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選ばれた人間

 妖艶の女性、大人風。翼なし、とんがり耳かどうかは長いウェーブの髪で分からない。そして、露出度の高い服を着ている。

 サキュバスというから彼女はきっと俺の願望に近い存在で橋の上に居たのだろう。

 だが、このサキュバスは言う。

 今日が出会いの日ではないと。

「じゃあ、いつなのよ!」

 怒りながらクレアが言う。

「あれは江東良吉が選ばれた日よ」

「選ばれた? 何に選ばれたのよ!」

「国によ、あなた知ってるでしょ、何をしようとしてるのか」

「……」

「おい、何の話だ?」

 クレアの口が完全に固まった。

「おい?」

「だから、江東良吉は前の会社を解雇されたの。急にね」

「……」

「まさか、その後、派遣社員になって異世界に行くことになるとは思わなかったけれど」

 サキュバスのお姉さんだけが喋ってる。

 俺とティノはよく分からず、何とも言えない。

 クレアはずっと黙ったままだ。

「ちょうど良かったのよ、転生させてあげても良かったのだけど」

「それは……、神の、女神の仕事よ!! アンタなんかにできっこない仕事!」

 やっと喋ったと思ったら、そこかよ!! と思ったが、温泉の女神としてクレアは頑張ろうとしていた。

「この神の前に姿を現して、タダで済むと思ってるの?! この悪魔が!!」

「ハ! 笑っちゃうわね! 今まで全然気付きもしなかったくせに」

「何ですって!!!」

「江東良吉に初めて会ったのはこちらの一方的な選択であり、一方的なアプローチだった」

「じゃあ、この男に自覚はなかったわけね?」

「そう、ただし、この男の人は会ったその時から良い夢を見ていたはずよ」

 そう言って、サキュバスのお姉さんがこちらを見た。

 ごく……、何だろうこの感覚。彼女に見られるとそうなってしまう。自然に……逆らえない行動。

「な、何を言ってるの?」

 狼狽うろたえ出す女神。

「だからね、この男の人に近付いたついでに、この男の人の中に入らせてもらったの」

「ハアァ?!!」

 女神が女神らしくない声を上げた。

「ば、バカ言ってんじゃないわよ!」

 女神が慌て出した。

「簡単な事よ。だって、ワタシ、サキュバスだもの。まあ、本来なら夢の中で会う存在なんでしょうけど。長いこと、日本に居たらそりゃ、夢の中じゃなくたって会えるサキュバスになるわ。だって、寝ない子だって居るでしょ? そんな人の為にワタシ達はどうするか……寝た時にすぐに出来るように、そこに一番近い場所に居るの」

「は、ハア?」

 女神がわざとらしくそう言った。いや、気持ちを落ち着かせる為なのか、クレアは俺を見る。

 何? そのどうしよう! っていう目、止めて!!

「フッ、大丈夫よ、腹の中だから」

 ふー……と息を吐いた。この女神はどこに居ると思っていたのだろうか。

「だからこそ、この男の人はある時から調子が良かったはずよ」

「そういえば……」

 何を言い出すのよ! という目をクレアはしている。

 怖い!!

「そのせいで魔法が使えなかったのね?!」

「そうかもしれないわね、だけど、その代わり、朝や夜、彼が疲れた時でもすっきりさせてあげてたりしてたの。優しいでしょ?」

 サキュバスのお姉さんがちょっとだけ、あの橋の上のお姉さんのような声を出した。

 かわいい……。

 もしかしたら、このサキュバスのお姉さんの本来の姿は今の姿で妖艶な感じで喋る方が楽なのかもしれない。

「何の為に?」

 ティノが唐突にそんな事を訊いてしまった。やっぱり、お子様だな……ティノは。

 そこで慌てるのは俺ではなく、クレアの方だった。

「そっ、そんな野暮な事は訊かなくて良いのよ! ティノちゃん! 分かってるんだから! こういう風に仕掛けて、この悪魔はあの、あの……!!!!」

 クレアが勝手に顔を赤くしている。

「そうね、それ欲しいわね……」

「いやいや、あげないわよ! あげるわけないじゃない! いくら、国の不妊治療や少子対策の為にサキュバスやらインキュバスをそういう家庭に送ろうと企てている奴らがいることを知ってても、そうはさせないわ!」

「あの、それって……」

「ヨシキチは黙ってて!」

「はい」

 クスクス……とサキュバスのお姉さんは笑う。悪魔らしい笑い方。でも、上品。

 そんな彼女の目がまた俺を捉えた。

 ぞくっとする。女の色気……。内から出される濃厚な本気の女の色気。たまらない!!

「ちょっと、ヨシキチ! 正気を保ちなさいよ!!」

 女神に励まされた。

 すぐに正気が戻って来る。

「うおっとぉ! 危ないな~」

 わざとらしく言ってみた。なかなかこの女神のこういう所は見られない。

 付き合ってみるか……少し。

「クスクス……、ねえ、アナタ、そこの女神様がぶっちゃけてくれた話に興味はない?」

「え、でも俺、既婚者じゃないんで、関係ないんじゃないでしょうか……。元既婚者でもないですし、彼女もいないし。子供だって」

「だからこそよ! だからこそ、健全なアナタの身体を必要としているのよ!」

「国が……ですよね。それって確か、ランダム治験体の話ですか?」

「何言ってるの?」

 今度はクレアがぽかん……とする番だった。

「俺、知ってますよ。友達の友達が異世界モンスターの特徴やらを活かした実験で治験体やってますからね。彼は定職も就かずにそんな事ばかりしてますよ。そして、今よりさらにより良く出来ないだろうかって、あちらこちらで密かに動いていること。その効き目を試す為に多額の金が使われ、高額な報酬を受け取っている。そんなバカみたいな話で暮らしてる日本人がいる今、俺は思います。良いな~って」

「は?」

 女神が絶句した。

「まあ、確かに普通の治験とは違って、その薬はあくまでそのモンスターから採れたものを使い、副作用が強過ぎてすぐにその実験は中止になってしまって、なかなか進まないってこと。それでも夢がありますよね~、いくらやりたいって言ったって、ある程度の基準に達していなければその話すらやって来ない。それだけ選ばれた人間にしか、日本人にしか来ない話です。そうですか~、やっと来ましたか~、きっと前の会社の健康診断の結果が良かったんだな!」

「そうね」

「あのろくでもない大学で知り合った人ですか? その友達の友達っていうのは」

 ティノ、うるさい。

 俺がティノを見ようとすると、サキュバスのお姉さんが笑い出した。

 またクスクス笑いだ。

「クスクス……、アナタが選ばれた理由はそれだけじゃないわ。たくさんのモンスターと触れ合っているからじゃないかしら。ほら、この異世界に居る転生者の冒険者は死んで生き返ってるでしょ。そういう意味では普通の人間ではないし、アナタのようにこっちで暮らす普通の人間は大体がモンスター殺しを経験している。アナタのようにモンスターを一度も殺していないのは滅多にいないの。だからね、モンスターを見てすぐに殺そうとか思っちゃう人だと困ってしまうってことなのよ。安心して、こちらも悪いようにはしないから。そして、同意をしてもらってからサインをいただき、それからもっと詳しく話させてもらうわね。今度はアナタと二人っきりで。とっても良い話よ。何せ、将来の国の為になるんだから。ね、江東良吉さん、そうは思わない? 気持ち良くやって行けそうって」

「は……」

 俺はちょっと言い掛けてしまった。

「痛い!」

 思わず来た尻の痛みに俺は声を上げた。

「つねったな!!」

 そう言ってクレアを見る。

「何、負けそうになってんのよ! この役立たず! こんなの相手にするくらいなら、私が相手になってやるわよ!」

「は?!」

「そうですよ、痛みという天罰をこの男にお願いします!」

「な!?」

 ティノまで!! っていうか、このお子様、まさかとは思うけど。サキュバスがどういうものか知ってる? のか……。

「フフン! そんな目で見ないでくださいよ、恥ずかしいじゃないですか……。前にも言いましたよね、魔法使いは十五歳で大人だって、だから、あたしは十五歳になったその日にお姉ちゃんからこういう話も聞いて全て知っているのです!! けれど、お姉ちゃんは言いました。こういう事は知らないように装うものなの! それが昔からの習わしなの! でなければ、あたしは堂々とサキュバスだと言えたでしょうか?」

「そ、そう言われると……、お前から言い出した事だったな……そこのサキュバスのお姉さんの正体を知れたのもお前の口からだった」

 俺はティノを甘く見ていたようだ。

「ティノも少しは大人なんだな……」

「少しじゃないんですけど!! とってもなんですけど!!」

「あー、分かった、分かった。で、クレアは? 何をしようと」

 頭上高くにそれは魔法陣と共に現れた。

「あの、このピカピカしてるのは……」

「近付いてはダメです! これは」

「鮮烈なるいかずちよ、この悪魔に裁きを!」

「ウギャ!」

 サキュバスのお姉さんは片足を上げて、それをかわした。

「ちょっと、手加減しないのね、この神様」

「私は女神です! 女の敵のような存在に手加減してもらえると思ってること自体、間違っています!」

「それ、インキュバスの方に言ってくんないかしら」

「うっさいわね! アンタを狩れば少しはまた私も強くなれる! 受けなさい!! 神の裁き!!!」

 そう言ってクレアは頭上からまた一線の雷を放ち、それが当たると良くないのかサキュバスのお姉さんはたじろぎ、リビングの方に移動する。

 そうした攻防の末、サキュバスのお姉さんはとうとう、ベランダに通じる窓まで追いやられてしまった。

「クレア!!!」

「分かってる!! そんな叫ばなくても平気よ! この雷に触れたが最期、この悪魔は消滅する!!! 受けよ!! 神の裁き!!」

 マジなやつを一本、ザシュッ!! と放ちやがった。

 だが、命中はしない。良かった。

 この神の一撃のせいでサキュバスのお姉さんは背中越しの窓を割ろうとしていたが無理でガチャガチャと激しい音を立てながら、やっとの思いで窓の鍵を開けるとその開け放った窓から文字通り、飛んで逃げて行った。

「初めて羽見たわ~、あれがサキュバスの羽か~、ぱたぱたと小さく動いてかぁいいな~、拝んどこ!」

「何でよ!」

 バシ! と頭を叩かれた。

 まるで漫才のツッコミ担当のような音……は出せなかったものの、そのくらい突っ込みたい事があるらしい。

 それは聞かれても困るのだが。

 何せ、俺は勝手に選ばれ、勝手にそうされただけの人間であり、候補に挙がっているというだけの平凡な日本人である。

 この女神にしつこく言われても、サキュバスのお姉さんが言っていた良い夢の

内容しか言えそうにない。

 だけど、この女神はきっと恥ずかしがって、そんなのは良いのよ! 私が聞きたいのはそこではなくて、何で何十日も一緒に居て気付かないのよ!! こんの! 現代っ子が!! という攻め。

「はあ、痛ってー……止めてほしいわ……そういう行為」

「何よ、まだ何も言ってないじゃない」

「でも、言うんだろ?」

「ええ、そうよ。ヨシキチ、私の言った事を復唱しなさい」

「はいはい」

「バリア!」

「バリあ?!!」

 その途端、もしかしたらどこかで見たことがあるかもしれない魔法陣の白い光が俺を包み、守る体勢に入ったらしい。

「これでより一層、あの悪魔は近付けなくなったわ!!」

「おい、これ、どのくらいで解ける?」

「何の心配してるのよ?」

「だから、こんなのに守られてちゃ、仕事によってはダメな時があるかもじゃん」

「どんな時よ」

「だからその……そういう、悪魔が相手の時とかさ……」

「アァン?」

 怖い! こいつの方が悪魔じゃね?! っていうくらいに怖い!!

「何よ、何を言ってくれちゃってるのよ! ヨシキチ、あんた悪魔とどうにかなりたいの?」

「いや、それは望んでないけれども」

「大丈夫よ、一週間くらいしたら効き目がなくなるから、再度、バリアって言えば持続出来るわ!」

「なるほど、しなければ良いんだな」

「ちょっと! それとも何? この私と一緒に寝て下さいって言ってるのかしら? そしたら、バリアなんてせずにじかにあんたに寄って来た悪魔を退治出来るし、一石二鳥だって?」

「んなバカな事、よく考えられるな……。誰がお前みたいな嘘っぱち十八歳と寝て楽しいんだよ!」

「な、何ですって!! あんた、どのくらいの子が良いって言うの!!!」

「そうだな……ティノより年上でお前より年下」

「ちょっと、ヨシキチ、座りなさいよ」

「アァ?」

「お二人とも、その辺に」

「ティノちゃんは黙ってて!」

 ふふ、この女神は知らない。もう少しで俺の餌食になることを!!

「うわ、急に寒気が……。ヨシキチ、良からぬ事を考えたわね?」

「ナ! サキュバスのお姉さんのやつは気付きもしなかったくせに!」

「だ、だって、ほら、アイツらはそれが本望だし、今のヨシキチみたいに意地汚くないし。やっぱり、男ってダメよね」

「な! 何を言ってくれてんだよ!! この女神は!!!」

「江東さん、ほどほどにしてくださいよ……。果たして江東さんの夢の中であたし達は平気なのでしょうか?」

「怖いわね~、この男」

「ええ、怖いです!」

 そう言ってティノとクレアはお互い身を寄せるようにくっ付いた。

「ちょっと、待って! 俺は夢の中でお前達なんて一度も見たことないから! 俺は夢の中でお前達以外と楽しくやってるから!!」

「何ですってぇー!!!」

 騒々しい。

 その音でずっと寝ていたリリーさんが起きた。

「ん? あれ……」

「お姉ちゃん! 大丈夫?!」

「ティノちゃん! あの!!」

「大丈夫よ、ヨシキチは無事。これも私のおかげね!」

 女神はいつもの浴衣姿でそう言った。

 それだけでリリーさんは安堵し、全てが丸く収まった気がする。

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