「もしもし、今から帰るからね」
スマホを耳に当てて私は言う。
電話の相手はお母さん。
帰りが遅くなってしまったので、連絡を入れているところだった。
「うん、大丈夫。レンが送ってくれるから。……え!? ち、違うって! そういうんじゃなくて! あらあら〜じゃないから、もうっ!」
私は、慌てて通話終了をタップして電話を切る。
「まったくお母さんは、すぐそうやって言うんだから……」
「日野原、電話終わった?」
ため息をつく私の元にレンがやってくる。
お母さんと話している間、気を遣って少し離れてくれていたみたい。
「う、うん、ありがと」
「じゃ、行くかー」
さっきの会話は聞こえていなかったみたいで。
私は、ホッと胸を撫で下ろした。
二人で歩く
処暑は暑さが去るという意味だって、学校で習ったことがある。
「でも、まだまだ暑いよねー」
なーんて言いながら歩いていくけれど。
だけど、暑いのは気温のせいなのか、レンの隣にいるからなのかは良くわからない。
ふと、空を見上げると、そこにはいくつもの星が瞬いていた。
えーと、夏の第三角は……。
星座を探している私に、レンが口を開く。
「俺の過去のこと、ユウトたちにも話した方がいいかな?」
「うん……そうだね。みんなもすごく心配してたから」
「そっか……」
レンは
「ユウトには怒られそうだな。なんで今まで話してくれなかった! って」
「あー、あるかも。『俺は今からお前を殴る! だからレンは俺の頬を殴れ!』とか言いそう」
「それ、わけわかんねー」
二人で顔を見合わせ、星空の下で笑い合う。
こんな何気ないことも、私の胸には大切なものとして刻まれていく。
願わくば、レンも同じ気持ちでありますように……。
そんなことを思いながら、笑い続けた。
でも、きっとレンは私の気持ちなんてぜんぜん知らなくて。
心の中で苦笑いを浮かべる。
もう、ほんと鈍いんだから……。
「ありがとうございましたー!」
コンビニを後にする私たちに、店員さんが頭を下げる。
立ち寄った理由はもちろん、ハルカさんの指令である紅薔薇姫と白い騎士のコラボ缶コーヒーの購入だ。
紅薔薇姫の心ブラックを3本、白い騎士の清廉ホワイトを3本、合計6本買って、レンは上着のポケットに入れる。
「うーわ。これ、ポケットが重くて邪魔だな」
ずっしりと重量感のある上着に、私は思わず笑った。
「にしても、コラボ缶。かなり在庫があったな」
「だねー。ハルカさん、慌てなくても売り切れなかったよね」
「まぁ、ねーちゃんらしいっちゃ、らしいけど」
そう言いながら、レンはポケットから白い騎士の缶を1本取り出す。
そして、それを私に手渡してきた。
「日野原は、ミルクたっぷりの方でいいか?」
「え、飲んじゃうの?」
「ねーちゃん、飲んでいいって言ってたじゃん? それに、ポケットが重すぎて少し数を減らしたい」
レンの手には、紅薔薇姫の缶が握られている。
「ありがとう。じゃ、遠慮なく」
「ん」
二人で、缶の開け口のタブに指をかける。
カシュッ!
という、小気味良い音が辺りに響いた。
一口含むと、驚くくらいのミルク感が広がっていく。
濃厚で柔らかい味、それでいて程よい甘さで。
これならコーヒーが苦手な人でも飲めると思った。
レンの手にある紅薔薇姫の缶はブラックコーヒーだ。
少し苦そうな顔で飲む彼に、私は首を
「レンは紅薔薇姫のコスプレをしたから、ブラックを飲んてるの?」
「違うって。俺、コーヒーはブラックって決めてるから」
ふーむ?
〝決めてる〟ってことは、好きだから飲んでるわけじゃない?
変なとこでカッコつけたいのかな。
ちびちびと口に含むその姿がなんだか微笑ましく見えて。
ふふっ。
と、私はこっそり笑った。
それからしばらくの間、話しながら歩いて……。
今は自宅の門の前に立っていた。
もう少し家が遠いところにあったら良かったのに……。
なんてことを思いながら、私はレンに振り返る。
「送ってくれてありがとね」
「いや、ねーちゃんの意味のわからない頼みごとのついでだし」
レンはそう言って笑ってくれた。
「ねぇ、レン」
「ん?」
「レンって……小学生の頃、好きな人がいたんだね?」
「え!?」
「だれ? 私の知ってる人?」
「い、いや、それは……えーと……」
なんだか口ごもっている様子のレン。
これは答えられない人なのかな?
……そうだよ、レンの大切な思い出の人だもん。
興味本位で触れていいことじゃない。
気にはなるけれど……。
でも、そんなのレンにも、その人にも失礼だから!
「ごめん、やっぱ大丈夫!」
そう言って、私は門に手をかけた。
少し錆びた感のある門は、ギギギーっと音を立てて開いていく。
「——だよ」
その瞬間、レンの声が聞こえた。
でも、それは小さかったのと、門の音がうるさかったのがあって、よく聞き取れなかった。
「え? 今、なんて言ったの?」
「な、なんでもねーよ! ……おやすみ!」
「うん、おやすみ。気を付けて帰ってね」
「ああ」
お互いに手を振って。
そして、レンは背中を向けて歩き出す。
さっき、レンに……。
「お前だよ」
って言われた気がしたけれど……。
わかってる。
たぶん、それは自意識過剰ってやつだ。
去っていく背中。
私は、その姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
——そして次の日。
目の前を、昨日の背中が歩いていた。
私は手ぐしで髪を整えると、早足で横に並んだ。
「おはよ、レン!」
「ああ、おはよ。昨日はありがとな!」
「ううん。もう体調は大丈夫?」
「おかげさまで」
そう微笑むレンは、夏休み前と何も変わらなくて。
良かった、本当に大丈夫そうだ。
「過去のこと、みんなに話せそ? 無理そうだったら、また違う日でもいいと思うよ?」
「いや……大丈夫、ちゃんと話す」
レンは私に向き直る。
それは、とても晴れやかな表情だった。
「これ以上、心配かけたくないからな」
「そっか」
なんだか嬉しくなって、私も自然と笑顔になった。
ふと、レンが何かを思い出したかのようにクスクスと笑い出す。
「どうしたの?」
たずねる私に、レンは笑いながら答える。
「いや、昨日の日野原モノマネ、ユウトに凄く似てたなーって」
「俺は今からお前を殴る! ってやつ?」
「そう、それ!」
レンは、笑いながら自分の頬に手を当てた。
「でも俺。夏休みのお祭り、途中で帰っちゃったからな。マジで殴られるかも」
「あれは理由が理由だから! それにユウトくんも、そんな青春ドラマみたいなことしないって」
昇降口で靴を履き替え、廊下を歩く。
教室に入ると、ユウトくんとミユ、そしてアイリが席で話をしていた。
「おはよー」
私の声に、3人が振り返る。
そして、隣のレンを見て一瞬固まった。
「……おはよ、夏休みぶり」
レンが、少し気まずそうに右手を上げて挨拶する。
その瞬間、ユウトくんが立ち上がった。
「レン、お前……」
「えっと……夏祭りのときは、先に帰っちゃって悪かったな」
その言葉に、ユウトくんが手を振りかざす。
そして——。
「バッカ、あんなの気にすんなよ! それより体はもう大丈夫なのか?」
そう言って、レンの肩をバシバシと叩いた。
その後ろでアイリがホッとため息をつく。
「久しぶりね、月島くん。元気になったみたいで本当に良かった」
「水本にも心配かけたな」
「気にしないで。でも、あのタクヤって人は最悪だったけれど」
「ねー! 私、あーゆー人、きらーい!!」
ミユはそう言って、空に向かってベーッと舌を出した。
そこに仮想タクヤがいるのかどうかは、彼女のみぞ知る。
口々にレンの心配をする3人。
その勢いに少し
「……プッ、あははははは!」
唐突に笑い出した。
驚くみんなを前に、レンは涙を拭いながら言葉を続ける。
「……ごめんな、みんな。俺、何を心配してたんだろな」
そう言って微笑むレンは、とても嬉しそうだった。
その日の放課後、以前行った駅前通りのファーストフード店に私たちはいた。
レンが中学時代の出来事を話すからと誘ったのだった。
レンの言葉にアイリはハンカチで目元を拭い、ミユにいたっては人目も
私は聞くのは二回目だけれど、やっぱり胸が苦しくなった。
レンは話し終えると、
「今まで話せなくてゴメン」
そう言って頭を下げた。
その瞬間、響く椅子の音。
驚き見ると、ユウトくんが立ち上がっていた。
レンを見つめる瞳からは大粒の涙が溢れていて、もう顔はグシャグシャだった。
「レン、なんで話してくれなかったんだよ!」
「……悪い」
「俺は今からお前を殴る! だからお前は俺を殴れ!! くぅぅ……!」
天を向いて男泣きのユウトくん。
思わず私とレンは顔を見合わせる。
「予想が当たっちゃった……」
「ああ、そうだな……」
その後、レンがこっそり耳打ちしてきた。
「それにしてもユウト……。なんていうか……かなり大きくなったな。最初、誰だかわからなかったわ……」