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聖水を!

 ティノのお姉さん、リリーさんが来たのはそれから二十分後。

「ごめんね~、春祢ちゃんが全然行かせてくれなくて」

「またポッキーゲームか何かやってたんですか?」

 真面目な俺の質問にリリーさんは苦笑した。

「いやぁ、江東先輩の所に行くなら行かせません! と言い出しまして、ちょっと強引ですが急用だったので眠りの魔法を少々掛けちゃいました。すぐに起きるでしょうけど……そこに至るまではちょっと大変で」

 あの後輩、今度会ったら何をしてくれようか!

 俺がそんなことを思っているとティノが姉にスライムを見せる。

「お姉ちゃん、そんな話は後にして診て!」

「はいはい……」

 落ち着いたその反応にこちらがちょっと安心しているとリリーさんの表情が険しいものへと変わった。

「これは……」

「何? お姉ちゃん、やっぱり病気なの? クレアさんの言う通りなの!」

「病気というより、中毒症状ですね」

「中毒? 何が原因で?」

「この子は水属性のスライムです。ですからきっと、綺麗な水ではないものを触ったりしたのではないでしょうか」

「キレイではない水……」

 心当たりがあるとすれば、クレアの温泉だけになる。じーっとティノと一緒に俺はクレアを見る。

「ちょっとぉ! 私の出した温泉が汚いって言いたそうだけど、全然汚くないんだからね! それよりもっと清くて尊い物なんだからぁ!」

「確かに女神、クレアの温泉は聖水と同じ効果が得られ、とても重宝します。ただし、この子は水の女神が生んだ物。熱さにやられたのか、または」

「または?」

 ティノの問いに姉は考え込んだ。

 俺は一緒に考えるふりをしてリリーさんの手の中で眠り続けるスライムを見た。

 クレアが言ってた水の女神の話。あれは本当だったんだな……とか、この無色透明のスライムのニヒルな口の端にちょんと付いている目よりも小さい紫色の染みのようなものは何だろう……とか。

「何考えてるんですか? 江東さん。おかしな事考えてませんよね」

「おかしな事はまだ考えてない。ただな、この、こいつのニヒルな口の右端に付いてる染みみたいなのは何だろう……って思ってな」

「染み?」

 そう言うとリリーさんはまじまじとそれを見た。

「これは……」

「何だ?」

「あー、分かった! 酒よ! ぶどう酒! この女神様が授けてやった力がやっと現れ出したんじゃないかしら?!」

 そう言って自分の手柄だとでも言うようにクレアが俺を見る。

「確かに、俺はそこまで目が良いわけじゃない。長時間パソコンをするなら眼鏡をかける時もある」

「メガネ?」

 そこに反応したティノがちょっとおかしいと思ったが、俺は続けて言う。

「そのぶどう酒が付いた場所ってのはきっとギルドの酒場だな。あのかわいい獣耳の給仕達の誰かがルンルンとスキップで運んでいたやつがこいつの口にちょん! と何かの拍子に付いちゃったんだろう……。ずっとお尻を俺の方に向けて、そのお姉さん達見てたから……」

 そこまで話して、じーっと三人に見られていることに気付いた。

「何か?」

「いいえ、続きをどうぞ」

 クレアに促され、俺は続ける。

「でも、こいつ一度、クレアの温泉の中に入って体洗われてるよな? なのに、どうして付いてるんだ?」

「それが原因だからですよ!」

 ティノが立ち上がって言った。

「これは水属性のスライム! すなわち、きれいな水以外には過剰な反応を示します!」

「私の温泉に入って膨張したのもそれが原因! 私が入ってた露天風呂の湯にはちょっとした作用を期待して緑茶を入れておいたの! それがあの騒ぎを引き起こしたんだわ! 大丈夫よ! きっとアレがあればすぐに治るから!」

「あれ?」

「市販されてないアレですね?!」

「そうよ、アレよ!」

「ああ、アレですか……」

 皆の態度を見て俺は思う。リリーさんの態度だけ何か違う。

「あの……そのアレって何?」

「あれはアレよ! 私の温泉は回復に特化したものだけど、ちょっとモンスターには厳しいものだったみたいね。だから、それを癒すまでの力はなかったみたいだけど! アレが手に入れば、きっとこの子も元に戻るわ! だから、早速行きましょう!」

「どこに?」

「聖水です! 初心者向けダンジョンの中にある水の女神が降臨し、沸き上がったという伝説的な場所の聖水をこの子に!」

「そう! 何でも癒しちゃう! っていう評判のモンスターにも優しいっていう噂のスペシャル聖水よ!」

 とっても、パーティメンバーとして居る二人の様子がおかしい。

 何かキラキラと輝き出した。

 もう行くわよー! とか言いながら、やる気を出している。

「ちょっと待て、モンスターに聖水? 間違ってない?」

「間違ってない!」

 パーティメンバー二人が声をそろえて言って来た。

「治したくないの? ヨシキチ、この子がもし死んでしまったなら……って考えたりしないの?」

「死んだら即刻、この派遣の仕事終わりですよ! 派遣切りです!」

「ヒエー!!!! とでも言うと思ったのか? この子はただ寝ているだけだ。それなのに聖水? 笑わすなよ」

「あの……ヨシキチさん、寝ているには寝ているんですが、段々、その段々……瀕死に近い眠りになってきてるみたいなんです……」

 ぼそっと、リリーさんの耳打ちで俺は愕然とした。

「何だっとー!」

 じゃあ、行って来るわね……とクレアが留守番をしてくれるというリリーに向かって言い、玄関のドアを閉めた。

「あのさ」

「何よ」

「俺、ジャージに着替えさせられただけで何するわけぇ?!!!」

「動きやすい服装、これが一番ですからね。スライムさん、江東さんの肩に居てくださいね。これ、江東さんの持ち物です。あたしのリュックの中にいろいろ詰めときました。着くまでの間に確認しといてくださいね」

 ぐすん……と泣きたくなって来る……。すぐにでも聖水の効果をこの子にやるため、スライムも連れて行くという。

 俺はもっと命の危険とはかけ離れた仕事がしたかっただけなんだ。それなのに……。

「良かったじゃない、冒険者登録済んでるし、何も問題ないわよ。今から行くダンジョンは二階層になっていて、入ってすぐの二階層には弱っちいモンスターしかいないし、その下に広がる聖水のある一階層にはこの子達の仲間がたむろっているだけよ!」

「何だよ、その見たことある的感」

「だって、見たことあるんだもの! その昔、そのスライムの始祖を生み出してしまった水の女神はモンスターは飼えないという他の神様達の意向により、スライムの始祖を泣く泣くこの世界にやったわ。それでも、あの可愛い子達が忘れられないと、彼女はこの世界にやって来たのよ! でも、迷子になった。彼女だけしかこの世界に来なかったしね、だから、暇だった私は彼女を探しに来たの。そして、出会ったあのモンスターに」

「もう良いよ、その話。さあ、行こう。瀕死に近くなってるんだってさ、こんな話に付き合ってられないよ……仕事なくしたくないしな……」

 俺はとぼとぼと歩き出す。ぐーすか寝てるようにしか見えんのだけど、このスライム。

「ふーん、まだまだ生きそうですね……このスライムさん。あらあら、可愛らしいよだれが」

「拭けよ、絶対瀕死なんかにさせないからな!」

 何となく足早になった気がするが気にしない。

 初めてのダンジョン?! なんて喜んでいる場合ではない。

「ヨシキチ、場所分かってんの?」

「さあな……」

 俺はマンションのエレベーターを待つ。もう夕方だ。今日初めて異世界に仕事しに来たっていうのに、こんな事になっている。

「派遣の仕事が嫌になった?」

 クレアは見透かしたように言って来る。

「いいや、全然。正社員よりマシさ。好きに出来るからな、この仕事は。これは立派なお世話の一部だ」

 宿みたいに見えるマンションを出て、俺達はその聖水がある場所に向かって歩き出した。

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