患者さんに叱られるために開発されたアンドロイド、『叱られ屋さん』。もちろん、人間の薬剤師さんが怒られるのは当たり前なのですが時々脅迫紛いなんてこともあるのでその用心棒にと考案されました。しかし、その力はゾウさん十頭も余裕で持ち上げられる怪力だそうです。でも、調節次第でそれは一頭分に抑えられるそうです。その半分も然り。いろいろ調節ができるってことですね。なので私が働いている薬局では暴れた人間をひょいと取り押さえられるだけの力しか出させないように調節してあります。これは宮上さんの仕事なのであまり詳しくは分かりませんが。そして、その力の発揮ですが……、これは穏便に事を終わらせる時にしか使用されないのでほとんどお目にかかれません。大声出すくらいなのでいつも。あ、患者さんがです。
叱られ屋さんはクレーム型アンドロイドに属します。そして、一番の特徴がこの長い髪でしょう。普通にあの首の後ろの所にある『ホップ印』が見えないようになってます。これでは……なのですが叱られ屋さんについてはこれで良いのです。
『そこでこの超高性能な叱られ屋さんを人間じゃないと判別してるわけだ』――これが初めての宮上さんと交わした会話でした。あの頃は親切でした、宮上さん。
そんなことを思い出していると外から派手なドッゴォーン! という音が聞こえて来ました。爆音です。
何々? と私が思っている間にその音を聞き付けた宮上さんがお店の方にやって来て店の外に出ました。
宮上さん、素早い行動です! まあ、作業場からは数秒の所なので当たり前ですが。
ということで私も外に出ました。今日も患者さんが全然来てないからです。もうお昼だからでしょうか?
そんな感じで辺りを見ると宮上さんは西の方を見ていました。でも、見てもあまり分かりません。白い煙が見えるだけです。それでも宮上さんは言います。
「今日も派手にやらかしたなぁ……。軽量化失敗か」
それで分かりました。
「そうみたいですね。向こうも大変なんですね」
「まあな、今やってるのあれだろう。高い所で作業しても大丈夫なロボットの実用化に向けての実験。あれ、アンドロイドじゃないだろ。だから幅とってるみたいだな。足場そんなに幅ないからな。アンドロイドにすれば良いのに今みたいに落ちた時それじゃなんかむごいっていう理由でハクイさんタイプにしたそうだ。上からの指示らしい。そういうの入れなきゃいけない世界って疲れるって昨日愚痴こぼしに来たよ、会社の人」
「そうですか。私全然そんな話知らないんですけど」
「それはお前、その頃あそこの公園でころスラに話してただろ。寝ながら」
「だって、あそこの草! とっても気持ち良いんですよ。寝ちゃいますよ、誰だって」
「まあ、良いや。そろそろ昼だし、食いに行くか昼飯」
「おごってくれるんですか? 宮上さん」
私がウキウキでそう言ったら、
「バカ、誰がおごるか。自分で何とかしろ。金欠じゃないんだから」
と言われました。
「はぁい」
と返事をしましたが、私は少しがっかりでした。
私が勤めているロボット薬局はほとんど誰も来ないので好きな時に開けたり、閉めたりしています。と言ってもちゃんと営業時間は守ってですが。
ということで早速お店の方を一時閉め、今日のお昼は疑似街にある喫茶店に入ることにしました。もちろん、宮上さんと一緒にです。
宮上さんがこの喫茶店に入る前に、「ここは疑似街で一番有名な所だよな」と言ったのでどうしてですか? と訊いたところ、「駒村、知らないのか?」と疑われるような目で見られました。
そんな目をしなくても良いのに……と、そういう目で見返したら宮上さんが教えてくれました。
「ここはどこよりも早くあの店員型アンドロイドを実用化させた所だ。一般型と店員型アンドロイドの普及について話す時、ここは絶対出て来る。『実家』っていう言葉と共にな。それは知ってるだろ?」
いいえ。と私は首を左右に振りました。『実家』は知っています。実家、それは実験を成功させた店のことを言います。その実家の報告により世の中へと大量のそのロボット、アンドロイドが普及され、少しの時間でも与えることを目的に働き出します。その間に人間は気になるお相手探しに勤しむのです。
私は宮上さんのその仲間内で話すという内容に興味を示せませんでした。まあ、それくらい難しい話ではありませんでしたが熱心に聞く内容でもなかったのです。
その話を言い終わると宮上さんは店員型アンドロイドが持って来てくれた熱いコーヒーを一口飲みました。それを見ていた私は店員型アンドロイドの方をじっくりと見てしまいました。
「そういえば、疑似街以外の所のお店の店員さんのほとんども手の甲にあのホップ印があるんですよね」
「それが『店員型アンドロイド』の印だからだろ。あと一般型な。旧型はブドウ印だけど」
「へー、知らなかったです。あんまり手の甲なんて気にせず生きてましたから」
「それはお前だけだ、駒村。誰でも知ってる常識、これは。手の甲にあのホップ印あるからって理由で店員型アンドロイドのことがバレて苦情来たって話、知らないのか? 人間だと思っていたら実はアンドロイドの野郎だったとは……っていうひどい話。ちょっとは有名だぞ。これ出回ってた頃、叱られ屋さんもう出来てて、どこにホップ印付けるか相当悩んだらしい。アンドロイドの手の甲にその印がなければアンドロイドだと分からない。でも厳密には他のシリーズもそうだけどどこでも良いんだよな。確実に見える位置なら。確実にどこか一つに入っていれば良いんだ。……そういえばお前、昨日のニュース見たか?」
「ニュース?」
「そう、ホップ印全身に付けられた女の店員型アンドロイドの無残な姿。あのホップ印は誰かが真似して作ったらしいがここを出ると怖い所になっちまうな、急に」
そう言ってまた宮上さんはコーヒーを飲みました。
「疑似街はそれ以上に怖い……って親は散々言ってますけどね。でも、よく考えたらこの疑似街以外の所の方がすごいですよね。バンバン出来てますもんね、あれ。よく見かけるようになりましたよ。あの光がまぶしいのなんのって。そんだけ力入れてんですかね。人口増加に」
そう言って私も頼んだホットミルクを飲みました。今日はそういう感じです。
「叱られ屋さんもけっこう考えられて造られたからな。手の甲じゃすぐにアンドロイドって分かっちまうからわざわざ医療ロボットシリーズは後ろの首辺りになったんだし」
そう言って宮上さんは店員型アンドロイドの方を見ました。なんかするりと話題転換されてました。気付くの遅すぎですね、私。
それで、そのホップ印ですが、実は他のにも使われています。あ、でも前は『ブドウ印』でした。
ブドウ印のアンドロイドは旧型と言われいています。
性能も中みたいで最近の活用方法は……あまりないみたいです。
「駒村、困りましたぁ」
「何でだ? 駒村」
「だって旧型のこと思い出しちゃったんです……。あれって今どうなってるんですか?」
「あれは確か……飲食店とかの皿洗いとかやってるんじゃないか? すみません」
と宮上さんは店員型アンドロイドを呼びました。
私達の所に来てくれたのは女性型のアンドロイドでした。
薬局にいる叱られ屋さんよりちょっとかわいらしい感じです。
「皿洗いの募集とかって今してませんよね?」
「はい。申し訳ございません。ただ今、皿洗いは旧型アンドロイドがしております。もし、それがご不満でしたら早急に止めさせますが?」
「いや、そこまでは望んでいないので……ちょっとおかしいなこのアンドロイド」
そう言って宮上さんはそのアンドロイドを眺めていました。
危ない感じです! これは……。
静かに見守っていようと思っていたところ、そのアンドロイドは店の奥へと呼ばれました。
「何かあったんですかね?」
「ちょっと不具合が生じたようで申し訳ございません。の一つでも言ってほしいよ。こうなったら」
別にそこまでは私は望みません。が、おかしいのは仕方ないと思います。だってここは疑似街の喫茶店だからです。きっとここも何かの実験をしているのでしょう。
「そういえば思い出しました! 確か旧型のアンドロイドってマークシートしてない手書きの塾の採点のお手伝いとかやってるんですよね。チラシ配りとか。高性能より少し劣るだけで随分な差が付いてますよね。……私、旧型の方が好きでした。人間らしい表情だし」
そう言ったら宮上さんにバシっと頭を
痛かったです。
「高性能アンドロイドを造ったのは人間らしいからだろう。紛らわしさ無くすために無表情型が考案されたんだろ。それを叱られ屋さんは流用してる。まあ、もうちょっと表情があっても良いとは思うが……」
そう言って宮上さんはコーヒーを飲みました。
全席禁煙なので誰も煙草を吸う人はいません。健康的です。
「それはそうといつまでこうしているんだろうな、俺達。明日はないに等しいのに」
「そんなに暗いこと言わないでくださいよ。明るい話、しましょう」
「何だ、明るい話って」
「えーっと、例えば……叱られ屋さんのシカコさん連れてお買い物に行きたいとか」
「って、ダメな話しかしないなぁ……。駒村は。それにその『シカコ』さんってのはどこからやって来たんだ?」
「え、『叱られ屋さん』の『しか』からですよ。叱られ屋さんは女性型だから、『子』を付けてみたんです! それで『シカコ』さん。ね、良い名前でしょう?」
「やっぱ、ダメな話だわ。それ」
「えー、そんなことないですよぉ、宮上さん。それなりに楽しい話じゃないですか」
「そうなったらたぶん、叱られ屋さんもう用済みになってるだろうな」
「どうしてですか?」
急な真面目な話に私も真面目に聞き入りました。
「だって、人目さらして良いんだろ? ロボットとして、アンドロイドとして歩くんだろう? 道を。それって『人間みたい』っていう当初の目的無くしてんじゃん」
「ああ、そう言われればそうですね……。確かに。でも、それは私が気を付ければ良い話じゃ」
「お前、人間だと思えるのか? アンドロイドを」
「いえ、……思えないです。まったく」
「だろう?」
「だから、もう用済みも同然ですか……」
「だからダメなんだよ、駒村は」
私はもう何も言い返せませんでした。考え過ぎて何も言えなくなりました。
シカコさん、用済み……かわいそうな話です。
でも、シカコさんの場合、本当の人間にバレたらそこで即終わり……なのでかなり慎重になってしまうのです。
「大体、この『擬似街』で実験してるのは一人の奴ばっかりだろ。家族対象ぐらいしか家族でここに来てない」
「じゃあ、宮上さんはいつまで一人でいる気ですか?」
「駒村こそ、どうなんだ?」
「それは言わない約束です」
「いつした? そんな約束」
「今です、今」
何だか話の順番がぐちゃぐちゃです。
話したい時に話す。これが宮上さんの悪い癖です。
訊きたい時にそれを話してくれないで少し時間が経ってからその話をする。
だから、ちょっとこちらとしては話しにくいのです。
でも、普通に会話出来てしまうのは何とも不思議です。
「駒村、食ったら行くぞ」
「え! もう食べちゃったんですか? 宮上さん!」
そう言って宮上さんのお皿を見ればきちんときれいに食べ終わった後でした。
たぶんどうでも良い話をしながら食べてしまったのでしょう。私は全然食べていないのに。
なので、私は急いで食べました。持って帰りたい気持ちでいっぱいでしたがそれは出来ません。
何故なら、この店の食べ物は持ち帰り禁止! だったからです。
ちょっとひどい、融通きかせてよ! って感じでした。
それでも宮上さんは私が食べ終わるまで待っててくれました。
まだ全然平気な時間だったからです。午後が始まるまであと三十分もあります。
その間何をしましょうか? 帰るのに五分もかからないし……やっぱり、ころさんとお話でしょうか……。
その帰りのことです。私は見つけてしまいました。
「あ、カラス!」
「そんなに驚くことか? ……あっちの眼には透明だろ。そこのアンドロイド」
「ああ、そうですね。……このアンドロイド、一般型ですかね?」
「たぶんな」
宮上さんが見つけたその男性型アンドロイドはこの道を掃除していました。
まるで普通にそういう人がいるかのようにです。
大体のアンドロイドは若さが自慢の二十代から三十代に設定されています。
このアンドロイドは見るからに三十代。
私達よりもちょっと年上くらいに見えます。
そして、どこかの店員のような格好もしていないただの私服を着ているこの場合、考えられるのは『一般型』しかありません。
まあ、一番早く分かるのは……手の甲を見ることです。
「どうした? 駒村。そんなに横でぴょんぴょん跳ね始めて」
「み、見えないんです! 手の甲……」
「お前……下手だよな。こういうの」
「と、とにかく見たい」
「ああ、この前言ったの撤回したい」
「何ですか? この前のって」
私はぴょんぴょんしながら言いました。
「ほら、あの花屋の話。お前、下手」
「は? だってそれはこんなことしなくても分かったんですよ! すぐに」
「でも、駒村は今、小さいからぴょんぴょんしてる訳だろう? ずっとそうやってて疲れないの?」
「疲れますよ! もちろん! でも、見たいんです! 見せて下さい! 宮上さんは良いですよね、こんなことしなくてもあのアンドロイドと同じくらいの高さ持ってて」
「それは成長しなかったお前がわっるいの」
そう言って宮上さんが私の頭をがしっと押さえました。
その衝撃でちょっとぐらっと来ましたがぴょんぴょんするのも同時に止まりました。
そして、宮上さんは見てくれたようです。自分の身長の高さを活かして。
「やっぱ、イチゴ印だな。立派なイチゴだ」
「どういう意味ですか?」
私は頭を押さえつけられたまま言いました。
「あの右手、見てみろ」
そう言われても見れません……って顔をしたら宮上さんが「ほら」と言って画像を見せてくれました。
今、撮ったようです。
ハイテクな時代ですねぇ……。
「このくらいの大きなイチゴなら結構なお値段してるんじゃないか? ほら、一般型って言ったらその家庭に見合ったやつだろ。それに『イチゴ印』付けてるのって一般型しかないしな……」
そう言われてよく見てみればシカコさんよりも大きな印がそのアンドロイドの右手の手の甲に付いていました。ちなみに『一般型』は家政婦さんみたいなもんです。そして、その印がそれぞれ違うのは用途を分かりやすくするためと作っている所が『医療ロボットシリーズ』と違う会社だからです。
やはりその印には『ホップ印』のような意味があり、旧型のブドウ印なら『信頼』、この一般型アンドロイドのイチゴ印なら『幸福な家庭』となっています。ブドウ印もイチゴ印も何故か食べれる方がデザインされています。
「疑似街に来てるどこかの家族が持って来たんだとは思うが……。何もされない所を見ると壊れてもいなさそうだしな。……平気じゃないか? あのカラス、追っ払わなくても」
そうです! そこです! 肝心なのはそのカラスの存在です!
そう思ってそのカラスを見たら何故か「アー」と言って飛び去りました。
それを見た宮上さんに、
「駒村、嫌われてるな。カラスに」
と言われたので、
「そんなんじゃないです」
と、ぷいっとしてみました。本当にそういう気持ちだったからです。
午後のお仕事が始まった直後です! 私は今、とても大変な感じになっていました!
「駒村、困りましたぁ」
そう大声で言ったら、
「どうしてだ? 駒村!」
と言って作業場からお店の方に急いで来てくれた宮上さんに私は言いました。
「宮上さん、見て下さい! ハクイさんが、ハクイさんがいきなり女らしく!」
そう言って見せたハクイさんの姿はとてもハクイさんとは思えない物になっていました。
なんだか大変……女性らしい感じです。
「ああ、これ? 昨日、俺が付けてみたんだ。あんまりだったな、これ」
事もあろうに宮上さんはさらっとそう言いました。
「み、宮上さんが! じゃあ、言いますけどね……この『うっふん』とかいらないです! 早急に直してください! こんなのじゃ、患者さんカンカンになって怒られますよ! 叱られ屋さん再起動ですよ? どうするんですか!」
「そうか、じゃ……このモザイク機能も外さなきゃな……」
「何でそんなの付けたんですかぁ!」
「駒村がつまらなさそうだったからな。ま、どういったもんか見てみたかったんだ。本当は」
「もぉう! こういうのは駒村好きじゃないんです! 知ってるでしょう! 早く元に戻してください!」
「はいはい。そんなに怒るなよ。既製品でしかこういうの出来ないんだから。旧型は絶対出来ないだろ? カスタマイズ出来るのは新型だけ」
「そんなの私の知る範囲じゃありません、よ……。じゃ、この薬局にいるハクイさん以外で考えると……シカコさんとか?」
「そうだな」
何だか落ち着いて来ました。そう考えると。
「じゃ、シカコさん、自分好みの女に出来るってことですか!」
キラキラし出しました。私の心が!
「……それは……出来るとは思うが……、既製品使ってだぞ。そうするとたかが知れてる」
そう言ってるうちにハクイさんは元に戻りました。
「ああ、やっぱり元のハクイさんが良いです」
と、何だか分からないけれどぐっと抱き付いてしまいました。ハクイさんに。
そんな安堵の私の様子を宮上さんはただ、ずっと見ていました。次に何をしてやろうか……と。
だから私は言いました。念押しです。
「もう、変なの付けないでくださいね! 宮上さん」
「はいはい」
と、宮上さんはそれしか結局言いませんでした。怖い事この上なしです。
「しーさん二号にはしないのに……」
そんなことを私が言ったら、宮上さんが、
「それはしーさん二号があの『ころさん』のような感じだからだろ。ころさんより底が平らな分、安定してころころはしないが……丸いのはどうもな」
と言って来ました。だから、私は反論です!
「でも、色はちょっとマイルドですよ。ころさんよりも優しい温もりを感じる色です! しーさん二号は」
そこまで言うと宮上さんが、
「駒村はそういうのしか本当仕事がないのか?」
と言って来ました。私としては、です。
「う……、だって探そうにもないんです。……だから、何か仕事ください」
と頭を下げました。なのに、宮上さんは……。
「それはお前を雇った人に言え。俺の方でお前が手伝うことは一切何もない。まあ、やっぱ……、ころさんに言葉覚えさせるのだけじゃないか、今のところ」
「はあ、シカコさんが起動していれば多少は私も楽なのに」
と言ったら、宮上さんがとても嫌な顔をして、
「お前あんなことしといてよくそう言えるな」
と言いました。それには私だって意見があります。
「そんなに悪いことじゃないと思います。シカコさんの髪いじったくらい良いじゃないですか! 別に……。そんなにホップ印見せるのダメなんですか?」
と訊いたらギョッとするほど怒られました。
「ダメだろ! 実験中なんだからっ!」
雷が薬局に落ちたようです。でも、泣きません。駒村、大人ですから!
そういう話ではないと宮上さんにその後すぐにお説教されました。どんよりとした気持ちです。
本音としては私の方がもっとそうしたかったのに……。
何故か立場が逆になってます。いつも……。
なのに、です。
「感知」
突然、シカコさんがそう言いました。
「何をですか?」
と私が訊くと、
「虫を保護しますか?」
と訊ねて来ました。
それを私は見てしまいました。店の壁にゴキです。茶色の大きい奴です。
「む……! しないでください! 保護しないで早急に外に逃がしてください!」
と私はキャーキャーと騒ぎたい気持ちを押し殺してシカコさんに頼みました。
すると、シカコさんは、
「かしこまりました。虫を早急に外に逃がします」
それだけ言うと何ともスムーズにその虫を捕まえ、サッサとそれを店の外に逃がしてくれました。
ああ、潰れた姿なんて見たくなかったので良かったです。
こういう時、シカコさんがいてくれて良かったな……と素直に思います。
「じゃなくて、何でシカコさんが勝手に動き出してんだよ?」
「は! そういえば変ですね……。誰かが動かしてるとか?」
宮上さんの質問に答えてみたものの……です。
「そんな訳ないだろ。俺もお前も今日、あれに一切触った覚えはない。な? だとしたら……」
「考えられるのは一つ! いえ、二つ? 候補は上の人、会社の人」
「か、若社長。さて、どれでしょう」
って、誰ですか? 今の声の人……。
と思ってその声の人をガン見してしまいました。
その人はこの店の奥から現れました。
きっといつも宮上さんがいる作業場の方からこちらの方にやって来たのでしょう。
でも、いつもはその作業場、外に出るための出入口閉まっているはずなのですが……。
開けられる。ということは……。
鍵を持っている……というわけで……。
たぶん、この人があの会社の人が言っていた若社長さんなのでしょう……。
その若社長さんは何だか宮上さんよりちょっと年上な感じで落ち着いた感じのスーツを着た人でした。でも、ネクタイは赤かったです。真っ赤ではありませんでしたが。
さっきのノリの良さを思い出してもそのネクタイはちょっと考えられない……いえ、訳はないです。だって、この人若社長さんですから!
そんな私の推測をよそにその若社長さんは宮上さんに声を掛けました。
「どう? 調子は」
「まあまあ……ですね。
うーん、違うんですかね? やっぱり……。今まで若社長さんに出会う機会がなかったのでこういう時とても困ります!
「そうか。で、今日来たのはね、また『アンドロイド疑い』が出たからなんだ」
分かるだろ? 宮上……という目を若社長さんはしていました。
だからでしょう、宮上さんも、「はい」とだけ言ってその話は終わりました。
若社長さんは帰りがけに、
「あ、起動したのは俺だから。その叱られ屋さん、ちゃんと『人間みたい』にしてよ」と言って帰って行きました。
それを見送る宮上さんの表情はとても……重かったです。
それに考えているようでした。何かを……。
さて、私が仕事を再開しましょう……と思っていると今度はあの会社の人がやって来ました。
全然これはラッキーではありません。アンラッキーです。きっと。
「こんにちは。うちの若社長、もう来ちゃいました?」
「ああ、今、帰った」
それだけ言った宮上さんに会社の人は、
「そうですか。じゃ、もう知ってるんですよね? 『アンドロイド疑い』のこと」
「ああ」
と話し始めました。
「まったく、困ったものですよね。知ってます? 近頃、その『アンドロイド疑い』って『他人迷惑病』って言われてるんですよ」
「他人迷惑病ね……」
「他人のこと『人間』って頭では理解出来ていても心の方がそれに追いつかない。と、いうある種の……何て言うんですかね? こういうの……俺、医療系の人じゃないからよく分からないんですけど……」
それでよくこの薬局に来れるな……と私は聞いていて思いました。まあ、彼は『ロボットの営業担当』ですから、このくらいの情報でも仕方ないのかな? ……とは思いますが……。
「まあ、とにかくそんな感じの病気なんですよ。人から人への感染はないですがその患者の対象者となった人が大変っていう」
そう言って会社の人は何やらパンフレットを宮上さんに見せました。
「で、これ、こちらの方に置いてほしいんです。『アンドロイド疑いに関する情報』っていうのを」
それを見た時、宮上さんはとても嫌そうでした。でも、そんな表情に気付かない会社の人はまた話し始めました。
「これ読んでいただけると分かるんですが、最近、また流行り出したようなんですよ。『人間』っていう大前提あるにも関わらずその人だけを『アンドロイド』じゃないか? って思ってしまう病気。一時は衰退したんですけどね、この病気。でもまたぶり返したようで……。宮上さんには特にこの話を知っておいてほしくて、それでうちの若社長、直々に来ちゃったんですよね。心配だからって」
そこまで言われた宮上さんは「そうか」としか言いませんでした。
「でも、前に流行ったのは数年前ですからね……。それも異性よりも同性同士の方が多かった。……いや、逆か? まあ、それを考えればかなりの確率でならないと思うんですがね、念のため」
「分かった、分かったよ。十分気を付けるように、って言っとけば良いんだろう? ここに来る人達に」
「はい、そうです。そう言ってる自分も……ってことを忘れないようにしていただけると大変ありがたいのですが」
「分かった、分かりました。……でも、これ気を付けていたってどうにもならないだろ? 本人ですら知らず知らずのうちになってて、慌てて病院行くような感じだろ? で、その『アンドロイド疑い』を掛けられた人も一緒になって治療……っていうか体調悪くして治していく……、やつだろ。だから『他人迷惑病』なんて言われるのか……。まあ、こんな話その病気になって本当に困ってる本人の前では絶対軽々しく出来ないけどな」
そこで宮上さんはちらっと私の方を見た気がしましたが……気のせいだったようで宮上さんの話は続きました。
「完治するまでの時間だって人それぞれで、短期間のものから長期間のものまで……。その完治の方法もさっき言ったようにその帳本人じゃなくてその疑いを掛けれらた方が大変だろ? ほら、風邪引いたりとかさ。そういう『ロボット、アンドロイド』が絶対にそうならない状況を作らなきゃこの病気って治らない。それであの印も付けるようになったんだし……。まあ、今のロボット、アンドロイドの場合にはそれ以外の理由もあるがな」
「要は本人の心の問題、持ちようなんですよね。それに伴いその人間の眼には一時的に対象者以外の人間もアンドロイドのように見えてしまうという症状が出たりするそうですね……。全員がそうではないみたいですけど」
言いながら会社の人はそのパンフレットをじっくり読んでいました。
自分が持って来た物なのに!
宮上さんもそう思ったのか、会社の人に少し呆れ気味に訊きました。
「里仲、それ読んでなかったのか?」
「いえ、読みましたよ。でも、正確なこと言わないと……って考えると、これ、読んだ方が早いし、正確かなって思って」
「まあ、そうだろうけどな」
と、説教を始めそうな勢いのある宮上さんはまたちらっと私の方を見ました。
何ですか? 宮上さん、私は何もしてませんよ。
ただ、起動中のシカコさんの右隣でおとなしく座っているだけです。
それもダメなんですか? 宮上さん!
――と言いたい気持ちを押し殺し、私はずっとその場にいました。
だって、やることが今日はもう本当になかったからです。