当日。
いよいよだ。
異世界への玄関口、テレポートはその場所の名前であり、魔法の呪文でもある。
近くにある空港からの飛行機の轟音がうるさいが、ここは本来、静かな所である。
「あ、来た来た! こっち、こっち」
クレアが明るく手招きしてくれた。
顔合わせの時と何も変わらない二人の姿にちょっと安心する。
俺も普段通りの服装だ。これから始まる仕事は髪型、服装自由。ご用意された場所が仕事場であり、住む家になっている。それは向こうの世界に行けば分かることなのだが、中世のゲーム世界では暮らして行けない! とかなりの数の人がたった一日、二日で辞めて行った……という現実的な結果のせいで、まあ、そんな世界が最初から好きで憧れている人達はそんな不満も漏らさず、その世界に合った生活を今でもしているという。
コンビニやデパート、スーパーがちょっぴりあるのも、そういった過去の人達の不満から生まれたものだ。離職率を減らすのは当然のことで、はろーわーコンビニとか、はろーわーデパートとか、はろーわースーパーとか……そういう所が主になって建てられた所である。通称、はろわさん。だからと言って、無料で利用できるわけではないから、現金を持って行かなくてはならない。日本円もその世界の通貨も両方利用できるが、クレジット払いやポイント払いはできないから気をつけなければならない。日本感覚でお金の換算ができる所がポイントだ。そして、向こうの世界でも使える携帯電話を持たなくてはならない。何かあった時のスマホが俺にとっては一番大事かもしれない。あとはこの世界のパスポートだ。これは今では冒険者稼業なんかでも使われていたりして、かなり大事な身分証明書だ。五年、十年、異世界用とあり、異世界用ではどんな仕事を、どんなレベルなのか等々の記録もこのパスポート一つで済んでしまう。最近では運転免許証ほどの大きさのやつで本人の顔写真付き、魔法の力で自動に上書き更新されて行くカードタイプが出て、便利になったものだ。ちなみに俺のは前の会社の社員旅行で有効期限五年が切れ、紙タイプからその新しいカードタイプとなった。カードタイプに有効期限はなく、色はクリーム色。字の色によって旅行なのか仕事なのかが分かるようになっている。黒色なら旅行、金色で目立つようになっていたら仕事だ。そして、その異世界用パスポートを持っていなければ、このテレポートは使えない仕組みだ。
「あれ?」
ふいに変な声を出すクレア。
「どうした?」
「タオルがないわ! 私のお気に入りのタオルが! あれがないと私、温泉に気持ち良く入れないわ!」
「入れないって……温泉の女神様が、そんなこと言っちゃいけないんじゃないか?」
「ちょっと! 大事な事よ! この私が温泉に気持ち良く入っているから、気持ちよく温泉が出て来るの! ちょっと待ってて! すぐに取って来るから!」
「おい!」
消えた。スッと消えた。呪文なしでも魔法陣がちょっと出ていたからテレポートか。
「あーあ、行っちゃいましたね。まあ、この辺は慣れない方の為に多少の魔法の使用は許可されてますし、クレアさんの場合、女神様なのできつく怒られないでしょう」
「何ていう贔屓」
ティノのダサTシャツでも見て待つしかないのか……。
「あ、お待たせ! 家の玄関に置いてあったわ」
「よくありますよね、そういうの」
「そうそう」
一分もしないで戻って来たクレアに俺は言う。
「別に、今度の休日にでも戻って来れば良いだろ。そのくらいの融通は利くって言ってたぞ。棧さんが」
「そうよ、利くわよ。でもね、今日の夜から必要なの! もしかしたら今からかもしれない! そんくらい、大事なやつなの! この頭に乗せる桜色のタオルは」
「知らんがな!」
「あー、もうすぐのようですね。行きましょう」
てくてくと小荷物のティノが歩いて行く。その後をプリプリ小言を言いながら歩く桜色のタオルと大荷物のクレア、そして、服とか日用品ぐらいしか入ってないカバン一つの俺がその列に着いた時にはもう、大混雑だった。
「すげーな、やっぱ……。ここはいつも大行列だ」
「そうね、並んでない時はないかもね。ああ、聞こえて来る! 温泉の二文字!」
「ああ、異世界にも確か良い温泉があるんですよね。日本の企業が掘り当てたとか」
「そうよ! ティノちゃん! 私は異世界でもこの日本でも外国でもやって行ける女神なのよ!」
キラキラと言い出すが、きっと人は皆、彼女のこの場違いな浴衣のせいでそう思って言っているに違いない。早く気付かないかな……そういう所に。
「あ、あれは! キラキラな杖です! 向こうに行ったらちゃんとした杖を買うつもりでしたが、あれを買いましょうか……」
なんてバカな事を言い出すんだ! この魔法使いの少女は!
それにしてもずっと気になっていたが。
「どうして、クレアとティノはこの日本に居るんだ?」
「仕事です」
「仕事以外にないわね」
「そうなのか……俺はてっきり、その……十年前の台風が原因で飛ばされて来て、それ以後、ここが住みやすくてずっとここを行き来したりしてるヤツらなのかと」
「そうですよ」
しれっとティノが言う。
「この場所は、一度来たらもう一度来てみたくなってしまうような魅惑があります! 来ちゃうんですよ! 新しい物がすごくたくさんあって、楽しいです! それに杖が簡単に手に入ります。このTシャツだって、その為のもの!」
「そうなのか」
「はい、この自分の名前を日本語にしてあるのだって、こっちの世界の木に分かるようにです」
「そうなのか……」
堂々と言われてしまうとそれ以上何も言えないが……ちらっとクレアの方を見て、口を開けようとした。何だその格好はと。
なのに。
「言わないの」
女神の人差し指で口元を優しく押さえられた。右利きか、女神は。
「そういうことは聞いちゃいけないのよ! それが私の意見! 私達だってどうしてあの台風の風でここへ飛ばされたのか分からないのよね。気付いたら居たの。テレポートと一緒よ。住みやすさを考えたら誰だってこっちを選んでしまうわよ。別に思い人がこっちに居たわけじゃない。ただ、楽しんで居たのよ。それが十年。短いようで長いの。ちょっとは考えて言いなさいよ、ヨシキチ!」
怒られた。何故だか知らんが怒られた……女神に。
「すみません、クレア様」
「ああ! もう! イヤ! そういうの、私、嫌いなの! そういう敬語とか! 本当にもう! 温泉入れば誰でも同じよ! そうでしょ! 裸文化は日本独自だけど、水着着て、癒される心は皆同じなんだからぁ!」
そこ、
「生活拠点となる所は家具付きだそうだな!」
「ええ、そうですね。良い景色はありませんが」
「え?」
安全、安心、テレポート魔法陣! の放送が聞こえて来た。
どんどんと前の人は光り輝く魔法陣で異世界へと行く。
「派遣社員は初めてのようだから、教えといてあげるわ! 一度は会社見学というものに行きなさい! まあ、今回は仕方ないかもね。どんな状況でもどんな感じになっても構いませんっていうのに一筆、名前書いちゃったでしょ」
「ああ……。やっぱ、ちゃんと見てからじゃないとダメだな。資料は見れたんだけどな……普通の、日本の企業だったら軽く行けるんだが、異世界だとな……無理がある。見るにしてもいろいろあるからな……。こんなに早く行けるのはそういった条件をちゃかちゃかとクリアして行ったからだし」
「何よ、後悔してるわけ?」
「いや、後悔はしてないよ。だけどな……一度の会社見学で今後を決めるってちょっとムリがあるかなって……」
「今頃になって、そんなこと言わないでくださいよ。江東さんから行きますか? 私から行きますか?」
「あ、俺から行くよ」
「まあ、頑張るじゃない」
「別に異世界に行くのは初めてじゃないからな……旅行で一、二度行ってるから」
「じゃあ、テレポートも初めてじゃないんですね。良かった」
「何故、そんな心配を?」
「時々、いるんですよ。気持ち悪くなっちゃう人。まあ、慣れれば大丈夫なんですが、車酔いみたいな」
「ああ、でも、向こうの世界って、車も電車も自転車もないだろ。船はあるけどさ……」
「何よ? 私は酔わないわよ。ただぼーっとするだけ。ここはどこ? と一瞬なるだけで大丈夫よ?」
「本当か?」
そんなやり取りが続く前に、俺の番となった。
ニコニコ顔のお姉さんが優しく言ってくれる。
「ここに異世界用のパスポートをご提示ください」
「はい!」
お姉さんにカードタイプのパスポートを見せる。
お姉さんはまたニコニコ笑顔で言う。
「はい、問題ないですね。長期のお仕事、頑張って来てくださいね」
「はい! 行って来ます!」
後ろで待つ二人が何かコソコソと言っているが気にしない。男は現金なもんですよ。とかいう声が聞こえて来るけど、気にしない。
案内係のお姉さんの指示に従って十個くらい並ぶ魔法陣の一つに立つ。
横目に次々に異世界へと行く人達が映る。
両隣に待っていたわけじゃないのにティノとクレアが立った。
「異世界へしゅっぱーつ!」
そんなクレアの掛け声でテレポートされたわけじゃないと思う。
だけど、その瞬間に言ってやろうと思った言葉を言う前に来てしまっていた。
ここは、自然豊かな……。
「原っぱ?」
「ええ、そうです。異世界の王都には近いのですが」
「……無名の地よ」
「ちょっと今、ぼーっとしてたな。あれ、本当だったんだな」
「うっさいわね! 元気よ、元気! 空が青いじゃないの! 元気な証拠よ。さ、行きましょ! いつまで居るか分からない長期の派遣仕事に」
「そうですね、日本では同じ仕事は長期でも三年までと決まっていますが、異世界の長期の派遣仕事はしっかりとそこまで決まっていません。決まっていたとしても、特別なあれで更新され続けます。あ、大丈夫ですよ、江東さん。副業できるやつですし、嫌になったら、その電話で棧さんに言えば良いんです。もう無理ですって」
「まあ、私達はそれまで付き合ってあげるわ。そういう仕事だもの」
「ああ、そうなの? 俺、今度の休日は休むって決めてるから」
「何ですって!?」
「だって、そうだろ。土日祝日休みのやつだもん。これ。良かったよ、日付も日本感覚で」
「え、そうだっけ……」
「そうだよ、あれ、違うの?」
「違うわよ! 私達は年中無休でアンタのこと、守らなきゃいけないのよ!」
うんうん! とティノが頷く。
「そういう仕事ですから」
「うーん、でもな……」
「もう良いわ! 分かるわよ! そうなってたって、残業という名のものでなくなるってことがね!」
うわ~、イヤ~なブラック発言来た~……。
「げんなりさせるなよ、最初から」
「そういうものなんです! 仕事ってのは! 行きましょ、ティノちゃん」
「はい」
さっさと俺を置いて行こうとする。
「おい、待てよ! お前ら!」
俺は二人を追い掛ける形で異世界の地を歩き出した。