二人きりの部屋の中。
私の腕の中にはレンがいる。
お互い言葉はない。
穏やかな息遣いだけが静かに響いていた。
どれくらい時が流れたのだろうか。
その沈黙を先に破ったのはレンの方だった。
「日野原の……心臓の音が聞こえる」
改まって言われると、なんだか恥ずかしい気持ちになる。
なので、私は唇を尖らせながら答えた。
「聞こえるよ。生きてるんだもん」
「生きてる……そうだよな」
レンは
「俺も……生きてるんだよな」
噛み締めるようなその言い方に、胸がズキンと痛くなる。
新しい土地に行ったレンは、そこでリコさんに告白されて。
断ったその夜に彼女は病気で入院して……そして亡くなった。
それは悪い偶然の巡りあわせだったと思う。
でも、タクヤはそれをレンのせいにした。
レンがリコさんを振ったから。
彼女は精神的に追い込まれて、生きる意味を失ったんだって……。
そして、レンもそう思い込んでしまった。
だけど、タクヤのそれは言い掛かりみたいなもので。
大好きだったリコさんが、自分を選んでくれなかった嫉妬心を強く感じた。
結果、悪意を持った心の前に、事実は
〝人殺し〟のレッテルを貼られたレンは、中学時代をひとり孤独に過ごしてきた。
誰にも頼ることができず、たった一人で戦ってきたんだ。
抱き締めていたレンを、そっと開放する。
そして、その顔をじっと見つめた。
彼は、慌てたように
きっと、涙を見られたくないのだろう。
そんなレンに、私は微笑んだ。
「もう、大丈夫だから。レンは、一人じゃないから」
レンは少しだけ顔を上げた。
「俺も……みんなと一緒にいたい……。だけど、それはきっと許されないことだから……」
伏し目がちなその姿は、まるで捨てられた子犬みたいで。
普段のレンとはまるで違って見えた。
辛そうな彼に、なんとか元気を取り戻してほしくて。
いつものように笑ってほしくて。
私は——。
「えいっ!」
「いてっ?」
私は、レンのおでこをデコピンしてやった。
額を押さえて驚くレンに、ニッと笑顔を作る。
「もう遅いよ! 私たちのしつこさ、舐めないでよね!」
「でも、俺は……」
「レンがどんなに壁を作っても、その度に壊して突き進むからっ! レンの心に土足で踏み込んでやるからっ!」
驚きに開かれていた口が、やがてフッと緩んだ。
「……言い方」
そう言ってレンは苦笑いを浮かべた。
それはまだ少しぎこちないけれど、でも確かに笑ってくれていた。
私は彼に向き直る。
「リコさんのこと……残念だったと思う。でもね、それはレンのせいじゃないから!」
レンは優しい。
だから、自分を責め続けることで、リコさんの想いを一生背負っていこうとしている。
でも、そんなの絶対に間違ってるっ!
「レンは悪くない!」
「日野原……」
「世界中を敵に回しても、私はそう言い続けるから!」
「……大げさなんだよ」
レンがそう笑った、そのとき——。
「あ……あれ?」
向かい合った彼の瞳から、雫が零れ落ちた。
「くっ……なんで! 日野原には……見せないように……してたのに……!」
「レン……我慢しなくていいんだよ?」
「ば、バカ……そんなこと……言われたら……俺……」
とめどなく流れる涙。
今まで堪えてきた感情が、
レンは泣いた。
声を上げて泣いた。
泣きじゃくる姿は、ただの小さな子供みたいで。
私は、黙ってその頭を
どれくらい、そうしていたのだろう。
レンは、ようやく落ち着いたみたいで。
短く息を吐くと、膝を抱えてそこに顔を埋めた。
そして、チラリと私を見る。
「……やべぇ。俺、カッコ悪ぃ」
真っ赤な顔と瞳で私を見るレンが、なんだかやけに可愛く見えた。
「いいじゃん、別に。今までだって、大してカッコよくなかったし」
「なっ!?」
そして、二人で顔を見合わせて。
大きな声で笑い合った。
「そっか……。俺、ずっと誰かに許されたかったのかもしれない」
そう言ったレンの顔は、とても晴れやかだった。
そのあと、レンが買ってきたパンやオニギリを二人で食べて。
ユウトくんが、びっくりするくらい太ったという話をして。
気が付いたら、時計の針は18時を回っていた。
「もうこんな時間。私、そろそろ帰るね」
「そっか。今日はありがとな」
「どーいたしまして! 明日は学校来られそう?」
「ああ、大丈夫だと思う」
「良かった!」
レンのお姉さん——。
ハルカさんに挨拶を済ませ、玄関を出ると、外はすっかり暗くなっていた。
「ユイちゃん、うちで夕飯食べていけばいいのに」
「いえ、そこまでお世話になるわけには」
ハルカさんが、そう言ってくれたけれど。
私は笑顔で断った。
「日野原。もう暗いし、送ってくよ」
だけど、レンの言葉にも首を横に振る。
「お見舞いに来たのに、送ってもらうって変だから」
「そっか……」
「うん……また、学校でね」
「ああ、また」
「じゃあね」
「じゃあな」
短い言葉のやり取り。
心が寂しいって叫んでる。
だけど私は、それに気付かないふりをして玄関の扉を閉め——。
——その瞬間、ハルカさんが大きな声を出した。
「あ、そうだ! 今、紅薔薇姫のイラストが描かれた缶コーヒーが売ってるんだった!」
紅薔薇姫と白い騎士。
私とレンが、体育祭でコスプレをした作品だ。
そーいえば、この前テレビでコマーシャルをやっていたのを見た。
イラストに加えて、〝シャキッとスッキリ紅薔薇姫の心ブラック〟と〝ミルクたっぷり白騎士の清廉ホワイト〟の二つの味も発売された。
どちらも期間限定だ。
「どんな味なのか、とても興味あるわー」
腕組みするハルカさんは、レンの顔を見てポンッと手を叩いた。
「そうだ、レン! ちょっと買ってきてよ!」
「は? 俺が?」
「そう、レンが。私は何かと忙しいからさ」
「はー? 姉ちゃん、紅薔薇姫なんて興味ないじゃん」
「今、興味出たの! いいから行ってこい、我が弟よ! 姉の命令は絶対だぞ!」
そう言うとハルカさんは、レンに薄手の上着と千円札を手渡した。
「買ったら、ユイちゃんと二人で飲んじゃってもいいからね」
「……じゃあ、何のために買うんだよ」
バタンと閉まる玄関のドアを前に、レンは深いため息をつく。
「ったく、姉ちゃんは……あ、日野原。買いに行くついでに家まで送るわ」
「う、うん!」
ハルカさんの勢いに
まだ、もう少しだけレンと一緒にいられることが素直に嬉しかった。
「行こうぜ」
「うんっ! エヘヘ……」
「なに笑ってんだよ?」
なーんて言うレンも、どことなく嬉しそうに見えた。