おう。戻ったか」


「クロウ ! ソフィーは ? 居ないんだけど、どこにいるの !? 」


「……」


「どこにもいないわ。あんた一緒にいたんじゃないの ? 」


 エミリアが不思議そうにあちこちドアを開けまくる。


 クロウの事だ。

 リリシーにはすぐピンと来た。


「あんた……逃がしたわね ? 」


「え !? あんな気乗りしない仲だったのに !? 」


 エミリアはそういうが、クロウが存外他人に甘いのは昔からだ。

 まだ髪から雫を落としながら、リリシーがクロウを睨みつける。しかし、クロウは珍しくポーカーフェイスでリリシーに言い聞かせ始める。


「そう虐めんなよ。事情を聞いたろ ?

 逃亡はリズルに頼んだ。もうここには戻んねぇよ。

 ここに置いておけねぇだろ。町の奴らは元凶だって知ってんだろ ? 石投げられんぜ」


「ソフィーは無事なの !? 」


 クロウに飛びつくノアの背後。厳しい顔でリリシーがクロウを見据える。


「わたしたちはソフィーの半身と戦って来た。また行かなきゃならないのよ。

 ソフィーを逃がす。それが何を意味するか分かっているの ? どこに逃げても無駄なのよ ? 」


「ああ。あれを殺したらソフィアも死ぬんだろ ? 」


「……それを知ってて、保証もできない希望を持たせるのは残酷だわ」


「……」


 クロウは答えない。

 ノアは二人のやり取りを真剣に聞く。


「……ソフィーは助からないの !? 」


「ノア、落ち着いて」


 取り乱すノアの肩をエミリアがそっと包む。


「ねぇリリシー、何か方法があるんでしょ ? 」


「余りいい方法じゃないわ。ソフィー本人は既に死んだはずの人間なのよ ?

 だから、選ぶのは本人次第よ」


 少しホッとしたように、ノアは深く深呼吸をする。


「本人次第…… ? 無いわけじゃないんだ……。

 ソフィーの黒魔術がルサールカの原因なんだよね ? 具体的にどういうものなの ? 」


 クロウが座ったダイニングテーブルにエミリアとノアも腰掛けて言葉を待つ。


 リリシーは一人離れてソファに沈むと、防具を外しながら考え込んだ。


 リズルがソフィアを逃がした……。


「……」


 リズルは極めてリリシーと考えが似ている。


「クロウ、兄さんはタダでは動かないわ。何を代償にしたの ? 」


 これがクロウの武器などなら安いものだが……。


「ソフィアの持ってた魔導書ぉ」


「ちっ !! やっぱりね ! 」


「高く売れんだろ ? 」


「違うわ ! 売る為じゃないわよ」


「 ??? そうなんかぁ ?

 まぁ、ソフィアが助かるなら、それが一番いいんどろぉよ」


 その時、屋敷のドアを叩く者が現れる。

 カーテンの隙間から覗くと、リールだった。


「リール君じゃない」


「ああ ? あれが殺した兵隊かよ。どうすんだぁ ? 」


「記憶は戻ってるんでしょ ? なら、話くらいしてもいいんじゃないの ? 」


 気は進まないが、リールの心境も鑑みると無下にはつっ返せない。

 エミリアがドアへ向かう。


 挨拶と、ソフィアがいない旨を伝えるが少し休んで行くとか行かないとか。


 その間クロウはリリシーに問いかける。


「おめぇ。そうでもしなきゃ、一番楽で最悪な手段を選んだろ ? 」


「……」


「さ、最悪……って ? 」


 ノアの言葉にリリシーはソファから身を起こすと、何とも気怠げに指を二本立てる。


「ルサールカを倒すのに簡単な方法。

 一つは、望み通りにリールを引き渡す。けれど、最早あの個体は悪魔になってから時間が経ち過ぎて、リールの命だけじゃ気が済まないバーサーカーだわ。だからこれは無し。


 もう一つは、半身を与える。闇に光を与えて相殺する。ソフィーをルサールカに生け贄として捧げればルサールカは善を取り戻して、普通の水死体に戻る」


「……そ、そんな事しないよね ? ……リリシー ? 」


「さてと……忙しくなるわよ。

 クロウ、責任は取りなさいよ」


 リリシーは立ち上がると、再び防具を身につける。


「至急人形を用意して。分かるわね ? 」


「ふー……そう言う方法か ? 」


「それしかないもの。

 わたしはリズル兄さんを追わなきゃ」


 リズルがこの海域で問題になっているソフィアを逃がすわけがないのだ。

 だとすると、ソフィアは今どこにいるのか。

 そこには必ずリズルの打算がある。


「リリーシアさん……ソフィアは…… !? 俺、一言でいい、許されなくてもいいんだ !! 謝りたいんだ !

 裏切るべきじゃなかった ! 」


 それは騒ぎになってからの後悔であって、ルサールカの騒ぎが無かったらこの男は何食わぬ顔で生活していただろう。それを思うとリリシーの中にドス黒い感情が沸き起こるが、責めたところで仕方がない。


「ごきげんようリール。ソフィーは多分安全な場所にいると思うわ。

 エミリー、わたし少し出てくるわ」


「え !? 少し休んだ方がいいんじゃない ? もう夕方よ ? 」


 エミリアと違い、クロウは眉間に皺を寄せたまま無言でテーブルの天板を見つめるのみ。

 クロウもソフィアが逃げきれないことは分かっているはずなのだ。


「俺も作業に入る。……エミリア、おめぇは屋敷の番だ。客が来たら対応しろ。絶対に作業の邪魔をするな。食事も水もいらねぇ」


「い、いいけど。

 ええ、協力するわ」


 誰もリリシーを敢えて止めはしない。

 信じるしかない。それが最善ならば。


「ノア、おめぇ手伝え。ソフィアを救いたいならな」


「分かった !! 何すればいいの ? 」


「まずはソフィアの部屋に行って、最近着回してた様な服を何着かもってこい。出来れば下着もだ」


「うえぇっ !? 」


「職人として手に取れねぇなら触るな。どうする ? 」


「わ、分かった。あくまで必要な作業なんだね。大丈夫 ! 」


 クロウはノアを連れると、作業部屋へと向かった。


 一方、玄関から出たリリシーは林の奥地へ進み、ブリトラを呼び出す。


「風よ ! 我が友 ブリトラドラゴンをここへ ! 」


 暫くして機嫌の悪そうな鳴き声を上げながらブリトラが落ちてくる。


 〈ゲロゲロゲロ〜 ! 〉


「仕方ないのよ !

 どっちが先かしら……リズル兄さんなら……どう行動する…… ? 」


 軽々とブリトラの背に乗ると、上空へ飛び立つ。


「グランドグレー、こないだの廃村に向かって ! 」


 〈ウゲゲゲゲ……〉


 □□□□□□


 リズルは既に一歩早く戻ってきていた。

 完全なすれ違い。

 いや、もうこうなれば止めようがない。


 謁見していたのはコバルト王であった。


「久しいな。覚えておるぞ、飛竜一族の者」


 そうは言うが、傲慢で他者に気を許さない王だ。愛想の欠片もないが、これでも機嫌はいいほうである。


「光栄でございます、コバルト王」


「それで ? カイリの港で騒ぎ ? 漁業者を襲っている魔物だかか ? 」


「はい」


 コバルト王としては、あまり海産物に執着もない。何よりイラブチャが関わっていると言うだけで不愉快極まりないのだ。イラブチャからすれば、とんだ迷惑な話でもある。突然、王の命令で職を変えられ、挙句疎まれるなど意味がわからない。


「客船に支障が無ければ今のところ様子見だが。

 何か意見でも ? 」


「実は我が妹が元凶を突き止めまして、大いに王の手柄になるかと思った次第で報告に参りました。

 本日は魔物の原因ともなった魔導書の現物もお持ちいたしました」


「何だと !? 」


 これには目の色を変えて立ち上がる。


「黒魔術書かっ !? 」


「そうでございます。

 これは下階にある教会のスカイ神父の遺品です。アクエリアス侯爵に引き取られた孤児が今まで持っておりました」


「……。全て話せ。

 おい、そこの。客人に椅子と、何か喉を潤すものを用意しろ」


 リズルは全て言ってしまった。

 ソフィアが元凶であること。

 コバルト王の差し金で向かった兵士のリールと恋仲にあったソフィアが、殺された恨みによって黒魔術を使い身体はルサールカに、魂は屋敷に住み着いていること全てだ。


「……その魔術が記してあるのがこれか……」


「はい。恐らく、炎城のミラベル元女王も同じものを持っていたのだと思われます」


「安全か ? 」


「開かなければ問題は無いかと。もとより教会にあったものですから、ここへ寄贈するのが正しいかと思います。常人の手には余ります」


「うむ……。

 それで ? 話はこれだけではあるまい」


 リズルは氷のような微笑で頷く。


「王の力で港の騒ぎを収めれば、港を手にする事も容易いかと。港の漁業者は藁にも縋る状態ですから。

 ただし、この方法には白魔術師を必要とします」


「白魔術師 ? ああ、魔物を退治する為か」


「この魔物騒ぎの元凶、ソフィア · ブルーの魂ですが、必要な儀式の準備は白魔術師が行います。ですが、呪文などは魔術書を持たせるわけにいきませんから、王自ら現地で指導する方法がお勧めでございます」


「……成程。俺に魔導書と、港の恩を売ると言うのだな ? パフォーマンスをしろと。この俺に。

 いいだろう。成功した暁には望むものを用意しよう」


「では、王。早速ですが準備を。行きながら説明をさせて頂きます」


「そのソフィアとやらは今どこにいる ? 」


「隠れ家に。妹が朝までには連れてくると思いますので」


「……おい、そこの。騎士と白魔術師を連れてこい」


「はい ! 」


 兵士の一人がぶっ飛んでいく。


(やれやれ。まるで独裁国家だねコリャ…………)


リズルはコバルト王が黒魔術書を離さず抱え続けている事を確認したのだった。人間の世界には存在しないはずの黒魔術書には、願いを叶える魔術がたっぷりと記載されている。

かぐわしい誘惑と同時に、待っているのは破滅のみである。

    ここまでは全て予定通り。

    王を魔術書に手を出させる為のハードル越えに過ぎない。

    リズルはリリシーを一番理解している。

    良くも悪くも。

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