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6 : 記憶の水底

 夜明けになると、ソフィアの部屋からはエルザ山脈に薄ら霧がかかるのが見える。

 微睡みの中、ソフィアはベッドの中で過去の自分を視ていた。


 それは四年前の記憶でもある──


 ▽▽▽▽▽▽▽


 エルザ大陸の最南端がカイリの港町。そしてそこから傾斜のついた岸壁がエルザ山脈へと続く。その山岳地帯の直前に、大きく突き出すように海側へ広がった土地がある。スカーレット城の半分程の面積ではあるが、およそ三方向が海で、船も寄せられない鉄壁の岩城──それがコバルト城である。

 炎城と違い、ここには城下町がない。兵の寄宿舎、教会、馬車屋と伝達屋、その他小さな公的機関が少しあるだけで、通常は用がなければ余所者が足を踏み入れることの無い城である。

 故にギルドなどもこの城にはない。

 コバルト城はカイリの港に押し寄せる貿易船や観光、ギルドの定期船などから通行料を取ることで成り立っている。高額ではあるが、王族とその周辺設備まで補い切れるほど潤沢な資金は無い。これは単純に、王の余所者嫌いが資金不足に影響を与えているのだ。

 同じ大陸で海側が使えない炎城はあれだけ賑わっていたのに比べ、旅行者も商人も来ない辺鄙な城である。


 その日。

 その少ない住人と兵だけが訪れる城内の教会に人々は献花を手に訪れていた。

 ソフィアを引き取ったスカイ神父が永眠となったのだ。


 教会の四大精霊像の前、清潔感のある純白の柩の中にいた。

 参列したコバルト王に司祭と賢者達が深々と頭を下げる。

 葬曲奏者の音の響く教会の半階な部分に、ソフィアの部屋があった。

 ステンドグラスの下の小さな屋根裏。カリヨンの鐘のある階段がある、言わば踊り場のような空間である。


 何日間も泣き腫らし、飲まず食わずで、やっとの事で部屋から這い出て来たソフィアを見て、賢者の一人が『来るな』と手をシッシッと向けた。

 その様子に気付いたコバルト王がソフィアに気付く。


「コレは ? 」


「あぁ……白魔術師の子供で、賢者見習いの巫女です」


「巫女 ? この薄汚い者が ? 」


「……スカイ神父が引き取った奴隷の娘でして……我々もこの先どう扱えば良いのか……。しかし、白魔術師として才覚があるのは事実です」


「駄目だ」


 ピシャリとした断言の言葉にその場の全員がドキリとする。


「我が城内には賢者も多い。教会への維持費もそう多くは出せん。人員はなるべく削減するように。孤児院は北の村にあるだろう」


「ええ……。ごもっともでございます……」


 猫可愛がりしてくれた神父スカイの急死。ソフィアを養護する者は他に無く、その日を境に居場所が無くなってしまったのだ。


 これではまた外に売られてしまうのではないか……。その恐怖と不安がソフィアの顔に浮かび、目の前のコバルト王に愛想を振りまく余裕など無かった。

 全身が震える。

 王の一言で、もうこの教会には居られないと悟ってしまった。


 その時、献花を終えた一組の夫婦がコバルト王の前に歩いてきた。


「まぁ ! コバルト王 ! その方、白魔術師の巫女さんなんですか ? 

 あなた。わたし、家でもお祈りがしたいわ ! 町にはまだ教会は無いし、この教会まで通うのは大変だもの ! 」


 ギマ夫人であった。

 アクエリアス侯爵はコバルト王に挨拶を済ませると、ソフィアを見てコバルト王に引き取りを申し出た。


「先日、王が送って下さった使用人達ですが、流石王家のメイド達が指導した者達でございますね。しっかり働いておりますよ。

 あ〜……その使用人ですが、大半は四大精霊の信者が多く、教会に行きたがっておりまして。このままでは脱走されるのも時間の問題。

 どうでしょう。この者を修道女として引き取りたいと思うのですが。

 可能でしょうか ? 」


「引き取る ? それは構わんよ。お前らもいいな ? 」


 司祭も賢者も、誰もソフィアを止めなかった。

 それにアクエリアス侯爵の人の良さは皆、噂で知っている。ここで疎まれて過ごすよりいいだろう。止める理由が無い。


「ソフィア。そう言う事だから。支度をしてきなさい」


 司祭が急がせるように言うが、アクエリアス侯爵は笑顔のまま首を振る。


「そんなに急がなくてもいいぞ。君を引き取った神父様の葬儀はちゃんと最後まで出るんだ。それが恩義だ。ねぇ ? コバルト王」


 話を振られたコバルト王は若干、引きつった愛想笑いで頷く。


「うむ。それが忠義ではある。

 では、巫女よ。支度を済ませておくように。後日、侯爵夫妻の屋敷に行けるよう、道中に兵を付けてやる」


「はい……ありがとうございます」


「ソフィアって言うのね ! 待ってるわね ! 」


 イラブチャもギマも、可愛らしい白魔術師のソフィアを見て、気に入った様子だった。暖かい笑顔がソフィアの身体に沈み、やがて指先がブルブルと震える。

 新しい出会いの不安と、この夫妻の元なら自分にもまだ『幸せの道』はあるのだと思えた希望の喜びだった。


 △△△△△△△△△


 道中、馬を連れた少年兵はウキウキと歩くソフィアを見てなんとも言えない気持ちに駆られてしまった。


 奴隷として売られ、やっとの事で王家直属の教会で賢者見習いにまでなりかけた少女が、その未来を全う出来ず、再び外の世界に捨てられてしまった。

 アクエリアス侯爵がどんなにいい者でも、使用人として引き取られたのは言うまでもない事実。どんなに言い方を変えても、奴隷がまた奴隷に戻っただけ。


 けれどソフィアは分かりやすく上機嫌で、とても養父を亡くしたばかりとは思えない。一番重い手荷物は手で運ぶと強情に言い張ったが、疲労感もなく終始笑顔だった。

 なんにしても、この少年は捨てられたソフィアが精神的に沈んでいなくてホッとしたのは事実だ。


「あのさ……あの……アクエリアス侯爵って、結構良い奴らしいね 」


 少年は何とかソフィアを気にかけて会話を振る。


「俺、カイリで育って王家の兵団に入ったんだ !! ……訓練の成績は悪いけど……。

 アクエリアス侯爵は使用人を自由にさせてるらしいんだ」


「……自由 ? 」


「働いてさえいれば、町に出たり、ちゃんと金も貰えるんだって」


「そんなのありえない。そこまで高望みしてないわ」


「本当さ。俺、姉ちゃんがまだカイリにいるんだ。だからよく聞くよ。

 アクエリアス侯爵は漁師だったろ ? 使用人を連れて今も魚を捕ってるとかね !

 教会よりきっと楽しいよ ! 」


「……」


 流石にそこまで恵まれてはいないだろう。そんな侯爵などいたら随分なお人好し。

 だが、これは周知の事実であった。


「それが本当なら、なぜ奴隷にそんな事をするのかしら」


「単純に漁業の人手不足解消って言ってるらしいけど……。

 奥様のギマ夫人も結構世話焼きらしいんだ。使用人が働く隙が無いくらいだって聞いたよ。奴隷ってより同居人 ??? それどころか身内の扱いだ。彼らに跡継ぎがいないから余計にだろうって噂」


 アクエリアス侯爵夫妻には子がいない。

 それは自然界ではどうしようもない偶然。


「でも……待遇の良さは期待しないわ。そんなこと、考えられないもの」


「いいじゃん、前向きに考えようよ」


「……うん。そうね。ありがとう。

 貴方は訓練兵なのね」


「ああ。俺たち同じくらいの歳だね。

 アクエリアス侯爵に伝達なんかがあると、いつも俺が使いっ走りにされるんだ。個人の伝達屋に任せられない重要な書類も多いからなぁ。

 俺の名はリール ! 君は ? 」


「わたしは……ソフィア · ブルー」


「また会えるといいねソフィア ! 」


 ▽▽▽▽▽▽▽▽▽


 アクエリアス侯爵に迎えられたソフィアは部屋の一室を与えられることになったが、教会として祭壇を設け、寝場所は使用人と同様の相部屋生活の扱いを申し出た。

 気を使った事もあるが、侯爵宅の使用人は本当に奴隷とは違うのだと確信したからだ。


「いやだァ〜ん !! んがっわいい〜 !! よろしくね、ソフィア司祭 ♡」


 特にこの大男……いや、大女はソフィアに親しみ深く接してくれた。


「ソフィアで結構ですよ。まだ修行中の身です」


「アチシはゴードン。奥様の髪結いよ。ドンちゃんって呼んでねぇ。ちょっとお休暇を貰って町に行ってたの ! 」


「そうなんですね。よろしくお願いします」


 周りを見回すと、使用人は溢れた者無く忙しそうで、各自違った仕事をしている。しかし、あくせく働くと言うより、お喋りしながら楽しくという緩い雰囲気にソフィアは驚いてしまっていた。


「自己紹介は済んでるの ? 」


「はい。でも人数が多くて、まだ全員と話してないんです」


 澄み渡った青い空に潮風。

 庭園の花に囲まれながらソフィアとゴードンという極めて女性らしい男性は出会った。


「あそこにいるのはガオさん。あの人、木材の扱いに慣れてるから町の大工さんの所に通ってるのよ。空き部屋に礼拝堂を作るんでしょ ? 彼なら巧く造ってくれると思うわ」


「皆さん……なんて言うか……一芸に秀でた方ばかりなんですね……」


 ゴードンは柔らかく微笑むと、ゴツゴツした手には想像出来ない程、たおやかにソフィアの髪を掬い上げる。


「傷んでるわね。ここを切ると櫛通りが良くなるわ。座って」


「あ、え ? いいんですか ? 」


「皆の髪もアチシが切ってるの ! アチシも修行中よ !

 ……いずれカイリで髪切り屋をしたいわねぇ」


 使用人としてここにいる以上は無理だ。

 普通は。

 しかし、本当に可能なのではと思えてくる。


 ゴードンに髪を整えられてるうち、坂の下からイラブチャと数人の男達が魚を背負い歩いてくるのが見えた。

 ソフィアは慌てて立ち上がると、頭を下げる。


「侯爵 ! お帰りなさいませ !! 」


 畏まったソフィアの様子にイラブチャは少し困った様に、だが明るく、ソフィアを椅子に戻す。


「やめてくれやめてくれ。ホントに俺はそんな男じゃねぇんだよ。

 教会が欲しいのは本音だがよ。俺ん家じゃなくてもいいんだ。カイリに教会はないし……いずれ町でやってみるとかどうだ ? 」


「え ? え ? 」


 この扱いに、ソフィアは驚きを通り越し警戒してしまった。それを見ていた使用人達はなんの作法も気にせず、イラブチャのそばでゲラゲラと笑った。


「まだ三日くらいだろ !? 」


「俺もそうだったなぁ。そりゃそうなるよな」


「ドンちゃん、ちゃんと教えてやれよ ? 女同士でよォ」


「任せてよ〜♡」


 男達はイラブチャと屋敷の中に入っていくと、魚の調理をどうするか盛り上がって笑い声と共に消えていった。


「びっくりした ? 」


「……わたしは……こういった扱いを受けたことが無いんです……。馴染めるかどうか……」


「そんなの考えてする事じゃないわよ。貴女のこと、侯爵から皆聞いてるわ。辛かったわね。ここにいる人も皆そうよ。大丈夫。ゆっくり慣れていけばいいのよ。甘えていいのよ。

 そうね ! じゃあ記念すべき第一回の我儘を言うの ! やって欲しい髪型をアチシに言ってみて ? 」


「えぇ !? え……と。……えぇ !? 」


「前髪は切る ? 」


「あ、はい……」


「後ろは長く ? 短く ? 」


「な、長めに…… ??? 」


「おっけぇ〜ん♡」


「……」


 ナイフが髪を梳く、ショリショリという軽い音と、花の甘い香り。

 スカイ神父を失った後、初めてリラックスした瞬間だった。


 それから数週間。

 遂に侯爵宅に礼拝堂が出来上がり、侯爵夫妻含め、使用人達も全員毎朝ソフィアの説教を聴いた。


 新しい生活。

 全てが順調で、自由を噛み締める。

 全員がそれぞれの作業に入り始めたあと、誰も居なくなった礼拝堂で、ソフィアは花瓶の花を手に持つと、別な部屋の花瓶に生け直す。教会の掃除を終えたらゴードンと庭園の手入れをするのが日課だった。

 そこへノックと共に男の声が飛んでくる。


「あ、あの ! おはよう ! 」


 声の主は少年兵のリールであった。


「あら、また伝達を持っていらしたの ? 」


「ああ。最近やたら多いんだよね。

 足腰が鍛えられていいけどさぁ〜」


「ふふ。お城の訓練所で何周も走るより気晴らしになるんじゃあない ? 」


「そうそう ! 」


 コバルト王からの封書が、このところ多くイラブチャに届くようになった。

 それに伴いリールが屋敷にくる回数も増え、ソフィアと親交を深めていた。


「来年で成人するんだ……。俺、港に戻ろうか……このまま兵士になるか、考える時なんだ。

 でもソフィアがいるなら港に戻ろうかなぁ」


「……。ふーん。

 わたしは聖職者として生きる自信がついたわ。きっとスカイ神父もそれを望んで、見守って下さってるはず」


「そ、そう……。聖職者って……ずっと ? 」


「……」


 リールの自分に対する好意を、ソフィアは躱さなければならない。

 今から賢者を目指すならば、そう早くないスタートになる。ソフィアには聖職や白魔術の才覚はあるが、通常の子供が身に付けられるはずの教養が、極端に歪な状態で抜け落ちていたり、突出していたり……その抜け落ちた教養を学ぶにも時間がかかる。文字は読めるが、町中の常識などはあやふやだったりもする。


 白魔術師から賢者まで駆け上がる。

 その為には諦めなければならない事や制限は多く存在する。

 その中には恋も含まれていた。


 リールは少しへこたれた様子で、作業をするソフィアと話を続けた。


 △△△△△△△△△


「……っ ! 」


 飛び起きたソフィアが窓の外を見る。


 既にエルザ山脈にかかる霧は晴れ、青い尾根が続くのが見える。

 深く深呼吸をして部屋を見渡す。

 赤い屋根の屋敷。

 大量の人形に囲まれながら、ソフィアは今が今であることに安堵した。


 □□□□□□□


「絶対やめて」


 正午直前。

 カイリに戻ったリリシーに、宿屋の一室でエミリアとノアはソフィアの魔導書を拝借する話をした。

 その返事は、二人を見向きもせず一蹴だった。


「急いで戻った途端そんな話……。ソフィーを警戒する気持ちは分かるわ。昨日の侯爵の反応もあったしね。

 でも魔導書は駄目よ」


 リリシーはそのまま砥石から双剣を上げ、刃を見ながら、拭きあげ作業へ入っていく。


(ほらぁ。言わない方が良かったでしょーが !? )


(リリシーに隠れてコソコソ出来るわけないじゃん ! エミリーはリリシーの勘の鋭さを分かってない ! )


「聞こえてるわよ……。

魔導書……グリモワール、古文書、禁書、黒書……呼び名は色々あるけれど。それだけじゃなく、中には触れる、開くだけで暗示のかかる物もあるのよ。単純に危険なの。

 ……って言うか、ウィンディ ! 貴女は知らないはずがないでしょう ? 」


 エミリアのそばには一メートルにも満たない、青い光を放つ精霊がいた。エミリアがスカーレット領で契約した水の精霊だ。


『別に。聞かれたから答えただけなの』


「精霊は皆の精霊だから、エミリーを守る様に動けとは言わないけど……。契約精霊として自分への信仰心を曇らせるような、危険な行いを魔法使いに推奨してはいけないわ。魔導書が危険な物だという事を、貴女はエミリーに説明したの ? 」


『あんたやっぱり嫌い。あんたの契約してるディーネルも好きじゃないの』


「わたしは人間だから、精霊の貴女を敬ってるわ。だからこそ、精霊にはもっと心に余裕を持っていただきたいですね」


『うぎぃ〜っ ! ムカつくの ! 』


 ノアがハラハラと塩対応のリリシーを見ていたが、やがてウィンディの方がそっぽを向いた。


「あわわ……ね、ねぇウィンディ ! 精霊って、色々詳しいんだね !

 じゃあ……これから会う海の魔物にも心当たりある ? 」


 何とか話題を変えようとノアはウィンディに話を振る。


『海の魔物……人の形状してても精霊とは限らないの。精霊なら魔法使いは見てすぐ分かるの。

 半魚、人魚、セイレーン、シーデーモン。人型の魔物なんて沢山いるの 』


「そうなんだ……」


「でもそれって、精霊じゃない事は確かって事よね。今までギルドから魔法使いも依頼を受けたって言ってたし」


『精霊じゃないって断言出来ない程度の魔法使いには倒せないの丸わかりなの。ウィンディもう帰る』


 不貞腐れたようにウィンディは姿を消した。エミリアはベッドにバフっと引っくり返ると、ボンヤリと天井を見つめる。


「人型だと、なんか詳細が分かんなくて気味が悪いんでしょうね。なんか殺めちゃいけない本能が働くっていうかさ。

 でも人を襲ってるんだし、精霊じゃないなら見つけ次第攻撃って事でいいの ? 」


「攻撃が効けばいいけどね……」


 リリシーが双剣を合わせ、ロングソードに切り替え直して答える。


「わたしは火、土、水と風が二つの魔法石。エミリーは火、土、金に水が二つ。使える魔法は全種類あるし、わたしは剣撃、エミリーは踊り子が本業。

 対策が十分とは言いきれないけど、戦闘に不自由はしないと思うわ」


「あれ ? 金……って属性あるの ? どんなの ? お金が湧くの ? 」


「んな魔法無いわよ ! 神々しい力として金って色分けされてるだけってリリシーが言ってたじゃない !

 回復とか、体調制御の魔法よ ! 」


 それを聴いたノアが苦い表情をする。


「あぁ……あの……。体調制御って、相手の動きをゆっくりにしたり、早くしたりするやつ……」


 ノアの反応に、リリシーも思い出し笑いで吹き出した。


「〜ぷっ ! ここに来る前、ノアがゆっくりの魔法を食事中かけられて、麦麺がビロビロになったの思い出すわね」


 エミリーは体内魔力濃度や信仰心には問題が無いが、恐ろしくそそっかしい。

 呪文の間違えもしょっちゅう起こっていた。


「あ、あれはアンタが食べるの遅いから早くしようと思ったら、呪文間違えてゆっくりの術をかけちゃったの ! 」


「うぅ。早くされたらされたで……よく噛まないで飲み込みそうだよ」


「噛むのも早くなるんじゃない ? 」


「待っててくれればいいじゃん ! ほんっと、お酒無いと短気なんだから。大人の食事のスピードと一緒にしないでよね」


「にゃんだとぉ〜 ? 」


 コンコン。


「来た……」


 ドアをノックする音に、三人共に会話が止まる。


「おはようございます。お客様が一階にお見えになられました」


 宿屋の娘がドア越しに伝える。


「ありがとうございます。すぐ行きますので。

 さて……。準備はいい ? 」


「ええ。バッチリよ ! 」


「ノア、リズル兄さんが貴方にって」


 リリシーは布に巻かれていた物を広げて、ノアに差し出した。


「これを僕に ? いいの ? 」


 布の中身は美しい彫刻のされた短刀であった。


「なんか、剣 ?? だけど……。東の方の剣なんだって。兄さんがそのタイプの剣にどハマりしてて……。

 わたしは詳しくないからクロウに聞いてみて。斬れ味がいいから気をつけてね」


「ありがとう ! 」


「いいな〜お土産 !

 ……お兄さん、本当に侯爵はいい人って断言したのね ? 」


「ええ。ウェポンマニアの狂人だけど、観察力はあるから間違いは無いと思う」


「お兄さん……狂人……なの…… ??? 」


「特に刃物ね……。昨日も飛行中に突然死角から斬りかかって来て……」


「……ええ…… ? ……え ??? 」


「クロウの真似事をしてるのよ。わたしで試し斬りをしたいの」


「試し斬り……」


「本気で斬りかかってくるから、酷いと武器を壊されちゃう。だから会いたくないわ」


「武器好きでも妹の武器は壊しちゃうの ? 」


「他人の物だからどうでもいいんじゃないかしらね 」


「リリシーのお兄さん、強烈なのねぇ」


 三人で一階の飲食フロアに降りる。

 昨日と違い酒の匂いもせず、不安そうな顔をした男達がテーブルを寄せて輪になっていた。


「おはようございます」


 イラブチャだった。


「おはようございます侯爵。昨晩はお招きいただきありがとうございました」


 イラブチャは漁師姿で紛れていた。本当にそうして居ると、まだまだ現役と言うような体付きで、他の海の男と遜色が無い。


「えー、お前ら。この方がリリーシアさんだ」


 紹介されたリリシー達を男達が物珍しそうに見る。


「こんな細くて綺麗な娘が ? 」


「すげぇな。噂の霧の魔剣士 ? 」


「本当に白い。小さいガキもいんぞ ? 」


「後ろの赤毛のっ、あの、アレ ! もうっ…… ! すっげぇ色気だなありゃ ! 」


「おい、やめろ。聞こえてんぞ。

 とにかく、今回の魔物退治に協力して下さる。まずは今までの状況を把握したいそうだ」


 どよめく男達を落ち着かせながら、イラブチャは頭をポリポリと掻きながらリリシー達に苦笑いを向ける。


「すみませんねぇ。男所帯なもんで、女性には不慣れな上に失言も多くて……」


「あら、全然構わないですよん」


 エミリアが満面の笑みで腰をくねらせながら赤毛を掬い上げてポーズを取る。


「あたしは踊り子だし、寧ろ注目されてた方が燃えま〜す ♪」


「本当にすみまs……」


「「「うひょ〜 ! 」」」


「おい、お前ら !? 」


「そうですよ ! や、やめましょうよ皆さん ! 船長まで ! 」


 一瞬でエミリアに群がる数人の男達を、若い男が一人、気まずそうにひっぺがしていた。


「ガハハ ! なんもせんよ ! いい女にいいと言って何が悪い ! 」


「そうそう ! 目の保養じゃー ! 

 あ、リール ! お前さては……リリーシアさんの方が好みだな !? 」


「ち、違います !

 こ、侯爵〜……」


 リールと呼ばれた青年は頭を抱えながら、イラブチャの方を見て助けを求めている。紛れもなく、リールであった。


「ははは ! 久しぶりだなリール。最近、やっと船に乗ったようだな」


 イラブチャの言葉に、リールに船長と呼ばれた男が出て来た。リールは結局、兵士にはならなかった。だが、リリシー達はなんの事情も知らない。しばらく内輪の話が飛び交うが、場も落ち着きが無い。リリシーも様子を眺めながら、エミリアに群がる男達にハラハラしているノアを見て和む。

    やがて先程、誰かに船長と呼ばれていた男がイラブチャの前に戻ってきた。


「……いやぁ〜。あんな綺麗な踊り子……ああいう場を明るくするような踊り子さんがいつもここにいてくれたら酒が美味いだろうなぁ……。

    よう、イラブチャ」


「お前〜、魔物の話をしてくれよぉ」


    こうして親しげに話している船乗り達との姿は、やはりイラブチャの善人説が真実味を帯びてくる。


「いやぁ、先日だよ。リールのヤツ、運悪く初出港で魔物と出会してな。漁網の手入れも板に付いてきたんでそろそろって……。だがこんな時に魔物が出て……参るよなぁ」


 船長の話が始まると、皆自然と口をつぐみ、椅子に座る。まるでこの現実から視線を逸らしたいが為に騒いでいたかのように。

 それ程、状況は深刻だった。


「その魔物は、何故か漁師しか襲わないんですよ」


「人間を見分けて、選んで狙う……なにか特徴があるのかも知れません」


 リリシーは椅子に座ると、冷静……しかし厳しい面持ちで男達を見回す。リリシーの左右には地図を持ったノアと、メモをとるエミリアが座った。


「では、目撃者、生還者から話をお願いします。出来れば詳しく……例えばその日の天気や、取れた海産物……。

 ……あとは被害の状況……つまり、人をどう襲ったかです。鮫のように気が立って癇癪を起こした感じとか、故意に向かってきたか……そして、襲われた人が食されたかです……。

 辛い思いをされた事は重々承知しておりますが、どうぞよろしくお願いいたします」


 場にいた全員が感じる、リリシーの『慣れ』。

 エルザに来るまでの間、ダンジョンを攻略し、地獄帰りをするまでいくつもの町を旅して来た経験と実力が見え隠れする。


「じゃあ、俺からいいですか ? シュリンプ号のコーラルと申しますが……」


 男の中からまずは最初の目撃者を名乗る別の船長の挙手から始まる。


「最初に魔物を見たのは俺で、今から一年半程前でした」

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