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一変

 その瞬間からそれまで青い空と原っぱ、小さな池、木々しかなかったこの周辺が一変した。

「なんだよ……おい」

「どうしたの」

 クレアが声を掛けて来る。

「あの……、この飛んでるのは……」

「ああ! 粉みたいに飛び散る光の跡みたいなのがあったら、それはそこに妖精のたぐいが居たってことよ」

「は?」

「ヨシキチは見えてなかったのね、やっぱり……じゃあ、このマンションも今、どんな風に見えるか見物みものね」

 そう言うと呪文もなしに俺の後ろに出した一人用の乳白色の秘境温泉みたいな温泉に、その浴衣をバッと脱いでサッとクレアは入る。

「はあ……」

「ハアアー?!」

 クレアの声と俺の出す声は違った。

 彼女の声は本当にその温泉に癒されるようなもので、俺のは……。

「なぁにー? 水着で入ってるって? 私の入浴方法は、その世界に合ったものを採用しているわ。日本ではやっぱり、裸ね! でも、この世界ではあまりお風呂に入るってことないし、まあ、貴族や冒険者なんかはしょっちゅう裸で入っているけれど、一般市民とかは恥ずかしがって水着で入るのよ。だから、私は特注の若竹色水着を着ているわ!」

「良いんだよ! そんなことは!」

「ちょ!」

 女神様の入浴シーンに驚いたんじゃない。マンションが、マンションが!

「もう! 私のつるっつるの美肌に興奮でもしちゃったのかしら? それとも良い加減で出て来る私の汗? それとも……やっと私が美人の女神様だってことに気付いたのかしら? ティノちゃんだって、あれで美人な方よ。お姉さんはもっと良い感じだけど。それでね」

「胸の大きい女神様、黙っててもらえますか?」

「何、やだ! ちょっと! その目、いつ、どこでこちらに?」

「マンションのことについて聞こうとして、後ろ向いたら……見えた」

 神は許してくれるだろうか。この潔さに。

「そ、そうなの……、何だかとっても、その……恥ずかしいものね……いきなり、そんな、ちゃんとした態度で」

 何、ごにょごにょ言ってんだ? この女神は。

 俺はじーっと女神を見た。

「何よ! 破廉恥はれんちだと思わないの?」

「いいや、別に水着だし」

「そ、そう! それで、何か変わった物でもあったの? イヤらしい冒険者のような目をする冒険者のなり損ね」

 何だよ、その言いぐさ。

「……マンションがさ、全然違うのになってるんだよ」

 あの異様な物が、この世界にちゃんと合ったかのような大きい木組みの家、宿のような感じになっていた。

「やっと慣れたってことね」

 水着の温泉女神が温泉に入ったまま言う。

「一時的なその力、継続したいならさっさと冒険者になりなさい。江東良吉にはそれが似合っているはずよ。そうすれば、この先もきっと健やかに暮らして行けることでしょう」

 何だか、女神らしいことを言っているが、そういうことだ。

「分かったよ、スライムが居るまでは、この力あるよな?」

「まあ、あるんじゃない。だけど軽くだったからね……」

「もっとギュッとするとか言うなよ?」

「言わないわよ。もっとギュッとする時は私が良くないと判断した時だけだから、安心して」

 怖いんだけど、この女神。

「じゃあ、そろそろ上がりましょうか。良い湯だったし、ヨシキチにも新たな力、堪能してもらいましょう!」

 クレアは入った時と同じようにサッと出て、あっという間に浴衣姿に戻った。よく見ればその浴衣に温泉マークが所々微かにある。気付かなかった。もしかしたら、水着にもそういったやつが隠れているかもしれない、今度見る機会があったらじっくり観察してみよう。

「あら、イヤだ」

「何だよ、急に」

「ヨシキチから嫌な感じがしたわ」

 ギク! いや、ここは変な態度になってはならない。

「さあ、行こうか。スライムが待ってる」

 何となく、上ずった声でぎこちなくなってしまったが、気にしない。

 俺は女神の前を歩き、宿のような木組みの建物に入る。

 あの最新マンションが中世の感じ。

 木をふんだんに使った天上、床。壁はちゃんとしているが……手作り感がある。

 木のエレベータになってもしっかり動いているし、インターネット使えますという文字は健在。

 あらゆる物がこうも変わるか……という感じだ。

 エレベーターに乗り、上に行く。

「他に変わる所あるかな……っていうか、これ、本当に俺が見ていたマンションだろうか」

「そうよ。あんたはよく見えていないようで見えていたのよ」

 クレアの言葉はよく分からないと思ったが、そうなんだろう……魔法の力を得ていない日本人は在る物をそのまま見れて、魔法の力を得ている者は在るべき姿で見える。

 つまりは現実と理想を目指し作られた現実……この世界に合った見方で物を見る事ができるようになるという……とてもご都合主義ということだろうか。

 難しくなって来た思考をエレベターの音が止めた。

 三階。その303号室が俺達の住む場所であり、仕事場だ。

「ただいまー」

 クレアは最初に入った時のように玄関にサンダルを脱ぐ。

 日本の常識通りで良いのだが、何故サンダルなのだろう。

「なあ」

「何よ」

「何で、サンダルなんだ?」

「脱ぎやすいし、履きやすいから」

 至ってシンプルな回答だった。それ以上は何もないと俺も靴を脱ぎ、皆の集まる場所に行く。

 部屋の中はこの力を授かる前と同じで安心した……が!

「おい、何だよ、その服」

「へ?」

 と、ティノが小首を傾げ、こちらを見る。

 外に出る時からティノが何かを作っていると分かっていたが、このキッチンの匂いから日本料理らしきものを作っていたようで、オレンジ色のエプロンをしていた。

 問題はそのエプロンに隠された服だ。

「何で、ダサTじゃなくて、真っ当な魔法使いの女の子の服装になってんだぁ!?」

「え、いえ、今日の朝からこれですけど……って、今、何て言いました? ダサT? ダサいって、あのTシャツのことですか!? あれは日本に居る時だけですよっ!」

 言い合う前にクレアが言う。

「ヨシキチ、ちょっとは考えなさいよ。力よ! 私が授けた力によって、ティノちゃん本来の姿が見えるようになったのよ!」

「なるほど! だから、あんなダサい服ともおさらばして、今のエプロンとなっているのか!」

「普通に失礼ですね! 江東さんの分はありませんから!」

「ご、ごめんなさい」

 慌てても普通に素直に謝れば許されるシステムのようだ。大人げない……と言われたけれど。

 料理作りに戻ったティノからクレアを見れば、ごろんと床に寝てくつろぎ、どこに居たのかスライムを手に遊んでいる。俺の視線に気づいたのか、クレアがスライムを俺の方にやりながら言う。

「さあ、スライムちゃんをちゃんと見るのよ!」

「どうですか、見えますか? あの可愛らしい表情がちゃんと見えていますか?」

 二人して言うなんて、これで見えないとか言ったらシャレにならない。

「うわ~、ほんとうに、ほんとうに、絵とおなじ~」

「何故、棒読み?」

「う……」

「ねえ、あんた、見えてないでしょ」

「え?」

 俺はクレアに無理やり渡されたスライムをくるくると一周させ、同じ所を見て言った。

「そっち、お尻ですよ」

 ……つもりだったみたい……。

「え! 本当か? 俺にはほら、小さい目だとかニヒルな口とか見えないな~。老眼かな……」

「もう?」

 タジタジとして来る。何だ、この変な汗は。

「ねえ、あんた、マニュアルちゃんと読んだ?」

「はい! 読みました!」

 いつの間にか、クレアが俺のことを『あんた』と言っている。ティノはずっとじーっとこっちを見て怪しんでいる。

「あの、全部読んだのに、あんな痛い思いまでしたのに何故、見えないんでしょうか?」

 あんなに嫌がってた敬語で話しているのに、クレアは嫌がらない。当然という感じでマニュアルをよこせと無言でその手で言って来る。

「持って来ます!」

 俺はスライムを手に持ったまま、自分の部屋に戻り、次田さんからもらったマニュアルをクレアに両手で手渡す。

 肩にはスライムがいつの間にか乗っていた。

「ふ~ん……」

「何か、見落としがあったのでしょうか? クレア様……」

 恐る恐ると聞く。

「ねえ、このスライム……」

 そう言って、そのマニュアルをティノに渡す。ティノもそれを読む。

 この二人、日本語が、漢字も読めるのか!

 そんな新発見をしているとティノが口をぱくぱくさせた。

「何? 何があったの!? そこに何が」

「実験用です」

「実験」

「そ、要するにそのスライムはここに生息していたスライムだけど、ある特殊な魔法によって、冒険者の魔法力を得た者にしかその表情が見えないようになっているのよ! このマニュアルもそうね」

「へ……え……、それってつまり……」

「冒険者になった者と冒険者ではない者の比較もするそうですよ。ちゃんとここに、一番最初に書いてあります」

「へ……えー……」

「ま、この字は冒険者になってないと見えないわよね。私があんたのパーティメンバーになったのは初心者だったから。初心者じゃないと女神って扱い方が貴族のお嬢様以上、一国のお姫様以上になって来るからめんどーで。ちなみにこの服装は、温泉好き~、愛してる~っていう感情から生まれた私が行き着いたものなの!」

「あたしが、江東さんのパーティメンバーになったのは、前の時も一緒にパーティメンバーとしてやっていたクレアさんがいたからで……別に江東さんの年齢が気になった……わけではないですよ!」

 何を口走ってるんだ? この子は。

「そういうわけで、ヨシキチ」

「はい!」

「今からティノちゃんと一緒にギルドに行って来なさい」

「何で?」

「冒険者になって、仕事をするためでしょうがぁ! また、されたいの! ねえ、されたいの? 目つぶしがそんなに気に入ったの? ならば!!」

「止めて下さい! 行って来ます! 行くぞ、ティノ!」

「え、でも!」

 俺はそれ以上何も言わせず、ティノを連れて外に出た。

「ティノぉ……」

「はい」

「肩に、肩にずっと居る」

「はい……見えていますよ。ちゃんと見えています。ちゃんと私の方を見て、お尻を江東さんの方に向けています。楽なんでしょうか」

「おい、そういう報告は良い。それよりな、エプロンで包丁持って歩くなよ」

「いえ、これは武器です! そういうことにしておきましょうよ。江東さんの肩に居るスライムさんを守る為にも。今は杖がないですし、こんな装備ではとてもとても戦えません」

「戦うって?」

「今から行くギルドは初心者にも優しい、良心的なギルドですが、その道中何があるか分かりませんし、この時間帯はちょっと厄介なのですよ。さらにギルドに着いてもすぐに自分達の番になるわけではありません。あの時のテレポートのような列になっていたらどうします? そうしたら、夜になって、夜になったら」

「おい、夕方は? 夕方抜かしてる」

「良いんですよ、夕方なんて安全なもんです。そう、そして夜以降は何が起こるか分からない場所へと変貌し、怖い所でもあり、楽しい所でもあり、朝日が来る頃には、お宝巡る新しい冒険が開かれる場所になるのです!」

「そうか……ギルドは行きたくないんだよな……それに冒険者登録しても、命の危険が増えるだけだし。それにしても! あの求人、ウソつきやがったな! 何が初心者歓迎! 冒険者でなくてもできる仕事! だよ! もしかして、ブラック派遣会社だったのか? ニホンイセカイは!」

「そんなこと言うもんじゃないですよ。江東さん……。あたしも冒険者の求人で江東さんが見たのと同じようなのを見ましたが、確か二つありましたよ。時給良い方選んじゃったんじゃないですか。もしくはホームページに写っていた棧さんが原因」

「それは言えるな」

「真顔でマジメに言わないでくださいよ」

「あれかな……棧さんが綺麗すぎて見惚みほれてたとか……」

「うわ……」

 何故か、嫌な視線をスライムからも感じる。

「棧さんって、何となく江東さんより年下ですよね。でも、実際は若干年上」

「何それ!? 何でそんなこと知ってるの?!」

「魔法使いの勘ですよ」

「女の勘ではないのか、はあ……。もっと楽で危険のない仕事、したかったのにな……そのページに棧さんがいるなんてな……」

「もうずばり、言いますね! とんだハニートラップ! それは自業自得ですね……」

 ティノに太陽の光でギラギラと輝く日本包丁を持ったまま言われ、怖いから、そのエプロンで包丁を隠しとけ……と言い、ティノがそうしたところで俺達はここから一番近いギルドを目指し、とぼとぼ歩き出した。

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