まだ陽がある。
目の前を元気に駆けて行く子供達。やっぱり、ここは異世界だ。
穏やかな日常の中にいる子供だって偽の短剣を手にして遊んでいる。
日本から来たらしい転生者達のグループもいたような気がする。
そして、ポッキーしか切らなかったティノを見る。
何ですか? という顔をする。
包丁はまたあのオレンジ色のエプロンにくるまれ安心する。
「なあ、お姉さん達は何でポッキーゲームなんてやってたんだ?」
さあ? という顔をしたがティノは答えた。
「そういうことする好きな人もいるんですよ、この世界にも」
そう言って、スライムを俺の方に渡す。
「何だ?」
「寝ました! って、これ、江東さんの対象モンスターではないですか?」
「そうだったな……」
微かに無色透明のスライムがでっかくなったような気がするが、それは気のせいかもしれない。
「にしても、あの子、香住ちゃん。絶対話聞いてなかったよな、最初の方……、ティノが言ってただろ、リリーさんにちゃんと俺のこと派遣だって」
「まあ、食べるのに夢中でしたしね……」
「何だよ?」
喋らなくなったティノを見る。
「何で『香住ちゃん、リリーさん』呼びなんですか?」
「何となく……そんな感じを受けてな」
「まあ、嫌がってなかったから良いものを……
「うーん、俺の経験上、あの二人はちゃんと覚えている系だ。きっとこの呼び方で何も言わないよ」
断言しちゃって……という顔のティノにスライムを渡す。
「ちょ! 江東さん? 何で私にスライムを?」
「武器持ってるから」
「武器じゃないんですけど! ちゃんと食べ物しか切ってないんですけどぉ!」
「あー、うるさい! スライムが起きるだろ!」
「何ですか、もう!」
わーわー言い合いながら徒歩十分のマンションへと帰って来た。
スライムが起きる気配はない。
「ただいまぁ……」
何だ? この匂い……。酒と温泉の匂い……のような気がする……。
見たくはなかったのだが、入らねば何も食べられない。
意を決して中に入る。
玄関のサンダルはクレアの物。だとしたら。
「あ、お帰りぃ~」
リビングに入るとそこには!
「ウソだろ!?」
一人用露天風呂がどーんっとリビングの真ん中に陣取ってある。
もちろん、それに入っているのは水着姿で桜色のタオルを一枚頭に乗せ、黒い江戸切子のコップ片手にちびちびと飲んでいる出来上がったクレアだけ。
「ちょっと~、何よ! 入らせないんだから! こっちは何も食べずね~、我慢してたんだから!」
「酒は飲んでるだろ!」
「冷酒が良いのよね~」
なんて言って上機嫌だ。
「じゃ、じゃあ、あたしはお昼のご飯の続きをして夕飯にさせますから、クレアさんのそれを止めてください!」
逃げたな! アイツ!
ポッキーを切ってしまった為か、包丁をちゃんと洗っている。清潔面はクリアだ。
出来上がったクレアに向き直る。
「何よ~」
言って来る息が酒臭い! 温泉臭い!
そして、俺はハタと気付いてしまった……クレアの大荷物の正体はそれかぁ!!
「おい、酒なんて持って来るなよ……」
「良いでしょ! 私、こう見えて超怒ってるんですけどー、
ほろ酔い女神がそう言って、俺を睨む。
むー……けしからん! とか、そう言って怒ってくれるやつはいない。
ならば! 緑色の温泉でも見ようと思えば見えるはず! 行くぞ! 俺!
ぼっちゃーーーーん!!!
その瞬間、何かがクレアの温泉の中に入った。
「あれ? ……げ! スライム!?」
露天風呂近くに置いといたのが何かの拍子で入ってしまったらしい。
湯船の底からゆっくりと上がってきたやつをクレアは空いている片手でそっと救い上げる。
「あらあら、こんなになっちゃって……寝相が悪いのかしら……」
「まったく……」
はあ……と息を吐き、下を向こうとしたところ、クレアがとんでもない声で俺を呼んだ。
「ちょ、ヨシキチョットぉ~!!!!」
「今、俺の名前略しただろ!?」
「そんなことより、この子、変! 膨張しようとしてる!!」
「は? 膨張……」
膨張とはどういった事だ……と考えている間にも、そのスライムがどんどんとクレアの出した露天風呂の大きさになってしまった。
「お、これは……巨大スライム」
「感心してる場合じゃない! この子、病気よ!」
「んなわけないだろ?」
「じゃなきゃ、こんな大きさにならないわ! 大きくなるには仲間との戦いに勝つか、冒険者との攻防でレベルを上げ! 強いやつにならないといけないのよ!」
「は?」
何とか自力で露天風呂から這い出たクレアが浴衣に着替えている間に、この騒動でまたもや料理を止めて来たティノが加わった。
「どう?」
ティノはそれを見て言った。
「温泉を一度なくしましょう」
「え~……」
そう言ったクレアだったが、仕方ないわね……と温泉をポンと消した。
するとどうだろう、巨大スライムはすぐに元の個包装のお餅くらいの大きさに戻った。
「この子は水属性です。女神の聖なる力で一時的にそうなってしまったのでしょう」
「ふふん!」
何か胸張ってるほろ酔い女神が。
「良いわ~! 女神の力がやっと分かったでしょう! あんたの魔法力だって、本当は見えちゃいけない光の粉まで見えるくらいの力だったのよ~! それが何で、スライムには効かないわけ……」
唐突に泣き出した女神。実験なのですから仕方ないです……と慰める魔法使いの少女。俺は今だ、ぷかぷか気分でいる小さなスライムを手で持つとクレアに言った。
「光の粉って見えちゃいけないの?」
「だって、あれは死の際に居る者だもの」
「妖精の類って言ったよな?」
「そうだったかしら? まあ、神に近い物にしか見えない光よ。導きの光とも言われていて」
「あー、聞きたくない! それ以上聞いたら、俺、生きていけなくなりそう!」
「大丈夫よ、心配しないで! 死んじゃったら、すぐに生き返らせてあげるから! この女神様がいるのよ! 安心して!」
ほろ酔いの女神に言われたくない。
「それにしても、ずっと眠っていますが、このスライムさんは本当に大丈夫なんでしょうか? 誰かに診てもらった方が」
ちら、ちらと俺とティノがクレアを見る。
「何よ~、ダメよ~今はダメ~。ほら、私、今酔ってるから~、適当な事だって簡単に言えちゃうくらいだから~」
「そうか、じゃあ、ティノのお姉さんに診てもらおう」
「え? お姉ちゃんですか?」
「魔法使いなら分かるかもだろ?」
「な! あたしだってちょっとは分かりますよー! これでも魔法使い! 十五歳の魔法使いはもう立派な大人なんですから~!」
「ほぉーう、じゃあ、さっさと診ろよ!」
「ほ、ほら、あたしもあの……お酒をですね……ギルドで飲んでいますから……その……、あの、お姉ちゃんを呼びます!!」
「うむ、そうしろ」
ティノはさっとスマホを取り出し、電話する。
「おい、お姉ちゃんに電話って」
「使える物は使わないと! あ、お姉ちゃん?」
何々~とクレアは俺の肩を抱く。
「あ~、そうよね~、次田さんだって携帯使ってたわけだし、使えるわよ。携帯電話持つ者同士なら」
「そうですよね……そういう物ですもんね……」
異世界の常識、それは日本の常識により崩されている。
電話を終えたティノがこちらを向いた。
「お姉ちゃん、来ます! お姉ちゃん、お酒飲まない人だから良かったぁ!」
「え、じゃあ、香住ちゃんも来るの?」
「香住さんは来ません。何ですか? 自分の後輩だからって自慢でもしたいんですか?」
「何言ってんだよ! リリーさんと一緒に居たから、来るのかな~って思っただけだよ!」
「何々~、香住ちゃんって誰~」
ほろ酔い気分の女神がこちらにぐいっと近付いて来た。
ちょっと、ほんのり良い匂いでくらっとなりそうだ。
「ちょーおかしい! 何その顔、変~!」
いきなり笑い出した女神、くそう……はめたのか……。
「ぷ、とんだハニートラップ……ぷくくくく」
笑うならはっきり笑えー!
俺はティノにそう怒鳴ってやりたくなった。